晴れて、レティシアは〝ノーネーム〟の一員に返り咲いた──メイドとして。
「はい?」
いつの間にか決まっていた元仲間の処遇に困惑を隠せない、黒ウサギとジン。それを見て呆れたように飛鳥が口を挟む。
「はい? じゃないわよ。ゲームで活躍したのは私たちだけじゃない」
「私なんて力いっぱい殴られたし」
「つーか挑戦権持ってきたのは俺と間薙だから、所有権は2:2:3:3な」
「どうでもいい」
「何を言っちゃってんでございますかこの人たち!? あとシンさんはせめて止めてくださいよ!」
ツッコミは追い付かず黒ウサギもジンも混乱するばかり。最後の良心を期待されたシンは当然、
「それこそどうでもいい」
と、鬱陶しそうに吐き捨てる。悪魔に良心を期待する方が悪いのだ。がくりと崩れ落ちる黒ウサギ。そして件のメイド──いやレティシアは、一人冷静に状況を把握していた。
「ふふ……そうだな。今回の件で私は皆に恩義を感じている──」
もう二度と帰って来れないと、永遠に物として飼い殺しにされる絶望が待ち受けていたのだと、そう思っていた。それを、召喚されたばかりの新人たちが黒ウサギたちと力を合わせ、自分を取り戻してくれた。レティシアの心には言葉で言い表せない、深い感動で満ちている。
「──それに報いるためなら、喜んで家政婦をやらせてもらうよ」
それは、とても綺麗な笑みだった。それを見て、黒ウサギは反論できなくなってしまう。尊敬していた先輩をメイドとして扱う日が来るとは予想だにしていなかったことだろう。
そんな彼女らを他所に、問題児たちはレティシアをどのようなメイドにするのか話し合っていた。服装、言葉遣いなどの設定を真剣に討論するお馬鹿たちを、呆れたように眺めるシン。
いつの間にかレティシア本人も参加し、和やかに言葉を交わす一同を見て、黒ウサギは困ったように、けれどどこか嬉しそうにため息を付くのであった。
*
〝ペルセウス〟との決闘から三日後の夜。子供達を含めた〝ノーネーム〟一同は貯水池付近に集まっていた。その数は百人強であり、数だけ見れば中堅以上である。当然、戦える者は十人に満たないのだが。
「えー、それでは! 新たな同士を迎えた〝ノーネーム〟の歓迎会を始めます!」
子供たちから歓声が上がる。並べられた長机の上にはささやかながら料理が並んでおり、コミュニティの財政を知っている十六夜たちは、そんな惨状の中開いてくれた歓迎会に苦笑しながらも、嬉しさを隠しきれずにいた。
「無理しなくていいって言ったのに──」
馬鹿な子ね、と飛鳥は素直じゃないことを言った。
子供たちに囲まれ、十六夜たちが歓談する中──シンは一人その輪から外れ、グラスを片手に木に寄りかかって、それを眺めていた。
シンに思うことはない。別に嬉しいとは思わないが、無駄な行為だとも思っていない。そして、自ら進んでこういう場に溶け込もうともしない。悪魔としての二度目の誕生で、人の心は捨て去ったのだ。故に、己があの場にいる必要も──
「──シン様! お料理をお持ち致しました!」
「…………」
シンが視線を下に向けると、そこには割烹着を着た狐耳の少女が、お盆に多少の料理を載せて来ていた。リリという名前だったが、ちゃんとした自己紹介をしていないのでシンは覚えていない。大方、料理に手をつけていなかったシンへ気を配りに来たのだろう。幼いながらもできた少女だった。
料理は家庭料理の域を出ないものだったが、別段好き嫌いはない。ここで断る方が面倒なことになると悟ったシンは、掲げられたお盆から皿を取り、適当に料理を摘まんで食べる。すると、リリはにっこりと笑った。
「いっぱい食べてくださいね! 料理はまだまだいっぱいありますから!」
そう言うと、とててと飛鳥たちの方に歩き去って行った。シンは皿の上に乗せた料理を黙々と片付けている。そこへ、十六夜がニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべて近付いてきた。
「相変わらずモテるな。それとも、それも悪魔としての能力か?」
「……
「真面目に答えるなよ。つーか持ってるのかよ」
呆れたように肩を竦める十六夜。いまいち、シンの性格を掴みかねていた。他人に一切興味を持っていないくせに、優しさだとか思いやりだとかを振り払おうとしない。言われたことは大抵素直に従う。他人に流されやすい質なのかと思いきや、先日のように悪魔としての残虐な本質を覗かせる。
そして、妙に他人を惹きつける。件の喫茶店の店員はシンにぞっこんだし、コミュニティの子供たちも、シンに対して悪感情は抱いていないようだった。カリスマってヤツなのかね、と十六夜は一人呟く。
「そうそう、御チビが話があるみたいだぜ」
十六夜の陰から恐る恐る、ジンが姿を現した。十六夜は小さく笑ってへっぴり腰のジンの背を叩くと、己の前──シンの前に押しやる。ジンは暫くあの、その、と口をもごもごさせていたが、やがて意を決したのか表情を引き締めてシンへ話しかける。
「シンさん、〝ノーネーム〟のリーダーとして貴方に命じます。今後正当防衛などの必要性があったり、こちらからお願いすることがない限り──相手を殺したり、甚振って楽しむなんてことはしないでください」
そう言い切って、シンの瞳を見つめる。翠色のそれは、ジンの言葉に対して何の反応も見せていなかった。聞いていなかったのか、それとも聞く気がないのか。重い沈黙にジンが冷や汗をかき始め、続ける言葉の判断に迷った頃──シンはゆっくりと頷いた。
「いいだろう」
それを聞くとジンがはあ、と長い溜息をついて、安心したように肩を落とす。十六夜はそれを見てヤハハと笑い、ジンの肩をばしばしと叩いた。
「だから言ったろ? 多分間薙は断らねえだろうってな」
「は、はあ……。ただ、その、シンさんは不満はないんですか? ただでさえこんなコミュニティに居るような力の持ち主ではないですし、魔王によって生み出された悪魔なら〝打倒魔王〟を掲げるこのコミュニティに所属するというのは……」
今まで秘めていたのであろう質問を矢継ぎ早に繰り出すジンに対して、シンは首を振ることで答えた。
「悪魔が人を殺すのは、人間界に存在し続けるために大量のマガツヒが必要な場合だ。殺してしまうよりは、死なない程度に甚振ってマガツヒを絞り出した方が効率がいい」
事実、ボルテクス界では人間をできるだけ殺さないように丁寧に拷問していた。そもそも生き残っている人間が僅かで、代わりになるのがマネカタぐらいしかいないという事情もあったが。因みにマネカタはそこそこ数がいたせいか殺してしまっても気に留める悪魔は居なかった。──当時、まだ人の心を持っていたシン以外は。
それを聞いた十六夜はあることに思い至り、顔をしかめて愚痴をこぼす。
「この間、あのお坊ちゃんを殺そうとしたのはポーズかよ」
その言葉にシンは頷き、十六夜は舌打ちする。ルイオスの頭を踏み潰そうとしたのは、死の恐怖を味合わせてマガツヒを搾り取るための演技だったのだ。とはいえ、シンはルイオスが死んでしまってもいいと考えてはいたが。ギフトゲームで死者が出ることは珍しくないと聞いている。ましてや相手は殺すつもりだったのだから、こちらが殺してしまっても問題は無かっただろう。ただ、コミュニティ内で面倒なことになるのは避けたかったため、止められるまま殺さなかっただけだった。
「そして、このコミュニティに興味がある。好きに動くことでコミュニティに不都合があるのなら、暫くは大人しくしておいてやろう」
要するに、シン自身が損をしない程度のことなら指示に従ってくれるということだった。
「あ、ありがとうございます」
暫くは、というのが気にかかったものの、ジンはシンが力を貸してくれることに感謝した。
その後ジンは一礼し、十六夜は真剣な視線を一瞬シンに寄越した後、歓迎会の輪の中へ戻って行った。シンは残りの料理をまた食べ始めた。
「それでは本日の大イベントです! みなさん、天幕へにご注目ください!」
黒ウサギの声を聞き、料理を咀嚼し終えたシンがふと星空を眺めると、星が流れ始めた。流星群に歓声を上げる子供たち。そして黒ウサギは、これを起こしたきっかけが、新人四人の活躍によるものだと説明する。
「先日打倒した〝ペルセウス〟ですが、一連の騒動の責任から〝サウザンドアイズ〟を追放され、あの星々から旗を下ろすことになりました──」
その瞬間──星空が大きく光り輝き、ペルセウス座はその姿を消した。星々すら箱庭を演出するための舞台装置であり、旗を飾るための額縁に過ぎないのだった。
十六夜たちは大いに驚き、黒ウサギは得意げに話しかけていた。いまだ流れる流星群を見ながら子供たちが騒ぎ、歓迎会の夜は更けて行く。
それを眺めながらシンは思う。
──この星空を閉ざすつもりだと知れば、こいつらはどう思うだろうか。
いまだ箱庭の全貌は知れない。興味深いこの三人と一匹も見定める必要がある。だが、それらが終わればもうこのコミュニティに拘る必要はない。
──シンは〝箱庭受胎〟を引き起こすつもりだった。
箱庭と言えど、いつか滅びる時がやってくる。それが世界の定めだ。その身に眠るカグツチの力を解放し、滅びの時を引き寄せれば最早誰にも止めることはできない。神霊だろうが、星霊だろうが、魔王だろうが世界の終わりを止めることはできない。生まれ、育ち、滅び、そしてまた生まれる。それが世界の在るべき姿なのだから。
そして十六夜と飛鳥と耀、そして黒ウサギたちは生き残らせてやろうではないか。
白夜叉などの実力者は放っておいても生き残るだろうが、コミュニティの子供たちはまず全滅し、脆弱な心の持ち主は魂すらマガツヒと化し、創世の糧となるだろう。そうなれば十六夜たちは激怒し、決してシンを許さないだろう。そうなったとしても、シンは何とも思わない。何か思うような心はとうに無いのだから。
空を指差し、何事かを黒ウサギに話しかける十六夜を見て、シンは薄く笑う。
──期待しているぞ、特にお前はな。
*
箱庭のある場所にて。一つのコミュニティが終焉を迎えようとしていた。
コミュニティのリーダーは血濡れで地面に転がり、どうしてこうなったのか思い返そうとしていた。
それは勝てるゲームの筈だった。頭数も少ない新参コミュニティが、何を血迷ったか大手コミュニティに喧嘩を売ってきたのだ。しかも名と旗印を賭けてと来た。
普段なら相手にしないのだが、何故か今回は相手の侮辱に乗ってしまった。奇妙な事に相手のリーダーの前に出た途端感情が掻き乱され、気が付いたらこちらも名と旗印を賭けることになってしまった。
それでも、勝てば問題ない。ゲーム内容は戦力が物を言うルール。リーダーは貧弱そうなガキで、神霊や星霊らしい霊格は感じない。最早勝ったも同然だった。それでも手抜きはしない。侮辱された分痛めつけてやろうと全戦力で全力でかかり──
──一瞬で蹴散らされた。
何をされたのかわからなかった。白のような黒のような混沌とした輝きが一瞬でコミュニティを包み込み、光が収まった時には全て終わっていた。
ある者は顔色を紫に変えてドス黒い血反吐を吐き、ある者は蒼白になって固まり瞬きすらせず転がっている。またある者はギフトが発動しないと泣きじゃくり、あまつさえ白目を向いて相手のリーダーを褒め称えている者さえいる。
そんな地獄絵図の中、相手のリーダーはつまらない物を見るような視線でこちらを見ている。
「──この程度ですか。この辺りでは力あるコミュニティだと言うから、少しは面白みのある芸ができるかと期待しましたのに。とんだ期待外れでしたわねえ、坊ちゃま」
喪服を着た老婆が呆れ果てたように言った。スーツを着た金髪の少年はこちらに向けていた視線を、完全に興味を失ったかのように逸らす。少年は老婆に向かってヒソヒソと何事かを話しかけると、老婆は頷いた後再び口を開く。
「喜びなさい。坊ちゃまは、貴方たちを我らのコミュニティを支える家畜として迎えるとのことです。光栄なことですよ」
「──ふっ……ざけん……な……!」
そんな馬鹿げた提案に、認められるかと気合だけで立ち上がる。だが、それを見ても老婆はため息を付くばかり。
「哀れなことです。己が決めたルールも守れませんか。まあ、名も旗印も失えばその程度のモノに成り下がるのも道理でしょうね──」
老婆が軽く手を振るうと、再び視線が落ちた。そして脳を焼くような激痛。四肢の感覚が無くなった。ただただ痛みだけが全身を支配し、意識が塗り潰されて行く。
「おやおや、もう意識を失うつもりですか。それでは最後に聞いておきなさい。お前たちがこれから飼われるコミュニティと、それを率いる高貴なるお方の名を──」
金髪の少年が何事かを老婆に話しかける。それを聞いた老婆は少し困ったように答える。
「その名前でよろしいのですか? 分かる者には分かってしまいますが……坊っちゃまがよろしいのであればこの婆、文句はありませんとも、ええ」
苦笑した老婆は、壊滅したコミュニティを見渡し、謳うようにその名を告げる。
「──コミュニティ〝 〟の
「その霊をマガツヒと化すまで、この名を覚えておきなさい──」
その言葉を待っていたかのように、老婆と少年の後ろから異形の大群──悪魔たちがやってくる。まだ息のある人間を回収していき、抵抗する者は動かなくなるまで痛めつけ、引き摺って何処かへ連れて行く。
「ある程度餌を集めましたら、次は魔王と呼ばれて粋がっている者どもを下僕にいたしましょうか。ふふ、婆は何だか楽しくなってまいりましたよ──」
老婆が上品に笑い、少年は無言で薄く笑った。
*
箱庭に侵入した悪魔たち。
一方は〝ノーネーム〟に入りて箱庭を見定めようとし、もう一方はコミュニティを立ち上げ勢力を静かに拡大していく。
今はまだ、どちらも小さなうねりに過ぎない。
だが、何れ箱庭が混沌に落ちる日は──そう遠くない。
第一章「NO! ウサギは呼んでません!」はここで完結となります。
多くのご感想とご愛読、誠にありがとうございました。
これらを糧に、高まるご期待に添えられるよう更なる精進を重ねるつもりです。
現在二章を誠意執筆中ではありますが、ある程度書き溜めてから毎日投稿とさせていただきますので、外伝を不定期で投稿する以外は一旦休止となります。
二章からはいよいよ仲魔が登場し、人修羅のボルテクス界での歩みもストーリーに関わってきます。
ここからだんだん原作から離れて行きますので、気合い入れて頑張ります。
第二章「あら、妖精襲来のお知らせ?(仮)」は七月までには開始する予定です。
お待ちの間、悪魔に肉体を乗っ取られぬよう、お気を付けて……。