セタンタは風を切るように槍を振り回し始めた。耀は警戒し、様子を窺っている。セタンタはすぐに飛び掛かっては来ないことを確認すると、じりじりと近付き始める。
セタンタが耀と対峙している最中、飛鳥とジンはレティシアを介抱していた。とはいえ出来ることは少ない。目立った怪我は無く、血が不足しているのが弱っている大きな原因だからだ。命に別条はないが、もう戦闘は不可能だった。
レティシアは二人に耀が現れてからの事と、戦いの最中気が付いたことを伝える。
「──血を吸われたですって? 吸血鬼の貴女が……?」
「ああ……直接噛み付かれたわけではないが、あれは間違いなく吸血だ。しかし、単純に吸血鬼と化している訳でもないらしい」
レティシアは辛そうに声を絞り出す。話すのもやっとだが、出来る限りのことは伝えておかなければ、飛鳥たちは勿論、耀もまた命の危険がある。妥協するわけにはいかなかった。
「あの姿は戦う時の間薙君そっくりだわ……彼が関わっていると思う?」
「間違いないだろう。だが、探している時間は無いし、敢えて姿を現さないのかもしれん。私たちだけでどうにかするしかない──」
「GEEEEEEEEYAAAAAAAAAaaaaaaaaa!!」
レティシアが言い終わらない内に雄叫びが響き渡ったかと思うと、振り向いた一同の視界には、目にも留まらぬ速さで建物から建物へ飛び移りながら、四方八方からセタンタへ爪を振るう耀の姿があった。
セタンタはうまく受け流しているが、身動きが取れない。飛鳥は己のフォローが必要だと察し、駆け付けようとする。
「──妙だな……先程までは完全に力任せだったのだが」
しかし、そこへレティシアの呟きが耳に入った。どうも聞き逃せない気がした飛鳥は立ち止まり、確認することにする。
「力任せ? それって……」
「私と戦っている時は、まっすぐ突撃してきて爪を振るうのみだったんだ。それがどういうわけか、お前たちが来てから変化している……まるで目が覚めたかの様な……」
「何か僕たちが耀さんに干渉したことは──」
首を傾げるジンは、ハッ、と気が付き飛鳥の方を振り向いた。
「──飛鳥さんのギフト?」
「で、でも私のギフトは……」
すぐに振り払われてしまった、と飛鳥は目を伏せるが、レティシアは首を振る。
「いや、案外当たっているのかもしれん。耀を支配する力と飛鳥のギフトが拮抗したのか……先程よりは力に振り回されていない様だ」
まだ我を失っているがな、とレティシアは眉を顰める。しかし光明は見えてきた。推測でしかないが手を拱いているよりはいい。飛鳥は胸の前で拳を握り締めると、戦闘中のセタンタと耀の元へゆっくりと歩いていく。
「……セタンタ、助けは必要かしら?」
『──いや、話は聞いてたぜ。オレに構うヒマがあったら、向こうに呼び掛けてやれよ』
飛鳥の問いに、セタンタは耀の攻撃をあしらいながらも、不敵な笑みで答える。飛鳥はセタンタを邪魔しない程度の位置で立ち止まり、ゆっくりと深呼吸を始める。
そして、思い切り声を張り上げて、耀に向かって呼びかける。
「──
「──GeYa……!?」
飛鳥の渾身の叫び声に、怯んだ耀はセタンタへ一撃振るうと、飛び下がって停止し、飛鳥を睨み付けて警戒する。
「……お願い、
「Geee……!!」
「
「GeYaaa……!」
飛鳥が呼び掛ける度に、耀は頭を抱えて悶える。明らかに影響を受けているその様子に、ジンは期待の声を上げる。
「よし、これなら……!」
しかしその直後、耀は頭を振り払い闇雲に飛鳥へ突撃する。が、セタンタがそれを許す筈もない。すぐさま進行方向に立ち塞がり、槍を振り回す。
『おーっと、させないぜッ! そう簡単にはいかな──ッ!?』
先程と同じく攻撃を受け流そうとしたセタンタは、その攻撃の重さに驚愕する。力が急激に上がったのではなく、まるで
無論、その程度ならセタンタが受けれる程度の攻撃だった。しかし、攻撃を軽く見積もっていたために槍を持った腕ごと弾かれ、大きく体勢を崩す。舌打ちしたセタンタは槍での対応を諦め、すぐさま蹴りを入れるが──
『マジかよオイッ!?』
──まるで
セタンタは青褪め、目の前をすり抜けて行く耀を眺めることしかできない。そして耀が飛んでいく先には、耀から決して目を逸らさず、堂々と仁王立ちしている飛鳥の姿があった。
『おい、早く逃げろッ!』
「飛鳥さん!?」
セタンタとジンは焦燥に声を荒げ、同時に叫ぶ。しかしレティシアは一人、飛鳥のその瞳に勝機を掴んだ者のそれを見ていた。それでも拳を固く握り、その姿を心配そうに見つめる。
「──AAAAAAAAAaaaaaaaaaaaa!!」
耀はどこか悲痛な叫び声を上げて、腕を振り上げる。それを見ても飛鳥は動かず、ただ待ち構えるのみ。
──そして、耀と飛鳥の影が重なった。
*
山河を打ち砕く力の攻防は、周囲一帯を破壊し尽くし、瓦礫の山に変えた。大地を捲り、河を操り、地殻変動に比する力を存分に振るうヴェーザーを、十六夜は迎え撃っていた。
襲い掛かる無数の水柱と岩塊の隙間を抜いながら、撒き散らされた障害物の陰からヴェーザーが襲い来て、十六夜の懐に潜り込む。隙を突かれた十六夜は瞬時に防御を固めると、振るわれる巨大な魔笛の一撃を回転しつつなんとか受け流す。
「──ぐ、うっ……!!」
その一振りすら地殻変動に匹敵する一撃である。肉は弾け飛び、骨は軋み、血を撒き散らす。常人ならば反応すらできず肉塊と化していただろう。人の領域を遥かに超えた身体能力を持つ、十六夜だからこそこの程度で済んでいた。
しかし、これが最初のダメージではなかった。
「……正直、拍子抜けだぜ坊主。まさかこの程度だとは思わなかった」
ヴェーザーの失望したようなその言葉に、十六夜は軽口すら返せない。既に全身痣だらけであり、骨も幾つかへし折れている。血を流しすぎて顔色は青を通り越して土気色になっており、必死に行う呼吸もどこか弱々しい。まともに立つこともできず、フラフラとよろめいてさえいる。
それでも、その瞳だけはギラついていた。
「認めるのは癪だが……俺は神格を得て、ようやくお前と力だけは互角になった。だからお前が回避に徹すれば、俺はまだお前を捉え切れずに攻撃を繰り返していた筈だ」
だが、とヴェーザーは十六夜を見下し、その無様な姿の理由を告げる。
「──心あらずもいい所だぜ。そんなにお仲間が心配か?」
「…………」
つまりは、そういうことだった。
十六夜は、耀を始めとする仲間たちを心配するあまりに気が漫ろになり、ヴェーザーとの戦いに集中することが出来ないでいた。神格を得たヴェーザーは油断して勝てるような相手ではない。ましてや他に気を取られれば、容易く命を落としうる。まだ十六夜が生きているのは、たまたま運が良いだけだった。
──ハッ、我ながら情けねえ。まさかここまで腑抜けていたとはな……。
耀が大怪我を負ったとか行方不明になった、という程度ならまだ目の前の戦いに集中しようとしていただろう。己のやるべきことを見失うような男ではない。
しかし、その根底にはシンへの不信感があった。
今回、シンは余りにも不審な動きを見せている。相変わらず情報を明かさないし、たまに人間のような仕草を見せたかと思えば、容易くそれを裏切る。特に耀を悪魔に変えた一件は許し難く、今だその胸の内には憤怒が燻っている。
もちろん、飛鳥や黒ウサギへの心配もある。舞台に戻って来ているかわからない飛鳥に、己を待ちながら魔王と対峙しているであろう黒ウサギもまた、気掛かりなのだ。
「……そうだな、俺を待っている奴がいるんだ」
小さく呟くと、十六夜は全身に力を込めてしかと立ち上がる。顔を上げ、己の敵──ヴェーザーを真っ直ぐ睨みつける。
だが、それはもう遅すぎた。
「──ようやくやる気になったところで悪いが、勝負を決めさせてもらうぜ」
そう言うと、ヴェーザーは己の霊格を全解放する。
魔笛を頭上に掲げ、円を描くように乱舞すると、それに応じて立つことすら難しい程の地鳴りと振動が襲う。だがそれは徐々に収まっていき──地殻変動級のエネルギーが、魔笛のその切っ先に収束していく。
「……なかなか期待出来そうだな」
十六夜はそう言って、無理矢理ヤハハと笑って見せた。
当然、絶体絶命である。無理に立ち上がったせいで立ち眩みが襲い、両腕は重りが付いたかのように上がらない。その確実に致命的な一撃に構えることも出来ず、ただぼんやりと眺めるのみ。
──腕が上がらねえなら、頭があるさ。硬さなら自信がある。
半ば本気でそう思い、必殺の一撃を待ち受ける。
大地の揺れが収まり、不気味な程の静寂がその場を支配する。
ヴェーザーは魔笛を握り締め、身体を後方へゆっくりと捻ると──ただ一言だけ告げる。
「────死ね」
最早十六夜に抗う術はない。
ただ死にゆくのみ。
仲間を想うが故に、十六夜はここで果てる──
『──コンナトコロデ、死ナレテハ困ルナ』
──その直前、地の底からわき上がるような無機質な声が、十六夜の頭の中に響いた。
*
二人の少女が倒れこんでいた。
一人は春日部耀。シンに与えられたマガタマによって悪魔と化し、その力に呑まれて暴走し、その力をあろうことか同士に向かって振るってしまった。
もう一人は久遠飛鳥。フェイスレスと群体精霊によって授けられた、封魔管を用いる
──飛鳥の赤いドレスを、じくじくとドス黒い血が染めていく。
飛鳥は耀の攻撃を真正面から待ち構え──そしてギリギリで避けた。
そうして、飛鳥の目論見は成功する。
確実に当たるタイミングで避けられた耀は無防備になり──飛鳥はそれを抱き締めた。
親愛なる友を迎えるように。愛する家族を慈しむように。
そして当然、そのまま押し倒されてゴロゴロと転げて行く。術によって身軽になっていても、飛鳥の筋力が増大したわけでも、技量が上がったわけでもない。耀がぶつかった衝撃をそのままその身に受けて、硬い地面の上で二人は転げる。
それでも、飛鳥は手を離さなかった。衝撃に肺が潰れ、歩廊の床に頭を打っても、決して抱き締める手を離そうとしなかった。
そうしてようやく二人が止まると、飛鳥は下に、耀は上になった。耀は小柄で体重が軽いとはいえ、飛鳥の年相応の少女並の筋力ではその重さすら辛い。当然、だからといって離すこともなかったが。
──耀は押し黙っている。
頭でも打ったのか、倒れた時にダメージを受けたのか、微動だにせずただ大人しく飛鳥に抱き締められている。
耀のシャツから血が染み出し、密着している飛鳥のドレスを汚す。しかしそんなことは頓着せず、飛鳥は耀を抱き締めたまま、ゆっくりとその頭を撫でる。
「春日部さん……貴女は……」
小さな子に言い聞かせるように、飛鳥は優しい声でギフトを使う。
「──
「──うん」
耀が、小さく返事をした。
戦闘中の様子とは一変して、まるで迷子のような弱々しい声だった。飛鳥はその背をぽんぽんと叩き、囁くような声で終わらせる。
「
「うん……ごめん、飛鳥……ごめ──」
言い終わらぬ内に、耀はゆっくりと目を閉じて眠りに入った。すうすうと、安らかに眠るその姿に
「……終わったのか?」
レティシアが恐る恐る、訪ねる。飛鳥はゆっくりと頷くと、ジンたちと共にはぁ、と長い溜め息を付いた。セタンタは耀をジンに預けると、小さな舌打ちと共に飛鳥を睨み付けた。
『まったく、無茶しやがるぜ。一歩間違えてたら死んでたっつーの!』
悪態をつきつつも、セタンタは飛鳥を優しく抱き起こした。飛鳥はふらふらと立ち上がり、二人に謝る。
「ごめんなさい。でも、春日部さんからは逃げたくなかったのよ」
「気持ちは分かりますが、本当に無茶なことを……身体の方は大丈夫ですか?」
ジンは座り込み、片手で耀を抱きかかえながら心配そうな声で問い掛ける。飛鳥は己の頭を確かめるように撫でると、痛みに顔をしかめて苦笑する。
「頭にたんこぶが出来たくらいね」
それ以外は特に大きな怪我も無いようだった。レティシアは安堵するが、ギフトゲームはまだ終わっていないと、表情を引き締める。
「そうか……大事は無いようだが、場所が場所なだけに心配だな。私たちと一旦本陣に戻るとしよ──」
「──いえ、
ジンとレティシアはぎょっと飛鳥の顔を見つめる。その顔には不敵な表情が浮かび、戦意は全く衰えていない。それを見たセタンタは暫し押し黙るも、やがてボリボリと頭を掻き、吐き捨てるように口にする。
『やれやれ、とんだお嬢様だ。正直、今のオレたちで戦力になれるかわかんねーぜ?』
「戦力になれるか、じゃないわ──なるのよ。むしろ魔王を倒すつもりで行くつもりよ」
『──いいねえ。そういうの好きだぜ、
セタンタは獰猛な笑みを浮かべると、槍を肩に担いだ。魔王の元へ行く気満々の二人をジンは慌てて止めようとする。
「き、危険です! ここは当初の予定通り、十六夜さんと黒ウサギに任せて──」
「……いや、戦力は多い方がいい。今の飛鳥なら最悪足手まといにはならないと思う。ジン、辛いだろうがここは二人に任せよう」
「しかし……いえ、わかりました……」
レティシアに諭され、ジンは渋々ながらも頷いた。飛鳥は今回のゲームでジンにずっと心配をかけ通しであることに、申し訳なく思っていた。しかし謝るのは全てが終わってからだと、言葉を飲み込んで歩廊の先を見据える。
「さあ、行きましょう。早くしないと先に魔王を──」
倒されてしまう、とそう茶化して言おうとしたその瞬間、
──ヴェーザー河の方角で、太陽が落ちてきたかのような強烈な光が迸った。
「──な、何!?」
あまりの光の強さに目が焼かれ、一同は暫し視界が昏くなる。目の痛みに顔を顰めながら瞼を上げると、光は既に収まっていた。ジンとレティシアはその方角から十六夜とヴェーザーの戦いの余波だと気が付いたが、セタンタだけは光が放たれた方角を油断無く睨み付けていた。
「……何か気になることがあるの、セタンタ?」
飛鳥もまた己の仲魔が警戒していることに気が付き、確認するように問い掛ける。セタンタは飛鳥にちらりと視線を向けると、硬い声で告げる。
『──何が起きたか知らないが、どうやら悪魔が一匹昇天したらしい』
そう言って、一筋の冷や汗を流すのだった。
*
ヴェーザー河一帯は、ヴェーザーが必殺の一撃を繰り出すその直前と変わりなかった。
地殻変動級の力を振るい、撒き散らされた瓦礫の一つに、十六夜が座り込んで眠っている。満身創痍だが、死んではいない。治療系のギフトを使えば十分回復できる範囲である。
十六夜が対峙していた筈のヴェーザーは、どこにもいない。ただ瓦礫の中に、彼が振るっていた魔笛が転がっているのみだった。
そして、辺りに散った雪のような欠片が、風に飛ばされて消えていく。
「…………」
眠る十六夜を見つめるのは、いつの間にかやって来ていたシンとピクシーだった。
表情を消し去った二人は、まるで温度の無い冷酷な瞳で十六夜を見下ろしている。それは同じコミュニティの同士に向けるには余りにも冷たく、まるで
『──こいつ、何をしたの?』
ピクシーは、目の前で起こった事が信じられないような口調だった。目を見開き、冷や汗を一筋垂らす。シンは顔色を変えず、ただ十六夜を睨み付けている。何かを見抜こうとでもいうように、紅い瞳をギラつかせて見定めようとする。
だが、やがて溜め息をつき、踵を返すとピクシーに命令する。
「……適当に治療しておけ。死なれては困る」
『いいけど……始末するなら今よ? ここで死んでも敵と相打ちになったって言い訳も立つし』
「いいから治療しろ」
はいはい、とピクシーは不満そうに首を竦めると、手を翳した。掌から温かみのある光が放たれ、治療を開始する。それを背に、シンはゆっくりと歩き去る。
ふと空を見上げると、黒い風が街の中心部から放たれていた。その風は天を穿ち、空を黒く染めて行く。それを見ながら、シンはゲームがいよいよ佳境に入ったことを感じ取ったのだった。
対・本物の〝ハーメルンの笛吹き〟──十六夜の勝利。