「いらっしゃいませ」
「ちがうよ、ラウちゃん!もっとにこやかにお腹から声を出して。いらっしゃいませ!」
「い、いらっしゃいませ」
「ノンノンノン!」
開店を目前に控えた喫茶店D.C.。その店内に元気な声が響いている。そしてそれにかき消されるような細い声。フロア仕事の、というより接客仕事の苦手なラウラに麻美が稽古をつけているのだ。
普段、知れた間柄である喫茶店の面々には普通に話をしたりするラウラだが、いざ初対面の人と話をすると固い口調と表情になってしまう。そうなっては仕事に支障をきたしかねないし、華の学園生活にも影響が出る、と恵美子の考えのもと実行されている。
「ラウちゃん!そんなんじゃ駄目だよ。折角のぷりちーふぇいすなんだから、もっと笑顔で!!」
「し、しかしだなマミよ。私はどうもこう言ったことは苦手で……」
顔を真っ赤にし、もじもじとするラウラ。日頃見る彼女との違いにかなりグッと来るものがあるが、麻美は心を鬼にする。
「だ、駄目だよ!そんな可愛らしい仕草しても!ちゃんとやらなくちゃ」
「むう……」
「ぐぬぬ、てんちょからも言ってください!」
「んあ?」
のんびりコーヒーを飲んでいた桜木は急に振られたことにすっとんきょな声をあげてしまった。
「ええっと、ラウラちゃんのことかい?」
「そうです!絶対笑顔を身に付けるべきです!そう思いますよね!?」
「そうだねえ……」
もっているカップを置き、ラウラをじっと見つめる。
「うん。まあ、確かにその方がいい」
「ですよね!!」
「でも、無理してやることじゃないんじゃない?」
公定的な意見を貰えたことに喜ぶ麻美だったが、その後の言葉に意外そうにする。それはラウラも同じで、少し安心した色と疑問の色が混ざっている。
「どうしてですかー!?」
「んー。いや、だって取って付けたような笑顔じゃあんまね」
「でもでも、仏頂面よりずっと良くないですか?」
麻美に向けていた顔を再びラウラに向ける。まだ赤みの残る顔で見つめ返してくる何と返すべきか迷う。正直、確かに見つけいた方が彼女の為だ。だがしかし、どうも彼女にその姿が浮かんでこない事実、それが如何ともし難いところだ。
ドイツ人らしくない綺麗な銀髪と朱色の瞳、そして謎の眼帯。眼帯があれだが、パーツはどれもみな整っており、初めて会った時はそれこそ人形のようだと思った。
「お、おいユーヤ。あまりジロジロ見ないでくれ」
それが今ではちゃんとこうしてしっかり表情を表している。それだけで十分じゃないか?そう思える。
「うん、やっぱりラウラちゃんはこのままでいいんじゃないかな。ゆっくりやればいいさ。僕たちが会った時だってそうだったじゃない」
「えー、じゃあいいですけど。恵美子さんにはてんちょから話してくださいね」
どこか不満げにしぶしぶと納得した麻美に苦笑いが漏れる。
「OK、オーケー。説明はしておくよ。さ、とっと支度!もう開店だよ」
桜木の一声にそれぞれが自分のやるべきことに取り掛かる。
そんなこんなでようやくの開店である。
ここ『D.C.』は立地の関係上、一度に多くの客数は望めない。加えて人の目に留まりにくいためそもそも人が来難い。この時間帯来るとしたらそれは常連ということになる。
扉が開きカランと鈴がなった。
「いらっしゃいませ!」
入ってきたのは初老の夫婦であった。
「おはよう。いつもの席は空いてるかな?」
「おはようございます、お久しぶりです渡会さん。大丈夫ですよ。空いてますから」
桜木は渡会夫妻に歩み寄り奥の日当りのいい席に案内する。それと同じくし、麻美が水をテーブルに置き軽く椅子を引いていた。軽い会釈を夫妻と交わしさがる。
「昨日まで入院しててね、やっと出てこられたんだ」
「どこかお身体えお悪くされていたのですか?」
「そんな大したことでは無いのよ?階段から落ちちゃってこの人ったら」
「お、おい!」
「あら、ごめんなさい」
くすくすと笑う夫人と恥ずかしそうにする主人。微笑ましいやり取りに笑みを浮かべる。
「そうでしたか。ここのところいらっしゃらなかったので心配しておりました」
「あら、ありがとう」
ふん、と鼻を鳴らし余所を向く主人に夫人はなおも笑いかける。実にお似合いな夫婦だ。
桜木がそうして話していると、ことっ、とテーブルにコーヒーが二つ置かれる。ラウラが持って来たようだ。振り返ると恵美子が素知らぬ顔で湯をいじっていた。
「こちらは?」
「退院祝いのサービスです」
「まあ、ありがとう」
「気を遣わせてすまないね」
カップを傾け一口飲み、顔を綻ばせる二人。やはりこういった表情が見れるとうれしいものである。
「ところであなたは?新人さん?」
夫人の視線が何故か止まっていたラウラに向く。当のラウラは肩を揺らし、戸惑いの顔で桜木を向けていた。
やはり、初対面の人物はまだ苦手のようだ。ふうと息を吐く。
「この子は知人から預かってる子で、ラウラと言います」
「ラウラ・ボーデヴィッヒ……です」
先程まで練習していた笑顔で対応するラウラ。しかし実にぎこちない。
「あらあら、どこから来たの?アメリカとかロシア?」
「かあさん、大国言えばいいってもんじゃあないでしょ」
「え、ええっとドイツです」
「まあ、留学生かなにか?小さいのに偉いわね」
「ちいさっ!?」
思わず絶句するラウラ。
「奥さん、一応彼女は高校生ですよ」
「一応っ!?」
「高校生?あらやだ、ごめんなさい。あまりに可愛らしかったものだから」
「ほう、一人でかね?」
「おいユーヤ!一応とはなんだ!一応とは!!私はそんなに小さいか!?」
頬を膨らませ服を引くラウラを片手でたしなめる。
「こっちの学校に入学したみたいでして、少し前までは空き部屋を貸していたんですけど今は寮に入れています」
「そうなの。頑張ってね、ラウラちゃん」
「は、はあ、ありがとうございます」
「では、すみません。私たちはこれで失礼します。ごゆっくりしていって下さい」
会釈をし、ラウラを連れてこの場を離れる。渡会夫人は気の良い人だが、話好きでそのまま残っていたらいつ解放されるかわからないのだ。途中麻美とすれ違う。おそらく彼女が次に捕まるだろう。客がいないこの時間なのが救いである。
だが、これからある程度来る人々を考え準備に取り掛からなくてはならない。つまり、現在へそを曲げながらも引っ張られるラウラの相手をする余裕はないということだ。
「恵美子、すまんが後は頼む」
ドリップ作業をしていた恵美子が、ちらりとこちらを見、次いでラウラを見る。
「ん」
気のない返事だが、大丈夫だろう。そう思いラウラを離し自身は厨房へと行く。
そんな桜木を見送ったラウラは膨れた頬を更に膨らませカウンターにどかりと座る。
「機嫌悪そうね」
「エミコ、私は小さいか?」
またちらりと見る。
「そうね。小さいわ」
「むう、そうか……」
沈んだ様子で突っ伏すラウラに面倒くさそうに息を吐く。
「いいじゃない別に」
「しかしだな」
「いいのよ、そんなこと。それに―――」
その日一日何故かラウラの機嫌がすこぶる良かった。その理由は当人二人しか知らない。
話好きの御婦人は強いです。
いったいラウラちゃんは何を吹き込まれたんでしょうかね……。