風の聖痕――電子の従者   作:陰陽師

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第三十一二話

 

 

霞雷汎

 

和麻の知る限り世界最高の仙人であり、超越者に尤も近いと思われる人間。

いや、すでに彼は人間と言う範疇を超え、一個として完成された存在へと昇華しているとさえ和麻は思っている。

 

単純な戦闘能力では和麻が勝るだろうが、それでも和麻は師であり、今の自分を形作るのに大きく貢献してくれたこの人に勝てると思ったことはない。

仮に虚空閃を持ち、聖痕を発動させた状態でも、この人とは闘う気にもなれない。

 

(ほんと、なんでこんな所にいるんだか……)

 

霞雷汎は何も語らない。何故こんな場所にいるのかも語らず、和麻のチップを師匠権限とかで大量に奪ってゲームに興じている。

それ自体は別に構わないし、逆にまた増やしているからなんとも思わない。しかし心臓に悪い。苦手と言うわけではないが、和麻としては頭の上がらない数少ない相手が、どう言う事情でここにいるのかわからないのでは、気が休まらない。

 

「おいおい。辛気臭い顔をしてないで、お前も楽しめよ」

「そう思うんだったら、せめて事情くらい説明してもらいたいんですが。つうか、今日は師兄は一緒じゃないんですか?」

 

和麻はもう一人の苦手な人物を頭に思い浮かべながら、老師に尋ねる。師兄である李朧月は力に目覚め、天狗になっていた和麻を完膚なきまでに叩き潰した最悪の存在だった。

当時は何をされたのかもわからないほど、圧倒的に完膚なきまでに叩きのめされ、軽くトラウマになっている。

出来ればもう二度と会いたくないなーと心の中でぼやく。

 

「マスター、マスター。どちら様なのですか?」

 

和麻が物凄く苦手意識を出していると言う珍しい光景に、ウィル子が興味津々に聞いてくる。これを気に少しは弱みでも握れるかと言う打算があったのは言うまでもない。

 

「あー。俺の師匠だな。仙術の方だけど。復讐するために力の制御が必要だったから、それ系統で鍛えてもらった」

「マスターの師匠なのですか。うーむ。どこにでもいる普通の人に見えますが」

「それがあの人の怖いところだよ。どこにでもいる普通の人間にしか見えないし、思えない。俺でも気配を探っても、よほど注意しないと気づかない」

 

自然と一体になっているかのように、そこにいるのに、いないような。それでいて違和感を生じさせることなく、自然である。

仙人としての極地にいる世界最高の存在。内包する力はかのアーウィンと同等かそれ以上。

 

「俺が戦いたくない数少ない人間だよ。いや、老師を人間って呼んでいいのか疑問だけどもな」

 

ウィル子は思う。和麻にここまで言わせる相手

それほどまでの相手なのかと、ウィル子も冷や汗をかく。

 

「とにかく、しばらくは老師に付き合う。ここにいる理由も気になるしな」

「……たぶん面倒ごとなのですよ」

「……言うなよ。俺も考えたくないんだからな」

 

やけっぱちに呟くと和麻は現実逃避の意味も込めて、ゲームに勤しむのだった。

 

 

 

 

ゲームもひと段落して、和麻とウィル子は霞雷汎は伴い、自分が泊まる予定のホテルの一室に向かった。

師は別口に部屋を取っていたようだが、こちらも事情を聞きたいので部屋に案内した。

 

「で、そろそろ事情を聞きたいんですが」

「ん? そうだな」

 

部屋のソファに座り、和麻に注文させたうまい酒を飲みながら霞雷汎は口を開く。

ちなみに和麻はベッドに腰かけ、ウィル子はふわふわとその横で浮かんでいる。

 

「俺の宝貝が幾つか盗まれた」

「はっ?」

 

師の言葉に和麻は思わず驚きの声を上げた。盗まれた? 師の保有している宝貝が?

 

「いや、それは何の冗談ですか?」

 

聞き返す。和麻にしてみればそれくらいありえない事だった。

師の所有する宝貝を盗みにいくという暴挙に出た犯人の根性も凄いが、盗まれるという失態をこの人が犯したなどとは信じられない。

 

「まあ正確に言えば、朧の奴の蔵に預けてたレプリカが幾つかだがな」

「そりゃ命知らずな奴がいたもんで」

 

あの兄弟子の蔵から強奪など考えるだけでも恐ろしい。今頃のその犯人は彼により、生まれてきたことを後悔するほどの苦痛を味合わされているだろう。冥福を祈る気には一切無いが、少しだけ心の中で馬鹿なことをしたもんだと呟く。

しかしと和麻は考える。盗まれたのが師兄の蔵からならば、師兄が赴くはず。なのに何故老師が動いているのか。

 

「で、何で俺が動いてるかなんだが、一個だけ盗まれた中で面倒な奴があってな」

「何か凄くいやな予感がするんですが」

「ああ。オリジナルの雷公鞭を盗まれた」

「ちょっと待て!」

 

和麻は思わず叫んでしまった。雷公鞭だと!?

 

雷公鞭とは宝貝の中でも最強の攻撃力を誇るもので、超強力な雷で瞬時に形あるものすべてを焼き尽くすことができる。またそれだけではなく、影や魂さえ溶かすことができると言われる、攻撃力だけで言えば最強を通り越してありえないと言えるほどの宝貝だ。

 

はっきり言えば、和麻や厳馬の全力さえも霞むほどの力である。仮にこの二人が協力しても雷公鞭の攻撃力に勝る事ができるか疑問である。

 

「まあ俺でも完璧に使いこなせなかったから封印してたんだがな」

「それも師兄の蔵に入れてたんですか?」

「いや、それは別のところだったんだがな。朧のとこに太極図のレプリカを預けてたんだが、そいつを使って雷公鞭の封印を解いたみたいだ。壊れた太極図のレプリカが残ってた」

 

話を聞いて和麻はさらにブルーになる。レプリカの太極図でも厄介だが、何だその話は。

 

「……師兄にしてはとんでもないミスをしましたね」

「あいつも俺の使いでしばらく蔵から離れてたからな。まあ盗んだ相手は三下だから雷公鞭を使いこなせるはずが無いが」

「三下が老師の蔵に封印されてた雷公鞭を盗めるんですか? ていうか雷公鞭のオリジナルなんてどうしたんですか? てか存在してたんですか?」

「質問ばっかりだな。盗まれたのは事実だからな。あと雷公鞭のオリジナルは俺が師匠から譲り受けた」

 

あんたの師匠は何者だとか、太極図のコピーって何だとか色々とツッコみたい所は山ほどだったが、話を聞いて、もうどうでもいいやと和麻は思った。

問題はここから自分が巻き込まれるという事だけだろう。和麻は一度ため息をつく。

 

「で、犯人はわかってるならなんで老師はここにいるんですか? 師兄と一緒に出向けば、万一も無いでしょうに」

「それがな。どうにも犯人は一人じゃないみたいでな。三下の方は朧に追わせてるが、本命の雷公鞭は別の奴が持ってる」

「……それがこの近くにいると?」

「ああ」

 

天を仰ぐ和麻。その様子に霞雷汎はニヤリと笑う。

 

「当然、お前も手伝ってくれるよな?」

 

和麻に拒否権など無かった。こうして和麻は巻き込まれていく事になる。

 

 

 

 

夜の街。

和麻達は闇夜にまぎれて街を散策していた。

 

「あのマスターが無条件に従わされているなんて。ウィル子にはとても考えられないのですよ」

「うるさい。黙れ」

 

ウィル子の言葉に和麻は向きになって反論する。かなり不機嫌でイライラしているが、さすがに老師にこの感情をぶつけるわけにも行かない。ウィル子に対して若干態度をきつくするのも仕方が無い。

 

「しかも老師はどっかに行っちまうし」

「あー。下手に二人で行動してると怪しまれるとか何とか言ってましたね。それに探し物はお前の方が得意分野だろうとも」

「たぶん俺を囮にしたいんだろうよ。もしくは出来るだけ楽をしたいとか。ったく。それは俺の役だろうに」

 

何で俺がこんな面倒ごとにとぶつぶつと文句を言う。

 

「しかしマスター。オリジナルの雷公鞭を相手にするのはさすがのマスターでも骨が折れるのでは?」

「当たり前だろ。つうか真正面からやり合いたくないぞ。伝説上の武器で多分聖痕を発動させた黄金色の風でも打ち破れる破壊力を持つ宝貝だぞ? 伝説では使った時には国一つを雷が覆ったとか……。しかも手加減した状態で」

「……本当にやりあいたくないですね」

「まったくだ。ただ老師でさえ扱いきれなかった雷公鞭を、使いこなせる奴がいるかって言えば多分いないだろう。……ただこういう予想は外れたときは痛いからな」

「兵衛の時とか色々ありますからね」

 

二人は顔を見合わせてハァっとため息をつく。だが言い合っていても仕方が無い。

 

「犯人を見つけてとっとと強襲して、雷公鞭を使われる前に殺して奪い返すぞ」

「了解なのですよ」

 

二人は今後の基本方針を決めて、捜索を開始する。

霞雷汎の話では相手はこの街に隠れて何かをたくらんでいるらしい。それが何かはわかっていない。また犯人の正体もよく分かっていないらしい。

あの人にしてみればありえない失態といえば失態だが……。

 

「……で、いきなりこれか」

 

周囲に漂う異様な気配。闇夜に浮かぶ赤いいくつ物光点。獣のうめき声のような声が聞こえる。

和麻は風で正体を探る。狼の顔。身体には剛毛と隆々な筋肉を引っさげる人狼と呼ばれる存在。それが一体や二体ではない。無数に和麻を取り囲んでいる。

 

さらには普通の狼に近いタイプまでいる。こちらも数は多い。

ついでに何故かゾンビも山ほどいるではないか。こちらは血を吸われた人間のようだが、ここまで来ると浄化の風でも助けられない。

 

「団体さんですね。敵はワーウルフですか?」

「基本ヨーロッパ系統の奴なんだけどな。何で南の島に団体さんでいるんだ?」

「ウィル子に聞かれてもわからないのですよ。ですがこうなると魔女とか魔術師とかそういう関係でしょうか?」

「魔術師が仙人の宝貝を強奪するなよな。研究目的とか価値があるのは分かるが」

 

宝貝の中でも最高の一つに数えられる雷公鞭。そのオリジナルの価値は計り知れない。コレクションとして、または研究用にと多くの人間が欲するだろう。

しかし盗み出した相手があの人ではかなり問題があるが……。

 

「っても雑魚だけどな」

 

瞬間、風が吹き荒れる。膨大な数の風の刃がまるでギロチンのように周囲を駆け、敵へと襲いかかかる。

疾風の前に人狼達も何も出来ない。真っ二つに切り裂かれ、周囲を赤く染め上げていく。

さらにゾンビたちは浄化の風で浄化していく。運がよければ人間に戻れる奴もいるかも知れない。

 

「この程度で俺を倒そうとか考えてるんだからな」

 

血に染まる道を何事も無かったかのように歩く和麻。ウィル子も見慣れたものとふよふよと後ろに続く。

だが狼や人狼は絶え間なく和麻に向かい襲い掛かる。ここまで倒した数は百を軽く超える。明日になれば街は大騒ぎになるだろうが和麻の知った事ではない。

 

「まっ、犯人をとっとと見つけるか」

 

和麻はこうして犯人探しを始めるのだった。

 

 

 

 

薄暗い場所。そこでは何かの儀式が行われていた。

中央に鎮座すのは最強の攻撃力を誇るといわれる雷公鞭。その周囲には幾重にも奇妙な文字が書かれた魔法陣が敷かれていた。

 

「……」

 

その中央で儀式を続ける一人の男。漆黒のマントを羽織、奇妙な言葉を口ずさみ、延々と集中を続けていた。

その片隅でもう一人別の男がその様子をじっと見据えていた。

 

(まさか八神和麻がここに現われるとは……)

 

様子を見据えていた男は焦燥に包まれていた。不倶戴天の敵にして、今はまだ関わりあうことをしたくない相手。

男の名前はヴェルンハルト・ローデス。かつてアルマゲストの評議会議長であり、実質組織を運営していた男だった。

 

しかしかつての名は今は何の意味も持たない。数百年以上の伝統を持ち、欧州最高峰の魔術組織はすでに消滅した。

アルマゲストに所属していた人間は、彼を除いてすでに生き残っていない。すべて何者かに殺されたのだ。

 

だがヴェルンハルトは気づいていた。あの男。八神和麻の仕業だと。それ以外に考えられない。

あの男が生きていたと知ったのはつい最近だった。ここ一年、姿を見せずに死んだものと思っていた。だが奴は日本に現われた。生きていたのだ。

それを知った時、ヴェルンハルトの中で全てのピースが嵌り合った。

 

今のヴェルンハルトには奴を倒す手段を持たない。再起を図り、目の前の男と協力し、ある儀式を行おうと画策した。

これは召喚の儀式。オリジナル雷公鞭と言う伝説の武器の膨大なエネルギーを使い、扉を開こうと画策した。

 

呼び出す存在は最古にして最強と呼ばれる神。伝承の生にだけ残る神らしいが、ヴェルンハルト自体もその存在についてはあまり良く知らない。

以前にアーウィンが一度だけ語ったのを聞いたくらいだ。

 

彼はこう語っていた『すべての邪神・厄神の祖』と。

 

正直言って眉唾物であるが、ヴェルンハルトの目の前で儀式を続ける男はそれを信じている。

復活させる神がどんな姿なのか。どんな能力を有しているのか。その名前さえもヴェルンハルトは知らない。

目の前の男もただ人づてに聞いたと言うだけだ。彼はアーウィンの昔からの知り合いの吸血鬼であり、ノスフェラトゥと自らを名乗った。

 

どれだけの年月を生きている吸血鬼は知らなかったが、彼曰く『これを蘇らせればアーウィンを地獄より呼び戻せるはず』と語った。

ヴェルンハルトはそれならばと協力を申し出た。どの道、彼に選択肢はほとんど残されていなかった。拠点も資金も大半を失い、彼に縋らなければ立ち行かなくなっていた。

 

彼には完成させなければならない存在があった。無論、それはノスフェラトゥの協力で完成にこぎつけそうではある。

しかし今の時期に八神和麻の襲来は不味い。

と、今まで呪文を呟いていたノスフェラトゥが突然、儀式を取りやめヴェルンハルトの下へとやってきた。

 

「どうした?」

「配下が全てやられた。ここが見つかるのも時間の問題だ」

 

不味いとヴェルンハルトは思った。今ここに八神和麻が来れば、雌伏の時と耐えてきたこの一年が無駄になりかねない。

 

「時間稼ぎを行え。あの女を使えば……」

「ラピスはまだ早い。調整にも時間が足りていないから無理だ」

「わかった。ならばアレを使う」

「あれ?」

「小うるさくも我を探っていた女がいた。我が配下の一人が起こした事件の解決で赴いたようだが、我の敵ではなかった。色々と面白いものに変質していたからな。血は不味くて飲めたものではなかったが、中々強かったので新しく我が配下に加えた」

 

ほうっとヴェルンハルトは思った。そんな手駒がいるのならば、少しは時間稼ぎが出来るだろう。ヴェルンハルトとしては、すでにこの場を如何に逃げるかと言う算段を立てていた。

 

ノスフェラトゥには利用価値がまだまだあるが、この男は逃げるという事をしない。

折角あの楊と言う道士をそそのかし、雷公鞭を手に入れるように仕向けたが、無駄に終わったようだ。それとも儀式をまだ続けるだろうか。

 

「お前の考えは手に取るようにわかる。寝首をかかれても困る。さっさとこの場から消えろ」

 

ヴェルンハルトの考えを読んだのか、ノスフェラトゥはそう告げる。

 

「……わかった」

 

何も言わず、ヴェルンハルトは短く告げると、そのまま背を向け、その場を後にした。

ノスフェラトゥはふんと小さく声を漏らす。彼もまたヴェルンハルトを利用していた。落ちぶれたとは言え、アルマゲストの評議会議長を務めた男。十分に役に立ってくれた。

 

オリジナル雷公鞭を手に入れたのは大きい。ノスフェラトゥでは使いこなせるかはわからないが、アーウィンが残した魔法陣により、そのエネルギーを得る事はできた。

雷公鞭の活用方法はその膨大な攻撃を生み出すエネルギー。儀式が完了するまであと数時間はかかる。それまであの女が足止めをしていてくれればいい。

 

ノスフェラトゥは八神和麻のことを知らない。ヴェルンハルトも話していなかった。

だからこそ侮っていた。十分時間稼ぎにはなると。それにノスフェラトゥはもう一人注意を払う必要の人物がいた。

 

「……来たか。霞雷汎」

「おうおう。俺の雷公鞭をこんな事に使いやがって」

 

スッとどこからともなく姿を現す霞雷汎にノスフェラトゥは驚きもせずに言うと、彼のほうに身体を向ける。

 

「かれこれ何百年ぶりか。相変わらず変わらんな」

「そう言うお前もな。しかしお前が黒幕だったとは。いや、確かにそう考えるとそうだけどな。オリジナル雷公鞭の存在を知っている奴は限られてた。三千年以上生きてるお前なら知っていても当然か」

「古い話よ」

 

お互い世間話をするかのように、二人は向かい合いながら対話を続ける。しかしどちらもその力は高まっている。

 

「我が配下を蹴散らした者は貴様の差し金か?」

「おう。ばったり、偶然再会した俺の弟子。使えるから利用した」

「なるほど。貴様が来る事を予想して配置していたが、思わぬ伏兵に気を取られた」

 

してやられたという風にノスフェラトゥは語る。

 

「で、雷公鞭を使って何をしようって言うんだ。見たところ、何かの召喚だろうが。お前が召喚士の真似事か?」

「そうだ。最古にして最強の神を呼び出す」

 

そう言ったノスフェラトゥの言葉に霞雷汎は顔をしかめた。

 

「おい。アレを呼び出すだと? 正気か? アレはこの世界の誰にも制御なんてできない。いや、呼び出した瞬間にお前も取り込まれるぞ。それこそ世界ごと」

「それもまた一興。長く生き過ぎたゆえに、そう言う終わりもまた良い」

「勘弁してくれよ。俺はまだ死ぬ気は無いぞ。それに自殺なら自分ひとりで勝手にやってろ」

 

霞雷汎はやだやだと首を横に振る。もしウィル子が見れば和麻のようだと評した事だろう。

 

「我と話の合う同族も今はもういない。半年ほど前、中国に居を構えていた我が友人も何者かに討たれた。共に切磋琢磨した友人であり、よき強敵であったが。その最後はあっけないものよ。何でも花嫁を奪おうとして逆に返り討ちと言う愚かしい物だったらしいが」

 

馬鹿な奴だと見下したようにノスフェラトゥは言う。

 

「だからもうどうでも良くなったってのか? 勝手なものだな」

「貴様との問答など必要ない。我は呼び起こす。かの者を。最古にして最強の神。眠り続けるもの。億千万の闇。そう、かの暗黒神、ロソ・ノアレを」

「させるかよ」

 

最強の仙人と最強の吸血鬼がここに衝突した。

 

 

 

 

ピクリと和麻は大きな力の高まりを感じた。

視線を向ける先は山の一角。そこで大きな魔力と気の衝突が起こった。

 

「おうおう。老師が始めたな。やっぱり俺を囮にして自分だけ敵地に乗り込んだのか」

 

まっ、これで俺がする事はないかと和麻は高を括る。霞雷汎は和麻が知る限り最高クラスの存在だ。あの神凪厳馬にさえ真正面から戦っても負けるイメージが無い。

つまり勝ったなと言う思いだ。

 

「しかし相手も中々……」

 

だが直後、和麻は顔をこわばらせる。相手の魔力が尋常ではない。これではまるであの時の、三千年生きた吸血鬼並みではないか。

 

「こりゃ、関わらないほうがいいな」

 

触らぬ神に祟りなし。あんな相手をしなくて良かったと安堵していると、今度はまた別の何かが和麻に向かって襲い掛かってきた。

 

「おっと!」

 

風の刃で迫った来た球体状の何かを破壊する。

 

「ん?」

 

見ればそれは女だった。スーツに身を包んだ二十代半ばから後半くらいの女性。長いつややかな黒髪を背中まで伸ばしている。

だが体から立ち上る気配は妖気であり、異質な気配が周囲を歪めていく。

 

「なんだ、お前?」

 

和麻は女に聞く。答えが帰って来るとは思っていない。どうせ魔術師か何かに操られた奴だろうと思ったからだ。

 

「……石蕗」

「はっ?」

 

だが和麻の予想に反して、女は自らの名前を述べた。

 

「私の名前は石蕗紅羽。ここより先は一歩も通さないわ」

 

ニヤリと不気味に、妖艶に笑いながら彼女は告げる。同時に周囲の景色が歪む。妖気に当てられたからだけではない。何か物理的に、空間が歪んでいるかのようにも見えた。

 

「おいおい。なんだ、そりゃ。中々面白い手品だな」

 

言って、和麻は虚空閃を抜く。無手でも負けないだろうが、少々厄介そうなので虚空閃を使う事にしたのだ。

 

「死になさい!」

 

紅羽の宣言と共に、和麻に無数の黒い球体状の物体が襲い掛かった。

 

 

 

 

紅羽は歓喜していた。

力が力がわきあがる!

この島に来て、彼女は依頼された猟奇事件の調査に当たっていた。

そして彼女は遭遇した。ノスフェラトゥに。

彼女は善戦した。持ち前の異能を駆使して。

 

しかし結果は惨敗した。手も足も出なかった。多少相手の意表をついてダメージを与える事が出来た。もし昼間に戦ったのなら、彼女ももう少し相手を追い詰められただろう。

だが夜にノスフェラトゥは紅羽に戦いを挑んだ。夜の吸血鬼を相手にするのは紅羽にも無理だった。否、ノスフェラトゥが強すぎたのだ。

傷つき、倒れ、彼女はノスフェラトゥに血を吸われた。

 

『不味いな。不味すぎる。不純物が多すぎる。貴様、人間を捨てたな』

 

最初、ノスフェラトゥが何を言っているのか理解できなかった。いや、魔獣の力を取り込もうと画策していたし、事実一部は取り込んだ。

しかしまだ自分は人間であると思っていた。

 

『哀れな奴よ。まだ自分が人間であると思っておるのか。いや、まだ引き返せるではあろうが、今のままでは遠からず人間ではなくなる』

 

私が人間ではない?

紅羽の心を動揺が走る。

 

『まあ良い。丁度手駒も欲しかった。貴様の中の不純物を我の力で上書きしてくれよう。我が手駒になれ』

 

そう言ってノスフェラトゥは紅羽を配下に置いた。彼女の中の力の源泉にして、彼女を縛り付けていた存在を破壊して。

新たな支配者の下に、彼女は生まれ変わった。

 

「あは、あははははは!!!」

 

彼女が腕を振るうと、地面が隆起した。そこから伸びるのは石の槍。

 

「地術か?」

 

和麻は冷静に攻撃を見定めると、風で宙を舞う。地術師との戦闘で厄介なのが足場を奪われること。常に足元を気にして戦わなければならないので、大抵の術師との相性は最悪といえる。

しかし風術師にはそれが当てはまらない。彼らは風を友とする。地に足をつけずとも、空で活動できるのだ。まして和麻クラスならばどうと言うこともない。

 

紅羽はそんな和麻に追撃をかける。上空から降り注ぐ黒い球体とそれに随伴するかのように高速で降り注ぐ野球ボールからバスケットボールくらいの大きさの大小さまざまな岩の塊。上と下からの二重の攻撃は並みのものならばそれだけで致命的だろう。

だが和麻は虚空閃を軽く振るうだけでその全てを徹底的に、完膚なきまでに破壊しつくす。

 

「やるわね」

 

紅羽は再びニヤリと笑った。正直、心が躍っていた。初めて使う地術を彼女は堪能していた。

ノスフェラトゥの支配下になってから、彼女は急に地の精霊達の声が聞こえるようになった。また本来持っていた異能の力も変わらず使えるようになっていた。

彼女は力を欲していた。だからこそ、ある計画を画策していたのだ。

 

「もっと! もっと力を!」

 

彼女の叫びに呼応し、大地が揺れ、空がきしむ。

そんな様子を和麻は一瞥すると、ハァッとため息を吐き、こう呟いた。

 

「……めんどくせ」

 

と。

 


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