B.A.D. Beyond Another Darkness -Another Story- 作:Veruhu
「チョッキのチャックを下ろしたまえ。中に防弾用のプレートが入っているから、それを抜くといい。残るのは防刃プレートさ。軽く出来るし、便利だろう?」
繭墨に言われた通り、僕は防弾チョッキのチャックに手を掛けた。勢いよくそれを下ろすとチョッキの中が見えた。中には確かに防弾用と思われる厚いプレートが入っている。僕はそれを右手で掴み、引き抜いた。分厚いプレートは非常にずっしりとしていて重たかった。
「この国で銃に撃たれることはそうそうないから、安心していいよ。……と、言っても君は昔一度、銃に撃たれたことがあるみたいだけど、たまたまさ。それに分厚いプレートを付けたままの人間と、人前を一緒に並んで歩くのは御免さ。僕はあまり目立ちたくないんだよ」
街中でゴスロリを着込み、さらに唐傘も持ち歩いて毎回毎回注目の的となる繭墨にだけは、言われたくない。
しかし街中で分厚い防弾チョッキを着込んだ人間とすれ違うなど、一般人にとってみれば稀有だ。異常な人間と思われても仕方がない。
僕はため息を尽き、口を開いた。
「…………これは、繭さんが着て下さいよ。僕は……
繭墨は驚いたようにチョコレートを食べる手を止めた。僕を見つめると彼女は目を伏せ、軽く溜息を付く。
「何度も言うようだけれどね、小田桐君。僕たちにはもう昔のような強さはないだよ? 僕には鬼の血があるからまだ大丈夫さ。…………でも君はどうなんだい? 小田桐君。君はもう一度腹を刺されたとき、本当に生き残ることが出来るのかい?」
――――本当に僕が助けてくれると、そう信じているのかい?
繭墨は唇を歪めながら、そう告げた。
「それは…………」
確かにその通りだった。もう僕は繭墨の助けを大して受けられない。彼女が僕の腹を塞げていたのは、僕の子宮が異界と通じていたからだ。でも僕の腹にはもう子宮が無い。子宮は雨香と一緒に異界に取り込まれてしまった。
つまりこの腹をもう一度刺されれば、適切な治療を早急に行わない限り、僕は死ぬ。それが普通の人間にはあたり前なのだが、僕にとっては異常だった。僕にはもう雨香の強力な助力を得ることも、繭墨に腹を塞いでもらうことも出来なくなってしまっていた。
僕は僕自身の無力さに腹が立ち、なにかしらの物を殴りたいという気持ちに駆られる。しかしその気持ちをぐっと抑え、震える右手を左手で掴み、怒る気持ちを落ち着かせた。
何故かこういう時、この左手を使うと気持ちが妙に和らいだ。やはり綾のお蔭だろうか。
僕が最後に異界に入ったとき、はっきりと綾の声を聴いた。綾の姿は何処にも確認できなかったが、恐らく今もこの左手で僕の事を見守ってくれている。その思いが、恐らく僕の心を落ち着かせてくれるのだろう。
繭墨はその僕の姿を見て、肩を竦める。
「まあいいさ。決心は君に任せるよ。僕は君に強制はしない」
――――だけど僕はただ…………君の事が心配なだけだよ。
繭墨はそう言葉にした。
何が心配だ。からかうのも大概にしろ。
僕はそう心の中で悪態を付くと、最早防弾ではなく防刃チョッキと化したチョッキを机の上に置いた。
今の繭墨でも、恐らく僕の腹が裂ければ嗤うのだろう。彼女はいつもいつも人の醜態を観覧しては嫌な笑みを浮かべ、狂気的な食欲に掻き立てられたかのように、チョコレートを齧った。
繭墨あざかというのはそういう女だ。体に流れる己の血を、チョコレートの甘い味に変えてしまっている。彼女の腹を裂けば、恐らく甘い香りがするのだろう。
繭墨あざかは、いつまでも人でなしだ。彼女が普通の少女のようになることは、恐らくないのだろう。