第二六層の街の中央に建つロマネスク様式の鐘楼から見下ろす景色はまさに絶景だった。
ソードアート・オンラインにはちゃんと季節設定があり、今日は四月一五日。あの辛かった第二五層攻略の日から三日後である。心地よい風が頬を撫でていく。『春深く、木々の緑に心躍るこの頃』などと手紙の冒頭に書くあいさつ文がとても似合う、そんな気候設定の日だった。
コーがこの景色を見たら子供のようにはしゃぐだろうな。今度、一緒に来よう。
目を閉じればそんな光景がリアルに浮かんできそうだ。
だが今、目の前にいるのはコーではない。
目の前にいるのは攻略組の名門ギルド≪聖竜連合≫のギルドマスター、レンバーだ。白銀のプレートメイルに身を固め、髪は金色に染めてツンツンに立たせるというカスタマイズを施している。年齢は二十歳ぐらいだろうか。なかなか凛々しい顔立ちなのだが残念ながら身長があまり高くない。ひょっとすると百六十センチを切っているかも知れない。
「まず、はっきりと言っておこう」
レンバーは腕組みをして言った。「俺は貴様が大嫌いだ」
(は?)
私はレンバーがわざわざこんなところに連れてきた挙句、そんな事を言いはじめるとは思ってもみなかった。彼は私とコーがMTDを脱退した事を聞きつけると聖竜連合総出でこの町にいる私たちを探し出させ、コーに自分のギルドに入るように猛アピールした後(もちろんコーはその申し出を丁重に断った)、私だけをここまで連れてきたのだ。
「いつも、コートニーさんと一緒にいるし。そのくせヘタレ壁戦士だ」
レンバーは腕をほどいて私を指差した。
要するに嫉妬か……。私は心の中でため息をついた。私はリアル世界で女の嫉妬の醜さを知っている。男の世界でも嫉妬心というのは一緒なんだ。などと妙な感心をしてしまった。
正面切って言われたのはこれが初めてだが、他の人からそう思われているのは容易に想像できた。なにしろ、コーはアインクラッド一の美貌の持ち主(私の恋心補正を若干含む)だ。そんな彼女とずっと行動を共にしているのだから嫉妬されるのは当然だろう。
「だが、今から俺が言う事はその思いからじゃない。だから誤解するなよ」
居丈高な態度で私を見上げてくる。「コートニーさんをいつまで縛り付けるつもりなんだ」
「は?」
私がコーを縛り付けている?
何を訳が分からない事を言っているのだ。私たちの事なんか全然知らないくせに。
「気づいていないのか。それとも、気づかぬふりをしているのか」
レンバーは鼻を鳴らし、手を腰に当て胸を張った。「コートニーさんのセンスは一流だ。三日前のボス攻略で、俺は確信した。彼女は攻略組のトップに立てるプレーヤーだと。だが彼女は今、攻略組のミドルレンジで甘んじている」
「それが、私のせいだとでも?」
私の言葉に抑えきれない怒気がこもる。
「違うとでも?」
私の怒りなどお構いなしにレンバーは反問した。「コートニーさんはもっと強くなれる。それを邪魔しているのがヘタレ壁戦士の貴様だ。彼女は貴様をフォローばかりして自分の強化を後回しにしている」
「でも、私とコーは」
と、言うとレンバーは右手を上げて私の言葉を制した。その眼には有無を言わせぬ迫力があった。
「ああ、コートニーさんと貴様は確かにいい関係なんだろうさ。普通のゲームだったら俺もこんな事は言わねぇ。だが、このゲームは遊びじゃねぇ」
レンバーは私が黙ったのを見て再び腕を組んだ。「第百層を突破しなければ帰れねぇんだよ。みんなが本気を出して攻略しなくちゃここから抜け出せねぇ。仲良しごっこしてる場合じゃねぇんだ。貴様は帰りたくないのか? 元の世界に」
レンバーの言葉に私はガツンと頭を殴られたような衝撃を覚えた。半年という時間が流れて、確かに私はこの今の生活に慣れ、元の世界に戻るという本来の目的を見失ってしまっていたのではないか。
でも、コーは私にとって……。
「コートニーさんは貴様の希望かも知れん。だが、彼女はみんなの希望になるべきだ」
レンバーは私の心を読んで先回りしたかのように力強く言った。そして、一拍おいたあと、一転して穏やかな口調で言葉を継いだ。「MTDを脱退したのはいい機会だ。コートニーさんと貴様がどこのギルドに行くか知らんが、俺が言った事を忘れないでくれ」
私とコーは昨日、ギルドMTDから脱退した。昨日の会議でキバオウが提案した『攻略よりも下層の治安維持優先』というのがギルドの方針として多数決で承認されてしまったからだ。私たち以外の攻略組も数多く脱退しているらしい。
アインクラッド最大ギルドMTDの前線離脱というニュースは最前線のプレーヤーに衝撃を与えている。MTDの攻略組には聖竜連合や血盟騎士団に参加しているようなハイレベルプレーヤーはほとんどいない。しかし、プレイヤーの数を生かして迷宮区のマッピング、攻略情報の収集に寄与してきたのだ。それが突然の方針変更でこの第二六層の攻略計画は練り直しを迫られている。
だが、今私が考えるべきことはコーの事だ。
確かにレンバーのいう事には一理あるかもしれない。コーは私がいなければもっと効率よくレベル上げできたのではないか? 私とコーはお互いを必要として支えあっている。そう思ってきた。だが実は私が一方的にコーに寄りかかっているだけではないのか? そんな思いが頭をもたげてくる。
「俺が言いたかったのはそれだけだ。時間を取らせたな」
レンバーは私が考え始めた事に満足したのか、そう言うと階段を降りはじめた。そして、五、六段下がったところで足を止めた。「もし、コートニーさんと別れて、貴様の行き場がなくなってしまったらウチに来い。貴様はヘタレ壁戦士だが、多少は評価している」
振り返ることなくレンバーは言うと再び階段を降りて行き、二度と足を止めなかった。
私は鐘楼から街を眺めた。先ほどと同じ風景なのに、なぜかとても色あせて見えた。
鐘楼から出るとコーが待っていた。
「大丈夫だった? レンバーさんが出てきてからだいぶ経ってるけど何かあったの?」
コーは心配そうに私を見上げながら私の左腕を取った。
「なんでもない。大丈夫」
私は短く答えて歩き出した。頭の中はまだ整理しきれていない。
「この上ってどんな眺めだった? 一緒に行ってみたいなあ」
「……後にしないか? どこに移籍するか先に考えよう」
子供のように目を輝かせて鐘楼に登りたいと訴えたコーに対して、私は首を振って歩き続けた。
ギルドにこだわる事はない。
私はレンバーと話をするまでそう考えていた。黒の剣士のようにどこのギルドにも参加せずソロ活動している者も少なからず存在するからだ。
しかし、コーの成長という観点で見ればどこかのギルドに入るのは必須条件だと思えた。
ギルドに入ればパーティーでの活動が簡単にできるし、死亡率も下がる。さらにギルドメンバー同士のパーティーは戦闘力強化のボーナスもある。効率よく安全にレベルやスキルを上げるにはギルドに入った方が圧倒的に有利だ。
私はそんな事を考えながら広場のベンチに座った。コーも私の左に座った。
第一層にいた時は私はコーに必要とされていた。これは誰に何と言われようと断言できる。≪投擲≫と≪槍≫という今一つメジャーになりきれないスキルをメインに据えているコーを守ってきたのは私だ。二人でパーティーを組んでいた時、コーにとって壁戦士の私は必要不可欠だったのだ。
でも、今は状況が異なる。攻略組といわれる集団が形成され、そのなかで数多くのギルドが生まれている。六人パーティーを組んで行動することも多い。そうなれば私の役割は相対的に低くなる。コーは私などの事は考えなければどんどんレベルアップやスキルアップに専念できる筈なのだ。
それなのにコーは私のレベルアップに気をつかって歩調を合わせてくれている。私はコーと違って凡人だ。コーのような人に引っ張り上げてもらわなければ、攻略組に名を連ねることなどできなかっただろう。
私とコーの良好な関係が見えない鎖となって彼女の翼を縛り付けているのだ。レンバーの指摘はまさに的を射ている。
『彼女はみんなの希望になるべきだ』
レンバーの言葉が頭の中でよみがえる。
コーと一緒ならどこまでも強くなれる。どんなつらい事も乗り越えられると思い込んでした。
多分、コーもそう思っている。
でもそうじゃない。
コーは……私を見捨ててもっと高みを目指すべきだ。そう、みんなの希望になるために。
「ねー。聞いてる?」
コーが私の左肩を叩いてきた。
「あ、ごめん。考え事してた。何?」
「来月の五日、ジークの誕生日でしょ。『何がいい?』って聞いたんだけど」
怒った口調で私を見つめてくる。でも、本気で怒っていない。そういう機微も今ではすっかりわかる。
「そうだなー」
私は天井を見上げながら考えた。最初は欲しいものを考えていたが、別の考えが湧きあがってきた。
(このまま、コーとの関係を深めていっていいのだろうか?)
見かけは男だが私は女だ。ゲームの中とは言え、このデスゲームと化したこの世界での生活とそれに伴う人間関係は濃密だ。リアル社会と遜色はない。それはここ半年間で痛感している。
このまま、コーを騙し続けてはいけない。コーを深く傷つけてしまう。アバター同士の付き合いとはいえ、子供のように純粋な彼女を穢してしまう。
「ジーク」
コーが平坦な声で私の名を呼びながら頬をつねってきた。まずい、これはかなり頭にきている。
「ごめんごめん」
「レンバーさんに何を言われたの?」
「いや、なんにも」
「それはないでしょ。何を悩んでるの?」
「コー。聖竜連合に入ってみる?」
コーの追及をかわしきれなくなって、私はギルド選びの話題を振る事にした。
「ジークもレンバーさんに誘われたの? 僕が先に断ったから言いだしづらかったの?」
「ああ。まあ、そんなところ」
コーがいいように誤解してくれたのでその線で理解してもらう事にした。
「聖竜連合はないよ」
コーはきっぱり言った。「あそこはレアアイテムとかのためならオレンジにもなるじゃない。そういうのは僕は嫌だな」
「そっか……」
レンバーはこのゲームをクリアする事に必死なのだ。レアアイテムを手に入れて攻略が一歩でも進むなら、彼は犯罪行為を犯してオレンジネームになる事も厭わないだろう。今の私にはレンバーの想いが分かった。
だが、コーがそう言うなら別のギルドがいいだろう。
「じゃあ、風林火山とか?」
風林火山は規模こそ小さいが最近成長著しい攻略ギルドだ。
「んー。あそこはねー。ギルドマスターがちょっと……」
「クラインさんだっけ?」
「あの人、直結厨じゃないの? ちょっと怖い」
「え! そうなの?」
私は驚いて思わず聞き返してしまった。攻略会議や祝勝会の時、クラインとは何度か言葉を交わしたことがあるが、なかなかの好青年だった。そんな直結厨なんて言われるような感じには見えなかったのだが。
「自分の年齢から、趣味から、熱烈アピールしてきて……。もうリアルの住所まで聞き出してきそうな勢いだったよ」
『うえっ』と声に出そうな表情でコーは自分の肩を抱いて体を震わせた。
女性というのは結構自分に対する視線に敏感だ。それに直感を大切にする。最初に交わした二、三の言葉と印象で相手の全てを推し量ってしまう。どうやらクラインとコーは相性が合わなかったようだ。
「じゃあ、どこならいいの?」
「他のギルドはみんな僕ばかりに誘いの声をかけて、ジークを無視するんだもん。ホント許せない」
コーは腕を組んで怒りをあらわにした。
「じゃあ、血盟騎士団とか」
「血盟騎士団かあ」
コーは少し考えるとびょんと立ち上がった。「よし! 行こう!」
「え? 今から?」
「そ。今から!」
コーは笑顔で私の手を引っ張って立たせると走り出した。
思いついたら一直線! 本当にコーらしい。私はクスリと笑いながらその後を追った。
血盟騎士団のギルドマスター、ヒースクリフ。暗赤色のローブを身にまといホワイトブロンドの長髪を背中で束ねるその姿はまるで魔道師のようだ。年齢は二五歳ぐらいだろうか。落ち着いた雰囲気はまさに大人の風格だ。
「ようこそ、血盟騎士団へ。歓迎しよう」
ヒースクリフは右手のギルド印章を操作して私とコーの入団を承認し、つやのあるテノールの声で歓迎の言葉を述べた。
「歓迎しまっせ。連絡してんよってに皆はん、もうすぐ帰ってくるでっしゃろ」
ふくよかな体を血盟騎士団の制服に包んでいるのは、ダイゼンという人らしい。彼はめったに前線には出ず、血盟騎士団の会計や装備の調達役をやっているとのことだった。
ここは血盟騎士団のギルドハウス。といってもヒースクリフの自宅の一室だ。自宅を持っているというのが驚きだ。いったいどれだけの金額を稼いだのだろう。ヒースクリフと同じレベルに並ぶ頃には私も家を買えるのだろうか? そもそも、この人のレベルはまったく底知れない。
自宅などという物を初めて見る私は部屋の中をキョロキョロと見回していた。そうこうしているうちに外からざわざわという話声が聞こえてきた。
「ただいまもどりました!」
ドアを豪快にあけて元気よくあいさつしたのは、先日のボス戦の後、ヒースクリフの後ろにいたヒゲの斧戦士だった。年齢は三十歳ぐらいだろうか、身長は私より少し高くがっちりとした体格だった。
その後ろから続々と白い制服の団員たちが入ってきた。
「おかえりなさい」
ダイゼンはニコニコと笑顔を浮かべて声をかけた。
「私はゴドフリーだ。よろしく」
ゴドフリーは私とコーに握手を求めた。
「ジークリードです」
「コートニーです」
私とコートニーが交互に握手すると、ゴドフリーが団員たちの紹介を始めた。
先日のボス戦でヒースクリフと言葉を交わした時に後ろにいた栗色の長髪の少女がアスナ。その鮮やかな剣技で≪閃光≫と呼ばれている細剣使いだ。ゴドフリーが副団長だと思っていたが、アスナが副団長を務めているとのことだった。
他は盾戦士がブッチーニ、マティアス、マリオ。槍使いのセルバンテス、鍵開けスキル持ちのアラン。総勢九名。これで血盟騎士団は全員だった。私とコーは全員と笑顔で握手を交わした。気難しそうな人は一人もいない。私はちょっとほっとした。
「そういえば。ダイゼン。まだ二人に制服を渡していないのか?」
ゴドフリーは私たちと握手を交わした後、ダイゼンに指示を出した。
「そうやった、そうやった」
ダイゼンは頭をかきながらメニュー操作をした。すると、私にトレードウィンドーが開いた。「えっと、ジークリードはんはタンクだから装甲重視で……。コートニーはんは敏捷度重視と……」
私は制服を受け取ってすぐに装備の変更をした。男を半年間続けてきたせいで今ではすっかり人前での着替えにまったく抵抗感がなくなっていた。
私は血盟騎士団の白を基調とし赤い剣の刺繍で飾られた制服を身にまとった。それだけの事で気が引き締まる思いがした。
「コートニーさんはこっちで、着替えて」
アスナがコートニーの手を取って別室へ移動した。そして、すぐに血盟騎士団の制服に身を包んだコートニーが扉から現れた。
「おお」とも「ああ」とも聞こえる感嘆とため息の中間の声が部屋にあふれた。
コートニーは今まで男女共通の装備を着る事が多かった。さっきまで着ていたのも男女共通装備のチェインメイルとズボンにスパッツという肌の露出がほとんどない装備だった。それが、アスナと同じ白地に赤の十字模様の騎士服はノースリーブで、膝上のミニスカート、そして白のニーソックスと実に女性らしい姿に変わったものだからこのどよめきも理解できる。
「美女が二人に増えた。これで勝てる!」
セルバンテスが涙を流さんばかりに歓喜し、「誰にだよ!」とブッチーニがツッコミを入れていた。
「さて、恒例のアレ。いってみようか!」
ゴドフリーは私に目配せをすると、自分の右こぶしをバンと左手に打ちつけた。
「恒例って?」
「漢ならデュエルに決まっておろうが!」
ゴドフリーはガハハと笑いながら私の肩を力強く叩いた。
「ゴドフリーのアニキ! それだから脳筋って言われるんですよ」
アランがくつくつと笑いながら言った。
「いやいや。この世界は見かけだと力が分からないからな。お互い、剣で語らねば」
「僕もやるの?」
コーが心配そうに尋ねるとゴドフリーは頭を振った。
「いやいや。コートニーさんはタンクじゃないし。私は女の子と戦うと実力が発揮できん」
「とか、なんとか言っちゃって。アスナさんに負けたのは実力の差ですよ」
と、アランが混ぜ返すと団員全員から失笑が漏れた。
「ぐぬぬ。とにかく、裏庭に集合!」
ゴドフリーは言葉を詰まらせた後、それを吹き飛ばすように右腕を天に突き上げて号令を発した。
やれやれ。とみんな苦笑しながらぞろぞろと部屋を出る。
裏庭と言っても正確にはヒースクリフ邸の敷地ではなく、主街区の公園であった。小さな池の周りにはベンチなどが置かれている。
「じゃあ、やろうか」
ゴドフリーがメニュー操作をすると私の目の前にデュエル申請画面が現れた。≪初撃決着モード≫を選択する。これは先に強攻撃をヒットさせるか先にヒットポイントを半減させた方が勝ちというモードだ。
六〇からカウントがはじまり、ゼロになった瞬間、私は間合いを詰めるべくゴドフリーに向かってダッシュした。
数合打ち合っただけで、これはまずいと思った。
両手持ちの斧はその必要筋力値が高く、そのためスピードに劣る。……はずなのだが、ゴドフリーの斧攻撃は私の予想を上回るスピードだった。片手剣の私がついて行くのがやっと、盾持ちでなければすでに一、二発食らっていただろう。
恐らくレベルが3かそれ以上離れているのだろう。装備の差もあるかもしれないがやや絶望的ともいえる力の差が私とゴドフリーの間に横たわっていた。
私は負けても構わない。しかし、私が簡単に負けてしまうようではコーの評価が下がってしまうかもしれない。私は奥歯をかみしめ剣を振るい、盾で斧を受け止める。
全身に熱い血がめぐり、頭が戦闘一色に染まり周囲が見えなくなっていく。視野に入るのはゴドフリーの身体と攻撃だけだ。徐々にゴドフリーの斧の軌道がつかめるようになってきた。
ゴドフリーの斧を紙一重で躱して隙を狙って痛撃を与えるべく剣を振り下ろす。ゴドフリーは私の剣をかろうじて斧の柄で受け止め反撃に出る。それを盾で受け止める。
そんな攻防を繰り返しながらお互いに決定打を与えられぬまま徐々に互いのヒットポイントを削って行く。
わずかにゴドフリーが有利だ。このままではまずい。私は賭けに出る事にした。
私はゴドフリーが振り下ろす斧を剣で受け止めた。いや、正確に言うと剣の柄の部分をわざと斧の刃に晒した。私の人差し指の先が部位欠損判定と共に消え去る。
ガチンという音と共に私の剣が右手から弾き飛ばされる。
剣でも盾でも、相手の攻撃を受け止めた時点で硬直時間が科せられる。だが、部位欠損判定の場合はそれ自体がバッドステータスなので硬直時間は科せられない。そして、ゴドフリーは私の行動に戸惑う。
この一瞬の隙をついて、私は身をひるがえして左手を伸ばす。同時にメインメニューを操作。私の左腕に装備されている盾がゴドフリーの左顔面をとらえる。だが、彼のヒットポイントは微動だにしない。
盾で殴ってもソードスキルでない限りダメージを与える事は出来ない。だが、物理法則に忠実なソードアート・オンラインではヒットポイントが減らなくても殴られた衝撃とそれによる重心移動は存在する。
ゴドフリーの体勢が崩れた。
「やあああああ!」
私は盾を投げ捨て、先ほど操作していたメインメニューで左手に予備の片手剣を呼び出して、ゴドフリーに突撃し最後の攻撃を仕掛ける。盾を捨てた事により敏捷度が上がる。だが、これでもゴドフリーに届くかどうかは五分五分だろう。
「うおおおおおおおお!」
ゴドフリーが憤怒の表情で体制を立て直し斧を振り下ろす。
わずかに……届かないか……。
と、思った瞬間、目の前に人影が現れた。刹那、人影の腰に装備されていた細剣が煌めくと私は地面に叩きつけられた。
ばっと見上げるとそれはアスナだった。すでにゴドフリーの斧も彼女の細剣にはじかれて、彼も地面に突っ伏していた。
アスナは私とゴドフリーの衝突点の真っただ中に立ち、双方の攻撃を弾き飛ばしたのだ。≪閃光≫どころではない。光すら見えない攻撃だった。もう、別世界の強さだ。
「ジークリードさん。あなたの負けです」
アスナは細剣を腰の鞘に納めながら断言した。そして、振り返るとゴドフリーに激しい言葉を浴びせた。「ゴドフリー! 何を考えてるの? あなた首を狙ってたでしょ! クリティカル判定があったらジークリードさんを殺す所だったのよ!」
「すまん、すまん。盾で殴られて熱くなってしまった」
ゴドフリーは頭をガシガシとかき乱しながら立ち上がった。
私の負けか……。私は空を見上げた。
一年前、バスケット部に入部した時の事が頭によみがえってきた。
自分の身長を生かして中学時代から始めていたバスケットで私はそれなりに有名だった。バスケットによる推薦入学ではなかったが、高校のバスケットなんて楽勝と思っていた。だが、入部してみたら一つ二つ年上の先輩にまったく歯が立たなかった。その時、冷たい視線を先輩部員から浴びせられたことを思い出した。
血盟騎士団のメンバーは私の戦いに失望したのではないだろうか……。
「大丈夫?」
コーがいつの間にか私の右手を取って心配そうに私を見つめていた。いつもと違う露出が多い服装にどきりとして視線をそらしてしまった。これではまるで、私は本当の男の子だ。
ぱちぱちと拍手が上がった。そちらを見ると拍手をしていたのはヒースクリフだった。
「見事な戦いだった。やはり、私の目には狂いはなかったな。わずかにレベルと装備、運が足りなかっただけだ」
落ち着いたテノールはよく響く声だった。
それをきっかけにあちこちからぱちぱちと拍手が上がった。
「なかなかやるな」
ゴドフリーが私に手を差し伸べた。「私に負けたことは気にするな。みんなより強くなければリーダーをやる資格はないのだからな」
ゴドフリーは私を引き起こしながら晴れやかに破顔した。
「さて、ヒットポイントと部位欠損が回復したら迷宮区に行きましょう」
アスナが私とゴドフリーに声をかけてから、ダイゼンに向かって言った。「ダイゼン。二人にベッドロールを渡してあげて」
「あい」
ダイゼンがメインメニューを操作すると、私のアイテムストレージにベッドロールが追加された。
野営でもするのだろうか?
「入団して直後で申し訳ありませんが、お二人にも参加してもらいます」
アスナが腕を組んで私とコーに言い渡した。「今日から三日間、私たちは迷宮区に籠ってマッピングを行います」
「え?」
コーが驚きの声をあげた。
「あなたたちの責任ではないけれど、MTDの前線離脱で迷宮区のマッピングが遅れています。遅れを取り戻すために、わずかな時間も無駄にできない。だから街に戻らずに現地で睡眠をとります」
鋭い視線をコーに向けてアスナは言い放った。
私はついさっき、アスナと同じ瞳を見た。レンバーだ。恐らく、アスナもレンバーと同じようにこのデスゲームからの脱出を渇望している一人なのだろう。
「わかりました」
コーの声が少し沈んでいた。
ひょっとすると、コーはこういう団体行動に慣れていないのかもしれない。MTDのような仲良し集団ではなく、一つの目標に向かって邁進するという集団に戸惑っているのだろうか。
「ポーション、回復結晶など、足りないものがあったらタイゼンさんからもらってください。五分後に出発します。以上」
「へーい」
と、プッチーニが言うとアスナは鋭い視線を彼に向けた。
「失礼しました! 了解しました!」
プッチーニは態度を改めてアスナに敬礼した。
鼻こそ鳴らさなかったが、明らかに不満顔を浮かべながらアスナは栗色の美しい髪をなびかせてギルドハウスに向かった。その後をヒースクリフやゴドフリーが歩いていく。少し距離を取って団員達もその後を追った。
「アホやなあ。副団長を怒らせるなよ」
笑いながらセルバンテスがプッチーニを肘で小突く。
「アホ言うな。変態」
笑いながら小突き返す。
私はそんな姿に微笑みを浮かべた。
「私たちも行こうか」
「うん……」
明らかに沈んだ声でコーは私に返事を返した。
五分後、私たちは一団となって迷宮区に向かった。
移動中、さすがに軍隊のように隊列を組んで歩くことはなかった。気の合う者同士がおしゃべりをしながら移動する。よくある光景だった。
私の左隣でコーが私の肘の布地をつまみながら歩く。これはいつもと変わらない。むしろ、最近はコーが掴まってないと違和感を感じるようになってしまった。
「ちょっと、コートニーさん」
アスナが私たちの前に立った。
「はい」
「それ、やめてもらえないかしら?」
アスナはコーの右手を指差して言った。コーの右手は私の肘を捕まえている。
「なぜですか?」
コーは平坦な声で答えた。かなりカチンと来ているようだ。
「血盟騎士団は最近、注目されているわ。そういう姿を見られると誤解されてしまう」
「仲間としゃべりながら歩くのは良くて、ちょっと掴まっているのが駄目なんですか?」
コーの声色は臨界点一歩手前だ。まずいと思った瞬間にはアスナが口を開いていた。
「男同士、女同士ならまだいいけれど、男女でそれをやられると……。私たちはデートで迷宮区に行くわけじゃないのよ」
「ぼ……」
コーとアスナが破局を迎える前に私はコーの口を押えた。
「アスナさん。ちょっと時間をいただけませんか? 言い聞かせますから」
私はコーが暴れるのを押さえつけながら言った。
「今日はだいぶスケジュールが遅れているんです。できれば一分以内にお願いします」
アスナの表情もとても硬い。ぱっと髪をひるがえしてゴドフリーの方へ歩いて行った。
「分かりました」
私はコーを連れて少し離れた場所へ移動した。
コーは怒りに満ちた目で私を見つめた。
「やめよう! 血盟騎士団なんて。こんなの、全然楽しくない! 三日も迷宮区にこもるなんて、その間、ジークと二人だけになれないんだよ」
そう言いながらコーは体を寄せてきた。
「コー。ゲームクリアのために頑張るんじゃなかったの?」
私はコーの肩を掴んで少し体を引き離して聞いた。
「もちろん頑張るよ。でも、こんなのは嫌だ」
不思議そうな顔をしてコーは私を見上げる。
「コーはもうちょっと、人付き合いと我慢を覚えた方がいいよ」
私は優しく言い聞かせるようにコーの頭を撫でた。
「何を言ってるの?」
途端にコーの言葉が平坦になる。「僕はジークと一緒にいれればいいんだよ」
「コーはもっと強くなれるよ。私の事なんか考えなくていい。ここにいれば強くなれる。コーも私も」
コーはぐっと歯をかみしめて俯いた。そして、いきなりキッと私を見上げると私の左頬に平手打ちを食らわした。
パーンと乾いた音が響いた。少し離れた場所にいる血盟騎士団メンバーが驚いて一斉にこちらを見た。
「わかった……」
コーはくるりと私に背を向けて歩き始めた。「もう、ジークリードなんて知らない」
「コー! 血盟騎士団をやめるつもり?」
このままコーが血盟騎士団を抜けてどこかに行ってしまうかも知れない。私はあわててコーの後を追った。
「血盟騎士団はやめない。けど……」
コーは私に目もくれずメインメニューを目にもとまらないスピードで操作した。
私の視界の隅にシステムメッセージが届いた。それを開いて確認する。
【Courtneyさんとのフレンド関係は解消されました】
さらにシステムメッセージが届いた。
【Courtneyさんのブロックリストに登録されました。今後、Courtneyさんとの会話は全てブロックされます。これを解除するには…………】
もう、続きの解説を読む気は起らなかった。
『二人だけの時は泣きたい時、我慢しなくていいからね。そんな事で僕はジークを嫌いにならないよ』
わずか三日前のコーの暖かい言葉が頭をよぎった。あの暖かい空間はもう戻らない。
壊したのは私だ。でも、これでいいのだ。これでコーは強くなれる。これで彼女は空高く飛べる。これで彼女は私のような女男に穢されずに済む。全てが万々歳だ。
私は必死に心の空虚を埋める言い訳を次々に投げつける。しかし、一向にその空虚は埋まらずむしろ広がって行った。そのつらさが心を締め付け涙腺を刺激する。
私は両頬を叩いて気合を入れた。
しっかりしろ。ジークリード。全部、狙い通りじゃないか。これでいい。これでいいんだ。
アスナと約束した一分後、私は笑みさえ浮かべて血盟騎士団の群れに合流した。
今は作り笑いだが、いつか心からの笑顔をみんなに向ける事が出来る。そう信じて私は血盟騎士団と合流し歩き始めた。
左腕が軽い……。この違和感もいずれ時間が解決してくれるだろう。
四月のさわやかな風が私の空虚な心を吹き抜けて行った。
ワハハ! 思い知ったかリア充ども! これが作者の力だ! みんな、不幸になっちゃえばいいんだ! アハハハ!!”#!
すみません。取り乱しました。
この時期のアスナさんは狂戦士状態ですね。コートニーとジークリードが腕を組んでいたことに抗議していますが……1年半後に自分の身に降りかかってくる壮大なブーメランですねw
ゴトフリーさん強すぎ……さらにそれを一瞬で倒すアスナさん。もうあなたは神レベルです><
次もジークリード視点の物語です。【ジークリード5-2】をしばらくお待ちください。