〝ノーネーム〟と〝ウィル・オ・ウィスプ〟の両プレイヤーは未知の世界で対峙していた。
そこは、上下左右を全て巨大な樹の根で囲まれた大空洞だった。ゲームを始める前に白夜叉がとある観客の旗印を拝見し、それからこの世界へ呼び込まれたのだ。ピクシーは興味深そうに周囲を見渡す。
『へえ、なかなか面白そうなところじゃない。さっきのやりとりからすると、たった今用意したゲーム盤ってところかしら?』
妖精の
だが、それはゲームの内容とはあまり関係がない。臨戦態勢に入ったアーシャとカボチャのお化け──ジャック・オー・ランタンとは対照的に、二人は呑気に審判の言葉を待つ。
やがて両者の間の空間に亀裂が入り、そこから黒ウサギが姿を現した。その手にはホストマスターによって作成された輝く〝
ギフトゲーム名は〝アンダーウッドの迷路〟。勝利条件は迷路を抜ける、相手のギフトを破壊する、相手が勝利条件を満たせなくなった場合の何れかとなる。敗北条件は相手が勝利条件を満たす、または自分が勝利条件を満たせなくなった場合。
特に凝った内容のない、単純なルールと言えた。つまり、プレイヤーの自力が問われるということでもある。
「〝
黒ウサギは両者異論が無いことを確認すると、高々と宣誓する。
「──此処に、ゲームの開始を宣言します!」
それが開始のコールだった。両者は距離を取り、初手を探っている。能動的な勝利条件は迷路の攻略か相手の打倒の二つであり、相手の出方がわからないために方針を決めかねていた。
その様子を見てピクシーは耀の背後に回り、宙で寝転がって頬杖を付く。
『それじゃ、まずは頑張ってみなさいな。あたしは後ろで応援してるから』
その上から目線に耀はピクシーをじとりと睨み付け、アーシャはそんな二人の様子をみて小馬鹿にした笑いを浮かべる。
「ちょっとちょっと、どういうつもり? このアーシャ様を前にして仲間割れとは呑気なもんだよなあ?」
「YAHO、YAHO、YAFUFUuu~!」
ゲーム開始前のお返しなのか、わざとらしく嘲笑する二人。しかし耀は全く気にせず、ピクシーは余所見しながら欠伸をしていた。その様子を見てピクピクと青筋を立てるが、精神的に上位に立とうとなんとか踏み留まり、アーシャは余裕たっぷりに両手を広げる。
「ま、まあ先手は譲ってやるよ。名無し相手に初っ端から本気になるのもダサいし? ハンデってやつ?」
そう言って、引き攣りながらも余裕に笑みを見せた。
耀は無表情に暫し考えると、一つだけ尋ねる。
「貴女は……〝ウィル・オ・ウィスプ〟のリーダー?」
「え? そう見えちゃう? なら嬉しいんだけどなあ──」
一転して機嫌が良くなるアーシャ。リーダーに間違われたのが嬉しかったのか、その愛らしい表情を緩ませている。
「──けど残念なことにアーシャ様は、」
「──そう」
しかし耀はそれを華麗にスルーし、背後の通路に疾走していった。自分から投げかけておいて話をぶった切った耀の後ろ姿を呆然と見つめるアーシャ。しかしすぐに我に返り、全身を戦慄かせて怒号を上げる。
「……オゥゥゥウウケェェェェイ! とことん馬鹿にしてくれるってことかよ! それなら名無し相手だろうが加減なんざしねえ! 行くぞジャック!」
「YAHOHOHOhoho~!!」
怒髪天を衝くが如く髪を逆立たせ、猛追するアーシャ。その後をジャックが滑るように追従する。アーシャを何より苛立たせたのは、去り際にピクシーが笑いを堪えながら全力で馬鹿にした視線を送って来ていたことだった。
耀はギフトを駆使して根の隙間をすいすいと登っていく。ピクシーはそのやや後ろを飛んでいる。アーシャはその背中へ向かって叫んだ。
「こんな狭い通路を先行なんてされたら──」
そう言ってアーシャが左手を翳し、ジャックは右手のランタンを掲げる。
「──後ろから狙い撃つしかないよなぁ! 焼き払えジャック!」
ランタンとカボチャ頭から放たれた悪魔の業火は、瞬く間に耀を襲い──
「な……見もせずに避けた!?」
しかしその軌道は逸れて、耀のすぐ横を焼き払った。アーシャは今の現象が突如発生した風によるもの──恐らくは相手のギフトだと判断する。最小限の風を発生させて、炎を誘導したのだ。苛ついたように舌打ちする。
対して耀は、相手の攻撃──ジャック・オー・ランタンの秘密に気が付きつつあった。試合前に教えられた〝Will o' wisp〟と〝Jack o' lantern〟の伝承の知識を元に、推測を重ねる。
「ちょろちょろと避けやがってこのっ! 三発同時に撃ち込むぞジャック!」
「YAッFUUUUUUUuuuuuuuu!!」
再びアーシャが左手を翳し、ジャックが右手のランタンで三本の業火を放つも、今度は風すら起こさずにそれらを全て避けて見せた。
「なっ……!?」
アーシャは絶句し、ついに耀は業火の正体を確信する。
アーシャが手を翳すのは可燃性のガスや燐を撒き散らすためであり、ジャックのランタンは着火のために必要だったのである。本来それらは無味無臭だが、獣の嗅覚を持つ耀はそれを感知できる上、
『ふーん、なんだか面白い火の出し方するわねえ。ま、残念ながらヨウのギフトとは相性が悪かったみたいだけど』
ピクシーはそれを上空から眺めながら、くすくすと笑う。当然彼女は最初からその仕組みを見破ってはいた。耀との約束があるので告げはしなかったが。
『このまま行けば、あたしの出番無く終わりそうね。よくできました──と言いたいところだけれど』
相手の手を見破り、勝利を確信しながら出口へ急ぐ耀を見て、ピクシーは生温い目でニヤリと笑う。
『──詰めが甘いわねえ、ヨウ。相手は格上のコミュニティだって言われてなかったっけ?』
*
「──嘘」
「嘘じゃありません。貴女はここでゲームオーバーです」
攻撃の種を見破られたアーシャは、口惜しそうにジャックに交代すると、カボチャのお化けはその正体を現した。耀に一瞬で近付き、殴り飛ばす。樹の根に叩きつけられた耀は意識が飛びそうになるほどの衝撃を受け、嘔吐感に咳き込んだ。
「悪いね、ジャックさん。本当は私の力で優勝したかったんだけど……」
「原因は貴女の油断と怠慢ですよ。猛省しなさい──」
了解しました、と素直に返事をするアーシャを見て、己がミスリードに引っかかったことに耀は気が付いた。アーシャがジャックを創り、従えていたのではなく、彼女もまた耀と同じく、己の力を試すべく先達に道を譲ってもらっていたのである。
アーシャは耀を一瞥もせずに走り去る。慌てて手を伸ばした耀を遮るようにジャックは篝火を零し、先程とは比べ物にならない熱量と密度の炎で行く手を阻む。
「……貴方は、」
「ええ、貴女のご想像通り……私はアーシャの作ではなく、貴女が警戒していた〝生と死の境界に顕現せし大悪魔〟──ウィラ=ザ=イグニファトゥス制作のギフト・〝ジャック・オー・ランタン〟でございます♪」
ヤホホ! と笑うも、その瞳に灯る炎とその身から発せられる威圧感は先程とは一転し、一部の隙も無い。明確な意志と魂が、このカボチャ頭には宿っていた。
そうしてジャックは、外界では人間に理解できるよう悪魔の炎を科学現象として発信していたことを明かす。そうすることで、篝火を灯すことで死体が埋まっていると気付かせることができる。遺棄された死体の哀れな魂を救うことができる。
また、アーシャが天然ガスや燐を放出していたのは、地縛霊だった彼女が地精として立派に力をつけ始めている証拠であるという。
「──だからこそ、あの炎をただの科学現象と誤解されるのは、侮辱にも等しいのでございます」
業火の炎は燃え盛り、樹の根の空洞は炎上していく。耀は、箱庭で対峙したどんな敵よりも強大な威圧感を持つ炎の瞳を見て、徐々に理解していく。
「いざ来たれ、己が系統樹を持つ少女よ! 聖人ペテロに烙印を押されし不死の怪物、ジャック・オー・ランタンがお相手しましょう!」
──勝てない。
耀では、この不死の怪物を超えることはできない。己のギフトは見破られ、切り札は全て切ってしまっている。シンとの短い付き合いで、〝悪魔〟の恐ろしさの一端でも理解していたと思っていたが、それは勘違いだったらしい。
だが、それでも──
「貴方は私より遥かに強い。それは分かった」
耀は真っ直ぐな瞳でその炎を見据え、言葉を紡ぐ。
「──けど、きっとシンよりは強くない。だから私は……まだ諦めない!」
ゆっくりと、立ち上がる。吐き気は収まっている。背中が痛いが体はまだ動く。ギフトは健在。それにアーシャはまだ迷路を抜けていない。それなら、何を諦める必要がある?
「……過小評価を詫びましょう。貴女はここで諦めると思っておりました」
ジャックは礼儀正しく一礼する。それを見て耀は小さく笑った。
「きっと、一人だったらもう諦めてたと思う。でも私は、春日部耀という個人でここにいるわけじゃない。今の私は〝ノーネーム〟の春日部耀なんだ。だからそう簡単に諦めちゃいけない」
そう言って、耀は頭上を見上げる。
「──そうだよね? ピクシー」
『──ま、及第点って所ね』
ピクシーは偉そうに腕を組み、ゆっくりと降りてきた。その顔には満足そうな笑みが浮かんでいる。ジャックは、今まで手出ししてこなかったピクシーがわざわざ降りてきたことに警戒した。
「いよいよ貴女の出番というわけですか、妖精のお嬢さん?」
『あら、出番は無かったけど、役目は果たしてたわよ?』
「──なんですと?」
その疑問に当然答える気がないピクシーは、耀の頭にもたれ掛かって問い掛ける。
『で、何か用かしら』
「力を貸して欲しい」
『手出しはして欲しくないんじゃなかったっけ?』
「ごめんなさい、私一人じゃ勝てない」
『素直でよろしい! 個人的には、もうちょっとワガママ言う子が好みだけどね』
そう言ってくすくすと笑うと、耀の頭を離れてその側で宙に浮かぶ。臨戦体制に入ったと見たジャックは、ランタンを構えた。
炎は依然として周囲を取り囲み、耀の脱出を許さない。このままでは蒸し焼きにされるのは必然だろう。だがピクシーは涼しい顔で余裕を崩さない。
「それで、私は何をすればいい?」
『あいつに向かって──真っ直ぐ走りなさい』
そう言って、ジャックを指差すピクシー。ジャックは訝しみ、その真意を探ろうとする。意味不明な指示に、しかし耀は疑いなく頷く。
「それだけ?」
『勿論それだけじゃないわ──迷いなさい』
またも意味不明な指示である。だが、もう耀はピクシーが何を考えているのか、何をしたいのか理解した。口角をあげて、クラウチングスタートの体勢に入る。それ見て、焦るように口を挟むジャック。
「どういうつもりなのかは分かりませんが……この炎は悪魔の業火。そう易々と抜けられるものではありませんし、当然そう簡単に解除は致しませんよ。無論、この私を砕くことなど不可能です」
しかし耀はもう聞いていなかった。ジャックが言い終わるのを待つことなく地を蹴り、ジャックに向かって走っていく。攻撃でもなく、防御でもなく、ただただ速く走るためのフォームで疾走する。
「──愚かな!」
ジャックが篝火を振るえば、耀は簡単に消し炭になるだろう。ジャックが避けても同様である。周囲の炎に突っ込み、骨すら残さず焼き尽くされる。もし耀が死ねば、殺害がご法度のこのゲームで総スカンを食らうのは必至である。
よって、ジャックは耀を受け止めざるを得なかった。あるいはそれが狙いかと、思考の一端に載せたまま走り寄る耀を捕まえようとし──本当に愚かだったのは己なのだと悟る。
──耀は姿を消していた。
ジャックは慌てて周囲を見渡す。当然、人一人隠れられるような場所は無い。周囲は炎に囲まれ、密室だったはず。地に潜った様子も、宙に飛び上がった気配も無い。正に消えたとしか言いようがない。
──系統樹にそのようなギフトが? いえ、恐らくこれはあの妖精によるもの。消えたと見せかけて、気配を消したのみで様子を伺っている? しかし先程の迷え、とは……。
「……ッ!? しまった!」
ジャックは慌てて炎を操作し、周囲の業火を全て消し去った。樹々は焦げるどころかあまりの高熱に灰と化し、煙すら出ていない。辺りに人影はなく、静寂がその場を支配する。
その時背後で動く気配がし、ジャックは振り返る。そこにいたのは──
「……あ、あれ? ジャックさんがなんでここにいるんだ?」
──目をパチクリと瞬かせた、アーシャだった。
先行し、迷路を抜けるために前方へ走り去ったはずのアーシャが、背後から現れたのだった。