風の聖痕――電子の従者   作:陰陽師

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第十三話

 

勝った。この男にっ…!

 

和麻は倒れ、意識を失っている厳馬を見下ろしながら、笑みを浮かべる。

十八年間、自分を支配してきた男。決して手の届かぬ、決して勝つことが出来ない絶対者として和麻の中に君臨してきた男。

その男に自分は、真正面からぶつかり勝つことが出来た。

小細工を使わず、正々堂々(和麻にしてみればあり得ないやり方だが)と、炎術師と同じ土俵で戦い勝利した。

自分はとうとう、この男を、神凪厳馬を倒した。

かつての弱かった神凪和麻と言う存在と決別する事が出来た!

 

だが次の瞬間、緊張の糸が切れたことで一気に彼の身体に疲労とダメージが襲い掛かる。

精神が肉体を凌駕したと言っても、それは一時的なこと。永遠に続くはずも無く、集中力が途切れれば、今までに蓄積した全てが身体を襲う。

ぐらりと身体が傾き、前のめりで倒れそうになる。

 

(あっ、ヤバイ……)

 

とても受身など取れそうに無い。もう正真正銘、身体にまったく力が入らない。

風術も使えず、腕さえも動かすことができない。

そのまま顔面から地面にダイブしそうだ。

このままだと厳馬の拳で腫れた顔が、さらにやばい事になるなと、少し見当違いのことを考えつつも、重力に身を任せる。

だが和麻の顔が地面に接触する事はなかった。その前に、彼を支える者がいたから。

 

「ボロボロですね、マスター」

 

いつの間にか、和麻の前にはウィル子が立っていた。一体どこから現われたのか。

 

「……なんでお前がここにいるんだ?」

 

和麻はとりあえず浮かんだ疑問を口にする。

 

「にひひひ。マスターの言いつけどおり、少しブラブラと適当なデータを漁っていて、ふらりとマスターの携帯に立ち寄ったのですよ。もう決着が付いている頃だと思いまして」

 

いつもどおりの笑顔を浮かべながらウィル子は語る。

しかし実際は違う。彼女は和麻の勝利を信じていたが、それでも心配だった。神凪厳馬の情報をネットを通じて得ていただけに、いくら和麻でもそう簡単には勝てないだろうと考えていた。

 

無論、ネットの情報を全て鵜呑みにするのは愚の骨頂であるが、政府のデータバンクにある情報ではさすがに信憑性も高い。

そのため、ウィル子は彼らの戦いをずっと見守っていた。彼女に出来る手段を用いて。

 

和麻に手を貸すのは論外。そんな事彼が望んでいない事もわかっていた。

だがそれでも、ウィル子は心配で心配で堪らなかった。だからこそ、自分の目で両者の戦いをずっと見ていた。

そして黄金色の風が空から降り注いだ。それは周囲に目撃され、今では大騒ぎになっている。

 

さすがにこれは不味いと思い、ウィル子は色々と手を回してフランス山に人が来ないように、または救急や消防、警察が来るのを少しでも遅らせるように細工をした。

和麻の脳裏に響いた声も、彼の幻聴ではなく、ウィル子とつながっているゆえに、彼女の想いが伝わったのである。

そして決着を見届け、彼女は和麻の元へとやってきた。

 

「それにしても派手にやりましたね、マスター。あちこちでは大騒ぎですよ。流星が落ちたって」

「まあアレはな。さすがに光学迷彩をかける余裕が無かったからな」

 

いつもなら光学迷彩を駆使して誰の目にも留まらないようにするのだが、今回はそんな事をする余裕が無かった。

 

「出来る限り時間は稼いでますが、あまり長くは持ちませんね」

「あー、そうか」

 

和麻としては正直ウィル子に支えてもらわなければ、すぐに倒れてしまう。と言うか今すぐに意識を手放して三日ぐらい眠り続けたい。違う。おそらくは今意識を失ったら、三日は間違いなく起きないだろう。

 

「では今すぐにここから離れましょうか。神凪厳馬はどうしますか?」

「何で俺がこいつの面倒まで見なくちゃいけないだよ。騒ぎになってるんだったら、そのうち誰か来るだろ。……まぁ、救急車ぐらい呼んでやってもいいが」

「にひひ。了解なのですよ。救急車を呼んでおきますね。それよりもウィル子達が無事にこの場から離れないといけませんが」

 

いつもなら和麻の風であっさりと離脱するのだが、さすがに今は風を使えないので無理だ。

となれば移動手段は限られている。

 

「ウィル子が車を回してきます。マスターは安全であまり怪しまれない場所で待っててください」

「ああ……。それとな、ウィル子」

「はい?」

「……勝ったぞ」

 

小さな呟きにウィル子は目をぱちりとさせ、和麻の顔を見る。所々腫れあがり、痛々しいものではあったが、当の和麻の顔は実に晴れやかな物だった。

ウィル子もそんな和麻に笑顔を返す。

 

「にひひ。おめでとうなのですよ、マスター。と言うよりも、ウィル子は絶対にマスターが勝つとわかっていましたので」

 

当然とばかりに言うウィル子の様子を和麻は満足そうに眺めると、彼はそのままゆっくりと目を閉じる。

今までに無いほどに心地いい。痛みや疲労が襲ってそれどころではないはずなのに、心も身体もどこまでも穏やかだった。

和麻はそのまま、意識を手放し夢の世界へと旅立つ。どこまでも無防備な彼の姿。本来なら決して誰にも見せず、または見せられずにいた姿。

例外があるとすれば今は亡き翠鈴、そして……。

 

「ゆっくりと休んでくださいね、マスター」

 

ウィル子は深い眠りに落ちた和麻にそう呟くと、そのまま彼を無事にホームであるホテルに運ぶのに四苦八苦するのであった。

 

 

 

 

 

「何!? 厳馬が病院に運ばれただと!?」

 

風牙衆の屋敷で、兵衛は部下より厳馬が病院に搬送されたと言う情報を聞き、驚きの声を上げた。

 

「はっ。先ほど先代宗主の方に連絡が入った模様。詳細は不明ですが、今宵何者かと一戦を交えたとの事です」

「まことか? だがとすればあの厳馬が敗北したと言うことか?」

「いえ、そこまではまだ。しかしどちらにしても、あの神凪厳馬をそこまで追い詰めた相手がいると言うのは間違いないでしょう」

「して、その相手は? 病院には運ばれてはおらんのだな?」

「はい。今調べている最中ですが、その情報はありません。現場付近ではその時間流星が落ちたと言う情報もあります」

「流星……。そのような術を扱う術者がいるのか。だがそうなるとおそらくは魔術師であろうな。流星など、精霊術師が起こせる事ではない」

 

兵衛の考えも尤もだろう。そもそも流星を操る術など聞いた事も無い。仮にあるとするならば魔術などだろう。

少なくとも、兵衛の知る限りで精霊魔術ではそんなことは出来ない。

火、水、風、地のどの系統がそんな事が出来るのか。こちらの世界の常識で考えてもありえない、常識に外にいる兵衛達のような異能の術者の常識から見ても、それは非常識なことだった。

 

しかしどこにでもそんな常識を覆し、非常識な事をやってのける存在はいる。

彼らの身近にいるのは重悟であり厳馬。そして本人にとって見ても非情に遺憾な事だが、その神凪の血を引く和麻も非常識な事をしてのける、と言うよりもやった張本人である。

 

まさか兵衛も風で流星のような現象を引き起こしたなど、想像も出来ないだろうし話を聞いたところでありえないと一笑に付すだろう。

とにかく、兵衛はそれと和麻とを結びつける事が出来なかった。

 

それに厳馬も重悟もこの事を口外したくは無い。和麻との戦いが私闘であったとしても、それが広がればあらぬ疑いを持たれかねない。一応言質はとってあるが、不用意に言い広めていい類の話しでは無い。

秘密は共有するものが少なければ少ないほど漏洩を防げる。重悟も厳馬も他の誰にも和麻と戦った事を言うつもりは無かった。それが一族の中であろうとも。

 

また風牙衆が調査しようにも和麻はすでに姿を隠し、前もって風の精霊には自分達の事が風牙衆に伝わらせないように手を打っていた。

他にもウィル子によって防犯カメラや様々なセキュリティを無効化し、自分達に不利な情報を流さないようにもしていた。

つまりどれだけ調べようとも、厳馬と戦った相手である和麻の正体を探りだすことは出来なかった。

 

「……だがこれは好都合だ」

 

まだ厳馬がどんな状態かはわからないが、病院に搬送されると言う事はかなりのダメージを負っている。

厳馬は一人で神凪の全戦力と言っても過言ではない。その厳馬が手傷を負った。

 

(この機に厳馬を暗殺するか? いや、厳馬がどこまで手傷を負っているかわからんし、万が一と言うこともある。意識不明の状態ならばともかく、意識があるのであれば下手に手を出せば手痛い反撃を受ける可能性がある)

 

手負いの獣と言うものが一番恐ろしいのだ。手負いの獣とはそれだけで信じられない底力を発揮する。厳馬ほどの使い手だ。迂闊に手を出せば冗談ではなく消滅させられるかもしれない。確実に殺せると判断できなければ、手を出すのは無理だ。

流也がいれば、まず間違いなく殺せるであろうに……。

 

「……ワシは早朝すぐに美琴を連れて京都へと向かう」

「えっ? それは日曜日だったはずでは」

「そこまで待ってはおれぬ。厳馬の傷がどれほどのものかはわからぬが、我らでは返り討ちに合う可能性もある。となれば、圧倒的な力を持つ存在が必要となる。流也には劣るが美琴も器としては十分じゃ。確かに流也のように妖気と身体が完全になじむまで待つ時間は無い。七日七晩あれば確実になじみ合い、流也にも匹敵するじゃろうが、厳馬に回復の時間を与える事になる」

「では厳馬を攫って復活を?」

「貴様は本気でそんな事を言っておるのか? あの男を操るなど、出来ると思っているのか?」

 

兵衛は部下の発言に対して、睨むような目で彼を射抜く。

それは無謀と言う以外にない。いくら傷ついていても、仮に死にぞこ無いだったとしても、あの神凪厳馬を操るなど不可能だ。

兵衛は誰よりも宗家の化け物たる二人を知っているのだ。常に身近で彼らを見続けた。その力に恐怖どころか憧れすら抱いた。

だからこそわかる。あの二人はどんな事があろうとも、自分達が操ることなど出来ない。神の復活の生贄にすることさえ、おそらくは無理であろう。

 

「一番は綾乃であったが、この際は煉でも構わぬ。幼さや無防備さを考えれば煉が最適であろう」

「では美琴と共に?」

「……確かに混乱に陥っている今ならば容易に攫えるかも知れぬが、抵抗された時の事を考えれば我らだけでは手に負えぬ。薬や憑依をその前に行えば済む事だが、それでもワシは神凪宗家の力が恐ろしい。それに煉はあの厳馬の息子だ。潜在能力がどれほど眠っているのかもわからぬ。土壇場で、または己の危機にその力が開花せぬと誰が言い切れる」

 

神凪宗家を、重悟を、厳馬の力を誰よりも知っているだけに、恐れているだけに、兵衛は慎重にならざるを得なかった。

それにここまで想定外の事態が起こりすぎていた。

流也の敗北、資金の強奪、神凪一族や他の組織からの嫌疑と兵衛は今、かつて無い程の精神的ストレスに見舞われていた。

ここで一つでも失敗すれば、また多くのものを失いかねない。だからこそ、普通以上に、想像以上に慎重になっていた。

 

実のところ兵衛に唯一の勝ち目があったのは、今この瞬間を除いてなかった。

厳馬も死ぬほどの怪我ではなかったが、限界まで力を使い目を覚ましてもしばらくは身動きすら取れないだろう。まあそれでも厳馬はやせ我慢でなんとも無いように装うだろうが。

和麻も和麻で三日は寝込むほどの肉体的、精神的ダメージを負っている。

煉も潜在能力こそ高いだろうが、それでも兵衛の恐れるような突然の能力開花は起こるはずもなく、心構えも経験もまったくなっていないので簡単に攫って洗脳できるだろう。

 

つまり今、この瞬間に行動を開始し、煉を即座に手元に置き、そのまま京都に向かって神として崇める妖魔を復活させれば彼らの悲願は成就されたであろう。

だが兵衛は機を逸してしまった。

なぜなら和麻が動けずとも、彼らを監視する存在は他にもいるのだから。

そしてその存在は、和麻とはまた違った意味で現代社会では厄介な能力を有していたから。

 

 

 

 

「さてと。マスターがここまでボロボロになるのは予想外でしたが、ウィル子はウィル子の仕事をするのですよ」

 

ホテルに戻り、和麻をベッドに寝かせるとウィル子はそのままパソコンの前に座り情報を集め始める。

すやすやと寝息を立て、気持ち良さそうに眠る和麻を起こすことなく、彼女は作業に没頭する。

尤も、今の和麻はよほどの事が無い限り起きることは無いだろう。

 

「マスターが動けない以上、ウィル子が風牙衆に対して色々仕掛けるしか無いですね」

 

目下最大の問題である風牙衆。先に風牙衆を潰した方が良かったと、今になっては後悔している。

和麻もウィル子もまさかここまで厳馬が強く、和麻が聖痕を使わされ寝込む羽目になるとは予想もしていなかった。

一応予定では厳馬に勝利を収めた後、祝賀会で浮かれてそのついでに兵衛達をプチッと潰すはずだったのに。

 

「まっ、言ってても仕方が無いですね。にひひ。マスターが手を下せない今、ウィル子が風牙衆に手を下すとしましょう! ではでは、まずは兵衛とその取り巻きから」

 

ウィル子は電子世界にダイブして、兵衛とその取り巻きの動きをまずは封じる事にした。

京都に向かおうとしているのは気になるが、むざむざとそれを見逃すつもりは無い。

美琴を連れて行こうと言う行動がどうにも気になる。和麻が動けるのなら、一緒に出向いて企みがあるなら実力行使で潰せるのだが。

 

「でもウィル子もそれなりに実力行使にも出れますけどね。にほほほ、電子の精霊を侮ってもらっては困るのですよ」

 

ウィル子のサイバーテロを侮ってもらっては困る。如何に異能の能力を持ち、情報収集と機動力に優れた風牙衆とは言え、彼女の能力の前には無力。

パソコンを操作し、自らを電子世界にダイブさせ、風牙衆に攻撃をかける。

さあ、始めよう。マスターである和麻にばかりに負担はかけられない。

これはウィル子の正体が知れ渡るかどうかの瀬戸際でもある。

 

さあ見せてやろう。電子の精霊の力を。

風の契約者にして、あの神凪厳馬すら真正面から打ち破る程の存在をマスターにしている自分が、簡単に遅れを取るわけには行かない。

ウィル子の戦い方を、さらに見せ付けてやろう!

 

「行くのですよ」

 

彼女の攻撃が始まった。

 

 

 

 

夜の闇がゆっくりと消え始め、東より太陽が昇り始める。

兵衛は朝日を眺めながら、今日が良き日になることを願う。娘を生贄にするのは気が重いが、もはや四の五の言ってられない。

 

守るべき者、守らなければならない物、取り返さなければならないモノが彼には多くあった。

犠牲なくして幸せは得られない。何の犠牲も無く、前には進めない。自分は、自分達は犠牲なくして何かを得られるほど強くなど無いのだ。

 

懺悔など、後悔など後でいくらでも出来る。そう、すでに自分は流也を犠牲にしているのだ。息子である流也を人から魔へと堕としたのだ。

いまさらもう一人犠牲にしたところで……。

最後に地獄に落ちるのは間違いない。

だがそれでも自分には成さねばならない事がある。この身がどうなろうと、地獄に落ちようとも……。

 

「新幹線の時間はもうすぐだな。美琴の準備は整っておろう。そろそろ出るか」

「はい、お父様」

「うむ。今回の任務は我々の未来を左右すると言っても過言ではない。お前の働きに期待しておるぞ」

 

何も知らない、知らせていない美琴に兵衛はそう告げる。

生贄にされる少女は父を信頼し、自らの職務を果たすべく気合を入れる。

 

だがこの後、兵衛は今日中に京都に付く事が出来なかった。

 

「なっ、カードが使えないだと?」

「はい。我々のどのカードもです」

 

兵衛は駅の窓口で切符を買いに行かせた部下からの報告を聞いて驚きの声を上げた。

すでに予約はネットで行い、あとは切符を買うだけだったのだが、購入の際になってカードが使え無いと言う事態が発生した。

今回の京都行きは兵衛と美琴だけではなく、他に三人の風牙衆を引き連れての事だった。

 

重悟には事件の調査と美琴の修行と言い含めた。厳馬が倒されたことで京都の古い一族が何かよからぬ動きをするかもしれないと言う理由である。

京都には古より続く一族が多く、またその実力も高い。さらには神凪に反意を抱いている者も少なくなく、今回の神凪の騒動で多少の動きを見せていた。

そのあたりを重悟に言えば、彼も納得し許可を出した。その重悟も今頃は厳馬の見舞いに出向いているだろう。

さらに現金を引き出そうにも、口座の資金が凍結されていた。この事態はさすがに異常だ。

 

「すぐに銀行に問い合わせろ」

 

彼らは現金をあまり持っていなかった。いや、あるのだが、大人一人で東京―京都は約一万三千円。往復では二万六千円。それが大人五人分。さすがに十万円以上を現金で用意していなかった。

片道分だけでもと思ったが、妖気を憑依させた美琴はともかく、兵衛達が帰って来るためにはどうしても帰りの切符も必要なる。

言っても帰って来るのに足止めを受けるわけにも行かなかった。

だがそれ以上に資金が凍結されていると言う事態の対処のほうが優先された。

 

「ええい。お前達はすぐに車を用意しろ。路線がダメなら車を使うしかあるまい」

「はっ。すぐに準備を……」

 

五人で車一台なら、少し時間はかかっても何とかたどり着ける。

 

(だが今頃になって口座が……。一体誰がこのような事を。我らの裏資金を奪った相手か?)

 

兵衛は考えるが思い浮かぶはずも無い。ウィル子の正体を、能力を知らない彼にしてみれば、当然と言えば当然であった。

だが兵衛達の不幸は続く。彼らはここからしばらく、ウィル子により足止めを喰らい続ける。

 

車においては交通管理コンピューターをハックして、信号操作やら何やらで動きを封じ、ETCカードを無効化したり、他にも警察に兵衛達の乗るナンバーの車に爆弾を仕掛けただとか、犯罪者が乗っているやら、様々な小細工で足止めを敢行した。

最後は東京から出そうになったら、車の電子機器部分に工作し、エンジンがかからないようにもした。

 

兵衛達は完全に身動きが取れなくなっていた。

しかし兵衛も兵衛で諦めない。諦められるはずも無い。こうしてウィル子との壮絶な戦いが始まった。

 

 

 

 

都内、某病院。

神凪厳馬はこの病院の個人病棟に運び込まれていた。

彼が意識を取り戻したのは夕方になってようやくだった。

顔が些か腫れあがり、身体のいたるところに殴られたような痕があるが、それ以外は別段外傷はなかった。見た目的には。

 

しかし精神や肉体を限界まで酷使したため、全身を激しい筋肉痛が襲い一人で立ち上がることも出来ない始末。こうやって横になっているだけで激しい痛みが身体を襲う。

 

正直、上半身を起こすだけでもビキビキと全身を電流が流れるほどの苦痛が襲う。

持ち前の我慢強さと無表情でそれを外には出さないが、正直動くのがこれほど苦痛と感じたことはなかった。

厳馬は大人しく横になる。天井を見上げる。思い出すのはあの戦いの結末。一体どうなったのか、覚えが無い。

最後の殴り合いは無我夢中だった。負けられ無いと言う気持ちだけで厳馬は戦っていた。

 

しかし病院に運び込まれたと言う事は……。

 

「……私は負けたのであろうな」

 

意識を失った後、聞こえるはずの無い和麻の声を聞いたような気がする。

 

『俺の……勝ちだっ……』

 

かつての和麻からは想像も出来ない言葉。それが幻聴だったのかはわからないが、厳馬には確かに聞こえた気がした。

 

「まったく。知らない間に私の想像を遥かに超えて成長したとは」

 

父として自分を超えた息子を誇らしく喜ばしく思う反面、息子に敗北した自分が不甲斐なく悔しいと思う。

その時、コンコンと部屋を叩く音が聞こえた。

 

「……はい」

「どうやら意識は取り戻したようだな、厳馬」

「……重悟か」

 

厳馬はかつてのお互いの呼び方で重悟を呼ぶ。彼が宗主になって以来、彼を名前で呼ぶ事はなかった。けじめをつける意味もあったが、厳馬自身、自分が勝てなかった従兄弟に尊敬と畏怖の念を抱いていた故にだ。

 

「久しぶりだな。お前が私を名前で呼ぶのは。ずいぶん前から思っていたが、やはりお前にはその名前で呼ばれた方がしっくりくる」

「……申し訳ありません」

「だからそんなに硬く他人行儀になるな。私も宗主の地位を降りたのだ。先代と呼ばれるのも気が引ける。出来ればかつてのように気軽に重悟と読んでくれ、厳馬。あと敬語も禁止。まあ今すぐには無理だろうが」

 

そう言いながら笑う重悟に厳馬もふっと笑みを浮かべる。

 

「わかった。出来る限り善処する」

「しかしずいぶんと酷い有様だな。まさかお前がそこまで追い込まれるとは」

 

よっこいしょっとベッドの横の椅子に腰掛ける。

 

「……重悟。和麻は?」

「お前が発見された時にはお前以外には誰もいなかったそうだ。その前に匿名で救急車の要請があったらしい。状況を考えれば和麻だろう」

「私はおそらくは和麻に負けた。まさか和麻があそこまで強くなっているとは思っても見なかった」

「そうか。和麻は本当に強くなったのだな」

 

コクリと厳馬は頷いた。その顔は嬉しそうな、悔しそうな、複雑な顔をしているが。

 

「嬉しくもあり、悔しくもあるか、厳馬。まあ負けず嫌いのお前だからな。それに父親として、息子に超えられるのは誇らしいが、息子にあっさり抜かれるのは辛いか」

「……次に戦う事があるならば、決して負けはしない」

 

厳馬はそう言い放つが、和麻はもう二度と厳馬と戦わないと心に決めていたので、それは叶う事は無いかもしれない。

またその場合は、和麻は小細工を含めてかなり陰険なやり方で厳馬に勝利すべく動くだろう。

 

「ふふ。楽しそうだな、厳馬。私は正直羨ましいぞ。私には息子がおらん。そうやって真正面から息子とぶつかれるお前が本当に羨ましい」

 

重悟もそんな厳馬に少しだけ不満を述べた。

 

「して、厳馬。身体のほうはどうだ?」

「……お前相手に嘘を付いても仕方がないな。正直、まったく動かん。限界まで気と肉体を行使したせいで、数日はまともに動けんだろう。炎術ならば多少は使えるがそれでも煉どまりだろう」

 

それでも煉程に炎が使えると言えば、どれだけの人間が十分だろと言うだろうか。

この状態でも神凪宗家で類稀なる才能を持つ煉と同程度の炎ならば、分家最強の術者である大神雅人をも圧倒的に上回っているのだ。

 

「よい。今はゆっくり休め。仕事の方もお前が動く程のものはない。分家も今は大人しいものだし、口うるさい長老もおらんからな」

「ふっ、そこは和麻に感謝しなければな」

「お前の口からそんな言葉が出る事が驚きだが、確かにそうだな。では厳馬よ、私は一旦これで失礼する。まだやらなければならないこともあるし、お前の件も誤魔化さなければならぬからな」

「……私の件は何と?」

「あの時間、お前が戦っていた流星が落ちてきたと言うニュースが流れている」

 

厳馬はそれが和麻の風が起こしたと言う事を思い出した。

 

「にも関わらず、クレーターも出来ておらず、ほとんど何の被害も無かった。ゆえにお前が全力を持ってそれを破壊し、被害を抑えたと言う事にしておく。一応、間違いでは無いだろう?」

「……はい」

 

重悟もその噂の流星が和麻と厳馬の戦いにより起こったものだと薄々ながらに気づいている。だが一体、何をどうすれば風術師の和麻にそんな事が出来るのか疑問は尽きない。

だがそれを一々詮索するつもりも無いし、逆に好都合だった。

その流星は多くの人の目に留まっている。無かった事には出来ないゆえに、裏の社会での噂にも使える。

 

「では厳馬。身体を大事にしろ」

 

重悟は厳馬の病室から出て行く。一人残された厳馬はそのまま目を閉じ再び意識を手放す。

その顔は、どこか晴れやかだった。

 

 


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