混沌王がアマラ深界から来るそうですよ?   作:星華

32 / 40
少女は最初の死を迎えるそうですよ?

 十六夜と耀が話した数刻後、耀の個室にアーシャとジャックが訪れた。手に下げた籠には幾つかの果物などが入っており、見舞いの品だと窺える。アーシャは扉の前に立つと、軽くノックした。

 

「おい、耀! このアーシャ様がお見舞いに来てやったぞ! 泣いて喜びな!」

 

 しかし、返事は無い。アーシャは首を傾げると、寝てるのかな、と呟く。ジャックはそうかもしれません、と頷き、声を潜めて言う。

 

「お休みになっているのであれば、邪魔をしてはいけませんね。それならこのまま退散を──」

 

「──なあ、ジャックさん」

 

 しかし、硬い声でアーシャが遮った。不安そうに瞳を揺らし、ジャックを見上げる。

 

「耀は大丈夫だよね? あたしらに勝つような奴なんだし、黒死病くらいで死なないよね?」

 

 願うように、祈るように、アーシャは声を洩らす。しかしアーシャ自身、天災によって亡くなった身の上である。死とは理不尽に訪れるものであり、ある日突然その鎌を振るう事をよく知っている。それ故に不安で仕方がないのだ。

 

 ジャックは安心させるように、アーシャの頭を撫でる。アーシャの気持ちはジャックにも分かる。幾ら素晴らしいギフトを持っていても、耀自身はヒトという種にカテゴライズされる。多くの人を殺した功績のある黒死病にかかれば、死の可能性は十分にあるだろう。

 

 それでも、ジャックは力強く語りかける。

 

「──信じなさい。耀さんの強さは知っているでしょう。彼女ならばきっと、ゲームが終わるまで持ってくれるでしょう」

 

「……うん」

 

 アーシャは小さく頷いた。ジャックはその小さな肩を抱くと、促す。

 

「さあ、行きましょう。我々も彼らを救う為に力を振るわなければ──」

 

──と、そこで言葉が途切れる。

 

 ジャックは慌てて扉の方を向くと、焦ったようにその扉を睨み付ける。アーシャは首を傾げるが、続くジャックの言葉に血の気が引く。

 

「──血の匂い……!? それに、様子が……!」

 

 ジャックは扉を破る勢いで開け放ち、二人は部屋の中に押し入った。そして、中の光景に絶句する。

 

 

──ベッドに耀の姿は無く、ただ夥しい量の血痕が残されているのみ。

 

 

「こ、これは……!?」

 

 ジャックはベッドに近寄り、その血の量が明らかに致死量を超えていることに額然とする。血痕は真新しく、それほど時間が経っていない。ジャックたちがあと少し早ければ、何かが起こっているその現場に遭遇したかもしれない。

 

「ジャ、ジャックさん……窓が……!」

 

 アーシャの声に窓を見ると、そのガラスは破られ、カーテンが風に吹かれて揺れていた。血の匂いが部屋の外まで届いたのはこの為だろう。ジャックは部屋の中にガラス片が殆ど落ちていないことに気が付いた。それはつまり、窓ガラスは内側から破られたことを意味している。

 

 更にジャックは、不可解な痕跡を窓際の床に見つける。

 

「──血の付いた足跡……? これは、耀さんのものでしょうか……」

 

 現場をよく観察すると、ベッドから窓に掛けて何者かが歩いた跡がある。素直に考えればその何者かは耀なのだが、そうなると耀は致死量の血を流した直後に窓を破って出て行った事になる。あまりに不可解すぎるため、ジャックはその推理を一旦保留にしておく。

 

──結論から言えばそれは正しかったのだが、それが分かるのはこのギフトゲームが終わってからのことになる。

 

「ジャックさん……私、アイツを探しに、」

 

「待ちなさい、アーシャ! 貴女は〝ノーネーム〟の方々にこの事を伝えなさい──」

 

「……でも!」

 

 アーシャは反論しようとするが、ジャックは優しく言い聞かせるように告げる。

 

「貴女にはやるべきことがある筈です。私にこのゲームの参加資格が無いのは不幸中の幸いでした。ゲームの最中に彼女を探すことに専念できるのですから」

 

 既にこのゲームには、ジャックなどの出展物枠に参加資格が無いことが判明している。そのために皆が死力を尽くしているの間、外野で無事を祈るしかないと思っていたが、参加資格が無い故にできることもある。

 

 アーシャは俯いて歯噛みするが、ジャックの言うことは正論である。逆らうつもりは元よりないが、何かに巻き込まれたであろう耀を自ら助けに行けないのは口惜しかった。

 

「ジャックさん……耀を頼む」

 

「ええ、任されました」

 

 二人は部屋を出て、それぞれの目的のために別れる。アーシャは黒ウサギの元へ、ジャックは行方不明の耀の元へ。

 

「……さて、一体何が起こっているのでしょう。尋常の事態ではないようですが……どうか、無事で居て欲しいものです」

 

 

    *

 

 

 境界壁・舞台区画。大祭運営本陣営、大広間。

 

 時は黄昏。舞台区画も赤いガラスの歩廊も夕陽に染まり、無人の街を美しく演出する。しかし宮殿の大広間に集まった五百人ほどの参加者たちにそれを楽しむ余裕は皆無だった。

 

──これより、彼らの命運を決定するゲームが再開されようとしているのだから。

 

「もう間も無くゲームの再開です。参加者はゲームクリアのためにそれぞれ重要な役割を果たして頂きます──」

 

 不安にざわつく衆人へ、それを掻き消すような凛然とした声で話すサンドラ。一同が一先ず静聴しようと落ち着こうとするのを見ると、傍に控えていたマンドラが進み出て、行動方針を決める書状を事務的に読み上げる。

 

 三体の悪魔は〝サラマンドラ〟とジン=ラッセル率いる〝ノーネーム〟が戦うこと。

 

 他の者は各所に配置された百三十枚のステンドグラスの捜索。

 

 そして発見者は指揮者に指示を仰ぎ、ルールに従って破壊、もしくは保護すること。

 

「──以上が、参加者側の方針です。病に侵された我らの同士を救うためにも……魔王とのラストゲーム、気を引き締めて戦いに臨んでください!」

 

 明確な方針が出来たことで、士気を上げた参加者たちが雄叫びを上げる。魔王のゲームに勝つために各々が行動を始めた。

 

 その一方、黒ウサギは宮殿の上で思案に暮れていた。

 

 初めての魔王相手のゲームで緊張しているのもある。敗北した場合、路頭に迷う子供たちへの心配もある。そして、溢れる才能を持つ十六夜たちを迎えながら、その力を伸ばすゲームを用意出来なかった後悔もある。

 

──しかし、一番の心配は失踪した耀の事だった。

 

 大量に残された血痕は常人ならば死を意味している。しかし現場に残された異常な痕跡が、隔離部屋で何が起こったのかを煙に巻いていた。

 

 だが、同時に起こっていた別の事態(・・・・・・・・・・・・・)に、何らかの推測をすることができる。それは──

 

「──犯人は、間薙かもな」

 

 ハッ、と黒ウサギが振り向くと、隣に十六夜が座り込んでいた。頬杖をついて街を眺めているが、その表情は一切の笑みを浮かべておらず、町の何処かにいる誰かを睨みつけているようだった。

 

 十六夜は黒ウサギが何に思案しているか分かっているし、黒ウサギも十六夜がそう察していることを分かっている。突然の言葉にも問い返すことは無かった。

 

「……やはり、そうなのでしょうか?」

 

春日部とほぼ同時に失踪した(・・・・・・・・・・・・・)んだし、間違いないだろ。問題は何を企んでやがるのか、って所だが……」

 

 シンもまた、ピクシーを伴いその姿を消していた。こちらは誰も心配していない。それだけの力の持ち主であるし、むしろ同時に失踪した耀の原因を担っているとすら疑われている。

 

 悲壮な表情の黒ウサギを見て、十六夜は苦笑する。

 

「おいおい、別に間薙が春日部を襲ったとは限らないぜ。病に苦しむ春日部を助けようと、悪魔的な秘密道具で治療した結果かもしれないしな」

 

 副作用で興奮して街に繰り出したのかも、と冗談めかして言うが、黒ウサギの表情は晴れない。無理があったか、と十六夜も頭を掻く。

 

「ま、今ジャックが春日部を探してくれている。とっとと見つけて、回収してくれれば──」

 

「い、十六夜さん──あれを!」

 

 黒ウサギの焦燥の声に、十六夜はすぐに空を見上げる。そこには弱々しい火の玉がふらふらと十六夜たちの方へ向かってきており、今にも落ちてきそうであった。

 

「ジャックか? おい、どうし──」

 

 声を掛けようとしたその瞬間、火の玉はとうとう力尽きて墜落し、十六夜たちの近くへ叩きつけられる。火の玉が消えると、そこには満身創痍のジャックが横たわっていた。

 

「──ジャックさん!」

 

 黒ウサギは悲鳴と共にジャックに駆け寄り、十六夜もまたその後を追う。ジャックの全身には無惨な爪痕があり、その頭は半分砕かれていた。しかしそれは然程重要ではない。

 

 問題なのは、不死の怪物であるジャックが、その傷を回復出来ていない(・・・・・・・・)ということだった。

 

「ご、ご心配なく……一時的に消耗しているのみで命に別状はありません……」

 

「どうした、奴らにやられたのか?」

 

 弱々しく告げるジャックに、十六夜は襲撃者の正体を聞く──が、その答えを聞いて愕然とする。

 

「──耀さんにやられました」

 

「ど、どういうことですか!?」

 

 黒ウサギは混乱の極みにあった。耀を探しに行ったジャックが、何故耀に襲われるのか? だが十六夜はその裏を一瞬で推測し、街の方へ視線を向ける。まるで、仇敵がそこに居るかのように。

 

「耀さんは……今、己を見失っています。力に振り回され、自分が何をしているのかも分かっていないでしょう……」

 

「力……!? 一体どういう──」

 

 

「──GEEEEEEEEYAAAAAAAAAAAaaaaaaa!!!」

 

 

 ()の咆哮が、辺り一帯に響き渡る。

 

 黒ウサギはその声に、聞き覚えがあった。信じられないと、信じたくないという思いに口元を覆い、震える。十六夜もまた、当たっていて欲しくなかった予想に歯噛みする。

 

 ジャックは息も絶え絶えに彼らに事態を告げる。

 

「彼女は今──悪魔(・・)になっています。それも、鬼種(・・)を備えた悪魔に──」

 

 十六夜は渾身の力で拳を握り、怒りを抑えようとするもままならない。内なる憤怒を抑えきれず、言葉を漏らす。

 

「──何やってんだ、あの悪魔が……!!」

 

 ここにはいないシンに、十六夜は怨嗟の言葉を吐き捨てるのだった。

 

 

    *

 

 

 話は、隔離部屋で十六夜と耀が話していたところまで遡る。

 

──少しは助けになれたかな。皆が勝つまで、持てばいいけど……。

 

 その後の雑談で何らかの活路を見出した十六夜は、耀を褒め称えると獰猛な笑みを浮かべて、部屋を勢い良く飛び出して行った。

 

 その直後、耀は限界に達してベッドに崩れ落ちる。

 

『──お嬢!』

 

 三毛猫が慌てて鳴き声を上げるが、耀にはその声すら遠い。耀の黒死病は奇妙にもその進行を早め、宿主を一刻一刻と死へ向かわせていた。呼吸は乱れ、徐々にか細くなっていく。ひゅうひゅうと必死に息を吸うが、その力さえ抜けていく。

 

──やば、死ぬかも。

 

 幼少より体の不自由に見舞われ、父からの贈り物でようやく走り回れるようになった耀だが、ここまで体調を崩したことはかつて無かった。目の前に死が訪れていても、その現実味の無さに却って精神は落ち着いていた。

 

 視界は薄れ──音は遠く──身体は溶けるように、感覚を失っていく。

 

 このままでは耀は、ゲーム再開を待たず死ぬだろう。助けを求めようにもここは隔離部屋であり、健常者はやって来ない。先程の十六夜が例外だったのだが、耀が己の体調を隠してしまったのでそれも叶わない。

 

 そんな状態で、耀は飛鳥の事を思う。

 

 この状況で力を求めて飛び出した、飛鳥の気持ちが耀にはよくわかっていた。

 

 十六夜とシンは〝ノーネーム〟の中でも飛び抜けて優秀だ。二人とも元魔王を子供扱いする身体能力に、十六夜は頭脳明晰で幅広い知識を持ち、シンは様々な悪魔を従えるギフトを持つ。両者ともその力で今までに〝ノーネーム〟に大きく貢献してきている。今回のゲームでも多くの謎を解き、皆を救う為に奔走している。

 

 それに比べたら、飛鳥も耀も常人を遥かに上回る力を持つとはいえ、肩を並べられる存在だとは決して言えなかった。ましてや耀は今回碌な働きもできず、こうして勝手に死に掛けている。

 

──いくら友達の力を借りたって、私自身は何も成長していない。

 

 熊の如く剛力を振るい、豹の如き俊足で駆け、鷲獅子の如く空を舞うことができる。だが、それだけだ。外付けの力はどんどん増えていても、耀自身は全く変わっていない。身も心も子供のまま。そして人間という種であるが故に黒死病にかかり、今死に絶えようとしている。

 

──私が死んだら、皆泣くかな。

 

 飛鳥は泣くだろう。十六夜は我慢しそうだ。黒ウサギなんて大泣きするだろう。〝ノーネーム〟の皆が耀の死を悲しみ、涙を流すだろう。

 

──シンは……泣かないんだろうな。

 

 それでも、ただ一人シンは泣かないはずだ。血も涙もない、悪魔なのだから。もし耀に何らかの価値を見出していたのなら、惜しいと思う程度だろう。もしかしたらゾンビにされて死後は仲魔にされるかもしれない。

 

 死を目前にして、そのような事を考えられる余裕があるのは耀自身も驚きだった。しかし冗談を笑う元気は流石に無く、表情を歪めることもできないまま意識が遠のいていく。

 

 最期に、何も果たせぬまま先立つ不孝を、〝ノーネーム〟の皆に謝罪する。

 

──ごめん、皆……私は、もう……、

 

 

「──まだ生きているようだな」

 

 

 耀の視界に、黒い影が映った。誰かが話しているが、その音は頭に入ってこない。

 

『といってもギリギリみたいね。早くしないと、くたばっちゃうわよ?』

 

 耀の体を誰かが仰向けにして、押さえ付ける。その小さな手の感触には覚えがあった。

 

「……ピ、クシー?」

 

『あら、よくわかったわね。死にかけてるくせに』

 

 ピクシーは目を丸くすると、何がおかしいのかくすくすと笑う。耀は何が起こっているのか分からぬまま、天井をぼんやりと眺めている。

 

「春日部耀──お前に力をやろう。ヒトに過ぎない哀れなお前に、特別な贈り物(ギフト)をやろう」

 

 黒い人影──シンは、耀に仰々しく語りかける。力が欲しいか、と。正しくそれは悪魔の囁きだった。熱に魘され、音が碌に聞こえないはずなのに、どうしてかその声はよく耳に響く。

 

 力。

 

 力さえあれば、この病を吹き飛ばせるのか?

 

 力さえあれば、死なずに済むのか?

 

 力さえあれば──皆のために、戦えるのか?

 

──欲しいと、耀の唇が無意識に動く。

 

 それを見て、シンはニヤリと嗤う。

 

 シンは手を己の身体に当てると、その手はズブズブと内部に潜り込んで行く。何かをまさぐるようにゆっくりと手を動かしていた。異様な光景である。そして探し物を掴んだのか──ずるり、とその手を勢い良く引き抜く。

 

 そこに掴まれていたのは、蛇のような虫のような奇妙な生き物だった。真っ白な表面に虎柄の模様が刻まれており、目のような部位は真っ赤に染まっている。それはまるで怯えるようにびちびちと跳ね回り、しかしその尾をしっかりと掴まれている為にそれは叶わない。

 

 シンはその奇妙な虫を耀の頭上に掲げた。嫌な予感がして、逃げようと身体に力を込める。

 

『あら、動いたらダメよ。痛いのは一瞬だから……』

 

 しかし耀の片手はピクシーに握られている。それだけで、耀は身体から力が抜けて行くのを感じた。

 

 シンが掴んでいた手を離す。まるでスローモーションのように、ゆっくりとそれは耀の顔に落ちて来て──

 

 

──冷たい何かが、私の中に入ってくる。

 

 

 ぐちゃ、

 

──何か、掛け替えのないものを、奪われている。

 

 めき、ごき、

 

──何か、大切なものを、食べられている。

 

 くちゃ、ぴき、めき、

 

──熱い何か()がいなくなって、冷たい何か()に、置き換わっていく。

 

 ぶしゅ、ぐちゃ、ごき、ぺき、

 

──ああ、私は……、

 

 

「──これでお前は、悪魔になるんだ……」

 

 

 耀の最期に映る視界には──悪魔たちの嗤う顔が浮かんでいた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。