沙耶アフター -Saya's Song-   作:伊東椋

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本作品は、2009年に別サイトにて投稿された作品です。


Saya.またあの世界に

 夢。

 そう、それは夢。

 あの時に感じた体温も、味も、音も、光景も、そしてあの痛さも……嬉しかった痛さも、すべてが夢だった。

 そして今感じるものが、現実。

 夢の中で感じたものとは程遠い、もっと残酷なこの感覚が本当の感覚。体温はおそろしいほどに冷えて、あたしはまるで氷の中に閉じ込められているかのように寒さを感じている。

 血が流れ、さっきまでものすごく感じていた痛さも、今ではもう雨に打たれる寒さ以外に感じなかった。

 人生を数えるほどしか生きていないあたしでも、この出血量は致死量だというのはよくわかった。

 自分の身体から生気が抜けていくのも。

 うっすらと開いた瞳から見る光景は、ひどいものだった。

 ぼやけていて、よく見えない。

 だけど、恐怖はなかった。

 このままでは死んでしまうとわかっても、怖いとも思わなかった。

 寒くても、全然凍えることはなかった。

 苦しみも、ない。

 理由はわかっていた。

 あたしはあの夢――いや、あの世界で、もっと温かくて、優しい、そんな世界を知ったからだ。

 あの世界に、戻りたかった。

 もっともっと、あの世界で楽しく過ごしたかった。

 でもあたしはあの世界をクリアしてしまった。

 数えられないほどに経験したゲームオーバーではない、最後まで成し遂げた想い。

 リプレイを繰り返して、やっと手に入れた終焉。

 あたしはそれで良かったと思ったはずだった。

 でも……

 

 ――忘れられない……!

 

 あの優しかった世界を、痛みを、温もりを、幸せを…!

 大好きだった彼を……!

 

 『沙耶』

 

 彼の声が聞こえた。

 幻聴か。

 幻聴でもなんでも良い。彼の声が最後に聞こえるならば。

 その声が、あの世界の記憶を思い出させた。

 

 

 

 あの世界で、あたしは地下迷宮で彼とともに……理樹くんとともに秘宝を目指して影の執行部という敵を倒しながら進んでいた。

 その途中で、あたしたちは弁当を広げていた。休息だったと思う。そしてその弁当はあたしから理樹くんへの最初で最後の手作り弁当だった。

 あたしは下手な誤魔化しを言いながら顔を赤くして、理樹くんもあたしに色々とツッコんだりしてくれて、恥ずかしかったけど楽しかった。

 そして落ち着いたころ―――あたしは彼と話をした。

 「ねぇ、理樹くん」

 「なに? 沙耶」

 あたしの作ったのり弁当を食べながら、理樹くんがあたしのほうを見る。

 「この地下に眠る秘宝ってなんだと思う?」

 「金銀財宝のようなものじゃなく、革新的なものなんでしょ?」

 「そう」

 あたしが頷くと、理樹くんは箸を空に持ちながら、考える仕草でう~んと唸った。

 「うーん、なんだろうね……UFOの推進エンジンってのはどう?」

 「なるほど。それは革新的だわ。アメリカもロシアも躍起になるわけだ」

 どこかのスパイ映画のような内容を言ってみる。まぁあながち間違いではないし、実際あたしたちは本物のスパイだ。

 「え? 本当にそうなの?」

 あたしの言葉に、理樹くんはきょとんとした表情になる。

 「さぁ、どうだろうね。見てみるまでは」

 「沙耶はなんだと思うの?」

 「んー」

 目を瞑り、しばし考える。

 「あたしの推測ではね……」

 

 

 「秘宝は、タイムマシン」

 

 

 理樹くんがまた驚いた表情をする。

 「それってUFOよりすごくない?」

 「でも、それぐらいすごいものでもなければ、世界中からスパイなんて送り込まれてこないわよ?」

 「それもそうだけど……タイムマシンねぇ……。 もしほんとに実在するなら、使ってみたいよね」

 「理樹くんはいつに行きたい?」

 「そうだね。 百年ぐらい未来に行って、文明の進展が見たいかな」

 理樹くんは想像を膨らませて、幼い子供のようにちょっと楽しそうに微笑んで、言葉を紡いだ。

 「それこそ、車は空を飛んでいるかもしれないし、宇宙旅行も賑わっているかもしれないし、ゲームだったら完璧にバーチャル体験できるようになるんじゃないかな」

 理樹くん、まるで子供ね……。

 あたしはそう思うと、クスッと笑みをこぼしてしまった。

 「それは楽しそうだけど、あたしは嫌かな……」

 「どうして?」

 「地球が滅んでるかもしれないじゃない」

 「あ、そうか、それは考えてなかったなぁ……」

 「未来に着いた途端、すぐ死ぬなんて馬鹿げてるでしょ」

 「そうだね」

 理樹くんはあははと頭を掻きながら笑う。あたしもクスリと微笑んだ。

 「じゃあ、沙耶は未来じゃなく、過去に行きたいんだね」

 「…………」

 ――そう、だね。あたしは未来なんかより、過去に行きたいんだ。

 「そうね」

 顔を俯かせて、少しばかり遠い目になった。

 「もし、できたら……小さいときに戻りたいかな」

 過ぎ去った時は二度と戻らない。

 過去に戻ってやり直せるほど人生は甘くないことだって知っている。

 でも……

 そんな固いことはなしで。

 子供のように、あの時の小さいころみたいに、願わせてよ。

 「そしてやり直したい」

 「でもそれだと僕たちは出会えないよ。それでもいいの?」

 「それはやだな」

 力なく、あたしはあはは……と笑う。

 「じゃあ、理樹くんも一緒にどう?」

 「……それもいいかもね」

 少しだけ夢のように思う。

 いや、こんな深い地下迷宮が学校の下にあるんだ。その奥にタイムマシンだって、なんだって、ありえそうだ。

 「さぁ、理樹くん。そろそろ行きましょう。お弁当は食べ終わった?」

 「あ、うん」

 理樹くんは空になった弁当箱の蓋を閉じた。ちゃんと最後まで食べてくれたんだねと、あたしはちょっと嬉しかった。

 「手に入れるわよ」

 拳銃を構え、あたしは理樹くんと一緒に地下迷宮の探検の続きを再開する。

 「地下に眠る、秘宝を……!」

 

 

 そしてあたしは、あたしたちは、闇の執行部部長・時風瞬を倒し―――

 秘宝を、手に入れた――

 あたしが、望んだ秘宝を……

 ガラスの向こうで、理樹くんは必死にあたしの名前を叫んで、呼んでくれている。

 拳銃の矛先を頭にぴったりと付けたあたしに。

 あたしの名前を何度も、何度も呼んでくれた、理樹くん。

 ありがとう……

 楽しかったよ。

 泣いちゃいけないはずなのに、あたしの涙はとまらなかった。

 もっと、彼がいるこの世界で楽しく過ごしたかった。

 手に入るはずだった、だけど手に入れない、青春を―――

 あたしは最後にありがとうと彼に伝えて、精一杯の笑顔で別れを告げた。

 そしてあたしは引き金を引いた―――

 

 

 そして、世界は終わり。

 現実に戻ってきた。

 あたしはもう助からないだろう。

 土砂に身体のほとんどが埋もれて、自分でもわかるくらいの大怪我をして動けない身では、あたしに助かる術などない。

 もう、いいんだ……

 あたしはここで死ぬんだ。

 最後に、あの世界を体験できて、そして思い出すことができて……

 嬉しいなぁ。

 あたしはこの現実の世界とも別れるために、瞼を閉じようとした―――

 

 

 

 

 ―――あきらめるのか?―――

 

 

 

 閉じかけた瞼が、不意にかけられた声によって止まる。

 だれ?

 あたしは、この声を前も聞いたような気がする。

 そう、あたしをあの世界に誘ってくれた、あの声……。

 

 

 ―――すべてを諦め、すべてを捨てるのか?―――

 

 ―――その思い出も、これから訪れるであろう人生を、お前は捨てるのか―――

 

 好きで捨てるわけじゃない。

 だって、あたしはもう助からないんだ。

 あの世界には戻れないんだ。

 

 

 ―――そうだ。確かにあの世界には戻れない―――

 

 ―――だが、あの世界と似たこれからの世界に行くことができる―――

 

 あの世界と似た、これからの世界……?

 

 ―――そう。すべてをあきらめなければ、これから先、お前にはあのような世界が訪れるだろう。これからお前が生きる人生には、悲しいことや苦しいこと、楽しいことや嬉しいこともあるだろう―――

 

 ―――だがそれらを全部含めて、あの世界と似たこれからの世界、お前の青春がこの先にあるんだ―――

 

 ―――そして、お前を待っているやつもいる―――

 

 あたしを、待っているやつ…?

 

 ―――お前を待っているやつを、お前は裏切るのか―――

 

 そんなの、知らないッ!

 あたしを待っているやつって誰なのよっ!

 

 ―――お前もよく知っているはずだ―――

 

 あたしが、よく知っている…?

 

 ―――あきらめたら、すべてが終わる。だが、あきらめなければ時は再び動き出す―――

 

 ―――生きろ―――

 

 ―――生きて、これからの世界でお前を待っているやつらのもとへ来いッ!―――

 

 生き……る……。

 

 ―――見せてみろ―――

 

 あたし、は……

 

 ―――タイムマシンなんてなくったって―――

 

 あたしは……!

 

 ―――お前自身の手で、お前の未来を、青春を掴みとれッ!―――

 

 

 

 あたしは、生きたい……!

 

 

 

 

 その時、降りかかっていた闇に光が射し込んだ。

 あたしは必死に、その光に向かって手を伸ばした。

 まだ死にたくない。

 あたしは、これからも生きたい。

 そして、あたしを待ってくれているヒトに、会いたいんだ…ッ!

 あたしは―――!

 

 

 「おぉーいッ! いたぞーッ!」

 

 伸ばした手が光に届いた途端、どこからか誰かの声が聞こえた。

 あたしはうっすらと開いた目で、ゆっくりと視線を動かした。ぼやける視界の中、何人かの大人たちがそこにいた。ヘルメットをかぶった、いつかテレビで見たレスキュー隊のような格好をした人たち。知らない人たちばかりだったけど、この人たちは自分を助けに来てくれたのだとわかった。

 「発見しました。まだ息はしています」

 「助け出せ。いいか、必ず助け出せ!」

 土砂を掘り、岩をどけ、懸命にあたしを助けようとする。

 そして目の前に、膝を折って、大きくて温かい、あたしが知っている手が、あたしの頬に触れた。

 「しっかりしろ、あやッ! 今……、今すぐ、助けるからな…ッ!」

 「お、とう……さん…」

 視界に、父の顔があった。

 最後に見た父の驚愕の顔は土砂崩れとともに消え去ったが、父はその顔を泥だらけにして、あたしの目の前に現れてくれた。

 お父さんの眼鏡にヒビが入っていて、髪もグシャグシャになっていたけど、父は少なくともあたしよりは無事だった。

 父のかけられる声が聞こえる。あたしは、父の声を聞いて、そして顔を見れて、身体が溶け込むような感覚に落ちた。

 安心感が自身を包み、父の声も遠くに聞こえてくる……。

 あたしは遠のく意識の中で、最後に囁いた。

 

 「りき、くん……」

 

 それを最後に、あたしの意識は闇の底に落ちた。

 


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