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たまに友人たちと訪れる飲食店を変えると、どうしても深雪は目立ってしまう。
さすがに達也とふたりきりで街へ出掛けるときと違って、腕を組み、恋人の演技をするわけではないが、ぴったりと横に並ぶ兄妹は、周囲からカップルと誤解されることが多い。
私服で外出していると、達也が大学生で、深雪が女子高生の、年の差カップルだと思われることだろう。血は繋がっていても、容姿に共通点の薄い──しかし
観衆たちのお決まりの反応は、ヒソヒソ声で「男の顔が釣り合ってない、普通じゃないか」と
もちろん、深雪の耳に届く声で……というはずもない。その雰囲気を発しはしても、囁きの内容は雑音に掻き消されていくものだ。
しかしその日だけは違った。同行した友人たちが皆で気付くほど、通りのよいタイミングで聞こえてきたのだ。
まず、友人たちの肌が粟立った。深雪の耳に兄への侮辱を聞かせることは、タブー中のタブーである。一縷の望みとして、「もう聞き慣れていることかもしれない」とも思う。事実、一高の校内で同じようなことを囁かれ、それでも自制を失わなかった深雪の姿、その不壊の微笑みを何度も見ているからだ。
しかし、兄妹として見比べられる学校と、カップルとして見比べられた現状では、深雪の機嫌がどう変調するのか予想がつかなかった。
結果として、身構えていた彼らの戦慄は杞憂で済んだ。
深雪は、ふう、と溜息をついて、
「お兄様……。男は顔ではない、と言うではありませんか。お兄様のすばらしさは、あまりに大きすぎて一目で伝わらないのです」
と、からかい気味に冗談を言い放つほどだった。冗談というより、慰めなのだろうか。達也は苦笑いし、深雪の頭の上にポンと掌を乗せる。いたずらを叱られた子どものように可愛い笑みを浮かべて、深雪の中でこの話は終わったかのようだった。
「ん……。深雪は、そこで怒らないんだ?」
勇気を出して聞いてみたのはエリカだった。
「お兄様のお顔はそんなことありません! ……みたいなさ」
深雪の口真似までして、こんなことを言う。これはエリカ自身の好みが、(平均的な嗜好に比べると)達也のルックスを結構高めに分類しているせいもあったかもしれない。
盲目的な美化が出来上がってしまっているほのかは別として、達也に親しい女性陣は「平均よりは上、まぁまぁ程度」となかなかシビアに分類しているのが実情だ(これが達也の自己評価と概ね一致しているのは、彼のプライドにとって幸いと言うべきか微妙なところだが)。
「あら。外見で判断するような人は、それだけしか見ていないということよ。見た目で評価されてたっていいことはないわ」
「……深雪が言うと、説得力ある」
「そうでもないと思う」
ほのかが素直に感心し、雫が言外に「深雪が言えば嫌味になる」と被せ気味に反対意見を唱えた。
エリカの感想はというと、雫同様の反対が九割、同意が一割だ。見た目がいい方がトクに決まっているのだが、度を越すと悩みが増えていくことも体験済みだった。明らかに度を越しているどころか、人類のカベまで突き破っていそうな深雪ならば確かに苦労も多かろう。しかし、だからといって一般論にされたくないというのが、九割反対の根拠である。
「……わたしの見た目なら、お兄様に褒めていただければそれだけで充分なのですし」
エリカに向けていた体を傾けて、隣に座る達也に熱い視線を注ぎながら深雪が言う。
またこいつらは二人だけの空気を作って……と気力を削がれるエリカだった。テーブルに隠れた部分ではきっと、手と手を重ねるスキンシップくらいしているに違いない。
「いや、俺にとっては、深雪の可愛さを自慢できるのは、充分いいことのひとつだよ」
「そんな……恥ずかしいです……」
歯の浮きそうな兄バカ台詞まで聞いて、正直疲れてきた。
「ねぇキミ達、話が脱線してるからさ……。深雪はどうなのよ、お兄様超カッコいい! とは思ってないわけ?」
「お兄様は、普通ではないかしら……?」
平然。予想外な答えが返ってきて、エリカも真顔にならざるをえなかった。
「えっ! そうなの? 深雪のことだから、達也くんのことは凄い美男子だって思ってると思ってたわ」
「客観的には普通、でしょう? もちろん、わたしにとってのお兄様は最高に恰好いい方だけれど」
「……すごいな、そこ、きちんと区別つけてるんだ」
言い出しっぺのエリカ以上に、居心地の悪そうな表情をしていた幹比古だが、思わず感嘆の声を漏らした。彼が感心したときに口から出ることは、良くも悪くも正直である。聞きようによっては、兄と妹、双方への中傷となりかねない言い草だったが、今日の二人にとっては不埒を咎める流れではなかったらしい。
「おいおい、兄としては落ち込む意見だぞ」
「ふふっ。でも、お兄様はそのくらいが丁度よろしいと深雪は思います」
(ただでさえモテるのに……って付け加えたいのかな?)
今度は口に出さず、幹比古は反射的な感想を飲み込んだ。
結局のところ、異性にモテるかどうかは人脈に拠るところが大きい。とりあえず幹比古のいる環境は棚に置くとして、九校戦で女子選手陣から幅広い信頼を勝ち得た達也と、社交的ながら案外と人脈を広げようとしないレオを頭の中で比べると、人生の縮図を知ったような気分になる。その差はバレンタインデーのチョコの数に現れていた。
豊かな人脈というのは、性格によるものか、能力によるものか……。達也の場合、後者の要素がより多くを占めているのは間違いないだろう。彼が築き上げたものには、全て中身がある。性格で優遇されて手に入れたものなど、何ひとつない、と思うことができる。
もっとも、実力で手に入れたはずの立場を、つまらない気質の問題で手放してしまう者だって多いわけだが……。その点で達也の性格は、少々危なっかしいようにも幹比古には思えた。生き馬の目を抜くように処世に長けて見えて、その実、現実の立場に何も執着していないように思えることがある。もちろん、感情に任せて自滅するような大失態は起こさない。しかし、どこかギリギリの綱渡りで交友関係を保っているように感じることがある。
そういえば達也の「性格」について、彼の妹が褒めたところをあまり見たことがない。
達也は人が良いとか、世話好きだというほどでもないので、ギブアンドテイクで仕方なく、というていで人の頼みごとを受けるのだが、その際に「お兄様は慈悲深い」などと筋違いのホメ方をしたことなら記憶しているものの。
性格に関してなら、どちらかというと、深雪が「お説教」をしているように見えることの方が多かった。
本人は、愛ゆえの想いを伝えているだけだと反論しそうではあるが。
◇
深雪は兄の性格について、自分にだけ優しくしてくれることを除くなら、他の大部分を不満に感じている。
物足りない、とも言えるし、もったいない、とも言える。
達也はあらゆる人間のなかでもっとも優れた存在であり、誰よりも愛しい存在だが、完成された男性とも言い難い、ということだ。
エリカに言ったように、「いい男」だと思っているわけではない。
元から、顔がいいと感じてはいなかった。好み、という言葉を使えばいいのだろうか。気になる存在、なぜか目を離せない存在ではあったが、それは顔の好みとは違うんじゃないか、と思う。
深雪の見立てでは、達也は他人の美醜にこだわらない人だ。兄は、もっと深いところで人を「見る」。
武術の達人が相手の構えのスキを見抜くように、人間の存在を支えている根幹を見透かし、判断する。
だから深雪は達也の前で、気を抜くことができない。外見だけでなく、気配や振る舞いもすべて、達也が気に入るような女の子でなければ、可愛いと思ってもらえないかもしれない……と思って。
逆に深雪から達也に求めるものは、自分よりも力の優れた兄であること。それだけだった。兄として敬愛し、その妹として誇りに思うにはそれで充分だった。そもそも、奇跡のような魔法を振るう人の妹なのだと、そう自覚して受け入れたときが、今の彼女の始まりなのだから。
性格もいいところばかりだとは思わない。むしろ注意が必要ですらあると思う。
欠点があるのは人間らしい証拠だ。
深雪は達也の欠点さえも愛おしかった。いつも「お兄様に間違いなどありません」と言い続けている深雪だが、もし兄が本当に完全無欠であるならば、世話をするわたしの立つ瀬がない、と内心では考えている。
尊敬と軽視は本質が同じだ、という言い回しもある。
誰かを理想化することは、相手の「変化」や「成長」を望まないことと同じ。実は相手のことなどどうでもいい、自分の望むままであるべきだという、その人格を蔑ろにする態度なのだと。
「深雪さんの理想の男性って、やっぱりお兄さんみたいな人?」と問われて、深雪が呆れてしまうのはそのためだ。
それではまるで、お兄様を「理想(イデア)」に押し込めて、お兄様以外の男に成長を望んでいるようではないか。
わたしが変化してほしいのは、果てしなく上昇しつづけてほしいと願うのは、お兄様以外にはありえないのに。
深雪は達也を誰よりも尊敬している。しかし、けしてキズのない……完璧な存在でもなかった。
むしろ欠点や短所の多い人だと思っている。
短所のひとつには、兄は他人の激情を理解することができない。
人間の感情というものを経験で知ってはいるし、「何もかもお見通し」のように思考を読むことだってできる。
でもそれは……わたしたちの魔法の理論に喩えるなら、魔法を発動させる手順を知っているだけで、魔法が発動する源を知らないのと同じ。
お兄様は、感情を読むことはできても、なぜそれが激情へと変わるのか、を実感することができない。
この差は決定的だ。わたしたち魔法師も、ブラックボックスである魔法の能力を「確信する」ところから技術の修得がはじまる。
魔法の原理を知らないわたしたちは、直観でその確信を掴むしかない。と同時に、その直観が薄れた時点で、儚く消えてしまうほど掴みどころのない感覚でもある。
お兄様にとっての激情は、そんなものに近いんだと思う。お兄様がそれを知る手掛かりは、幼少の頃の思い出だけ。
その経験ですら、大人になって身に付ける強い感情──例えば恋心とか──は想像で補わなければならない。
ときどきあの人が子どもっぽくて可愛らしいと感じてしまうのは、自分で体験したことのある「強い感情」が幼少期のものに限られているからかもしれない。
兄は「目的」と「意志」が非常にはっきりとしている人だ。小さな感情は脇に追いやられ、理性によって物事を遂行する。しかし理性がいつも「合理的に働く」とは限らない。臆病さや憐情によるためらいがないからこそ、達也の行動はいつも苛烈にすぎ、理想形へのこだわりが薄いからこそ、拙速にすぎることがある。人は強い感情に従った方が、合理的なこともあるのだ。でなければ、人類の感情はここまで進化することもなかっただろう。
周囲の人はそんなお兄様の気質を理解できないし、また、お兄様も周囲を理解できない。
他人と交渉しようとするとき、相手を追い詰めてしまうクセもそうだ。合理的な逃げ道さえあれば、そこに逃げ込んでも恥ではない、と達也は考えるからだが、普通の人間はそう簡単に進む向きを変えたりはしない。畢竟、追い詰めて追い詰めて、逃げ場がなくなったときに予め用意していたかのような選択肢を差し出して選ばせる……という悪魔の取引のような交渉になってしまう。
人から好意を向けられるときもそうだ。お兄様が知っているのは、幼少の頃の感情だけで──しかも、わたしを含めて誰かと親しくしていた記憶はなかったように思う──、思春期から芽生えてくる親愛や恋愛の機微は、ギャップが大きすぎて気付きにくいようなのだ。
こうした欠点を支えるために自分がいると信じているし、兄が今よりももっと満たされた人間になるとしたら、それこそが深雪の幸福となるだろう。
欠点のない人間などいないのだから、きっとわたしの役割が失われることもないはずだ……というのは、チョッとした彼女の甘い願望。
たとえもし、達也が完全無欠の存在になったとしても(深雪はそれがありうると考えている)、そのときは、自分が兄に並ぶことのできる完璧な女性になればいいだけだ、という覚悟だって済んでいるのだから。お兄様の実の妹であるわたしには、そんな人になる資格もきっとあるはずだ。
今は支える必要の多いお兄様だけど。
いつかはふたりで一緒に飛び立ちたい。
支え合うのではなく、力を合わせる兄妹になりたい。
それが深雪が夢見る未来だった。
遠い幻のようで、手の届く身近な現実のようにも感じる。
少しでも早く、そうなりたかった。お兄様も同じ未来を想ってくれるだろうか? とさらに夢を深くする。
ひとつ確かなのは、そんな夢を見させてくれる兄を、深雪は深く愛しているということ。
このシリーズの他に、次からは番外編のシリーズが始まります。
番外編の方は、オリジナル要素(妄想)が入っていたり原作の設定を意図的にいじったりと、萌えの赴くまま書いたものをまとめています。