春秋の恥さらしネタ帳   作:春秋

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なんかそれっぽいタイトルですが、鋭い人ならネタはすぐに分かるでしょう。



邯鄲に差し込む朝日

 

夢を組み上げるのは甘粕の方が僅かに早く、終末の祈りを顕現させる。

 

「終段・顕象ォ――!」

 

それは邯鄲を制覇した盧生にのみ許されし至高の御業。

序破急からなる急段(けつまつ)を越える、これぞ終段(しゅうまつ)の物語。

 

甘粕の袂から暴虐の悪夢が吹き荒れる。

ただそれだけで死を喚起する強大な悪性は、『相州戦神館學園八命陣』を知る俺ならば容易に見当が付いた。

 

恐らく三日月(アレ)に違いない、と。

 

それは人類に対する試練にして、滅亡を判定する極悪なる審判。

甘粕正彦が謳う人間賛歌を成し遂げるための破壊神。

 

悪神の予兆に益々警戒を強めながら、遅れてコチラも終点に至った。

ならば同じく紡ぎだそう、俺という柊四四八が奉じる人間賛歌を。

 

――世良(みずき)

 

――歩美!

 

――栄光!

 

――鳴滝(あつし)

 

――我堂(りんこ)

 

――晶!

 

叫べよ、お前たちも好きだろう。

魔王気取りの馬鹿な男へ盛大にぶちかましてやろう。

 

「――終段(たい)顕象(きょく)――」

 

先人たちへの敬意と仲間たちとの絆によって紡ぎ、次代へ希望(ひかり)を託す「継承」という形の人間賛歌。

それは奇しくも本来の四四八(イェホーシュア)と形を同じくしている。

 

他者を認める多様性。

各々の役割を明確にした住み分けと、変化次第でいかようにも移住が可能という自由性。

 

それを望み産み落とされた(かみ)神咒()は――

 

「「「「「「「天照・神咒神威神楽ァァ――ッ!!」」」」」」」

 

ここに、六柱の神々が降臨した。

 

 

 

 

 

諸余怨敵(しょよおんてき)皆悉摧滅(かいひつざいめつ)――」

(オン)摩利支曳薩婆訶(マリシエイソワカ)――」

 

まず飛び出したのは何を置いても彼と彼女。

曙光曼荼羅の筆頭武神、経津主神(ふつぬしのかみ)摩利支天(まりしてん)

 

神域の武威を誇る剣神と拳神が、烈火の如き威勢でもって繚乱と舞う。

 

(オン)ッ!」

 

続き、甘粕の動きを止めるべく陰陽頭(おんみょうのかみ)が印を組む。

 

彼らの内で最も優れた咒法神による不可視の緊縛。

卓越した咒術に少しでも近付くべく、その影より少女が符を放つ。

 

「急々如律令ッ!」

 

鋭く空を裂く呪符は敵ではなく味方の方へ。

悪性の汚染から戦友たちを援ける護りの法を展開する。

 

残りの一組は召喚主たる四四八に侍り、如何なる状況にも対処すべく防備を固める。

内の一人、端麗な顔立ちの女武将が、弓を引きながら話しかけてくる。

 

「四四八殿、将は私だが主はあなただ……気を引き締められよ」

 

次に片割れ、華やかな着物を羽織った赤髪の偉丈夫がそれに乗っかる。

 

「おうよ、大将。あんたがやられたら俺たちも消えちまうんだからな」

 

彼と、彼女と、言葉を交わせる事実に心が粟立つ。

胸中で感涙に打ち震えながら、しかし鋼鉄の精神で自制し誠意を返す。

 

「分かっている。そして礼を言わせてくれ――ありがとう。こんな無茶な呼び出しに応えてくれて、俺には他に言いようがない」

 

警戒態勢を崩さぬように心がけながら、それでも精一杯の想いを乗せて。

 

そんな態度をどう思ったのだろうか。

男神たる彼はよく知る顔で――しかし、今まで知らなかった絶対的な質量と圧倒的な熱量を伴って、気前よくあっさりと笑って許しを与えた。

 

「良いってことよ。俺様が活躍するための舞台にわざわざ呼んでくれた訳だしぃ、こりゃ張り切らなきゃ益荒男(おとこ)じゃねえって。なあ鈴鹿?」

「ここは戦場、今は(いくさ)の只中だ、鈴鹿(それ)より相応しい名があるだろう?」

 

どこかからかうような笑顔で告げる女神たる彼女に、対たる男はおどけて返す。

 

「おっとそりゃそうか。んじゃまぁ、久々に気張るか――竜胆!」

「くだらん失敗はするなよ――覇吐!」

 

主神・天照を産み落とせし両親神、伊邪那岐命(イザナギのみこと)伊邪那美命(イザナミのみこと)が両脇に立つ。

憧れの象徴たる彼らと共に戦場にいるという実感が、柊四四八の士気を最高潮にまで高めていた。

 

第二の盧生たる俺が召喚したのは、記憶通りの求道神たち。

 

即ち――壬生宗次郎、玖錠紫織、摩多羅夜行、御門龍水、そして坂上覇吐と久雅竜胆鈴鹿の六名である。

 

とは言え、彼らは実のところ本物ではない。

俺の知る『神咒神威神楽』という物語を核として、その記憶から実体(うつわ)を形作る。

 

次に集合無意識(アラヤシキ)より汲み上げた情報を与えることで、原典を基にした人格が宿っている偽神たちだ。

彼ら自身もそれを理解し、それでも甘粕正彦の語る(せかい)は見過ごせないと力を貸してくれている。

 

「……人は我が儘で身勝手で、追い詰められなければ堕落し腐敗する。ああ、その言い分は良く分かるよ。自己愛に踊り狂う世界に生まれた私たちには耳が痛い。互いに競い、磨き、高め合うことの尊さを私たちは知っている」

「俺だって戦は上等、喧嘩は華だって思ってるよ。だけど、それだけを求めて平和を奪うってのは違うだろう。争いを尊んで、それを世界中に押し付けるってのは違うだろうがァッ!」

 

甘粕を糾弾する彼らは偽神、本来ならば神々の域にはない偽りの英雄。

そんな曙光曼荼羅の面々だが、だからといって甘粕の呼ぶ神々を下回るかと言うと……実はそんな事もないのだ。

 

彼らの持つ神格としての属性がそれを覆す。

 

それぞれが今ある大正の日本にも根深い著名な神仏。

加えてその中心は、日本神話に名立たる国生みの神々である。

 

最高神たる天照坐皇大御神の威光をも借りる彼らが有する信仰は、この日ノ本に限れば吉利支丹の唯一神にも引けを取らない。

 

――否、凌駕して何ら不思議はない。

そして彼らを信奉する心は、四四八を始めとする戦真館の仲間たちの誰もが透き通っていると自負している。

 

つまり。

 

「勝つのは俺たちだ、甘粕正彦ッ」

 

悪の側に立った二元論など、八百万の光には敵わないのだと証明してやる。

 

 





八命陣をコンプしたので断頭颶風を書こうとwikiでkkkの項目を読んでいてふと思った。
次代への継承っていう四四八の人間賛歌の形が、第七天に被るなと。そこから次々にネタが浮かび、四四八の終段が八犬士から曙光八百万になりました。

でも大正時代に神座シリーズはないので、kkkを信仰してもらうために転生オリ主化し、邯鄲の未来であった神座万象ゲームは四四八の記憶から流れ出したんだよ的な設定も思いつき……つまりはいつも通りの「ぼくがかんがえたさいきょうのしゅじんこう」ですはい。



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