混沌王がアマラ深界から来るそうですよ?   作:星華

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あら、妖精襲来のお知らせ?
人修羅が新たなギフトを手に入れたそうですよ?


──わけが分からなかった。

 

 薄暗いリノリウムの廊下を、少年が歩いていた。片手は腹を押さえ、片手は壁に手をついてよろめきながら歩を進めている。一見すれば病人、あるいは怪我人であろう。まともに歩けないその様を見れば、誰かの助けが必要なのは一目瞭然だった。

 

 だが、その風体は異様の一言だった。

 

 全身に黒の刺青が施され、その縁を翠色のラインが彩り、爛々と光っている。うなじには黒色の角も生えている。上半身には何も着ておらず、墨色のハーフパンツを穿き、青いアクセントがある黒のスニーカーを履いている。

 

 そして、その瞳は弱々しく翠色に光っていた。

 

──何が起こっているんだ。

 

 少年の精神は混乱の極みにあった。つい先程まで退屈な日常の中に居たはずだった。友人たちから入院した教師の見舞いに誘われ、病院にやって来た。ただそれだけの筈だったのに。

 

 何故か重傷を負って、這々の体でバケモノから逃げている。

 

──とても痛い、苦しい。……なのに、涙が出ない。

 

 病院に誰もいなかった。地下には不気味な男とバケモノがいた。教師が現れて、少年を救い、屋上へ導いた。そして屋上で──世界が終わるのを見た。

 

 少年は壁を伝いずりずりと進み、手身近な扉を開けるとそこへ潜り込む。廊下が続いているが、バケモノの気配は無い。少年は何かを求めるように、先へ進む。

 

──誰か……誰か、助けてくれ……。

 

 目覚めた時には何もかも変わっていた。刺青を入れられ、うなじは角が生えていた。鏡を叩き割っても傷一つ付かない。己もバケモノに変わってしまったんだと少年は思った。再会したジャーナリストの男が嫌悪感を表さなかったのが、唯一の救いだった。

 

 そして、友人たちを探そうとエレベーターへ向かうと──バケモノがいた。

 

 半透明で悍ましい形状をした顔が襲い来る。体を蝕む痛みを振り払おうと応戦し、ソレを蹴散らした。そして、理解する──これが、〝悪魔〟なのだと。

 

──夢なら覚めてくれ。嘘だと言ってくれ。この地獄から逃がしてくれ。

 

 何が起きているのか全く理解できず、病院を彷徨う。ガス状の悪霊や、子供のような悪鬼を蹴散らし、傷を負い、じわじわと身も心もすり減っていく。

 

 入り口は塞がれていた。幽霊のような存在に病院の現状を知らされ、半ば理解できないまま呆然と隣の棟を目指す。だが道中で、薄っぺらい悪魔に風で切り刻まれ、紙のような悪魔に雷で撃たれ、蝶のような悪魔に炎で焼かれていく。身も心も限界に達していた。

 

──俺は、死ぬのか。

 

 渡り廊下への扉を開くと、とうとう倒れこんだ。一瞬意識が飛ぶ。だが、全身を蝕む痛みが眠りに着くことを許さない。それでも、わけが分からないまま死ぬことが認められなくて、ずりずりと無様に少年は這いずり回る。

 

 そこへ、扉が立ち塞がる。カードが必要な自動ドア。ごく一般的で単純なセキュリティが、少年を絶望に追いやる。

 

──そうだった、アイツはカードを使ってこっちに……。

 

 少年は限界に達していた。何も知らぬまま悪魔になったばかりの少年が、病院内を闊歩する無数の悪魔を相手にしてここまで辿り着けただけでも上出来だった。

 

 だがそれも終わり。誰の助けもないまま、少年は孤独に死んでいく。何も知らぬまま、何も分からぬまま、運命を弄ばれた挙句に少年は死んでいく──

 

 

『……あなた、何してるの?』

 

 

──筈だった。

 

 少年はゆるゆると、霞む視線を声があった方に向ける。天からの逆光に、羽根の生えた少女のようなシルエットが浮かぶ。

 

 少年は──間薙シンは、未来永劫この時のことを忘れないだろう。

 

『あなた、そんなボロボロになってまで向こうに行きたいの? それなら手伝ってあげるから──』

 

 少女が手を翳すと、シンの体から痛みが、苦しみが抜けていく。少女は薄く笑って、シンに取り引きを持ちかけて来た。

 

『あたしをヨヨギ公園まで連れて行ってよ。あまり強そうじゃないけどさ──』

 

──これが、これから途轍もなく長い付き合いになる、最初の仲魔との出会いだった。

 

 

    *

 

 

 箱庭2105380外門居住区画・〝ノーネーム〟本拠。シンの私室。

 

 ベッドに寝転がるシンは、閉じていた瞼をゆっくりと開いた。眠っていたわけではない。今後のことに関する考察と、記憶の整理を行っていただけだった。人間で言えば睡眠に値するのかも知れなかったが、意識はずっと覚醒しているのだから睡眠ではないだろう。

 

 懐かしいことを思い出した、とシンは懐古する。病院で出会った、最初の仲魔。悪魔やボルテクス界について何も知らなかったシンを教え、導いてくれた。そして最後まで側に居てくれた彼女は、今も混沌王の傍で大いなる存在と戦いを繰り広げているだろう。

 

 〝ペルセウス〟とのゲームから一ヶ月が経過し、〝ノーネーム〟は徐々にその生活を安定させて行った。十六夜たちは勿論、シンも数々のギフトゲームに参加し、経験と知識を磨いている。ただ、どれも難易度があまり高くなく、十分に経験が積めているとは言い難いのが現状だった。

 

「……俺からゲームを仕掛けてみるか?」

 

 十六夜はともかく、飛鳥と耀は対魔王に向けて一刻も早く力を付けなければならないのに、それもままならない。このまま程度の低いゲームを繰り返しているよりは、自ら稽古をつけてやらねばならないかも知れないと、考慮する。

 

 だが、シンの力は破壊と殺戮に特化しており、手加減するのが難しい。特に飛鳥は肉体的にはただの人間であり、下手すれば死ぬ可能性がある。

 

 それが無くとも、シンは手加減が苦手なのだ。ボルテクス界では手加減などすれば格下にでも殺されうる。どんなに格下でも己を殺しうる相手には全力を出す。それがボルテクス界で学んだことであり、今もなお掲げるシンの方針だった。

 

──仲魔がいれば、やれることの幅が広がるのだが……。

 

 今のシンには仲魔が居ない。過去に集めた仲魔は全て魔界におり、混沌王の傍に居る筈だ。そこから召喚できないことはないが、邪教の館の設備が必要だ。よって以前の仲魔を呼び出すことはできない。

 

 かといって、近場の幻獣を仲魔とするわけにもいかなかった。十六夜たちの相手になるような幻獣は少なく、また勝手に仲魔にすれば色々と問題が起こることだろう。ちゃんとした手順を踏めば問題ないだろうが、一度仲魔にすれば箱庭の法では手放すのは難しい。ボルテクス界ではシンについていけなくなった悪魔は合体して強い悪魔に作り変えていたが、それもやはり邪教の館の設備がないと不可能だ。

 

 どちらにせよ、すぐに仲魔を手元に置くことは出来そうにない。これは一旦保留にしておく必要が──

 

「──お久しゅうございます、陛下」

 

 部屋の片隅に、喪服を着た老婆と金髪の少年が出現していた。突然の来訪にもシンは動じず、身を起こしてベッドに座り、先を促す。

 

「……何の用だ」

 

「我々のために身を粉していただいております陛下のために、婆はささやかな贈り物をご用意させていただきました」

 

 そう言うと老婆はそれ(・・)を取り出し、シンへ差し出した。シンは見覚えのあるそれにやや驚愕し、目を見開き声を漏らす。

 

「……これは」

 

「ええ、ええ。ご想像通りの品でございます。また、ちょっとした機能も備えておりますゆえ、中の説明書きをお読みください」

 

 受け取り、それを開く。これがあれば、シンの憂いはほぼ解決すると言っていいだろう。それどころか今後の予定を大きく短縮することができる。シンは薄く笑うと、顔を上げる。

 

「助かった。礼を言う」

 

「この婆如きに、勿体無いお言葉でございます」

 

 老婆が一礼する。金髪の少年がヒソヒソと老婆に話しかけると、老婆は頷き代弁を始める。

 

「おやまあ、何と……坊ちゃまは、近いうちに再び魔王との戦いがあると──」

 

「間薙ーッ!!」

 

 バタァン! とシンの私室の扉が開かれ、ジンを抱えた十六夜と、息を切らせた飛鳥と耀が飛び込んでくる。

 

 老婆と金髪の少年は一瞬で姿を消していた。シンはノックをしろだとか、朝から騒々しいだとか、扉を蹴破るなとか言いたいことを全て飲み込み、とりあえず言葉を返す。

 

「……何の用だ」

 

「北側に行くぞ! でかいお祭りがあるんだとよ!」

 

 そう言って手紙を突き出す十六夜。双女神の封蝋がされたそれは、北と東の〝階層支配者(フロアマスター)〟による共同祭典──〝火龍誕生祭〟の招待状だった。シンは内容を一読し、状況を理解する。

 

「路銀はどうする」

 

「そんなもんどうにかなる!」

 

「黒ウサギには説明したのか?」

 

「どうもアイツがこの事を隠してたみたいでな。ちょっとお灸を据えてやるつもりだ!」

 

 そう言って十六夜はヤハハと笑う。十六夜は最近書庫に篭っていたと聞いている。このハイテンションぶりは日々の寝不足と、祭りへの期待と、黒ウサギへの怒り故なのだろう。

 

 シンが十六夜たちを見回すと、三人とも期待に胸を膨らませて瞳を輝かせている。誘いに来てくれたのはシンを仲間と認める故なのだろう。先日の〝ペルセウス〟との戦いでシンが力を示したことで、一目置かれているようだ。悪魔の残虐性を見せたために、警戒心はないわけではないのだろうが、それでも歩み寄ろうとしてくれている。

 

──だが、シンはそれに何も思わない。故に返答は決まっている。

 

「俺は──」

 

 

    *

 

 

「く、黒ウサギのお姉ちゃぁぁぁぁん! た、大変ー!」

 

 〝ノーネーム〟農園跡地にて、土地の再生について計画していた黒ウサギとレティシアの元に、血相を変えたリリが泣き顔で走ってやってきた。

 

「リリ!? どうしたのですか!?」

 

 年長組でしっかり者のリリがここまで取り乱すとはただ事ではない。黒ウサギとレティシアは驚き、リリに話を聞く。

 

「じ、実は飛鳥様が皆様を連れて……あ、こ、これ手紙!」

 

 忙しなく尻尾を動かしながらリリは黒ウサギへ手紙を手渡す。黒ウサギは途轍も無く嫌な予感がしながらも、手紙を開いた。

 

『黒ウサギへ。北側の4000000外門と東側の3999999外門で開催する祭典に参加してきます。貴女も後から必ず来ること。あ、あとレティシアもね』

 

「…………」

 

『私たちに祭りのことを意図的に黙っていた罰として、今日中に私たちを捕まえられなかった場合、三人ともコミュニティを脱退(・・)します。死ぬ気で探してね。応援しているわ』

 

「…………?」

 

『P/S ジン君は道案内に連れて行きます』

 

「────!?」

 

 たっぷり三十秒黙り込み、手紙を持つ手をワナワナと震わせ、ようやく悲鳴のような声を上げた。

 

「な……何を言っちゃってんですかあの問題児様方ああああーッ!?」

 

 黒ウサギの絶叫が響き渡る。リリは涙目でおろおろと慌てふためき、レティシアはため息をついた。

 

「……下手に隠すからだろう。隠し事がバレればあの三人が大人しくしていないだろうことはわかっていただろうに」

 

 呆れたように言うレティシアの言葉を聞き、ぴたりと静止する黒ウサギ。そしてふっふっふと悪者のように笑い始めた。

 

「三人……そうですよ、あと一人いるじゃあないですか。この〝ノーネーム〟最強の刺客が……!」

 

 黒ウサギはグルリとリリに向き直ると、肩をがしりと掴んでお願いする。

 

「シンさんを連れてきてください、リリ! 悪魔ながら四人の中で一番の常識人であるあの方なら、問題児様方を捕まえるのに協力してくれることでしょう!」

 

「あの、そのことなんだけど……」

 

「……え?」

 

 リリは心底申し訳なさそうに、手紙の隅を指差す。そこには飛鳥の文字より若干荒い筆跡で、こう書かれていた。

 

『P/S2 ちなみに間薙も「北側も見定めたい」ってことで同行してるぜ。残念だったな! by十六夜』

 

「…………」

 

 黒ウサギは何も言わず崩れ落ちた。レティシアは無言で首を振り、リリは途方に暮れたように空を見上げたのだった。

 

 

    *

 

 

「──北側も見定めたい。同行しよう」

 

 時は十六夜たちがシンを誘いに来た所まで遡る。シンが承諾し、十六夜はガッツポーズを決めた。

 

「よっしゃ決まり!」

 

「それじゃあ間薙君も準備して、急いで出発──あら?」

 

 飛鳥はシンが持っている見慣れないものに気が付いた。十六夜と耀も遅れて気が付き、それ(・・)に視線を移す。

 

「これは……?」

 

 シンは一瞬迷うが、問題児相手に下手に隠すと後々面倒なことになるだろうと、問題ない所のみ抜粋して答えることにした。

 

「……これは俺の新たなギフトだ」

 

「何ですって!?」

 

「いつの間に!?」

 

「ズルいぜコラァ!」

 

 三者三様の反応を見せる十六夜たちを他所に、シンはその新たなギフトを弄る。しかし飛鳥はふと我に返ると慌ててシンを急かす。

 

「ちょ、ちょっと待って。先に出発しましょう。あまり遅れると黒ウサギに気付かれるわ」

 

「それならば尚更試運転をしておく必要があるな。上手く行けば追いつかれる心配は無くなる」

 

「……どういうこと?」

 

 耀が不思議そうに首を傾げる。だがそれに応えず、シンはギフトを掲げて念じ始めた。

 

──想うのは、人修羅として生まれたばかりのあの日々。

 

「──きゃっ!」

 

 ごう、と室内に風が発生し、シンが掲げたギフトの上で渦巻いていく。ギフトからは黒い何かが漏れ出て、渦の中で集い、徐々に何かを形作っていく。

 

──想うのは、一体の悪魔。

 

「ヤハハハハ! オマエまさか、そんなことも出来たなんてな!」

 

 十六夜は笑い、シンがやろうとしていることを察して笑う。それを他所に黒い塊からは暗黒の雷が漏れ出て、空気中でバチバチと弾け飛ぶ。

 

──想うのは、…………。

 

 カッ、とシンは目を見開き、

 

 

──室内を、極大の轟音と強い光が満たした。




本日より、第二章最終話まで毎日更新させていただきます。
とはいえ、まだ最後まで書けてないので更新しながら書き進めて行きますが、間に合わなくなりそうな時はあらかじめご連絡させていただきます。

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