東と北の境界壁。4000000外門・3999999外門、〝サウザンドアイズ〟旧支店。そこから一同が出ると、熱い風が頬を撫でた。
いつの間にか高台に土地を移していた支店からは、街の一帯が展望できる。だが眼下に広がる街は、彼らの良く知る街ではなかった。
「赤壁と炎と……ガラスの街……!?」
飛鳥は大きく息を呑み、感嘆の声を上げる。その視線の先にあるのは、東と北を区切る天を衝くかというほどの巨大な赤壁──境界壁。そこから掘り出された鉱石で彫像されたモニュメントや、そこから削り出すように建築されたアーチに、外壁に聳える二つの外門が一体となった巨大な凱旋門。
そして、遠目からでもわかるほどに色彩鮮やかなカットガラスで飾られた歩廊に、飛鳥は瞳を輝かせる。
昼間にも拘らず街全体が黄昏時のような色味に染まっており、朱色の暖かな光を発する無数のペンダントランプが、常秋の様相を演出していた。
更に白夜叉は、外門から一歩外に出ると真っ白な雪原が広がり、それを箱庭の都市の大結界と灯火で生活圏の熱を確保していると説明してくれた。
キャンドルスタンドが二足歩行で街中を闊歩している姿を見て、十六夜も喜びの声を上げる。
「へえ……! 東とは随分文化様式が違うんだな。厳しい環境があってこその発展か……ハハッ、東側より面白そうだ」
「……むっ? それは聞き捨てならんぞ小僧。東側にだっていいものは沢山ある──」
東側の2105380外門は〝世界の果て〟と向かい合っている関係上、都市の外で手に入る資源が少ない。その為、力の無い最下層のコミュニティでは発展に限度があるのである。白夜叉は拗ねたように、おんしらの住む辺りが特別寂れているだけだ、と口を尖らせる。
「今すぐ降りましょう! あのガラスの歩廊に行ってみたいわ!」
「ああ、構わんよ。続きは夜にでもしよう。暇があればこのギフトゲームにも参加していけ」
胸の高まりが収まらない様子の飛鳥に白夜叉は苦笑し、懐から一枚のチラシを取り出した。一同はチラシを覗き込む。
ギフトゲーム名は〝造物主達の決闘〟。参加資格は『創作系のギフトを所持』していることであり、サポートとして一名までの同伴を許可されている。決闘内容はその都度変化し、共通するルールとしては、ギフト保持者は創作系のギフト以外の使用を一部禁ず、とある。
「創作系のギフト──つまり、春日部のギフトみたいなやつか?」
「うむ。人造・霊造・神造・星造を問わず、製作者が存在するギフトのことだ──」
北では過酷な環境に耐え忍ぶ為に、恒久的に使用できる創作系のギフトが重宝されており、その技術や美術を競い合う為のゲームがしばしば行われているという。白夜叉は耀に視線を向けて説明を続ける。
「そこでおんしが父から譲り受けたギフト──〝
展示会に出せば相応の評価が与えられただろう。しかし生憎そちらの出展期限は過ぎていた。
「その木彫りに宿る〝恩恵〟ならば、力試しのゲームでも勝ち抜けると思うのだが……」
サポーター役としてジンも居る。本件とは別に祭りを盛り上げる為に一役買って欲しい、と白夜叉は提案する。だが耀はあまり気乗りしない様子だった。
ちなみにシンは、〝造物主〟が邪神デミウルゴスを指すのかと一瞬思ったが、どうにも違うようなので興味を無くしている。ただ、今シンが持っているギフトであれば参加資格を満たしていた。詳細を十六夜達に語っていないし、白夜叉にも知らせていないので話を振られてはいないし、参加するつもりも無かったが。
「──そういえばシン、黒ウサギは後どれくらいで来ると思う?」
考え込んでいた耀が、突如シンに質問する。話が見えず困惑する白夜叉だが、シンは頷き答える。
「一刻ほどの時間は稼げたと思うが」
「それなら、こっちに来る頃にはきっとカンカンだね」
「……むぅ? そういえば時間が無いとか言っておったが……」
首を捻る白夜叉に耀は苦笑し、やっぱり出場するよ、とだけ返答する。
「よく分からんが、詳しい話は店内で聞かせてもらおうか。出場の申し込みも済ませておきたいからの」
「分かった。それじゃあ、皆は先に街に行って──」
くるりと振り返ると、既に十六夜たちは降りて行く最中だった。どうやら待ちきれなかったらしい。耀に手を振りながら、全速力で街へ向かって行く。
「がんばってね春日部さん! 予選までには観戦しに向かうから!」
「春日部の分まで街を堪能しておくからな! ヤハハハハ!」
十六夜と飛鳥は歓喜の声を上げながら走り去った。そして呆然と佇む耀の側を、ゆっくりと歩き去って行くシン。くるりと顔だけ振り返ると、
「──用事を済ませておく。俺のことは気にするな」
それだけ告げて、街へ降りていった。
「…………」
「……まあ、何だ。別に今すぐでなくてもよいのだぞ? 少し街を散歩してからでも……」
「……ううん、今すぐエントリーするよ」
耀の瞳は燃え上がっている。それは怒りか、それとも悲しみか。しかしそのどちらでもなく、耀は高らかに勝利宣言をする。
「ゲームに参加さえしていれば、コミュニティのためにギフトが欲しかったという言い訳が立つ。黒ウサギに捕まった時、泣きを見るのは彼らの方……」
ふっふっふ、と昏い笑いを見せる耀に若干引きながら、白夜叉は彼女を店内に招いたのだった。
*
「──すごく綺麗な場所。私の故郷にはこんな場所は無かったわ」
十六夜と飛鳥が街に繰り出してから数時間後。二人は大きな翠色のガラスで作られた龍のモニュメントを観察していた。十六夜はモニュメントが本来隕石の衝突によって合成される、テクタイト結晶で出来ていることに驚き、飛鳥は十六夜のその博識ぶりに感心する。十六夜はそれを雑学程度だ、と謙遜するが、同世代の少年少女が持つには博識と言って差し支えない知識量だろう。
歩くキャンドルスタンドに目を奪われている十六夜に、飛鳥は言葉を掛ける。
「二足歩行のキャンドルスタンドに、浮かぶランタン……ならカボチャのお化けはいないのかしら? ハロなんとかっていうお祭りに出てくる妖怪なのだけれど、十六夜君は知ってる?」
博識な十六夜に期待したのだろうが、生憎十六夜の知識では一般人でも知っている常識的なことだった。十六夜は目を丸くして答える。
「おいおい、ハロウィンの〝ジャック・オー・ランタン〟の事か? 流石に箱入りが過ぎる──と、そうか。お嬢様は戦後間も無い時代から来たんだっけ?」
日本においてハロウィンが広く認知され始めたのは90年代、古くても80年代のことである。戦後すぐの時代から来た飛鳥の知識に差があるのは仕方が無いことなのである。
「そう……十六夜君の時代には、もうハロウィンは珍しい物ではないのね」
「まあな。もしかしたら間薙もそうかもしれないが」
「間薙君も?」
飛鳥は目を丸くする。そういえば、十六夜たちはシンの事を何も知らない。間薙シンという姓名と、魔王によって生み出された悪魔であること。その程度しかシンは話してくれていないのだ。
「アイツが着ている服を見ただろ? 合成繊維のパーカーにスニーカー。デザインから見ても、恐らく俺がいた時代とそう変わらないはずだ。……まあ、人間に化ける術とかで適当な時代の人間に変身しているだけなら、お手上げなんだけどな」
そう言って肩を竦める十六夜。案外魔界とかからやって来たのかもな、と冗談ぶって呟いた。それを聞いた飛鳥は指を口元に当てて首を傾げる。
「……そうね、悪魔というなら知り合いにジャック・オー・ランタンくらい、いないものかしら?」
「……やけに拘るな。そんなにハロウィンが好きなのか?」
苦笑しながら十六夜が問いかけると、飛鳥は遠い目をしながら自嘲する。
「──どうかしら。私は生まれと力のせいで、寮制の学校に閉じ込められていたから……そう言った催しを小耳に挟んだ時は、とても素敵だと思ったわ」
あの手紙が来なかったら、帰省に乗じて出て行くつもりだったのだ、と飛鳥は呟く。
「〝
そうして、自分も仮装をして大人たちに苦笑いされながらお菓子を貰いたかった、と憧れるように言った。大きなカボチャを被るのはもちろん、魔女の衣装も似合うだろう、とくるりとスカートを靡かせて笑う。それは普段の落ち着いた彼女よりもずっと少女らしい笑みだった。
「私……箱庭に来て本当に良かったわ。こんなに素敵な場所に来ることが出来たんだもの──」
ハロウィンは経験することができなかったけれど、実家で飼い殺しにされる人生より余程明日に期待を持てる──瞳を輝かせ、そう言った。くるりくるりと歩廊の真ん中でターンを交えつつ廻る飛鳥を、十六夜は静かに見つめていた。
「……なあ、お嬢様。ハロウィンは元々収穫祭だってことは知ってるか?」
唐突に、十六夜は飛鳥に問いかける。え? とキョトンとする飛鳥だが、十六夜は素知らぬ顔で続ける。
「ついでに言うとだ、〝ノーネーム〟の裏手には莫大な農園跡地があってだな──」
「え、ええ。そうね。それは知ってるわ」
それなら話が早い、と言う十六夜の意図が分からず、困ったように首を傾げる飛鳥。そこへ十六夜はニヤリを笑い、己の考えを告げる。
「農園を復活させて──いつか、
ハロウィン、したいんだろ? そう十六夜は笑いかける。飛鳥はその提案に目を丸くし、じわじわとその意味を理解し始める。
「私たちのコミュニティで……ハロウィンのギフトゲームを主催する、ということ?」
「ああ、土地を復活させればコミュニティも大助かり。箱庭で過ごす以上、俺たちも
その言葉にパァッ、と瞳を輝かせた飛鳥は、両手を合わせて感嘆の声を上げる。
「素晴らしい提案だわ! とても楽しそう!」
「だろ? じゃあ俺たちが最初に〝主催者〟をするギフトゲームはハロウィンで予約しておこうぜ。あと、どんなアレンジをするかも考えておかないと──」
──どくん、と。彼らは臓腑を掴まれるような感覚を覚えた。
「なっ、こ、この気配は……!」
十六夜は飛鳥を背に庇い、辺り一体を警戒する。周囲は帯電し、静電気を帯びた十六夜たちの髪がふわり、と持ち上がる。バチバチと何処からか弾けるような音が響く。
そして、どこからともなくびちゃり、びちゃり、と湿った音が響いている。ぼたぼたと滑った何かが零れ落ちる音が断続的に聞こえ、それに合わせてフー、フー、と興奮したような息遣いが十六夜たちに近寄ってきていた。
更に彼らを襲うのは、まるでシンが本気を出した時のような、死の気配。
だが、彼らが慣れ親しんだある気配でもある──そう、
「──見イイイィィィツケタノデスヨオオオォォォ……!?」
──とてつもなく恐ろしいウサギの気配がする!
*
地区の端の方、人気が少なく治安の悪い路地裏に、少年が入り込んでいた。まだ日は沈んでおらず、北側の悪鬼羅刹はまだ活発化していない。そのため夜ほどの危険はないが、女子供が歩いていいような場所ではない。だが、少年は一切の頓着をせず歩を進めている。
やがて彼が辿り着いたのは、場末のバーだった。碌に掃除されていないのか辺りには無数のゴミや吐瀉物が散乱し、外壁にはあちこち卑猥な落書きがされている。真っ当な者なら視界に入れるのも疎む程の場所だった。
少年はそれらを無視して店内に入ろうとすると、中から厳つい巨漢が彼の前に立ちはだかった。顔は醜いがその肉体は筋骨隆々で、用心棒の類と見える。店に入ってこようとした一見か弱そうな少年を見て、男は鼻で笑う。
「何だァ? ボウズ、子供がこんな所に入って来ちゃいけねェよ!」
言葉こそ追い返そうとしているが、男はその拳をボキボキと鳴らしながら、決して逃がさないとばかりにニタニタと笑った。男はその見た目の通り人外であり、境界壁付近では珍しい食人の気がある鬼種だった。
少年の体のどこにも所属コミュニティを表す旗印が見えないことに、男は心底嬉しそうに、にちゃりと笑みを浮かべる。身分を証明することができない者は、この界隈では何をされても文句を言えないのだ。
男もまた、その愚鈍さと残虐さでコミュニティを追われた者だが、その腕っ節を生かしてこのような場所で金銭を得ている。そして時折、祭典の観光客が迷い込んだ所を攫って売り飛ばしたり、女子供を襲って監禁し、じっくり楽しんだ挙句に腹を満たす。分かりやすい下衆だった。
少年は男を見ていない。男はこりゃやりやすいとばかりに手を伸ばす。少年の体は年相応にそれなりの体格だが、男からすれば小人のようなものだった。頭を鷲掴みにして二・三回殴りつければ従順になるだろう。いつものように、そんな愚かで単純な思考で少年に襲いかかり──
「──失せろ」
ふ、と少年が睨みつけて来て──その紅い瞳に背筋が凍りつく。臓腑が鷲掴みにされ冷え込んで行き、全身の神経が氷を突っ込まれたかのように凍えていく。そしてとうとう心臓まで冷たくなって行き、やがてその鼓動は永久に停止した。
どさり、と男が倒れるのを無視して、少年──シンは店内に歩を進めた。
薄暗い店内はかろうじて掃除されているが、やはり汚らしい事に変わりは無かった。客層もまともではなく、見窄らしい格好で酒瓶を呷る客や、派手な服を着て煙草を喫みながら、下品な衣装の女を侍らせている客もいる。
店の用心棒がピクリとも動かないのを見て、屯していた客たちはむしろ笑っていた。子供に睨まれてビビってやがるとか、間抜けな顔で固まっているとか、男が死んでいることにまるで気が付いていない。だが僅かながら、少年の得体の知れなさに気が付いた者は身を潜めたり、慌てて店外に逃げて行った。
少年はまっすぐカウンターに向かって行き、ある男の隣に座る。そして男には視線を向けず、ひたすら男の言葉を待った。
男はこの場に似合わないような金髪の美男だった。一目で高級と分かるスーツを自然に着こなし、その長い髪をオールバックにした髪型は華麗に決まっている。そしてその眉目秀麗な顔立ちには、柔和なアルカイックスマイルが浮かんでいた。
「──待ち詫びたよ。少し遠い場所を指定してしまったかな?」
「…………」
まるで天使のように美しい声色だ。常人ならば聞き惚れてしまい、まるで会話にならないだろう。しかし男が話しかけた相手──シンは常人ではなく、そして男もまた見た目通りの存在ではない。
「……本題に移れ」
「おやおや、つれないね……折角お気に入りのバーを紹介してあげたというのに」
くすくす、とこの些細な会話すら楽しむように笑う。だがシンはそれには取り合わず、睨みつけることのみで答えた。
「怖い怖い、案外この街の観光を楽しみにしていたのかな?」
男は手元のカクテルグラスをくい、と傾けると薄く笑い、シンを横目で見つめた。
「それじゃあ、話をしよう。今私たちが何を計画しているか、をね──」
その会合は誰にも気付かれることはなかった。店主も客も、彼らの話には興味が無く、聞こえても理解できなかったから──ではない。
数刻後、この店は中にいた人々諸共、この世から消滅するからだった。