『
コダマがそう言いながら手を振るう。すると強風が発生して、飛鳥の前に屯していたネズミたちが風によって切り刻まれ、吹き飛んで行く。その隙を逃さず、飛鳥は包囲網の空いた箇所から脱出した。
「ありがとう! えっと、コダマ君でいいのかしら?」
『好きに呼んでよ~』
慌てて追いかけるネズミの群れから逃げつつ、飛鳥はコダマに礼を言った。得体の知れない存在だが、自分を助けてくれたのは事実であるし、探しに来たとも言っていた。ひゅるひゅると風を纏いながら飛んでくるコダマに、半ば確信を持って問い掛ける。
「探しに来た、って言っていたけれど……貴方は間薙君のギフトで呼ばれたのよね?」
『そうだよ~! シンおにいちゃんに頼まれて、ヴァンパイアのおねえちゃんと一緒にアスカおねえちゃんを探してたんだ!』
それを聞いて、合点がいったように頷く飛鳥。恐らく精霊を追って行ってしまった自分を探すために、協力してくれているのだ。この場に居ないシンに飛鳥は感謝する。
「そうだったの……お陰で助かったわ」
『いいよ~。それよりボクについてきなよ! 出口まで案内してあげる!』
コダマはそう言うと、速度を上げて飛鳥に先行する。しかしその途中、我先に逃げようとする衆人が犇めき合い、悲鳴と混乱の中行く手を阻んだ。
「全くこんな時に……! さっさと
飛鳥が一喝すると衆人の混乱は一瞬にして鎮まり、一糸乱れぬ動きで出口へ爆走して行く。その様子を見て、コダマはうわーっ、と声を上げてはしゃぐ。
『すごいすご~い! おねえちゃん、とってもすごいことができるんだね!』
「不本意ながらね……それに、あのネズミたちには効かなかったわ」
飛鳥は己のギフトが正しく発揮していることに安堵する。そして、それがネズミに通用しなかったことに訝しんだ。そこへコダマが己の推測を告げる。
『おねえちゃんのコトダマはとってもすごいけど……多分、あいつらはもう別のだれかに操られているんだよ』
「それって……!?」
飛鳥を超える、支配のギフトを持つ者が背後にいるということであった。他者を支配する能力で負けるという、考えもしていなかった事態に若干のショックを受ける飛鳥。そして、背後で蠢く影はそれを見逃さない。
『──おねえちゃん!』
コダマの声で、咄嗟に踏み留まる。前方からもネズミたちが現れ、飛鳥は完全に包囲されてしまった。何千何万という小動物の群れが床と壁を埋め尽くし、蠢きながら怨讐の言葉を吐き続けている。
『どうしよう! こんなにいたんじゃ、ちょっとやそっと吹き飛ばしてもムダだよ~!』
焦るように、コダマは宙をくるくると回る。飛鳥は己の油断が状況の悪化を招いたことに、悔いるように拳を握る。飛鳥は剣を振り回し、コダマが風で切り裂くも包囲網はどんどんと狭まって行く。
『ボクがもっと強い悪魔だったら、まとめて吹き飛ばせたのに~!』
己の力不足に悲鳴を上げるコダマ。しかし飛鳥はそれを聞き、ある手段を思い付く。
「──それよ!」
『……へ?』
飛鳥は手を差し伸べ、困惑するコダマに慌てて説明する。
「私の言葉で、貴方を一時的に強くできるかも……! 少し消耗するかもしれないけど……」
『──なるほど~! 早速やってよおねえちゃん!』
そう言うと、飛鳥が差し伸べた手に体育座りでしゃがみ込むコダマ。飛鳥は彼の背にもう片手を添え、力を込めて──言霊を放つ。
「
『みなぎってきた~!
コダマは勢いよく飛び上がり、飛鳥の頭上でごうごうと高速回転を始める。すると周囲を豪風が渦巻き、無数のネズミたちを巻き込み、切り刻んで行く。飛鳥は髪やドレスの裾を押さえながらも、その威力に目を見張った。
「これなら今のうちに──きゃっ!?」
『ご、ごめんね~。ちょっと疲れちゃった……』
力を使い果たしたコダマが落ちてきて、飛鳥の頭にぺとりと張り付いた。飛鳥は慌ててコダマを抱きかかえると、出口に向かって走り出す。
「本当にありがとう……! 後で必ずお礼をするわ!」
コダマのお陰で道が開ける。飛鳥は走っている見覚えのある通路の先に、街中の風景を見つけた。出口である。だが、
「本当に……しつこいわねっ……!」
ネズミたちは諦めておらず、数に物を言わせて追い縋る。飛鳥は歯を食いしばり必死で駆けるが、疲労で足が縺れかかっている。出口は目前、しかし小さな歯が飛鳥の足を狙い──
「──鼠風情が、我が同胞に牙を突き立てようとは何事だ!?」
前方に現れた女性──その足元から影が這い寄り、無尽の刃が迸る。先程の豪風を超える黒の竜巻が細い洞穴をミキサーのように駆け巡り、魔性の群れを悉く粉微塵にして呑み込んでいく。
飛鳥は展示会を脱出し、女性の姿を見ると驚く。その人物は、温厚なメイドの少女からレザージャケットを着込んだ妖艶な女性へ姿を変えたレティシアだったのだ。彼女は飛鳥の無事を確認すると、洞穴に向かい牙を獰猛に剥いて叫ぶ。
「術者は何処にいるッ!? 姿を見せろッ!」
激昂したレティシアの一喝が響くも、返事もなければ気配もない。無数のネズミたちは恐れをなしたのか退散し、洞穴内を静寂が満たす。術者は最初から最後まで姿を見せず、逃げ去っていた。
「逃げられたか……それより飛鳥、怪我は無いか?」
「え、ええ……この子が頑張ってくれたから……」
見慣れぬレティシアの姿に動揺しながらも、抱きしめていたコダマを見せる。レティシアはそうか、と表情を緩めて安堵した。
『あらあら、どうしちゃったのよ。そんなにへばっちゃって』
辺りに聞き慣れぬ少女の声が響く。レティシアはそれを聞くと苦笑し、声の主を窘めた。
「飛鳥を守るために力を振り絞ったのだろう。そういう言い方をするものではないぞ」
『いいけどね。でも、あたしらは最初から捜索専用だってシンも言ってたでしょ。弱っちいんだから、無理したら死んじゃうわよ?』
そう言いながら、空から小さな少女が降りてきた。その少女は全身の肌が赤く、オールバックにした黒髪のショートの両側面に、金髪のお下げがぶら下がっている。大陸の民族服に似た超ミニの衣装を身に付け、背には蝶のような薄い羽根がはためいていた。
その奇妙な、かつ可憐な存在に、飛鳥は呆然と呟く。
「……妖精?」
『あら惜しい。アタシは地霊カハク。アンタの捜索に駆り出された、もう一体ってわけよ』
そう言って笑い、宙で寝そべるような仕草をした。飛鳥はそうだったの、ありがとう、と礼を言う。その直後、彼女の胸元がもごもごと動き──
「あすかっ!」
とんがり帽子の精霊が飛び出して、飛鳥の首筋に抱きついた。泣き顔で何度も歓喜の声を上げ、彼女なりに感謝の意を表していた。その様子を見て、レティシアは呆れながらも微笑する。
「やれやれ、すっかり懐かれたな。日も暮れて危ないし、今日の所は連れて帰ろう」
「……そうね」
飛鳥は疲れ切ったようにため息をついた。これ以上の襲撃があるとも限らない。二人と一匹の精霊と二匹の悪魔は朱色のランプが照らす街を進み、〝サウザンドアイズ〟旧支店へ戻ったのだった。
*
境界壁の展望台・〝サウザンドアイズ〟旧支店──その湯殿。
露天風呂のように覗ける空を眺めながら、飛鳥は湯に浸かり、その気持ち良さにため息を漏らす。
「ふぅ……」
コダマのお陰で被害はそれほどでは無かったが、それでも若干の生傷やネズミの返り血が付着していたため、割烹着の店員に強制的に湯殿に連れて行かれたのだ。確かに野生のネズミは無数の感染症を持ち、その牙による傷や返り血は危険なレベルで汚染されていたのだろう。
しかし湯に浸かる前に浴びた掛け湯で傷は癒えてしまい、今頃は返り血で濡れた衣装も十分に洗浄され、殺菌消毒されている頃だろう。今はただ、今日の疲れを癒すために肩まで湯に浸かり、ゆっくりと体を休ませる。
宙を見上げながら、飛鳥はぼんやりと今日のことを思い返す。
初めて見る北側の文化に心躍らせたこと。自ら動き回るキャンドルランプやランタン。初めて食べたクレープの味。とんがり帽子の精霊との出会い。巧緻な細工が多く出展された展覧会。威圧感さえ覚える無数の刀剣類と、謎の展示物。そして──
「疎ましいものだと思っていたけれど──意外に自信があったのね」
ネズミたちに支配のギフトが通用しなかったことが、飛鳥の心に意外な衝撃を齎していた。コダマの言うとおり、相手の支配の力の方が上手だったのだろう。相手の霊格によって抵抗されることはあるが、相手はただのネズミだったのだから。
──選択、誤ったかしら。
飛鳥は深く湯に沈み、自問する。今目指している方向性は〝ギフトを支配するギフト〟であるが、〝ノーネーム〟の工房に眠る高位ギフト相手では思うようにいかず、支配できたのは銀の剣と水樹のみ。飛鳥の才能はいまだ原石段階にあるのだから仕方が無いことなのだろう。着実に成長して行けば、何れ望みはある。
だが、そんな呑気なことを言っていていいのだろうか。〝ノーネーム〟はコミュニティの方針として〝打倒魔王〟を掲げており、この先ギフトゲームが激化して行くのは明白である。飛鳥以外は皆、既に単独で相当な戦闘能力を誇り、十六夜とシンは元・魔王すら子供扱いする始末。このままでは戦力的に置いていかれるかもしれない。
今ならまだ、修正は利く。人心を操る方向に強く育ったこの力を伸ばせば、様々な種を支配下に置く魔性のギフトとして開花するだろう。そうすれば、彼女は心身を操る魔女として大成する可能性が残されている。
「……だけどそんなの、私は望んでない──」
知らずのうちに育ててきた力でも、同じ土俵で負けて悔しくても、飛鳥はその未来を是としなかった。人の心を歪めてまで得られるものに何の価値があるだろうか。そんなプライドの高い飛鳥だからこそ、歪むことなく真っ直ぐに成長してこられたのである。
一方の道は己のプライドが許さず、もう一方の道はまだまだ時間がかかる。悩む飛鳥は長いため息をつき、空を見上げる。
『うわ~! おっきいお風呂~!』
その瞬間、少年のような声が響いた。
「……えっ?」
振り向くと、小さな三つの影が宙に浮かんでいる。二体はコダマとカハクである。コダマは元から服を着ていないのでそのままだが、カハクは人民服を脱ぎ、人間には小さく、小人には大きめな手拭いで体を覆っていた。もう一体は見覚えのない存在である。こちらの方は見た目通り妖精のようで、カハクと同じくらいのサイズの可憐な少女だった。同じく手拭いを体に巻いている。
『やっほー、アスカ。アタシたちも入りに来たわよ!』
『あら、あなたとはまだちゃんと顔を合わせていなかったわね。私は妖精ピクシー。今後ともよろしくね?』
ピクシーは飛鳥とは初対面であることに気が付き、自己紹介をする。また悪魔が増えた、と目をパチクリ瞬かせると、おずおずと返事をする。
「よ、よろしく……」
悪魔である彼女たちも入ってくるとは思わなかったのか、飛鳥はやや驚いていた。しかし別に問題ないだろうと落ち着きを取り戻す。コダマは女湯に入っていいのか微妙だったが、声や性格から察するに幼い少年のようだし、そもそも性別があるのかどうか疑わしい。飛鳥は気にしないことにした。
『わ~い! おねえちゃ~ん!』
「きゃっ!」
はしゃいだコダマが湯船に飛び込み、跳ねたお湯が飛鳥の顔にかかった。その姿を見て悪魔の少女たちはけらけらと笑い、自分たちも、と二人して我先に飛び込む。
『きゃっほーっ!』
『いえーい!』
「わぷっ! ちょ、ちょっと、やめなさい!」
どぽん、どぽん、と立て続けに二回お湯を浴び、流石に飛鳥も注意する。浮かんできた三体の悪魔は大笑いし、お湯を掛け合って遊び始めた。
「もう、貴方達! お風呂は静かに──」
「──飛鳥さん! お怪我の程は大丈夫でございますか!?」
「待て待て待て黒ウサギ! 家主より先に入浴とはどういう了見だいやっほおおおおお!」
きゃー、ばしゃん、ずごん!
「…………」
飛鳥は頭痛を抑えるように頭を抱える。
悪魔たちは湯船の底に頭が突き刺さった黒ウサギを見て、大爆笑していたのだった。