長い、長い戦いだった。体内時計は数時間の経過を感じているが、開いたメニューウインドウの時計は、一時間も進んではいなかったことに驚きつつも、気に留めることなくエギルに預けた槍を受け取る。
「ふぅ。やっと二層か……先が思いやられる」
何度もコボルドロードの身を斬り裂いて、野太刀を受け止めた《アイアン・スピア+5》は、コボルドロードの目に突き刺した短剣のようにボロボロだ。そっと撫でて、心の中でありがとうと呟いて背負う。
コボルドロードを形作っていたアバターは小さなポリゴンの欠片となって弾け、雪のように降り注ぐ。それが積もらずに消えていく様を見て、今までとこれからのプレイヤーを見ているような気持ちになった。
「や、やったのか?」
「勝った……勝ったぞーー!」
だだっ広いフロアに、四十四人の歓声が響く。そう、四十四人。唯一の死亡者であり、俺たちのリーダーだった青い髪の騎士は、もうどこにもいない。
間近で見ていたアスナとキリトは素直に喜べない様で、互いに苦笑いを浮かべていた。レイドパーティの皆は思い思いの形で喜びを表している。対するディアベル率いたA隊の面々は、悲しみの涙を浮かべ嗚咽を漏らしている。言い方は悪いが、真っ白な画用紙に黒の絵の具を垂らしたように、彼らは浮いていた。
「あー、LAは持ってかれたか」
「ありがとう。最後はマジで助かった。やらねぇけどな」
「いいさ、それはお前のものだ」
「次は負けないから」
「おっ、ライバル登場か? 負けないぞ」
「やりがいありそうね」
「無理して狙って死ぬなよー」
「あら? キリト君が守ってくれるんでしょ?」
「ぶふっ!?」
「ほーう? 隅に置けないなあキリト。さっそく手を出してんのか」
ニヤニヤしながらキリトを眺める。アスナと俺の中でキリト弄りが流行りそうな予感が。切れ者で実力もあるくせに、変なところで真面目なやつは弄りがいがあっていい。
そこへ蹴り飛ばしたクラインと、仲間を下ろしたエギルがキリトに寄って来た。
「クラインと、エギルだっけ? 助かったよ、ありがとう」
「お互い様だろ。キリトにゃ世話になったからな」
「気にするな。あんたのパーティメンバーが言った通りだ、俺達が府抜けていた」
「あー、悪かった。俺もちょっと言い過ぎたと思う」
「ちょっと、とかいうレベルじゃなかったと思うんだけど?」
「いや、間違いじゃない。心のどこかでまだ疑っていたよ、所詮ゲームだ、死ぬわけがないってな。ようやく吹っ切れた、ありがとよ。あんたたちの勝利だ」
Congratulations! とやけに発音のいい英語でエギルからの賞賛を受けた。多分在日外国人だな。
「アインだ」
「エギル。そっちの二人は?」
「黒いのがキリト、細剣使いはアスナ」
「よろしく頼む」
苦笑を漏らし、エギルと握手を交わす。長く世話になりそうだな。
そこへ………
「なんでや!!」
初のフロアボス勝利の余韻に浸っていたプレイヤー達と、気を紛らわそうと他愛もない会話をしていた俺達は、急な叫び声に動きを止めた。
特徴的な関西弁と、わなわな震える身体を見れば、声の主が誰なのかは一目瞭然だ。
キバオウ。
「なんで、なんでディアベルはんが………」
その言葉で、忘れようと頭から追い出した事実が脳をよぎる。
リーダーとして文句なしの力を見せた彼は、コボルドロードのカタナスキルを見切ることができず死んだ。
あの時の静寂が、再び訪れる。
「お前、よう見殺しにしたなぁ!」
「………見殺し?」
「せやろ! ボスが使ってきた見たこともないソードスキル! あれの正体も対処法も知っとったんやないか!」
「そ、そうだ! 俺聞いた! あいつらカタナスキルとか言ってたぞ! 他にも俺達が知らないことをたくさん知っててわざと黙ってるに違いない!」
キバオウの叫びを皮切りに不審がる声と、会議よりも険悪な雰囲気に包まれる。あちこちでざわざわと騒ぎが大きくなると同時に、ありもしない空想と誤解が広まり浸透していく。
……まずいな。俺とキリトが悪く言われるのは百歩譲って仕方がないとしても、コペルやディアベル、アルゴといったビギナーを助けるためにいるβテスターまでひっくるめて悪者扱いにされてしまう。
キリトには任せられない。あいつはもう気持ち的に一杯だ。
やるしかないか。はぁ、溝を埋めるはずが逆に広げる役割をやらなくちゃならないなんて、これなんて皮肉? いいよ、慣れてるし。
頭をガリガリ引っ掻きながらキバオウとA隊の連中のもとへ歩く。ちょうど俺達の間に集まっていたプレイヤー達は、めんどくさそうに歩く俺の道を開けてくれた。モーゼの気分だ。
「な、なんや!」
「そう怒るなよ、やりあおうってんじゃないだろ? 今はな」
へらへらと笑いながら、今はな、の部分を強調する。実力差なんてはっきりしている、脅しのネタにはもってこいだ。
「それで、βテスターがいろんなことを知ってるって話だっけ?」
「そ、そうや」
「おう、知ってるぜ。さっきのボスみたいに変更が無ければの前提だけどな。とりあえず、一層のクリアしたクエストに関しては変化はなかったとだけ言っておく」
「お、お前βテスターなのか!?」
「ああ」
「こ、こいつ……!」
何を思ったのか、キバオウの隣で騒いでいた男は槍を構えて穂先を俺に向けてきた。怒り心頭と言った様子で、槍が震えている。現実だったら顔を真っ赤にしてるに違いない。
「おう、刺すなら刺せ」
「言われなくとも!」
「そのかわり、犯罪者ってことで町に入れなくなるけどな」
「ちょ、待たんかい!」
助走をつけてソードスキルを発動させた槍の男を、キバオウが身体をはって止めた
「流石にこれを知らないってのは驚きだな。アルゴの本にちゃんと書かれてるぜ。“禁忌十ヶ条”って大きくな。キバオウに感謝しろよ、どうせその様子じゃ贖罪クエストも知らないだろ。言っておくが、時間経過じゃオレンジカーソルは消えないぜ」
「こ、この………!」
「はぁ、こっちは親切心で忠告してるってのに……」
散々馬鹿にされて怒り狂うところを、僅かに残った理性が押し止めている。そんな表情だ。それに比べてキバオウは比較的冷静さを取り戻していた。
「……カタナスキルっちゅうのはなんや?」
「上の層でMobが使ってきたスキルだ」
「何層や?」
「さぁ? どーだったかなぁー」
「オイゴラァ!」
「とまあこんな具合で、最前線でひたすら攻略をしてきた俺みたいなβテスターは色んな情報を持っている。例えばスキルスロットが解放されるレベルとか、あんたが言ったボロいクエストとかな。デュエルだって相当な数をこなしてきた」
「せやったら、なんで教えてくれへんのや! あんたらの言う最前線で攻略したプレイヤーの情報があれば、2000人の内何人かは救えたはずやろ!」
「かもな。それがどうした?」
「なんやと! 言葉の意味分かって言うとるんやろうな!」
「勿論」
緊張感のカケラも無いあくびをしながら答える。踵の鋲をわざと大きく鳴らしながら俺を睨むA隊の周りをゆっくりと歩き始めた。
「名前も知らず、顔を見たことのない2000人が死んだ。確かに、悲しいことだよ。だからってそれ以上の事を思う事は無い。ちょっと思い出してみろ。テレビで余所の国同士が戦争をしている、とある大国でテロが起きた、内争で今日も人が死んだ………聞きたくは無いけど、偶にニュースで流れるよな」
「………」
頷きも返事も無い。
「その度に約何百人が亡くなりました、ってキャスターは言う。そして俺達視聴者は、そんなことがあったのか……と、亡くなった人の数に驚く。だがそこまでだ。それ以上の関心を持つことは無い。日本は平和主義だ、コンビニで店員脅して金を奪った程度の事件がニュースで全国に流れるぐらいな。だから、身近で毎日人が死ぬような環境に居ない限りは、永久的にその程度の関心しか持てないのさ。アンタらの中にも、そう思ってる人が居るはずだ」
「言わせておけば………!」
「それでも2000人と口を開くたびに言うのは、アインクラッドにログインしている人間……つまり、総人口の五分の一が消えたから。そして、勝手に死んでいった連中の責任を都合よくβテスターに押し付けようとしているからだ」
「なっ……」
「もう喚くなお前等、うざい」
2000人の中には様々な人間がいた。
クリアを諦めて自殺した者、勇んで剣を取り散った者、どうせ嘘だろうと高を括って死んだ者、恐らく一番多いのは戦って死んでいった人達だろう。
そしてログインしている人も様々だ。
キリトの様なゲームにどっぷり浸かったゲーマーが殆どの割合を占め、ゲームには興味がないけどSAOには感動したという俺の様な人もいるだろうし、明らかに小学生ぐらいの子供たちは親兄弟から借りたりしたはず(ナーヴギアは購入する際に年齢制限がかかっている)。女性の割合が低いのもここに原因がある。
「ベ、βテスターの癖に勝手なことを言いやがって! 何を言ったって2000人がお前らの―――」
「うるっせえなぁ!! 少しも考えずにだたギャアギャアと騒ぐだけのカラス野郎が!! これ以上βテスターだの2000人だのペラペラ喚いて無責任に問題広げようとするなら今直ぐここで俺がぶっ殺すぞ!!」
「ひっ!」
「まさかとは思うが死亡者全員がビギナーだと思ってるんじゃねえだろうなぁ! βテスターが一人も死んでないとか言い出すつもりだっただろうが!」
「そ、そんな……」
「500人だ………」
「キリト……」
今度は俺が我慢できずに怒り始め、槍使いの胸倉を掴んで強く揺さぶる。唾を飛ばす勢いで叫んでいると、静かにキリトが呟いた。
「アルゴ……情報屋に調べてもらったよ」
そして2000人の四分の一はβテスターだった。
勿論βテスターにも実力差はある。キリトや俺は最前線で攻略を続けるトップクラスで、コペルは俺達の後を追うように城を駆けあがった中堅だ。中には《はじまりの街》から出らずにVRワールドを楽しむだけの人だっていた。
「俺のフレンドも……いつの間にか亡くなっていた」
正式サービスが始まると、βテスター……もっと詳しく言うなら、攻略を常に行っていたβテスターは一斉に街を出てレベル上げとクエスト、装備集めに取りかかった。ここで既に何人か死んだことだろう。
そして、その事に気が付いたビギナーはβテスターに対して怒りを持ち始めた。そこで街に残ったβテスターは自分の素性に気付かれる前に無理矢理外へと逃げ、死んだ。
低レベルかつ戦闘に不慣れでソロであったことと、死ぬという条件が思いきった動きに移れずに死んだことが、主な要因だと考える。βテスターだからこその死因だ。
「だそうだ。ふん」
「ひいっ!」
アイツの顔を見てると気が逸れた。一発ぐらいは殴ってやりたかったが、槍使いをぽいっと放り出して背を向けると、キバオウから声をかけられた。
「待たんかい。そっちの言い分は分かった、それでも2000人………やないな、1500人のビギナーが死んでしもうたことには変わらん」
「それはβテスターもビギナーも、どっちも悪くてどっちも悪くないと、俺は思う」
「その心は?」
「βテスターが、あの日一斉に街からでていったのは、攻略する為だ。少しでも早く、効率よくレベルを上げるため。これは分かるな?」
「おう」
「そしてビギナーは後を追うように街を出た」
「せやな」
「問題はここだ」
背を向けながらではなく、再び面と向かってキバオウを見る。
「ビギナーは何故そこまでして街を出ようとしたんだろうな?」
「は?」
「要するに、βテスターなんて放っておいて、自分達のペースでレベルを上げて攻略を進めればよかったんだよ。街に残ったβテスターを中心にしてな。そうすれば、溝がここまで深まることも無かったし、死亡者も最低限に抑えることができた。常に六人のパーティを組んで、ステータス管理もしっかり行えば、死ぬことはまずあり得ない」
「レクチャーをしなかったβテスターと、無理に攻略を進めたビギナー、両方が悪いちゅーことか?」
「俺はそう思うよ」
もっともこれは、鼠と飲んでいた時にアイツが愚痴ってた内容何だけどな。そっくりそのまま話しちまった。
確かにその通りだと、共感した。β一の鼠のアルゴが居れば情報統制はしっかりできていたはずだし、ディアベルが全体の指揮を執っていれば、ビギナーはしっかりと育っていたに違いない。
『アーたんとキー坊達がそそくさ先に行っちゃうから、オイラ大変だったんだゾ』
あの時のアルゴときたらこっちも大変だった。
「それはもしかしたらの話は、現実はβテスターとビギナー一緒になってボスと戦ったやろ。ここにおるもんがそれを証明しとる。やったら、今すぐにでも色々と教えてくれてもええんちゃうか? 罪悪感を感じとるなら、そうするべきやないんとちゃうか?」
キバオウのこの返しは実に予想しやすかった。というのも、俺がアルゴに聞き返した内容とまったく同じだったからだ。
『今はごちゃまぜになって攻略してるじゃないか。自分がβテスターだってことを黙ってビギナーのパーティに混ざってる奴もいる。今からでもレクチャーするべきなんだろうかね?』
アルゴはこう返した。
「『答えはNO。恨みの積もったビギナーがβテスターを受け入れる可能性は万に一つぐらいサ、とっても長い時間がかかるだろうネ。もし、その懸け橋になるナニカがあったとすれば、それはアインクラッド唯一の存在だろうガ………失くせば、βテスターとビギナーの溝を埋める事は不可能ダ。100%ナ』」
その時はその懸け橋とやらが何なのか想像がつかなかった。だが、今なら分かる気がする。
ディアベルだ。
この状況を作り出した原因は間違いなくβテスターにある。そして、修復するならばβテスターが謝罪しなければ水には流せない。そこから導くこともβテスターの役割だろう。
全ての条件を満たした存在は、俺が知る限りではディアベルしかいない。そもそもコミュニケーションを上手くとれて尚且つリーダーシップのある奴がいるならとっくに行動を始めている。
キリトのアニールブレードを取引するという話を信じるのなら、キバオウはディアベルがβテスターだという事を知っていることになる。
「ワイは……!」
「アンタがどう思っているとか、そんなのは関係ない。一個人の感情や思考はこの際何の力も持たないからだ。それに、今更俺達も教えるつもりなんてサラサラないね」
「どういうことや……!」
「フィールド・ダンジョンに設置された宝箱、レアアイテムを手に入れられるが一度に一パーティしか挑戦できないクエスト、効率のいい狩場の独占……考えただけでも楽しくてたまらないね」
「な………」
さっきとは全く正反対の事を言っているのは分かっている。が、俺は改めるつもりはない。さっさとこんなところをオサラバする為には、ガンガンレベルを上げて突っ走るのが一番だ。その為にはレアアイテムの独占も必要になるし、狩場に籠ることだってあるだろう。
それに、今更ビギナー相手にレクチャーしたって意味がない。ここに居ないだけで、熟練のβテスターは要るし、同等のビギナーも迷宮区近くの街にいる。つまり、一ヶ月で並ばれているんだ。出し抜かれるんじゃないかと思うと、反抗心に火が付きそうだ。
「俺には俺の目的がある。レクチャーしてほしいのなら、他を当たるんだな。まぁ、十層に到達したプレイヤーはほんの一握りだ、会えるかどうか……教えてくれるのかすら怪しいな。頑張れ」
「な、なんでや! そんなん卑怯やないか!」
「そうか? 俺はβテスターなんだからな。その特権を利用するのがそんなにおかしいことか? 利益の独占は、人間として当然の欲求だぜ」
「こ、このっ……! 腐れ外道がァ!」
「じゃあな」
今度こそ背を向けてキバオウから離れる。通った時よりも広がった人の道を堂々と真ん中を通って、エギルとクラインの傍を横切って素通り。
「アインよう、お前ならもっと穏便に収められたんじゃねえか?」
「キバオウ一人ならな。ビギナー全員を説得して回れってのは流石に無理だ。それに、さっき言ったことは嘘じゃない。俺の本心だよ」
「……そうか。目的ってのは知らねえが、突っ走って死ぬんじゃねえぞ」
「おう」
「俺は次のボス攻略にも参加するつもりだ。今の状態なら、お前等は入れてもらえそうにないだろうから、パーティは空けといてやるよ。二層で会おうぜ」
「ありがとう、エギル。必ず行く」
二人は優しく言ってくれた。
さらに真っすぐ歩いて、取得経験値と取得コル、LAボーナスウインドウを眺め続けるキリトと、傍で立っているアスナの前で止まる。
「俺は行くけど、お前どうする?」
「行くさ。お前ばっかに悪い役を押し付けられないしな」
「別にそんなつもりじゃねえよ。邪魔されたくないだけさ」
「そうか。ま、俺もザコなβテスターやビギナーと一緒にされたくないしなぁ!!」
「……はぁ」
後半の台詞を大きな声で、わざと聞こえるように出したキリトは、ゆっくりと立ち上がってレイドを見た。馬鹿な奴、誰のためにやったんだと思ってるんだ……。
悪役っぽい表情で笑みを浮かべ、自慢げにLAで獲得したユニーク装備のコートをつける。
ビギナーの矛先は十分俺に向けた。連中のβテスターが全部悪いという考え方も揺らぎが出てる。キリトがやろうとしていることは、怒りを向ける先を増やすことと、単なる釘刺し。優しいコイツらしい。
「早速エクストラスキル取りに行こうぜ」
「その前に、鍛冶屋だろ」
「……確かに」
それにしてもコートがよくに合うな……案外悪役も向いているかもしれない。
「こっ、このチート野郎ども!」
「悪のβテスターどもが!」
背後からはレイドメンバーからの罵詈雑言。ちらっと眼だけで後ろを見ると、怒り狂うプレイヤー達と、悲しそうに俺達を見るエギル、クライン、そしてアスナ。
上手くいったとは思えないが、他のβテスターへ怒りが向かないことを祈ろう。
「チートとβで“ビーター”だ!」
「へぇ、いいな、それ」
何やら面白い造語に反応してしまった。チートとベータで“ビーター”ね。なるほど、βテスターとビーターで細かな区別がつくわけだな。
「俺は……俺達はトップのβテスターで利己的なプレイヤー……ビーターだ」
「お前のコートにピッタリの名前だな」
「うるさい」
脇を肘で小突かれながら、俺達は二層へと続く大階段をゆっくりと昇った。
最後の一段に足をかけ、歩を進める。ぶわっと風が吹き付け、自然を感じさせる香りが身体を包んだ。
「綺麗だな」
「ここはどんな景色だって綺麗だよ。現実はガスやら何やらで汚い」
「情緒ある言葉を出そうぜ……」
さっきの論争も忘れて、大階段前の崖に腰を落とす。そう言えばボス戦が終わってからまだ十分ぐらいしか経って無いんだよな……。濃い一日だ。初日の森でネペントを乱獲した時より疲れがきてる。
「はぁ……」
「後悔するぐらいならやらなきゃいいのに」
「うお! アスナ!?」
キリトが細い溜め息をつくと、いきなりアスナがキリトの隣に現れてコメントした。全く持って彼女の言うとおりだ。変な罪悪感で行動するからそうなる。
「何か用かい? 期待のビギナーさん」
「伝言を預かってきたわ。それと、悪のビーターさんにお願いがあって来たのよ」
「まずは伝言から聞こうか」
胸を抑えて息を整えるキリトを余所に、アスナから伝言を聞く。
ゴホンゴホンと何度か咳をして、あーあーと喉を鳴らした後にようやくアスナは口を開いた。
「あんたらの言い分はよくわかった。共感できるとこもあるにはある。それでもやっぱβテスター……ビーターは認められん。ディアベルはんには悪い思うとるが、ワイなりのやり方で攻略を目指す。負けへんからな! ………以上、キバオウさんからよ」
「……それ、真似したつもりか?」
「似てるでしょ?」
「全然」
「そこはお世辞を言うところよ」
キバオウの喋り方と声を真似したアスナの伝言は確かに受け取った。途中から真剣な表情で聞いていたし冷静な場面もあったから、一応彼の心には響いたようだ。向いているかは分からないが、今後リーダーとして活躍する人物が、自分なりのやり方という事でβテスターを受け入れてくれることを祈ろう。
「次、お願いとやらは?」
「このままパーティに入れて、色々と教えてくれない?」
「俺達は泣く子も黙る悪のビーターだぜ?」
「ちょっと驚かしただけでビックリするビーター(笑)ね。私はビギナーで、ゲームも初めてなんだから、生きていくためには知識が足りないのよ。足手まといにはならないから」
「ダメだなんて言わないけど、一緒にいることでお前まで言われても知らないぞ」
「言いたいことは言わせればいいのよ」
「恋する乙女は強いな」
「な! ちょ、ちょっと何を言ってるの!?」
「なーんでもなーい」
バレバレだっての。両想いとは、面白いったらありゃしない。その内戦闘中もイチャつきはじめるんかねぇ……とばっちりをくらう俺の身にもなってほしいな。
「キリト、アスナがついてくるってよ」
「おお、そうか。よろしく」
「……そうね」
哀れアスナ。こいつは難しいと思うぞ。
「さて、行くか。アクティベートしよう」
「アクティベート?」
「転移門を開くのさ。ログインした時の大きな広場に、白い石碑があっただろ? あれが転移門。各層の主街区を繋ぐテレポーターで、層の移動には転移門を使うんだ。ボス攻略をしたら、転移門を開いて祭りをやるのがβの習慣だったよ」
「私達だけじゃない」
「早速ビーターの話が一層でも広がってたりして……」
「アイン、アスナ、お前等不吉なことを言うなよ……変装しなきゃ……」
「要らないから、絶対」
立ち上がって埃を落とし、第二層主街区へ向けて進路をとる。キリトを先頭にして、アスナ、俺の順番で階段を下りた。ふざけながら、楽しく下る中で、俺が考えているのは詩乃の事だ。
たった一層に一ヶ月もかかってしまった。難易度が低く、要求レベルもたいして高くない、ひねりも無いただのダンジョンにだ。チュートリアルと言っても差し支えないぐらいだ。更に言えば、三層まではそんなもので、SAOが始まるのはそれ以降から。序盤の序盤でこんなに時間がかかるのなら、一体どれほどの時間をかければ百層へ到達できるのか……?
βテスターとか、ビーターとか、ビギナーとか、こんな次元の争いをしている暇がないことは分かってる。でも、急がなければならない。
一体どうすれば最速で攻略できるのか、誰にもわからない。もしかしたら、俺が選んだビーターとしての道は遠回りなのかもしれない。
だがやるしかない。迷っている時間があるなら一回でも多く槍を振って、スキルを上げるしか、アインクラッドを踏破する方法はないんだ。
「詩乃……」
「なんか言ったか?」
「何も言ってねえよ、アホ」
「え、俺何かした?」
……思いつめても仕方ない。気長に早急に、攻略しよう。
まずは《体術》スキルだな。槍の耐久値を回復させて、防具とアイテムを整えたら岩盤地帯へ行こうかな。
菊岡さんが用事が出来たから少し出てくると言ってどれくらい経っただろう。壁に掛けられた時計を見ると、たったの五分しか経っていなかった。病室に入ってからは三十分経過している。
私は片時も眠るユウの傍を離れなかった。
……そろそろいいかしら?
「待っててね、すぐに会いに行くから」
頬と左手の甲へ軽くキスして、そっと病室を離れた。
この病院は東京でもかなりの大きさを誇っているらしい。大きいという事はそれだけ設備も良くて入院患者の数も多い。ユウがここへ搬送された以上、他にもSAOにログインした人が運ばれているはず。
ニュースでは既に2000人近い人が無くなったと発表があった。ゲームのシステムがどのようなものかは分からないけど、クリアには相当な時間がかかるらしい。
それだけの時間、ユウに会えないのは拷問という言葉すら生ぬるいほど私にとって苦痛で、地獄だ。
だから会いに行く。
その為にはナーヴギアとSAOのゲームソフトが必要。そして、ログインした後、私の身体を受け入れてくれる場所。
この病院は全ての要素を含んでいる。最適な場所だ。
たとえ、土下座してでも手に入れる。既に亡くなった人からだろうと、手に入れてみせる。
ユウの病室を出て廊下を歩いていると、人の泣く声が聞こえた。とても悲しそうな、たくさんの声。道なりに歩くとどんどん大きくなって、ドアが開いたままの病室から漏れているのが分かった。
そっと顔だけをドアの陰から出して部屋を覗いてみる。
作りはユウの病室と大差なかった。入ってすぐにトイレがあって、その向こうにカーテンの仕切りと、ジェル状の特別なベッドがある。
違っているのは、そこに白衣を着た人と、看護師の人が機材を運びいれていること。病室を利用している患者さんの家族らしい女性が、ベッドに額をつけて泣いていること。そして、ドラマでよく聞く音――心肺停止を示す機械音が響いていることだった。
この病室の患者さんは……亡くなったんだ。
そっと目を閉じて、幼いころにユウが教えてくれた方法で冥福を祈る。
問題はここから。
もし、ここの患者さんがSAOプレイヤーだった場合、当然ナーヴギアとソフトを持っているはず。そうだった場合は、何としても譲ってもらわなければならない。
お子さんのナーヴギアとSAOのソフトを私に下さい、か。
無神経すぎて笑えちゃう。私だったら速攻ビンタして警察につきだすわね。
それでも、やる。
近くのトイレに引き返して、病室から医者と看護師が去るのを待つ。十分ほどで出て行ったのを確認して、すぐに目的の病室へ走った。ここは上の階だし、ナースステーションも遠くにある。走るなと注意されることなく、誰にも気付かれずに病室へスッと入ることができた。運が良かったのか、ドアはまだ開いたままだ。
そっと足を踏み入れて病室へ一歩だけ入る。底からは足音を立てないように細心の注意を払いながら、それでいて時間をかけないように奥へと進む。
カーテンは全て端へと追いやられ、ベッドの淵にはまだ声を出して泣き叫ぶ家族の方。そして、患者さんは……ナーヴギアを被っていた。
(よし!)
第一関門クリア。次が難関よね……。
生唾を飲み込んで、ユウの姿を思い出す。………よし、私ならやれる。やる。やらなくちゃいけない。やるしかない。
「あの……」
泣き声だけが響く病室に、私の声はよく伝播した。
「え、あ、すいません……騒がしいですよね」
「いえ、私の方こそすみません。勝手に入ってきてしまいまして。………あの、そちらの方は、SAOに」
「……私の息子です。大学に合格して、仲の良い友人や彼女もできて、内定も貰ったところへ……あなたも、家族の方が?」
「その、
「そうですか……中学生?」
「中学一年、です」
「若いのにね……素敵だわ。それだけに、残念ね」
「……はい」
俯いてぎゅっとスカートの裾を握る。この人はとても優しい人だ。だから、切り出せない。しなくちゃいけないのに、言いだせなくなってしまった。
それでも、私は……!
「あの! お願いがあるんです! SAOのソフトを、私に下さい!」
「え?」
驚くところを無視して言葉を続ける。ここでたたみ掛けるしかない。
「ご存じの通り、ナーヴギアとソフトの発売は中止になっていて、現在市場には出回っていません。既に購入されても初日でログインしなかった方は両方とも国が回収しています。手に入れるためには、既に、亡くなられた方から頂くしか、無いんです」
「………」
「私は、彼の傍に居たい。その若さで……と思われるかもしれませんけど、私には、耐えられないんです。私も、彼も、人にはとても言えないような罪を犯してきました。近所でも学校でも友達一人いません。酷い嫌がらせも受けます。それでもこうしていられるのは、彼が傍に居てくれたから、それだけで私は私でいられました」
「………」
「この一ヶ月、外に出ることすら怖かった。何処へ居ても孤独で、一人ぼっちで、寂しくて、辛くて。思い知らされました。理解してくれるのも、傍にいてくれるのも、ユウだけなんです。私はぁっ! これ以上耐えられない……! 少し目を離した間に、身体が冷たくなってたらと思うと……怖くて、怖くて……死にたくなる! ユウの傍以外に私の居場所は無くて、ユウが居ない世界なんて、生きて、いけない………」
急に涙があふれて、視界がグシャグシャに滲んでいく。目も開けられなくなって、涙が止まらなくて、膝に力が入らなくて地面にぺたんと座りこんでも、ぼろぼろとこぼれるのを抑えられなくなった。涙も、気持ちも。
「……息子さんを亡くされてすぐに、こんな、会いに行きたいなんて我儘を言うこと自体、間違っているのは、分かってます……。それ、でも、何をしてでも、私は……ユウに会いたいんです……!」
鼻水だって出てるかもしれない。いつもの私なら絶対に見せないような、汚くて醜い姿をしているに違いない。他人の身の上の不幸を糧にして、自分の望みをかなえようとしているのだから、きっと世界中で誰よりも醜いだろう。
だから? そんなの関係無い。その程度は躊躇う理由になりはしない。
「お願い、します! 私を、ユウに……会わせてください!!」
いくらでも罪を重ねたっていい。どれだけの酷い言葉をかけられてもいい、殴られてもかまわない。ユウに、会えるのなら。傍に居られるのなら。
きっと……いや、必ずユウは許してくれる。暖かく迎えてくれる。口では色々と叱っても、抱きしめてくれる。
何よりも、私が求めるのはそれだけ。
そのままどれだけの時が過ぎたのか、私には分からない。長いようで、短いと思う。入ってきた時とは逆に、私のすすり泣く声が響いて、女性の方は黙って私を見ていた。
「私には、あなたの気持ちは分からないわ。それに、ここであなたを叩いても誰も文句は言わないでしょう。あなたの言うとおり、とても失礼で、神経を逆なでする行為よ」
「………はい」
「………息子のように、死んでしまうかもしれないのよ?」
「分かっています」
「………いつ出られるかも分からないわ」
「必ず戻ってきます」
「………必ずあなたが探している人に会えるとは限らないでしょう?」
「会います。会えます」
「………そう」
女性の方はゆっくりと立ち上がって、息絶えた息子さんが被っているナーヴギアから一枚の分厚いカードの様なものを取り出した。
柄の書かれたシールが貼られており、英語で文字も書かれている。
Sword Art Online と。
同時に、上着の胸ポケットから紙を取り出して何かを描き込んでいる。
「名前は? なんて言うの?」
「……朝田詩乃、です」
「愛しの彼はユウ君っていうのね」
「えっと……私がそう呼んでいるだけで、名前は違うんです」
「仲が良いのね」
くすくすと泣いて腫れあがった目で優しく笑いながら、涙で濡れた震える手に、そのカード……SAOのソフトと紙をそっと置いて握らせてくれた。強く私の両手ごと包んでくれている。
「約束、聞いてくれるならこのままコレをあげるわ」
「………はい」
「絶対に生きて戻ってくること。元気になったら、私に顔を見せに来て頂戴」
「はい……」
「ユウ君に会って、思いっきり甘えちゃいなさいな。離れちゃ駄目よ?」
「はいっ…」
「それと、できればでいいわ。私の息子の最後を看取った人を探してほしいの。このゲームの中は限りなく広いそうだから、難しいかもしれないから、無理はしないで、あなたの目的のために、行きなさい。守ってくれる?」
「必ず! 絶対に、会いに来ます!」
「頑張ってね。行ってらっしゃい、詩乃ちゃん」
「はいっ!」
嬉しさで涙が出そうになる。めいっぱいそれをこらえて、笑顔で送り出してくれる女性の方に感謝の気持ちをたくさん伝えて、病室を出た。
SAOのソフトを大事に抱えて、ありがとうございますと心の中で何度も呟きながらユウの病室へ戻る。
変わらず眠り続けるユウを眺めながら、早速準備に取り掛かる。
ユウが前に言っていた事を思い出す。
『ナーヴギアは、最初に起動すると使用者の体格を測定するんだ。例えば、ナーヴギアをつけた状態で手が何処まで届くのか、とか、肩の位置を触ったりとかな』
つまり、ナーヴギアの使い回しはできないということ。ナーヴギアを先程の女性から貰わなかったのはこういう理由があるからだ。でも、ナーヴギアが無ければログインはできない。
何も問題は無い。要するに――
「自分のナーヴギアを用意すればいいのよ」
持ってきていたカバンから自前のナーヴギアを取り出す。
SAOの事件が起きた直後、すぐにショップに行って買ってきたものだ。おかげで財布は空っぽだけど、後悔は無い。すぐに製造中止、回収が始まったので、見つからないようにこっそり隠して待っていた。思えばあの時から、私はSAOへ行こうと思っていたのかもしれない・
病室にある二つ目のLANケーブルを自分のナーヴギアに繋いで、ソフトをセットする。
その時、はらりと紙が一枚落ちた。女性の方が、私に渡してくれる前に何かを書いていた紙だ。拾い上げて読んでみると、それは名刺で、電話番号や住所が書かれていた。
“株式会社 櫻庭ホテル”
“代表取締役社長 兼 最高経営責任者”
“櫻庭佳苗”
“E-Mail:**********@******”
“TEL:***-****-****”
裏面には手書きでこう書かれている。
『息子のキャラクターの名前は“ディアベル”というそうよ。前からゲームをする時はそういう名前をつけていたし、自分でもそう言っていたから』
………もしかしなくても、菊岡さんの何倍も凄い人だった?
「はは……」
これは、何としても会わなくちゃね。それに、ディアベルさんを知っている人を探さなくちゃ。
ソフトをセットして、コンセントにプラグを差し込んで電源を確保。ナーヴギアのウインドウには充電中を示すアイコンと、現在時間が表示されている。
自分が寝転がるスペースを確保して、弛緩しているユウの右手を左手で握って、身体を寄り添って寝転がる。左を向けば、ユウがよく見える。こうして同じベッド寝るのは久しぶりね、ユウ。
名刺を絶対に失くさない場所、誰にも触られない様な所……財布の中に入れて、目を閉じる。
仮想世界へといざなう言葉を口にしようとしたその瞬間……
「いやぁ、お待たせ詩乃ちゃん」
き、菊岡さん! は、早くしないとナーヴギアを取られちゃう!
「ごめんね、時間かかっちゃて………って何をしているんだい!? 早くそれを外して!」
「……ごめんなさい。私、行かなくちゃ」
「詩乃ちゃん!」
「リンクスタート!!」
「し―――」
待ってて、ユウ。私すぐに行くから。