「で、呼び出されたは良いけどなんで誰もいねえんだよ」
無愛想なシンのことはさておき、十六夜が苛立たしげに言う。四人の周囲には瑞々しい自然が広がるばかりで、人影の一つも無かった。正確には物陰に黒ウサギが隠れており、その気配をすでに察知しているので、さっさと出てこないことに苛立っているのだが。
「この状況だと、招待状に書かれていた箱庭とかいうものの説明をする人間が現れるもんじゃねえのか?」
「そうね。なんの説明もないままでは動きようがないもの」
十六夜が誰かに聞かせるかのように吐き捨て、飛鳥がそれに乗っかるように言う。耀はこの状況に落ち着きすぎているのもどうかと呟くが、客観的に見れば全員完全に落ち着いている同類だった。
それを眺めていた黒ウサギは三者三様の罵詈雑言を述べる彼らの前に、ようやく現れようと動こうとする。
その中で一人、シンはどことも知れぬ方向へ歩き出そうとしていた。
「おい、どこへ行くんだよ?」
それに気がついた十六夜が呼び止めると、あっさりと歩を止める。こちらのことに無関心な割には素直な行動である。十六夜の声に飛鳥と耀の二人も気が付き、シンに視線を移す。シンは顔だけ振り向き、答える。
「……箱庭に呼ばれた、箱庭に着いた。後は箱庭を見定めるだけだ」
そう、必要最低限だけ述べた。その言葉に十六夜はへえ、と軽薄そうな笑顔を浮かべ、飛鳥は不思議そうに尋ねる。
「招待してくれた人が居るはずだけど、その人は待たないの?」
「現れないのなら自分で情報を集める。都市も近いことだしな」
それは、未知の場所に放り出されることに慣れているような態度だった。完全に自立したその姿勢は、同い年に見えていたその少年に対して三人の認識を改めさせる。十六夜はそれを聞いていよいよ己の掌に拳を打ち付けてぱちんと鳴らす。
「それもそうだな! 折角異世界に来たんだ。チュートリアル待ちってのは性に合わねえ。こういう時はやっぱ足で情報を集めねーと。良いこと言うじゃねーか間薙!」
そう言ってヤハハと笑う。一瞬呆気に取られた飛鳥と耀だったが、我に返ると顔を合わせて笑い、自分たちもと続く。
「そうね。この私としたことが、与えられるのをただ待っているだなんて悠長なことを言うべきでは無かったわ」
「先ずは動く。動いてから考える」
十六夜がシンとは反対方向に歩き出し、飛鳥と耀はシンに続く。
「俺はとりあえず世界の果てを見てくるか」
「私はまずあの都市で情報を集めるわ」
「お腹空いた」
問題児たちが三者三様の理由でそれぞれの目的地に向かおうとしている。一同は振り向き、同時に呼び出された同類たちに別れを告げる。
『縁が合ったらまた会おう!』
短い間だったが、少しだけ心通わせた問題児たちは各々の道を行くことになった。だが、悲しむ必要はない。いずれその道は合流することだろう。その時までの、暫しの別れ──
「ちょ、ちょっとお待ちを! 何最終回みたいに別れを告げて散開しているんですか! お望みの情報なら幾らでも説明して差し上げますから戻ってきてくださーい!」
──にはならなかった。
彼らに招待状を送り、この世界に呼び出しながらも出るタイミングを計れず物陰に隠れていた黒ウサギが、この事態に慌てて飛び出すのは当然なのであった。
*
「いいからとっと話せ」
その後、黒ウサギは問題児たちを引き止め、その長い耳を弄ばれ、小一時間も消費してしまったことにぶつくさ文句を言った挙句、原因の一端である問題児たちに急かされるという不遇な扱いを受けていた。シンを除いて彼らの服はまだぐっしょりと濡れているのだから、暖かい気候とはいえだんだん苛立ってきていたのだろう。岸辺に座り込む彼らのそれを鋭敏に察知した黒ウサギは、慌てて説明を始める。
「それではいいですか、皆様方。定例文で説明させていただきます!」
こほん、と一息付き、ポーズを決めて話し始めた。
黒ウサギが説明するには、この世界は通常の法の他に『ギフトゲーム』と呼ばれるなんでもありの公式遊戯があり、箱庭はそのために用意されたものだという。商店街で行われる小規模なものから修羅神仏が人を試す試練のような大規模なものまで存在するということだった。
シンは考える。それ自体は別に構わない。腕っ節で負ける気は無いし、思考能力も人間を逸脱している。だが──
「……ゲームの内容も様々ということか?」
飛鳥の質問に答え終えた黒ウサギにそう尋ねると、やっと興味を持ってもらえたのかと、ぱぁっと表情を輝かせて答える。
「YES! 修羅神仏がその力や伝説を持って『力』『知恵』『勇気』を試す試練もあれば、サイコロなどを使った純粋な『運気』を競うゲームも存在します。ギフトゲームはピンキリ。幾ら腕っ節が強い超人でも、ゲームの内容次第では容易く敗北してしまうのがギフトゲームの恐ろしさであり、醍醐味でもあるのです!」
にやりと笑いながら、挑発するように黒ウサギは言う。シンがそれを受けて頷いたのを確認した飛鳥が更に質問重ねていき、黒ウサギが答えていく。やがて、一通りの説明を終えたのか一枚の封書を取り出し皆を誘う。
「さて、皆さんの召喚を依頼した黒ウサギには、箱庭の世界における全ての質問に答える義務がございます。が、それら全てを語るには少々お時間がかかるでしょう。新たな同士候補である皆さんをいつまでも野外に出しておくのは忍びない。ここから先は我らのコミュニティでお話しさせていただきたいのですが──」
「──待てよ、まだ俺が質問してないだろ?」
静聴していた十六夜が、威圧的な声で口を挟む。立ち上がり、軽薄な笑みを消した少年に気が付いた黒ウサギは、やや構えて聞き返した。
「……どういった質問です? ルールですか? ゲームそのものですか?」
「そんなものはどうでもいい」
十六夜は切って捨てる。腹の底からどうでもいいと、興味があることは最初から一つだけなのだと、全てを見下すような視線で一つだけ、問い掛ける。
「この世界は──面白いか?」
その言葉を聞いて一瞬黒ウサギはきょとん、と惚けるが、すぐに花が咲いたような輝く笑顔で、こう断言する。
「──YES! 『ギフトゲーム』は人を超えた者たちだけが参加できる神魔の遊戯。箱庭の世界は外界より格段に面白いと、黒ウサギは保証いたします!」
*
「俺やっぱ世界の果てを見てくるぜ!」
黒ウサギの案内中、そう言い残して十六夜は何処かへ去っていった。シンは「黒ウサギに教えた方がいいかしら」と飛鳥に聞かれたが、黒ウサギが浮かれに浮かれてスキップで先導しているのを見て「そっとしておこう」とだけ返す。飛鳥も耀も異存はなく、そもそもあの状態の黒ウサギに話しかけるのはめんどくさいことになりそうだったので、後回しにするのであった。
道中、シンは森の中に潜む無数の悪魔の気配を感じ取った。魔界では感じ取れない特異な気配に興味を引かれるシンだったが、今は情報が先だと思い直す。それでも姿だけでも見ておこうと眺めながら歩いていると、ユニコーンがちらりと見えた。既知の悪魔の発見に、生息圏の近い悪魔を脳内で列挙し、未知の悪魔たちの生態を推測する。そうして、退屈な時間を悪魔の観察でやり過ごすのだった。
「な、なんで止めてくれなかったんですか!」
その後、案の定十六夜の暴走を黙って見送ったことがバレて叱られる一行。その場で紹介されたコミュニティのリーダーであるジン・ラッセルは、蒼白になって叫んだ。
「た、大変です! 『世界の果て』にはギフトゲームのために野放しにされている幻獣が──」
「幻獣?」
「ギフトを持った獣の通称で、特に世界の果て付近には強力なギフトを持ったものがいます!」
シンは道中見かけた悪魔たちに思い当たり、声を漏らす。
「ああ、ユニコーンならさっき見かけ──」
「──ユニコーン! 本当!?」
そこへ耀が食い付いた。シンは全く動じずに頷くが、シン程ではないとはいえ基本的に無関心を決め込んでいた少女の高揚ぶりに驚く一同。
「是非友達になりたい……行ってきちゃダメ?」
目を輝かせて黒ウサギに懇願するが、当然一蹴される。
「ダメです! ただでさえ十六夜さんのことで頭が痛いのに、これ以上バラバラに行動しないで下さいね! 絶対ですよ!」
「それはフリ?」
「フリじゃありません! ジン坊ちゃん、申し訳ありませんが残りの方々のお守りをお願いしますね!」
「わ、わかった。黒ウサギはどうする?」
問題児たちに怒鳴りつけた勢いのままお願いする黒ウサギに怯みながらも、ジンは問い掛ける。やがて黒ウサギは怒りのオーラを全身から噴出させ、艶のある黒い髪を淡い緋色に染めていく。
「問題児を捕まえに参ります! この『箱庭の貴族』と謳われるこのウサギを馬鹿にしたことを骨の髄まで後悔させてやりましょう!」
そう言うと、彫像を足場にして飛び上がっていき、外門の柱に水平に張り付く。そして自慢の脚力でそのまま水平へ跳躍して、緋色の弾丸と化した。あっという間に一行の視界から消え失せたその速度が、黒ウサギの逸脱した身体能力を物語っている。それを見届けた飛鳥が呟いた。
「……箱庭の兎は随分速く跳べるのね」
「ウサギたちは箱庭の創始者の眷属ですから──」
律儀にもジンがそれに答えている間に、耀は未練たらしく森を眺めながらユニコーンの名を呟き、シンは我関せずと都市を眺めていた。やがて飛鳥が促し、都市へ歩を進める一行。ジンは新たな同士の中で飛鳥を唯一の常識人だと認識し、安堵していたのだが、彼女もまた特級の問題児であることを悟るのは、そう遠い先の話ではない。
途中、シンは振り返る。視線の先は、先程黒ウサギが消えた方向だった。
「……〝箱庭の貴族〟か」
翠色に爛々と輝くその瞳が、黒ウサギに若干の興味を持ったことを示していた。
*
──箱庭2105380外門・内壁。
一行は噴水広場の近くにある、清潔感のある洒落たカフェテラスのひとつに腰を落ち着けていた。ジンが適当なものを頼んでいるところに耀が連れていた三毛猫が口を挟んだことで、箱庭には三毛猫の言葉が分かるものたちが居ることに耀が驚き、耀はあらゆる生物と意思疎通ができることに飛鳥とジンが驚くことになった。
「──生きているのなら誰とでも話ができる」
「それは称賛に値する……俺もそこまではできない」
シンも、素直にその能力を褒め称えた。無愛想なシンが珍しく反応したことに飛鳥は若干驚きつつも、その言葉に含まれた意味を逃さず尋ねる。
「そこまでは……ということは、貴方は類似する力でも持っているのかしら」
「……死んでいるものと話すことができる」
「あら、霊能力者ということ?」
「それくらいなら度々見かけるギフトではありますね。とは言え儀式が必要なレベルからその場で認識して話すことができ、触ることができるまで様々ですが……」
耀の力ほど驚きを持って伝わることは無かった。霊能力程度ならある意味あらゆる世界で有名な能力であるし、飛鳥は箱庭なら当然だろうと予測していた。
「はっきりと見えるし、話せるし、触ることもできる。応用すれば生きているものともある程度の意思疎通はできる」
「それは心強いですね。死者から失われてしまった貴重な情報が得られる場合もありますし」
シンはその本質は悪魔であるため、霊との接触は当然可能である。また、ジャイヴトークを習得しているために知能の低い妖獣や、幽鬼とも意思疎通ができるのだ。とはいえ、耀ほどの完全な意思疎通能力ではない。やはりそういった力は特別な才能やアイテムが必要なのである。
「へぇ、それならこの辺りに幽霊はいるのかしら?」
飛鳥が、興味を惹かれて何の気なしに尋ねる。するとシンは辺りを見回し、答えた。
「──居るな。そう多いわけではないが、少ないというわけでもない」
そもそも幽霊──というより思念体を見たのは悪魔になってからであり、それ以来人間の世界に帰っていないので一般的な幽霊の数というのがわからないのだが、相手もわからないだろうとボルテクス界の東京にいた思念体たちと比較してそう言った。
「ギフトゲームで死者が出ることもありますから……」
徐々に蒼白になって行くジン。自分のコミュニティのことに思い当たり、もしかしたら失われた仲間がまだ彷徨っているのかもしれないと考えたのだ。彼らは生き残った自分たちを、そして死んでしまった彼ら自身をどう思っているのだろうか。
顔色を悪くしたジンを、怖いのだろうと勘違いした飛鳥は話を変えようとするが、シンがある方向を見つめていることに気がついた。
「……どうかしたの?」
「……子供だ」
シンが呟く。飛鳥と耀はシンが見つめていた方向を見てみるが、そこには商店や建造物がある程度で、子供は見当たらない。だが、すぐにそれが生きているものを指していないことを察する。
「一見した感じでは治安は良さそうではあるけれど、そういうわけでもないのかしら?」
飛鳥はジンに問い掛ける。考え事に気を取られていたジンは慌てて答えた。
「い、いえ、黒ウサギから聞いているかもしれませんが、ここ箱庭でも殺人や強盗は当然違法です。取り締まりの戦力には事欠きませんから治安も比較的良いです。最近子供が犠牲になるような大きい事件もギフトゲームも起きていませんし……」
「それなら、昔からいる幽霊なのかしら……」
痛ましそうに憂いの表情を見せる飛鳥と耀。人はいつか死ぬと理解しているとはいえ、このような平和な風景に潜む子供の死者に、動揺を隠せないようだった。
「……専門家ではないから詳しいことはわからないが」
シンが続ける。悪魔となったのち、多くの思念体と対話したシンだが、それはボルテクス界という特異な環境での経験だった。こうした一般的な幽霊に対する知識も経験も欠けている彼は、子供の幽霊たちが何を考え、何を未練としているのか察することはできない。故に、見たままを伝える。
「家屋の中の誰かに対して必死に呼びかけているようだ。子どもだけではない、女もいるようだ。あちこちの建物に同じような女子供の霊たちが張り付いている。理由はわからないが、地縛霊に成り掛けているのかもしれない」
「それって……」
己の死を認められない死者は多い。子供なら尚更である。また、子供の死を認められない生者もいる。娯楽作品や胡散臭い書物の知識でしかないが、彼らが成仏できない理由を推測して同情する。
──当然真実は異なるのだが、彼女たちは知る由もない。今は、まだ。