「プレイヤー側で相手になるのは……〝サラマンドラ〟のお嬢ちゃんを含めて五人ってところかしら──ヴェーザー?」
境界壁上空にて、白装束の女は気怠そうに確認する。しかしヴェーザーと呼ばれた軍服の男は油断なく首を振ると、その言葉に答えた。
「いや、四人だな。あのカボチャは参加資格がねえ。特にヤバいのは吸血鬼と火龍のフロアマスター──それに、〝人修羅〟だ。こいつを正面から相手取るのは危険すぎる。くれぐれも油断するな、ラッテン」
「……その情報、信頼できるのかしら?」
ラッテンと呼ばれた女は訝しむように眉を顰める。魔王を脅かすような存在が無名で〝ノーネーム〟に居ることが信じられない、というような表情だった。だがヴェーザーはそれに構わず手の中の笛を握り締め、その視線に力を込める。
「信頼するしないじゃねえ。俺たちは唯でさえ崖っぷちなんだ。疑わしかろうと避けられる危険は可能な限り排除するまでだ」
ラッテンは首を竦め、はいはい、と返事をする。油断するつもりは無かったが、情報の真偽が疑わしかったので少し聞いてみただけのようだった。彼らの背後の巨兵は、ただそれを黙って聞くのみ。
話が終わったことを確認すると、斑模様の少女は彼らを順番に見つめる。そうして、無機質な声で宣言した。
「──ギフトゲームを始めるわ。貴方たちは手筈通りお願い」
それを聞いた三名は頷き、各々行動を始めた。
ギフトゲーム〝The PIED PIPER of HAMELIN〟──強制開始。
*
「──な、何ッ!?」
突如、白夜叉の全身を黒い風が襲い、その周囲を球状に包み込む。近くにいたサンドラが慌てて手を伸ばすが黒い風に阻まれ、バルコニーにいた者は全て一斉に弾き出された。
「きゃ……!」
『お姉ちゃん!』
コダマが咄嗟に風を起こし、飛鳥の落下を和らげた。その隙に既に着地していた十六夜が飛鳥を受け止め、ゆっくりと地面に降ろす。乱れた髪を整えながら、飛鳥は二人に礼を言った。十六夜は遥か上空の人影を睨みながら、状況を把握する。
「ちっ……〝サラマンドラ〟の連中は観客席に飛ばされたか」
〝ノーネーム〟一同は舞台側に、〝サラマンドラ〟一同は観客席へ分断されていた。魔王側の意思を感じるが、今はどうにもならない。舞台袖から走り寄るジンたちの姿を確認すると、十六夜は黒ウサギに振り向いた。
「〝魔王襲来〟……そういうことでいいんだよな?」
「──はい」
十六夜の問いに、黒ウサギは真剣な表情で頷いた。一同に緊張感が走る。
舞台周辺の観客席は大混乱に陥り、我先に逃げ出すものが入り乱れて阿鼻叫喚の有様である。その様子を見ながらピクシーは面白そうに笑った。
『あらあら大騒ぎね。あんなに混乱してたら逃げられるものも逃げられないでしょうに』
「ま、あいつらは魔王様のご来場を知らなかったからな。……それで、白夜叉の〝
「は、はい。黒ウサギがジャッジマスターを務めている以上、誤魔化しは利きません。彼らはルールに則った上でゲーム盤に現れています!」
箱庭の貴族の優位性はこの
「──ハハ、流石は本物の魔王様。期待を裏切らねえぜ」
「……どうするの? ここで迎え撃つ?」
「ああ。けど全員で迎え撃つのは具合が悪い。それと……おい、悪魔ども。間薙はどうしてる?」
十六夜がピクシーとコダマに乱暴に声を掛ける。しかしそれを気にせず、両者は呑気な声で答えた。
『今は動いてないみたい~』
『何処かで呑気に観戦してるのかもねー。一杯やりながらさ!』
きゃははと笑うピクシーに、十六夜は役に立たん、と首を竦めた。
「まあいい。白夜叉みたいに何かされたって訳じゃないなら、後から来るだろ。……後は〝サラマンドラ〟の連中だな。観客席の方に飛んで行ったんだっけか」
「では黒ウサギがサンドラ様を探しにいきます! その間は十六夜さんとレティシア様の二人で魔王に備えてください──」
そう言うと、黒ウサギはジンたちの方へ視線を向ける。
「──ジン坊ちゃんたちは白夜叉様のところへ! 〝
「分かった!」
レティシアとジンが頷くが、飛鳥は不満そうな表情を見せた。今回のゲームでもメインの敵に相対出来ないことが不満なのだが、己の実力では危険なことも分かっている。そんな飛鳥の表情を勘違いしたのか、コダマが元気付けるように声を掛ける。
『大丈夫だよ! アスカおねえちゃんはボクが守るから、安心してね!』
「……ええ、ありがとう」
文句を言っている場合ではないと、苦笑と共に愚痴を飲み込んだ。
「──お待ちください」
一同が声の方に振り向くと、そこには〝ウィル・オ・ウィスプ〟一同がいた。ジャックは礼儀正しく一礼すると、助力を名乗り出る。
「おおよその話はわかりました。魔王を迎え撃つというのならば、我々も協力しましょう。いいですね、アーシャ」
「う、うん……頑張る」
前触れなく魔王のゲームに巻き込まれたとはいえ、誇りある〝ウィル・オ・ウィスプ〟の一員である。アーシャは緊張しながらも承諾した。
「ではお二人は黒ウサギと共にサンドラ様を探し、指示を仰ぎましょう!」
一同は視線を交わして頷き合い、各々の役目に向かって散開する。十六夜とレティシアが魔王へ向かった瞬間、逃げ惑う観客が悲鳴を上げた。
「──見ろ! 魔王が降りてくるぞ!」
上空に見える人影が落下してくる。十六夜はそれを見て、レティシアへ振り返って叫ぶ。
「黒い奴と白い奴は俺が、デカイのと小さいのは任せた!」
「了解した、主殿」
レティシアが単調に返事をしたのを聞くと、十六夜は嬉々として身体を伏せ、舞台会場を砕く勢いで人影に向かって跳躍した。
*
十六夜とヴェーザーが激突し、レティシアが巨兵と少女を相手にしている頃。
大祭運営本陣営、バルコニーに通じる通路の前で飛鳥たちは立ち往生していた。吹き飛ばされた時と同じ黒い風が、彼女たちの侵入を阻む。
『うひゃ~! 変な風~! これじゃあボクでも近付けないや』
『へえ、何これ? なんだか面白いわね?』
「白夜叉! 中の状況はどうなってるの!?」
はしゃぐ悪魔たちを他所に、バルコニー入り口扉に向かって飛鳥は叫ぶ。白夜叉はなんとか無事のようで、返事の声を張り上げる。
「分からん! だが行動が封じられておる! 〝
ジンが慌てて黒い〝
「〝ゲーム参戦諸事項〟……!? 〝ゲームマスターの参戦条件がクリアされていない〟──これだわ! けれど、参戦条件が何も記述されていないの!」
白夜叉は大きく舌打ちした。彼女の知る限り、星霊を封印できる方法は限られている。白夜叉は己を、そして彼女たちを救うため、続けて叫ぶ。
「よいかおんしら! 今から言うことを一字一句違えずに黒ウサギに伝えるのだ──」
間違えることは許さないと、不手際はそのまま参加者全員の命に関わると、普段の白夜叉からは考えられない緊迫した声に、一同はそれだけの非常事態なのだと察する。
「──第一に、このゲームはルール作成段階で故意に説明不備を行っている可能性がある!」
一部の魔王が使う一手であり、最悪の場合クリア方法が存在しない卑劣なルールを仕組まれている場合があるという。その最悪の可能性に飛鳥たちは息を呑んだ。
「──第二に、この魔王は新興のコミュニティの可能性が高い事を伝えるのだ!」
飛鳥は声を張り上げて返事をする。そして白夜叉は続けて、
「第三に、私を封印した方法は恐らく──」
「──はぁい、そこまでよ♪」
ハッ、と白夜叉はバルコニーに振り返る。そこにはラッテンが三匹の直立する火蜥蜴を連れ立っていた。火蜥蜴たちは目を血走らせ、灼熱の息吹を乱れさせながらラッテンに従っている。
「そうなってしまっては、最強のフロアマスターも形無しねぇ!」
「魔王の一味……それに〝サラマンドラ〟の同士!? 一体これはどういう──」
ジンが驚愕し、疑問を口にする。それを聞いたラッテンは妖しく微笑み、笛を指揮棒のように掲げる。
「あら、誰かいるのかしら? その疑問については──
笛を振るうと、扉を突き破って火蜥蜴たちが飛鳥たちに襲い掛かる。思わず悲鳴を上げる飛鳥を、耀とコダマが庇う。
「──飛鳥!」
『──おねえちゃん!』
耀は
「あら、今の力……グリフォンか何かかしら? それにもう一方は……何だか珍妙な精霊ねえ。まぁいいわ。女の子の方は気に入ったし、まとめて私の駒にしましょう!」
嬉々とした声を上げるラッテンを無視し、耀は二人を抱えて廊下に飛び去る。ラッテンは一同を追わず、艶美な笑みを浮かべると、笛に息を吹き込んだ。
──宮殿内に、魔笛が響く。
甘く誘うようなその響きは、人より遥かに優れた感覚を持つ耀に絶大な効果があった。歯噛みして耐えようとする耀だが、それを無視して筋肉と意識が弛緩して行く。
「あ……駄目だ、これ……!」
『うわ~! いや~な音! 聞いてられないよ!』
コダマはその響きに悶えているが、特に効いている様子は無かった。しかし両者とも風を操れなくなり、旋風が止む。耀は腰が砕けたようにガクガクと揺れながら、渾身の力で叫ぶ。
「アイツが来る……みんな、逃げて……!」
「で、でも……!」
同士を見捨てて逃げるわけには行かないと、表情を強張らせるジン。飛鳥は状況を冷静に判断し、残酷な決断を下す。
「ジン君……先に謝っておくわ。ごめんなさい」
「は、はい?」
戸惑うジンを意図的に無視して、飛鳥は一瞬だけ哀しい顔を見せると──
「コミュニティのリーダーとして──
「──わかりました」
──同士の心を支配した。ジンの瞳からは意思の色が消え、耀に肩を貸して去って行く。
「ピクシー、春日部さんたちを守ってあげて」
『……ま、いいわ。サポート役の契約は、まだ継続中にしておいてあげる』
ピクシーはつまらなそうに頷くと、ジンたちの後を追って行った。その場には飛鳥と、まだコダマが残っていた。
「コダマ君も、危ないからみんなと一緒に──」
『──やだ!』
強い拒絶の言葉に、飛鳥は狼狽えるが何とか言い聞かせようとする。
「駄目よ! お願いだから──」
『絶対やだ!』
「……っ! いいから、
強情なコダマに思わずギフトを使ってしまう飛鳥。しかし、
『
「──えっ!?」
コダマの意思が、それを跳ね除けた。一瞬の淀みなく答えるそれを聞き、ギフトが全く通じなかった事に飛鳥は混乱する。
しかし状況は待ってくれない。飛鳥の背後にラッテンが姿を現した。一同の数が減っていることに目を丸くする。
「……あらら? 貴女たちだけ? お仲間は?」
「私たちに任せて先に逃げたわ。貴女程度の三流悪魔、私たちだけで十分ですって」
焦りの心境を隠し、飛鳥は胸を張ってラッテンに対峙する。しかしラッテンはその心中を見抜き、飛鳥が仲間たちのために一人残り、コダマが逃げようとしなかったことを察する。
「ふぅん……それは半分嘘ね。貴女の瞳は背負わされた人間の瞳じゃない。自ら背負った人間の瞳よ──」
そのようないい人材は凄く好みだと、ケラケラと笑う。その隙に飛鳥は敵の装備を把握し、笛以外の武器を持っていないことを確認した。
──〝
同じ条件なら己の支配が勝るだろうと飛鳥は推測し、緊張をほぐすように深呼吸して吐息を整える。ラッテンは油断しており、先手必勝の絶好の機会だった。手の中にギフトカードを持ち、飛鳥は大きく叫ぶ。
「全員──
突然の大声に、唖然となるラッテン。しかしその直後、火蜥蜴諸共ラッテンまで拘束する。その千載一遇の機会を逃さず、飛鳥は破邪の銀の剣をギフトカードから取り出した。そのまま一足飛びで敵の懐に潜り込み、心臓を狙う一突きを繰り出して──
「──っ! この、甘いわ小娘!!」
圧倒的な後手を取ったラッテンは紙一重の所で拘束を解き、その切っ先をギリギリで避ける。攻撃を繰り出した姿勢のまま飛鳥は踏鞴を踏み、そのままラッテンの反撃を──
『ボクを忘れるな~っ!!』
「──ぶっ!?」
風を纏い、錐揉みで突っ込むコダマが、ラッテンの顔面に直撃した。
「こ、この精霊風情が……!」
『うわっ! 離せよ~!』
しかしコダマの攻撃は致命傷にならず、逆上したラッテンにその身を掴まれる。逃げ出そうとビチビチと魚のようにもがくが、悪魔としての格が違う。逃げ出すことは叶わない。
「コダマ君を離しなさ──きゃっ!」
慌てて体勢を整えた飛鳥が再び切っ先をラッテンに向けるが、容易くそれは振り払われ、飛鳥は地面に弾き飛ばされた。青筋を浮かばせたラッテンは、己の手の中のコダマに低い声を掛ける。
「ったく、よくも私の顔に突っ込んできてくれたわねぇ! これはお礼をしなくちゃいけないかしらぁ……?」
『うわああああぁぁぁぁ! いたいいたいいたい……!』
ラッテンはコダマの身体の中心を両手で握ると、布を引き絞るように力を込める。コダマが激痛に身を捩らせて暴れるが、その体からみちみちと絶望的な音が響く。
「ケホッ……! や、止めなさい……!」
胸を打った飛鳥は声をうまく出すことができず、ギフトを使えない。使えたとしても、ラッテンからコダマを取り戻すことは叶わない。十六夜や耀とは違い、その身はただの人間──何の力もない、少女のものなのだから。
「ほらほら、遠慮しなくていいのよ? 思う存分叫びなさいな!」
『ああああああああああぁぁぁぁぁぁっ……!!』
「──
飛鳥が無理やり吐いた渾身の言霊に、ラッテンは一瞬だけ動きを止める、が──
「──止めなぁい♪」
そう朗らかに笑うと──コダマの身体を、ぶちりと思い切り引き千切った。
『──あ、』
投げ捨てられたコダマの上半身が、飛鳥の目の前にべちゃりと叩きつけられる。断面からは血のような赤い靄を撒き散らし、しかしブルブルと震えながらコダマは飛鳥に声を掛ける。
『──お、ねい……ちゃん……逃げ、』
ぐちゃ、とラッテンのヒールがコダマの頭を踏み潰した。コダマは死体も残らず、赤い靄に姿を変え、そして消えて行った。
「──そん、な」
飛鳥の思考が真っ白になる。短い間だったとはいえ、目の前で心通わせた存在が死に絶えたことに動揺する。その様をラッテンは盛大に嘲笑した。
「あっははははははははっ! 弱い癖に出しゃばるからこうなるのよ! そして貴女……出会い頭に悪魔を拘束しようなんて、いい度胸してるじゃない……!」
屈辱に表情を歪ませたラッテンが、飛鳥の元へゆっくりと歩み寄る。飛鳥はコダマが消えた場所から目が離せぬまま、動こうとしない。
己の領分を弁えず、あろうことか仲間を死なせた少女は、そして──