第一層迷宮区はβの時と変化は見られなかったので、安心して探索が進んだ。薄れかけた記憶を頼りに、経験値効率のいい場所をハシゴしながら、ボス部屋を目指していた。まだ発見されていない宝箱は遠慮無くイタダキマス。ここ数日潜っているが、プレイヤーとすれ違うことも殆ど無く、宝箱や未解除のトラップの数からして俺達が迷宮区を攻略している気分になる。
レベルはガンガン上がり続けて、今ではもうここのMob相手に危機感を感じなくなりつつある。スキルも順調だ。全プレイヤー中……とまでは言わないが、かなりの上位に位置しているはず。まぁ、始まって数週間でトップもクソも無いが。
そう、もうこのゲームが始まってかなりの時間が経つ。少なくとも、全プレイヤーが外部からの救出を諦めて自力でクリアするしかないと腹を括る程度には。そろそろ一ヶ月目に突入した今、
そう、SAOプレイヤーは、未だに第一層を踏破できていない。
βテストでも第一層攻略には少々時間がかかったことは確かだ。正式サービスの様に先導してくれるプレイヤーは居なかった為、全てが手探りで、最初の一週間はヘルプウインドウが手放せなかった。だが、それでも十二日目には第二層へと足を踏み入れていた。
負ければ――HPを全て失えば死ぬ。そのルールが大半のプレイヤーの脚を竦ませている。にも関わらず、今日も誰かが命を落としているだろう。
聞けば外周部から飛び降りたり、本当に自殺したりと様々な方法でログアウトできないか試した集団があったらしい。だからどうした。ログアウトに成功したのか、それともナーヴギアに脳を焼かれて死んだのか、ゲームに潜りっぱなしの俺達には分かりっこないんだ。やるだけ無駄。
俺達はゲームを……アインクラッドを百層まで昇り詰めるしかないんだ。
生きて現実へ帰るには……詩乃へもう一度会う為には、それしかない。
午後四時を過ぎた。
「なぁ、アイン。そろそろ戻らないか?」
「もう少し先に安全エリアがあった筈……そこまで行こうぜ」
「うーん、分かった」
キリトの提案を断って先へ進む。中途半端にマップを作製するのはキリが悪くて嫌だし、少しでも先へ進んでおきたい。マップデータは情報やに売れば金になる。まだ職業が定まらない時期だが、βの頃から名の売れた鼠は既に動き出しているはず。それに、ダンジョン内の安全エリアの存在はとても重要だ。あるのと無いのでは大違いだ。ここまでくれば休憩できる、と分かっているのは次からの探索で精神的に大きな助けになる。
もう少し先まで行けば、か。これが通用するのは十層……いや、迷宮区を踏破できたのは九層までだっけ。何とかしてそれまでに他プレイヤーを大きく差を広げておきたいところだ。
と言っても、まだまだ先の話か。一層でこんなに時間が掛かってるようじゃ、クリアなんて夢だな、夢。一刻も早く全員が慣れることを祈ろう。
「ストップ」
キリトは急に立ち止り、じーっと先を睨んだ。
「ザコでもいたのか?」
「いるっぽいな。先客もいる。一人だ」
「こんな奥に一人で来るやつがいるのか……誰だろう?」
「さあな。どうせだ、ちょっと見て行こうぜ」
「……ちょっとだけだぞ」
まーた人見知りしやがって。協力ナシじゃこの先進めないぜ、たとえソロであってもな。ここまで来ているんだ。相当な実力者に違いない。今のうちに仲良くなっておけば後々イイことがあるはず。増やしやすい今の時期に、なるべくフレンドを確保しておきたい。鍛冶師、商人、情報屋、この三つの職業のフレンドがいれば大分楽が出来る。欲を言えば料理人、仕立屋も欲しいな。フレンド同士なら腹の探り合いもしなくて済むし、お友達価格ということで割安で利用できる。
俺はそうでもないが、キリトは苦労しそうだな。
「……あれか」
歩くと見えたのは、ソードスキルの光りだった。彗星の様な一直線の水色は暗い迷宮ではよく見える。ずっと突いてばかりだな……
もっと近づいてみる。戦っていたプレイヤーは赤いフードを目深にかぶってひたすら突いていた。武器は細剣。同業者じゃないと分かってちょっぴり残念な気持ちもするが、細剣使いを見れて良かったとも思った。
突きは難しい。斬撃は“線”の攻撃で、広範囲をカバーできる。切断だってできるし、相手の武器攻撃を武器で防御する・弾く……《
だが、目の前の赤フードはそんな未熟さを感じさせなかった。最初からそこに剣が刺さる事が決まっていたかのように、サクサクと刺さっていく。まさに百発百中。回避に危うさがあるが、過激な攻めで何とか押し切っている。
「なんつーか、危なっかしいな」
「ああ。それに――」
細剣に光がともる。あれは単発技《リニアー》だったか? 多分そうだ。高速で敵を貫く《リニアー》を何度も連発してガンガン攻めまくっている。今も残りわずかなHPを残したMobを一突きして倒した。
「――下手だ」
「バッサリ言うなあ、お前」
「誰が下手って?」
聞かれてたらしい。赤フードは鞘に剣を収めてこっちへ寄って来た。フラフラで息も荒い。長い時間潜っているみたいだ。
離れていてよく見えなかった姿がはっきりと目に映る。赤いフード付きのケープを羽織っていて、全体的に細い。身長は……キリトより少し低いぐらいかな? 少なくとも同年代か。顔は結構可愛くて、髪も綺麗な栗色。モテているに違いない。
ってこいつ……。
「女か?」
「え、マジ?」
「悪い?」
「別に。ちょっと驚いただけだ」
SAOに居るのはその殆どがゲーム中毒者だ。βで無い限り、発売される数日前からずっと並ぶような奴らばかりなんだ。同年代でしかも女子ってのは結構レアだと思う。しかも美人はさらにレアだ。
「それで、誰が下手ですって?」
「アンタ意外に誰がいるんだよ。俺達は戦って無いんだからな」
おお、キリトの奴わりと喋るな。女子だからか? ナンパするようなやつだったのか……。
「……どうして?」
「明らかなオーバーキルじゃないか。それに、攻めてばかりだからカウンターに対処できなくてダメージをくらっているし、フットワークがウリの細剣の持ち味を殺してる」
「オーバーキル?」
「少ない残りHPに対して、与えるダメージが大きいって事だ。最後の一撃は《リニアー》を使わなくても普通の突きだけで倒せた。君なら急所を確実に攻撃できるだろうし――」
「それで?」
「それで? って……」
「倒せたんだからいいじゃない。何が悪いの?」
「今はよくても、馬鹿正直にソードスキルばかり使っていたらいつか死ぬぞ。ソードスキルだけが攻撃の手段じゃないんだし、もっと考えて戦うべきだ」
キリトが言っていることはどれも正論で、今では常識だ。この女は死に急ぐような印象を振りまいている。
「だから?」
「おいおい、こいつはアンタの為を思ってアドバイスしてるんだぞ。それはあんまりなんじゃないか? いきなり現れてこんなことを言う変な奴らだとは思うが、アンタはそれだけ危なっかしい戦い方をしているってことなんだぞ」
「いいじゃない、別に。どんな戦い方をしようと私の勝手よ」
「そうだけどさ……死ぬぞ?」
「いいわよ、死んでも」
「「は?」」
何を言ってるんだこの女? 戦い過ぎで頭がイカレちまったのか?
「じゃ」
言いたいことを言った細剣使いは奥へと進んでいった。フラフラと歩きながら。
………。
「死んでもいいって……」
「矛盾してるよな……」
攻略するのは生きてゲームクリア、無事に現実へ生還する為にすることだ。その過程で何らかの事故が起きて死んでしまうのであって、女が言った「戦う中で死んでもいい」という考えは矛盾している。
………死にたがりだったりするのか? まさかな。ガキが何を言ってるのやら。
「……追うぞ」
「は?」
「今にも倒れそうだったじゃないか。あれじゃあ安全エリアに入る前に気絶して殺される」
「まあ行く先は同じみたいだし、反対はしないけどよ。………お前はああいうのがタイプなんだな。まあアイツは誰もが認める美少女って奴だったけど」
「まて、どうしてそうなる!?」
「どうしてって……だって口説く為に追うんだろ? 一目惚れしたんだろ?」
「馬鹿言うんじゃない! さっさと行くぞ!」
「はいはい」
ちょっとからかっただけじゃないか……反論するんならまんざらでもない顔をするのは止めるこった。
顔を真っ赤にしたキリトを駆け足で追った。
ああは言ったが、俺は追う事に賛成でキリトとまったく同じ意見だ。そして、予想はいい意味で若干外れていて、結果的にあの女を追うのは正解と言えた。
安全エリアで寝袋もなしに柱に寄りかかって眠りこんでいた。余程疲れていたのか、俺達が近づいたり、話していてもピクリとも動かず、起きる気配が全くない。
「んで、追っかけたのはいいがどうするんだ? まさか、起きるまでここで待つなんて言うんじゃないだろうな? お前の恋は精一杯応援してやるが、流石に攻略に支障が出るのは困る」
「だから違うっての!」
こんな話を本人の前でしてるのに眉一つ動かない。……良かった、起きてたら今頃俺ら殺されているかもしれない。その時はキリトを捨てて逃げよう。
「……おぶって町まで行こう。この調子なら少し揺れたぐらいじゃ起きないだろうし、街に着く前には起きる。起きなかったら起こす」
「どう楽観視しても俺達は犯罪者扱い確定なんだが……」
「じゃあどうするんだよ」
「俺が聞いてるんだ。責任は持てよ」
「………今叩き起こす?」
「結構鬼だな、お前」
でもまぁ、おぶっていくよりはまだマシか。それでも俺達は恨まれそうだが。
安全エリアと言っても、街中のように100%安全が保障されているわけじゃない。Mobが侵入不可能というだけであってダンジョンのど真ん中であることには変わりないからだ。寝袋やテントを使って寝たとしても安心して眠れるはずもない。余程図太い奴じゃ無い限り、精々三時間前後の仮眠が限界だな。それに人目も無いから、寝ている隙を他のプレイヤーに襲われるかもしれない。勝手に指を動かされてアイテムを奪われたり、装備を奪われたりされた事件も耳に挟む。HPだって減るんだからそれを利用して脅されることだってあるだろう。特に、女の場合はもっと危ない。麻痺毒で痺れさせてしまえば服を剥こうが身体になにをしようが好き放題される。
さっきのオーバーキルの話もそうだが、MMOでの常識が欠けているあたり、この女はゲーム自体初心者なんだろうな。何の因果でここに捕らわれたのやら。キリトが放っておけないのもなんとなくだがわかる。
「おい、起きろ」
「………」スヤァ
イラッ
「お! き! ろーーーーーー!!」
「きゃっ!?」
おうおう、可愛らしい声で鳴くじゃねえかよ、ぐへへ。………違う違う。
「え、あ、な、何よ……まだ何か用? 寝させてほしいんだけど?」
うおお、すげえイライラしてらっしゃるぜ。さっきまでピクリともしなかった眉が極限まで吊りあがってる。視線だけで殺されそうだ。
ちらりとキリトが俺を見た。そっぽを向いて知らないふりを通す。言っただろうが、責任は持てよ、って。お前が何とかしろ。頑張れ。
「え、えっとだな……」
「………」
「寝るなら街で寝ろ。ここは君が思っているより何倍も危険だ」
「モンスターなら此処まで来れないじゃない」
「敵はMobだけだと思うのか? 悪だくみをするプレイヤーがいるとは考えないのか?」
「……どういうこと?」
「自分は寝ている間意識も無くて身体も動かせないのに、他人は触れる事が出来る。って言えば分かるだろ?」
「……!? 変態!」
「まて! 何もしてないから! その気なら起こさないから!」
「やっぱりそういうことしようとしてたのね! こっち来ないでよ!」
「だーかーらー違うって言ってるだろ! 親切心を踏みにじるんじゃない! アイン、お前もなんとか言ってくれよ!」
「………はぁ」
やっぱりこうなるのね……。
「ったく、災難だった……」
「お前が撒いた種だろうが。むしろそう言いたいのは俺だ」
「う……スマン」
「いいさ。見ていてとても面白かった」
「こ、こいつ……!」
なんとか誤解を解いた(?)キリトは危険性や常識の数々を女に叩きこんだ挙句、最寄りの町まで連れ回して宿にブチ込んだ。人見知りのくせして、案外面倒見がいいのか? ……いや、クラインのことをまだ引きずってるんだろうな。だからβテスターとして初心者を放っておけなかったんだ。次こそは……って思っていたのかもしれない。
連れ回し終盤は女も質問したりと、それなりに役には立ったみたいなので時間を潰した価値はあった。
……そう言えば、名前を聞いてなかったな。
「まいっか。近く会う事になるだろうさ」
「何が?」
「名前聞いてなかったなーって」
「ああ、そう言えば。アルゴに聞いてみれば?」
「流石に知らないだろう。普段からフードを目深にかぶってるんだ。ソロだったし」
「てかアルゴの居場所すら知らないや」
「その内ひょっこり現れるだろ。というか金使うほどの情報じゃあないな」
「それもそうだ」
何でも知っているからこそできる芸当だよな、アレ。矢鱈滅多に請求してくるのはムカツクが。アバターが変わってもあの特徴的な喋り方は聞けば分かる。ボス前に探してみようかな……。
「腹減った。飯にしよう」
「だな。次はあそこのカレー屋いこうぜ」
「おう。どうせゲロマズだろうけどな」
乱獲のおかげでコルに余裕が生まれた俺達の楽しみはズバリ食事だ。ゲームはおろか、本といった娯楽すらないこの世界では食事はかなり重要な事だ。あとは睡眠だな。風呂はナーヴギアでも完全に再現するのは難しいのでそこまで気持ちよくない。というか俺はあまり風呂が好きじゃないんだよ。
あぁ、詩乃が作ったご飯が食べたい……。今頃どうしてるかな?
コチ、コチ。
時計の秒針が動く音がする。彼はいない。
カチッ。
時計の分針が動く音がする。彼はいない。
~~~~♪ ~~♪
テレビからバラエティ番組の
アッハハッ。それでさー、
外から子供達の笑い声がする。彼はいない。
カラカラカラカラ。
隣の家の風見鶏がクルクルと回っている。彼はいない。
お腹が空いた、そろそろ夕飯を作らなきゃ。でも彼はいない。
外が暗くなってきた、電気をつけなきゃ。でも彼はいない。
冷え込んできた、暖房をつけなきゃ。でも彼はいない。
そういえば宿題がでてたっけ、明日までに終わらせないと。でも彼はいない。
昨日は夜遅くまで起きていたからお風呂に入っていないんだっけ。でも彼はいない。
いない。いない。いない。どこにもいない。
インターフォンを鳴らしたって、街中を走り回ったって、隣街にも行ったって、学校へ行ったって、スーパーに行ったって、私の家に居たって、彼の家に居たって、どれだけ探しても、声を上げても、叫んでも、泣いても、喚いても、駄々をこねても、走り回っても、テストでいい点数をとっても、クラスメイトと仲良くなれても、お母さんの具合が良くなっても、私がゲームできるようになっても。どれだけ祈っても、願っても、彼は今ここには居なくて、帰って来れるかもわからなくて、もしかしたら死んでしまうかもしれなくて……。
死ぬ? 会えなくなる? 声を聞けなくなる? 手を握れなくなる?
「………やぁ」
嫌だ。
嫌だ。嫌だ。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダ!!!!!!!!!!!!!
「ユウ!」
知らなかった。大切な人が傍に居ないことがこんなに辛いことだなんて。
知らなかった。大切な人が遠くへ行ってしまうことの辛さ。
知ってしまった。私がどれだけユウに依存していたのか。好きなのか。愛しているのか。
「…………っ」
また。
「……っく。ううっ……」
また私は泣くの?
「ユウ……」
そう、泣くのね。
「会いたい……帰ってきて……」
じゃあ私は……
「帰って来てよぉッ……!」
いったい何時まで、どれだけ泣けばいいの?
まだ私達はなにも乗り越えていなかった。そんな振りをしていただけだった。少なくとも私は、過去を払拭出来ていない。ユウがずっと守ってくれていた。
支え合って、少しずつ傷を癒せるはずだった……。
今までの時間は嘘じゃない、でも前に進んではいなかった。
それだけのこと。
今の私はありのままの、本当の私。とても弱い私。ユウだけが知っている、弱虫で泣き虫な詩乃。
強くならなきゃ。そうしなくちゃいけない。でなきゃユウの隣に居られなくなる。何より弱いままの私は嫌だし、嫌い。
でも、どうすればいいの? 学校へ行っても虐められるだけで、街を歩いても蔑まれるだけで、家に帰ってもお母さんは壊れてしまったままで、ユウは遠くへ行ってしまった。どう強くなればいいの?
教えてよ。助けてよ。一緒に居てよ。それだけでいいの……。その為ならなんだって我慢するわ。
ユウ。私もっと色んなこと一緒にしたい。たくさんお出かけしたいし、おいしいご飯を作ってあげたい。同じ高校へ行って、大学へ行って、毎日いつでも過ごしていたい。死ぬその瞬間まで一緒がいい。おはようからおやすみまで一秒でも離れたくない。処女をあげたい、結婚したい、子供が欲しい。いつまでもいつまでも幸せに過ごしていたい。
病んでるとか、狂ってるとか、気持ち悪いとか、何をどれだけ言われたって構わない。この気持ちは本物で、この世界で誰よりもあなたを愛している自信がある。
だから……
だから……っ
ユウ……!
「おや?」
パチン。という音がした瞬間、真っ暗だった部屋が急に明るくなった。
帰って来たんだ。家主……ユウの保護者が。
「随分とやつれてしまったね。それも仕方ない、か。悠は合カギを渡していたんだね」
「……菊岡さん」
「久しぶりだね、詩乃ちゃん」
ユウのご両親は既に亡くなっている。だから保護者。ユウのご両親と仲の良かった菊岡さんが引き取って、ここへ引っ越してきたらしい。
菊岡誠二郎。メガネをかけたサラリーマンのような人が、ユウの保護者。
政府の役人で、それなりに偉い人らしい。いつも日本中を駆け回っていて、家に帰ってくることはあまりない。だから私が毎日通ってご飯を作ったりしていた。その為の合カギもユウから受け取っている。おかげでこうしてユウの家に居られる。まだ肌で感じていられる。
SAOに捕らわれた人達は自力で脱出するしか生還する方法は無い、というのが国の回答。実際にナーヴギアを無理矢理外された人は死んでしまったそうなので、そう簡単に弄ることは不可能になってしまった。私も最初は取ろうと思ったけれど、もしかしたらと考えると手が動かなかった。
となると問題になるのはSAOに捕らわれた人達の生命維持へと焦点がずれる。自分で飲み物も食べ物も摂れないし、トイレにだって行けない。尚且つ常にインターネットに接続していなければならない。諸々の条件を満たした場所を一万人分用意することが急務になった。今、日本全国の病院ではナーヴギアを被った患者が収容されている。
その為の準備を迅速に行い、指揮を執ったのがこの菊岡さん。普段はニコニコしているだけの人が良さそうなおじさんだけど、いざという時は仕事をしっかりこなすしそれだけの権力も持っている様だ。
ユウはここ、長野の病院にはおらず、東京まで運ばれた。勿論というか、設備の良い病院まで菊岡さんのコネで移されたのだ。
お見舞いにも行けず、勝手に家に上がり込んで泣きじゃくる羽目になってしまったのはこの人のせいだと言えなくもない。どう考えても私の我儘なんだけれど……。
「最近どうなんだい? って聞くまでも無いか。時間はかかるだろうけれど、元気になりなよ。悠が帰ってきた時に悲しむよ?」
「……分かっては、います」
「うん、なら大丈夫だね」
心から安心したような顔をして、菊岡さんはほほ笑んだ。
「どうして……」
「ん?」
「どうして笑っていられるんですか?」
私はそれが気に入らない。
「ユウは今捕らわれていて、死んじゃうかもしれないのに。ユウだけじゃなくて、たくさんの人が同じ状況にいて、それは菊岡さんが一番分かっているはずでしょう? なのにニコニコして……」
「ムカツクって顔だね」
「……はい」
「言っておくけれど、僕だってとても悲しいし、不安なんだ。詩乃ちゃんが言うようにたくさんの人達に関わっているし、命を預かっている。今までにない重圧につぶされそうだ」
「なら……!」
「でも、世界はまた明日を迎える。時間は止まらない。僕ら人間は先へ進むしか道は残されちゃいないんだ。悠も、詩乃ちゃんもね」
そんなの、分かっている。それが出来ないから……!
「甘えちゃ駄目だ。すがりついちゃ駄目だ。乗り越えなくちゃいけない。もしそれが出来ないというのなら、そのきっかけや動機を自分で作るしかない。例えば、悠に会いに行くとかね」
「……会いに、行く?」
「遠いけれど不可能じゃないだろう? 詩乃ちゃんが苦しんでいるのは聞いていたからね、今日帰って来たのは詩乃ちゃんにイイ話を持ってきたからなんだ」
ユウに、会える?
「会いたいかい?」
「…………」
ああ……
「…………ます」
また
「ありがとうございます!」
また私は泣くのね。
でも、この涙はいいよね?