悪魔の日常だそうですよ?
異世界へ送られた、異才を持つ少年少女へ宛てた手紙──箱庭への招待状、その一つを奪い、悪魔は修羅神仏の集う〝箱庭の世界〟へと侵入した。それぞれの異世界より同じく集った少年少女たちを助力しながらも、目的を隠しその壮絶な野望へ向け動き出している。
悪魔の名は──人修羅。
人間としての名を、間薙シン。
その身はあらゆる攻撃を防ぎ、その拳はあらゆるものを砕き、その魔なる術はあらゆるものを殺戮する。人類はおろか、修羅神仏に同胞である悪魔にすら牙を剥き、万物に区別なく死を振りまくおぞましき悪魔。
暗黒の天使に導かれ、混沌王と呼ばれしあらゆる悪魔を統べる黒の希望──その魔人は箱庭で今、
「──お馬鹿様ッ! お馬鹿様ッ!! このっ……お馬鹿様方ッ!!!」
かなり怒られていた。
*
その理由は一時間ほど前に遡る。場所はペリベッド通りの噴水広場前にある、〝六本傷〟の旗が掲げられたカフェテラス。そのテーブルの一つに陣取っていた十六夜たち、そしてシンは、黒ウサギの言葉に耳を疑った。
「ギフトゲームが……
「YES! これはちょっとした緊急事態でございますよ!」
〝ギフトゲーム〟とは箱庭で〝
そのギフトゲームが禁止されるということは、流通が止まることに等しい。そのようなことが起こりうるというのか。十六夜は勿論、飛鳥と耀も首を傾げる。シンは我関せずと紅茶を飲んでいたが。
「魔王が現れた……というわけではなさそうね」
「そんな剣呑な雰囲気じゃない。慌ただしくいろんな人が走り回ってるけど」
にゃあ、と三毛猫が鳴いて補足するが、耀と黒ウサギ以外にその言葉はわからなかった。閑古鳥が鳴いていることの方が多い筈のこの噴水広場では、今や行商人らしき人々があれやこれやと走り回り、住民はそれを捕まえるのに必死になっていた。
それらを不思議そうに眺める一同へ、黒ウサギはウサ耳をピン、と立てて事情を説明する。
「YES! 魔王ほどの脅威ではありませんが、困った事態になったのは間違いありません。実は箱庭の南側からこの東側に向かって、
はあ? と十六夜たちは一斉に疑問の声を上げる。シンは興味が惹かれたのかピクリと反応すると、黒ウサギを見た。
「……どういうことなの? 干ばつに手足が生えて向かって来るとでも?」
「YES! 正確には、腕が一本と足が一本生えていたそうですけれども」
「なにそれ奇抜」
ますます首を傾げる飛鳥と耀だが、ただ一人十六夜は顔色を変えて驚いた。
「腕一本に足一本でやってくる干ばつ──旱魃? まさか〝
黒ウサギは頷き、箱庭の南側は日照り続きで大損害を受けた、と教えてくれた。また、箱庭の〝魃〟は過去に保護されたそれの遠い系譜の怪鳥を指し、魔王〝
仏話の〝月の兎〟によって箱庭に招かれ、ギリシャ神話の〝ペルセウス〟と戦い、今度は中国神話の〝魃〟の登場である。箱庭の節操の無さに、十六夜は呆れたように閉口した。
しかし黒ウサギはそれを真面目な顔で否定する。
「それはNOですよ十六夜さん──」
黒ウサギが言うには、〝月の兎〟も〝ペルセウス〟も、外界での功績が認められたからこそ箱庭に招かれているという。〝伝承がある〟ということは〝功績がある〟ということであり、決して無作為に箱庭に存在するわけでは無いのだ。
とはいえ〝魃〟のようにその身に宿る力を持て余され、箱庭に保護されるような例外もいる。日照りの力によってコミュニティに属せず、穢れによって神格を無くし、神気も知性も残っていない哀れな幻獣なのだと、黒ウサギは遠い目をした。
「話は分かった──」
そう言って、紅茶を飲み終えたシンはカップをカチャリ、と置いた。そしてその翠色の瞳をぎらりと輝かせ、合点がいったように頷く。
「──要するに、その〝魃〟どもを一匹残らず始末すればいいんだな」
「YES! 一匹残らず始末──って違いますよ!?」
シンの物騒な提案に華麗なノリツッコミで否定する黒ウサギ。シンはやや困惑したように問い返す。
「……害獣が現れたから駆除しようということじゃないのか?」
「黒ウサギの話を聞いておりましたか!? 少しは彼らの境遇を哀れに思わないのですか!?」
バシバシとテーブルに掌を叩きつける黒ウサギだが、シンは首を振って一切の迷い無き眼で否定する。
「──立ち塞がる者は、皆殺す」
「血も涙もありません! 鬼です! 悪魔です!」
「……いえ、だから悪魔なのでしょう?」
よよよ、と泣き崩れる黒ウサギに、飛鳥が呆れたようにツッコミを挟む。そして事実血も涙もない悪魔であるシンは、黒ウサギをスルーして店員に紅茶のおかわりを頼んでいた。
「それで、結局どうするの?」
「おっと、やや脱線してしまいましたね──」
耀の疑問に黒ウサギはすぐさま立ち直り、明るい表情で説明を始める。
「つまり、2105380外門に住むコミュニティはこれから訪れる干ばつに備えて大忙しという事でございますよ! そして我々〝ノーネーム〟にとっては備蓄を増やす大チャンスなのです!」
ブンブンと両手を振り回してはしゃぐ黒ウサギ。それを聞いて、十六夜たちも察したように顔を見合わせる。
〝ノーネーム〟は、十六夜が蛇神を倒したことで得た〝水樹〟のギフトを保有しており、水源に関しては干ばつの影響を受けないのだ。これを機に他のコミュニティと契約し、定期収入とする魂胆である。
それ自体は理に適っている。いるのだが──
「……なんだか、間薙君の方針よりよっぽど悪どい気がするのは、気のせいかしら?」
「──うっ!」
痛い所を突かれた、とでも言うように胸を押さえる黒ウサギ。
「悪どいというより、いやらしい?」
「──はぅ!」
それ以上言わないで、とでも言うように頭を押さえる黒ウサギ。
「血も涙もないな! この鬼! 黒ウサギ!」
「──って、それはどういう悪口でございますか!?」
流石に聞き逃せなかったのか十六夜に抗議する黒ウサギ。しかし十六夜はヤハハと笑い飛ばし、分かってるとばかりに手を振る。
「冗談だって。俺たちは〝名〟も〝旗印〟も無い〝ノーネーム〟だからな。広報もできないコミュニティが契約者を募るには、こういう状況を利用せざるを得ないのは分かってるさ」
干ばつ期にも水源があることをアピールすれば、〝ノーネーム〟といえども必ず希望者が現れるだろう。それを聞いて、黒ウサギははぁ、とため息をついて説明を続ける。
「本当はこんなヤラシイ手段など使わず、堂々と契約者を募りたいのですが……十六夜さんの言う通りなのが現状です。そこで皆さんには〝魃〟が現在どのような状況にあるかを確認してきて欲しいのです」
一種の情報収集ですね、と締めくくる。十六夜たちは頷き、承諾した。同じく頷きながらも、シンは紅茶に口を付けながら考察する。
魔王シュウは魔界にも存在しており、混沌王であるシンの本体の配下でもある。だが、正確には名目上の配下であって実際に顔を合わせたことは無い。混沌王になった瞬間、大いなる存在との決戦に駆り出されたからである。戦場を同じくしてようやくその存在を知った悪魔も少なくないのだ。
さて、その魔王シュウを下した〝
そんなことをシンが考えているとも知らず、十六夜たちは黒ウサギに〝魃〟の姿形を確認し、出発しようとしていた。
「──くれぐれも気を付けてくださいまし。危険を感じたら帰って来ても構いませんから」
心配そうに身を案じる黒ウサギに見送られ、一同は都市の外へ出て行った。かくして一同は近隣に潜んでいるという神獣〝魃〟の状態を確認しに行くことになった、のだが──
*
その一刻後、つまり現在。
一同は外門の石柱の前で正座をさせられていた。その周りには不自然に一同を遠巻きにして人だかりが集まっているが、それを気にせず髪色とウサ耳を緋色に変えた黒ウサギが怒声を上げた。
「い、いいですか!? 黒ウサギは干ばつに備えて〝魃〟の情報を収集して来て欲しいと頼んだのです! 情報とは巣を作っている場所、体の大きさなどを言うのです! なのになんでッ! どうしてッ……!?」
黒ウサギはカンカンだった。そして汗をダラダラ流しているのにも頓着せず、またはそれ故に余計怒り狂っているのか、更なる怒号を響かせる。
「一体誰が──〝魃〟を
『ムシャクシャしてやった。今は反省しています』
「黙らっしゃい!」
スパパパァーンッ! と、まるで反省していない言い訳をする三人へ黒ウサギはハリセンを奔らせる。
人だかりが遠巻きに見ているのも、黒ウサギが汗だくなのも、そして怒っているのも、それが原因であり問題だった。彼らが座るすぐ脇には、全長二十尺──約六メートル。二階建ての建物程度──はあろうかという巨大な怪鳥がちょこんと座っていたのである。
今はその力をなんとか抑えようとしているようだが、それでも当たり一帯は熱気に包まれ、人々は汗だくになっていた。
「シンさんがついていながら、一体どうしてこんなことに──」
「……いやまあ、連れて帰ろうと言い出したのは間薙なんだけどな」
「──は!?」
ヤハハと笑う十六夜を他所に、黒ウサギはぐりん、とシンに振り向く。一人、汗もかかずに涼しい顔をしているシンに、黒ウサギは詰め寄った。
「ど、どういうことです!?」
「……途中で飛んでいるのを見かけたからな。捕まえればコミュニティの力になると思ったんだが」
「シ、シンさん……!」
シンの
「──具体的には、敵対するコミュニティに送り込むとか」
「やはり血も涙もありません! 鬼です! 悪魔です!」
「……だから、シンは悪魔じゃないの?」
辺り一帯に干ばつをもたらすような幻獣を敵コミュニティにけしかけると聞いて、黒ウサギは泣き崩れ、耀はツッコミを入れる。
「KyuuN……」
やはり自分が歓迎されていない事を、理性が無いながらも感じ取ったのか〝魃〟は悲しげな鳴き声を上げる。それを聞き、耀は黒ウサギに懇願する。
「ねえ、飼ってもいい? 世話もちゃんとするから……」
「いけません! うちにそんな余裕がどこにあると言うのですか!?」
「そこは論点じゃないでしょう?」
お約束の応酬をする黒ウサギと耀に、飛鳥は呆れたように首を振り、きり、と表情を引き締めると口元に指を当て考え込む。
「そうね、問題は飼う場所よ。鳥小屋は用意する必要があるのかしら?」
「死んだ土地の上にでも放しておけばいいだろう。これ以上乾きようもない」
「それよ!」
「それよ! じゃありません! 死者に鞭打つような真似はおやめ下さい!」
ぱちん、と指を鳴らす飛鳥に泣きつく黒ウサギ。魔王によって土地を崩壊させられた〝ノーネーム〟の領地だが、まだ緑が残っている場所も無いわけではない。〝魃〟がそこを住処にすれば、今度こそ完膚無きまでに土地は死ぬだろう。
流石に〝ノーネーム〟で飼えないことが分かっていた十六夜は、やれやれ、と言いながら頭を掻き立ち上がる。
「ま、こうなるだろうとは思ってたけどな。ここで放置するわけにもいかねえし、引き取り手を探すか」
とはいえ〝ノーネーム〟相手に取り引きをしてくれるコミュニティは少なく、そもそも〝魃〟を引き取れるようなコミュニティは限られる。必然的に、一同は〝サウザンドアイズ〟支店へ向かうのだった。
*
〝魃〟を換金し終えて、一同が本拠に戻った頃には日が暮れていた。十六夜たちは風呂や食事に向かい、黒ウサギは執務室でジンたちと今日のことについて話し合っていた。
シンは一人、屋根の上で寝転がって星空を眺める。
風呂は使用中だし、食事の必要はない。金の管理も黒ウサギたちに任せているので、その場に混ざる必要もない。睡眠の必要もないシンは、夜の間は屋根で星空を眺めながら考え事をするのが日課だった。
暫しそうしていると、ユニコーンが領地に入ってきたことに気がついた。背に何かを背負っている彼はシンを見つけると一礼し、別館に入って行った。恐らく昼間の礼に来たのだろう。見に覚えのあるシンは納得し、星空へ視線を戻した。
──昼間の事である。
〝魃〟の情報収集をしに都市の外、近場の森林へ足を運んだ一同は〝魃〟に襲われているユニコーンを見かけた。瞬時に状況を判断した一同は、飛鳥が言霊でその動きを封じ、耀がグリフォンのギフトで十六夜を空に運び、十六夜がその天地を砕く力で〝魃〟を叩き落とす。
ユニコーンは無事逃げて行き、一同は虫の息の〝魃〟の前に集まった。
「襲われてたからつい倒しちゃったけど……どうしよう?」
「放置しても迷惑でしょうし……持って帰るしかないわね」
飛鳥と耀は、黒ウサギが怒るだろうと察して困ったようにため息をつく。だが後悔はしていない。ユニコーンを救うことができたのだから。
「ま、倒しちまったものは仕方がない。それじゃ縛って担いで──」
「──待て」
持ち帰ろうと動き出した十六夜を制止するシン。珍しいこともあるものだ、と一同はシンへ視線を向ける。
「こいつは〝ノーネーム〟で引き取ろう」
それを聞いた十六夜たちは目を輝かせ、賛成する。
「それイイなオイ!」
「そうね、日照りの力も上手く使えば生活の役に立つんじゃないかしら」
「どこからも疎まれてどこにも所属できなかった子だから……それはいい考えだと思う」
しかし日照りの力は強力で、捕まえて領土に放すだけでは辺り一帯干ばつが続くことだろう。周囲のコミュニティを敵に回せば、今度こそ〝ノーネーム〟はおしまいである。十六夜はいい手は無いか、と考える。
「春日部がなんとか説得できないか?」
「やってみるけど……難しいと思う」
獣と会話することのできるギフトを持つ耀なら、〝魃〟と話すことはできるだろう。しかし飼われる事を承諾させられるかどうかは、また別の能力が必要だった。
そこへシンは名乗り出る。
「──俺がやる。この手のことは慣れているからな」
そうして、〝魃〟を目覚めさせたシンは交渉に入った。人の言葉を理解できない程に落ちぶれた〝魃〟だが、ジャイヴトークを持つシンが獣側の言葉で意思を伝える。だが如何せん、傍目から見るとシンが獣のような唸り声を上げているようにしか見えない。十六夜と飛鳥はそれを見ながら笑いをこらえる。
「……ふっ、普段凛としている間薙君が……ぐるるる、きゅーんって……!」
「プッ……珍しいもんを見れたな!」
だが、一人耀は感心していた。耀は確かに獣と話すことができる。だが、それはあくまで意思を伝えられるというだけで、人の言葉を話していることには変わりない。そして目の前のシンは、間違いなく獣の言葉を使っており、その内容も耀は聞き取れる。
当然、それは完全に意思を伝えられているとは言い難い。鳴き声にはあまり情報を詰め込められないし、端的な言葉を幾つも繋いでいるため、時間もかかる。
だがその様子は、獣と何の支障なく話せる己より、余程獣の立場に歩み寄っていると耀は感じていた。
その証拠に〝魃〟は徐々に心を開いて来ていた。シンは真摯な言葉を投げ掛け続けている。その様子を耀は素直に凄い、と思った。にゃあ、と三毛猫が慰めるように鳴く。その頭を撫でて、耀はシンの交渉の様子を聞き漏らすまい、と集中した。
──そして、たっぷり三十分かけて、〝魃〟はシンについて行くことを承諾した。
まさか真っ向から説き伏せられるとは思っていなかった十六夜と飛鳥は驚く。シンと耀は当然、と言うように頷いた。
〝魃〟は立ち上がり、高らかに歓喜の鳴き声を上げる。
──オレサマハ、妖獣バツ! コンゴトモ、ヨロシク!
以上が、昼間の顛末だった。
結局〝ノーネーム〟で保護することはできなかったので〝サウザンドアイズ〟に引き取ってもらうことになったが、既に暴れないように躾けてあったので換金時には色をつけてもらった。
せっかく出来た主とすぐに別れることになってバツは寂しそうだったが、また皆で会いに行く、と耀が慰めると嬉しそうに鳴いた。
因みに、黒ウサギは十六夜たちから〝箱庭の貴族(鬼)〟と弄られていたが、シンにとってどうでもいいことだ。
今回シンが積極的に動いた理由だが、分霊の身一つで箱庭にやってきたシンは手元に仲魔を連れておらず、そろそろ仲魔が欲しいと考えていた所だったのだ。コミュニティの事情からバツを仲魔にすることは出来なかったが、箱庭の存在相手でも問題なく交渉できることを確認出来ただけでシンは満足だった。
ギフトカードにしまえば日照りの力の問題は解決出来たかもしれないが、箱庭の存在であるバツは悪魔ではなく生物なので、食事などのためにカードから出さなければならない。それはシンの能力でパーティの控えに納めても同様のことだ。
やはり魔界の仲魔を召喚するか、悪魔を仲魔にしなければならない、とシンは考えを新たにする。
そうして、シンはそのまま朝まで星空を眺めるのだった。
*
そして翌朝。一同は黒ウサギと共に、解禁されたギフトゲームを求めて2105380外門を訪れていた。十六夜は面白いんだろうな、と聞き、黒ウサギは満面の笑みで答える。
「YES! 行商に来ておりました超巨大コミュニティ〝八百万の大御神〟の分隊が、行商を止めてゲームを開催するそうです!」
十六夜はいよいよ節操が無い、と呟き、黒ウサギは期待度は当社比特大ですよ、とはしゃぎ、飛鳥と耀は何処との当社比なのか、と容赦無く突っ込む。
そしてシンは、期待に瞳を輝かせる。
──神道の神か。それならばあるいは……。
「さあ、それでは参りましょ──あれれ? なんだか寒気がして来たのですよ?」
謎の悪寒に震える黒ウサギはさて置いて、一同は今日もギフトゲームに挑むのだった。
外伝はコメディ分多めでお送りいたします。