一歩、凛がキャスターに向かって近づく。
その歩みは警戒という彼女の心情が現れるようにゆっくりとしたもので、それだけにキャスターの発言は異質なものだ。
曰く、彼女は“聖杯”を求めていない。勝利を放棄するという。
英霊と言えどもそれは人。故にその願いも千差万別だ。
しかし、こと冬木の聖杯戦争に呼ばれた英霊、“サーヴァント”という器に応じた彼彼女等は事情が異なる。万に一人は無欲な英霊、俗にいう徳の高い聖人もいるだろう。だが、聖杯に呼ばれるものは例外なく己が焦がれる願いというものを持っている。それが即物的であるか、観念的であるのかは置いておくにしても、願いのない英霊という者はそもそも聖杯が選ぶ基準から外れる。
冬木の聖杯は“万能の願望器”と呼ばれるほどの完成度を誇るが、それはあくまで人が作り出した物。人工物として、越えられない壁というモノが存在する。無論、人が作り出した物としては破格である事は疑うまでもない。故に本来サーヴァントなどという括りに収まる筈の無い英霊達が“奇跡の恩恵”、“勝者に約束された栄光”を旗に応じる。それがサーヴァント召喚の根幹だ。
よって、願いが無いなどとのたまう輩は、まずもって隠し事をしていると言外に宣言するようなものであり、休戦、停戦を申し出る為に提言するにはこれほど相手を馬鹿にした言葉もない。
そう、常識では。
「貴女……“聖杯”について知っている、って言ったわね。聖杯に呼ばれた英霊である貴女が」
本来、聖杯の召喚に応じた英霊には現代との摩擦、弊害が無いように最低限の知識が与えられる。だがそれは最低限であるが為に、聖杯戦争という儀式の根底にかかわる仕組みが丁寧に教え与えられる事はない。聖杯戦争という、もともと大がかりな儀式を円滑に進める為、設けられた補助装置程度のものだ。
「ああ、その言葉に嘘偽りは誓ってないと答えよう。仮にも、この身は“魔術師”の英霊として呼ばれたのだ。如何に過去に作られた高度な秘術であろうと、それが“魔術”によるものなら探りようもある。まあ、流派や式といい節操のなさには些か骨が折れたがね」
「なるほど、お手のモノという訳ね」
ならば“キャスター”はいえ、その知識は本来セイバー達と大差がないはず。だがその言葉を受けた凛の表情は得心が言ったという表情。こちらの挙動が目に付いたのか、さっき見たことを忘れたのかと小突かれ、そこで俺はようやく思い至った。
先ほど、正確にはその時まで、自分を含め凛も、この学園の人間全員の認識を悟られないようずらし改竄していたという魔技を。
「いや確かにそうだけど――ってオイ、それを知っててあいつの言葉をうのみにする気かよっ」
「だからよ。そもそも、彼女がその気ならアーチャーが“確認”を取ろうとした段階でアクションを起こしてないければおかしいのよ」
確かに凛の言葉は筋が通っていた。
聖杯戦争に呼ばれる英霊の中で、とりわけ直接戦闘を不得手とするクラスが彼女だ。いくら現代の魔術師相手にアドバンテージがあり、認識において優位に立てるとはいえ、魔術師同士がぶつかっている現場に態々姿を現すというのは少々疑問が残る。
もし、この学校内という空間での戦闘が、彼女にとってその条理を踏まえた上でも覆さなくてはならない事案だとしよう。仮初の役職を悟らせないためか、この学園事態に何か仕掛けを施している最中なのか。だがそう考えれば考えるほど、彼女自身が表に出るというのは道理に合わない。例えば、自分が彼女なら暗示なり使い魔なりで第三者を介入させる。姿は悟らせず裏からこの衝突に待ったをかけ、疑わせあってこの場での戦いをうやむやにさせるといった具合に。
だからこそ、今ある情報でキャスターの言葉を信じるには早計だと感じた。
「それで、こちらの話には納得してくれたのかな」
尚も進言するこちらに対し、凛は後ろ手で“黙れ”とサインを送ってくる。
彼女は人の話を聞かない類いの人間ではない。寧ろ相手の意見は確りと聞くし、尊重する。無論、それが納得できなかったり理にそぐわなければ、完膚なきまでに真正面から粉々にするのが彼女だ。昔からの付き合いで、こういった合図を出すとき彼女は決まって譲れない、或いは既に結論が出ているときだ。故に、何か活路を見いだしたのだと信じて、自分はその好機に備えるよう、いつでも令呪を使えるよう気構える。
「いいえ。悪いけど、そちらの提案を飲む前に、一つ質問させてもらえるかしら」
「質問を質問で返すほど無駄な事もないと思うが、いいだろう。仮にも生徒“だった”者の質疑だ。聞こう」
提案に対する交渉の席につくための条件。流れとしては自然な凜の言葉にキャスターもその思惑組んで席についた。
「貴女が知っている。いえ、“見た”聖杯の中身についてよ」
「ほう。例えば、どんなものが見えたと思う」
「……そうね。例えば、酷く陰った、人型の、蜃気楼の様な何かとか」
その情報は自分の知るどれともつかない言葉の羅列だった。そもそも聖杯は願いを叶えるだけの“奇跡の器”のはずで、彼女が言葉にしたような不純物などセイバーからは聞いていない。いや、彼女も聖杯によって呼ばれた英霊で、その知識とは召喚の要であり、現世に繋ぎ止める聖杯によるものだ。知らないことがあっても不思議ではない。
ならば凜の話すそれが時間稼ぎの戯言でもなく、“御三家”の一つである“遠坂”のみしか知らないはずの確認であるとしたら、
「ああ、その“影”もいたよ。私が見たのは全部で三つの影。男系と思われる二つと、女系と思われる影が一つ。本来、無色である魔力が貯められた聖杯としては些か以上にこれは異常な事態なのだろうが」
「なるほど、ね。やっぱりーーーーいいわ。受けましょう、一先ずは」
「って、おい信じるのか!?」
勝手に情報を引き出すための交渉戦なのだと思いきや、たった一つの質問であっさりと引き下がった凛。それには流石に待ったをかけずにはいられない。
思わず肩を掴みかかろうとするこちらに対し、彼女とこちらを隔てる様にして、その間へ鬼面とかぶいた出立の男が割って入る。
「っ、オイお前!」
「よぉ大将。冷静そうな成りでどうして、中々にあっついねぇ。まあ気持ちは分かるけどよ」
だから落ち着けよ、という風に“こちら”を向いているアーチャー。彼は飄々とした態でその手もう一丁の銃を取り出し、片手間であるかのように曲芸よろしく遊んでいる。
あまりに不謹慎な行動。
仮にもこの状況の引き金を引いたのは文字通り彼なのだから、積極的にとは言わなくとも、せめて真面にキャスターと向き合うべきだろう。
――と、そこでふと思い至った。
アーチャーはこちらを向いている。つまりキャスターとも、キャスターと向き合う己のマスター、凛にも背を向ける形だ。
本来なら不真面目ですむ筈もない彼の姿勢はしかし、銃も玩ぶ手と反対に握られた一丁目の銃は、まるで“後ろが見えてる”かのように正確に、キャスターへとその銃口を合わせていた。
「お? なによ。こんななりでもれっきとした銃だぜ。それとも、そんなに物珍しいモンかね」
からからと笑う男。その上体は不動ではなく寧ろゆらゆらと留まらない。仮に背面を狙う事が可能としよう。だが本来無理な態勢で、それも正体不明の人外相手に取る様な構えではないだろう。
「アーチャー。頼むから話を脱線させないで」
「へーへー、仰せの通りに」
己が主人の言葉に引き下がる旨を承諾した彼だが、その瞳はまるで子供が新しいおもちゃを見つけたかのように、ある種嫌な予感をさせる色を湛えていた。
「衛宮君には、後で詳しく話すけど彼女が言う言葉には信憑性があるわ。少なくとも、彼女はこちらが知っていること同等か、それ以上の何かを持ってる可能性がある」
「では、この協定は成立、ということでよろしいかな」
その視線から引き戻してくれる凛の言葉に素直に従い、アーチャーからその向こうに視線を向けると――戦闘意思の放棄のつもりだろうか。キャスターが胸の前で“印”の様なモノを切ると、途端に周囲の空気が“軽く”なった。
戦う意思はない。とは言っていたが、交戦できるよう幾重にも糸を張り巡らせていたのだろう。
今となってはその術の詳細は知れないが、間違いなく自分の様なニワカ魔術師には理解の及ばない神秘の類。それは後ろからでもはっきりとわかるほどに握りしめられている凛の手を見れば大凡察せられた。
「ええ、少なくとも学園、この周辺での戦闘なんてこっちも望むところじゃないわ」
故に、誠意は魅せたと目を閉じる余裕すら見せて踵を返すキャスターに、
「なら――」
「待って」
すかさず凛は待ったをかける。対する呼び止められて振返ったキャスターの表情は、興が乗ってきたという様に少しほころんでいた。
「さっきの話、この件に関する確約をくれないかしら。どうせすぐ用意できるんでしょう?」
「なんとも、目端が利くようだな」
「当然でしょ。大昔はどうか知らないけど、少なくとも現代で口約束なんてあってないようなものよ。それも魔術師である、特にアンタみたいに“超”が付くほど凄腕の魔術師相手ならね」
やれやれと首を振りながら、どこからか古めかしい羊皮紙を取り出したキャスター。宙に浮くそれに、彼女が筆を走らせるように横へ手を滑らせること二順、それで工程が完了したのかこちらに向かって放り投げるようにして寄こす彼女。
疑う事無く紙を受け取った凛の横から除いたそれには、まるでお手本であるかのように達筆な字でびっしりと文字が書かれいた。それも漢字で、態々だ。
「まあ、こちらの目的に偽りはない。実際問題、こんな昼間から騒ぎ立てるようでは、正直先が思いやられると思っていたところであるし。承諾に感謝しよう」
下の方に唯一朱色に浮かぶ紋様から察するに、これが契約文、互いに不戦の約束を交わすためのものだという事は一目瞭然だった。
「ええ、こんな聖杯戦争序盤から三竦みなんて、他の陣営にどうぞ見てくださいっていう馬鹿のやる事よ」
キャスターの言葉に当然だろうと返しながら、しっかりと内容を確認する凛。
達筆すぎて自分には蚯蚓がのたくった模様のように見えるそれも、学園きっての優等生で在らせられる彼女の前では大した障害ではないらしい。
それもあれよあれよという間に最後の行まで確認が終わったのだろう。不振の意は拭えないが、それでも納得ができる内容だったのか彼女が一つ頷く。そして手に魔力を通し、立てた人差し指へと淡い紋様が浮かんだ。それは遠坂の家紋を現したのものなのか、それとも彼女独自のものなのか。契約という物はもっと仰々しく行われるものだと思っていただけに、目の前であっさりと行われるそれには少々拍子抜けするが、学園で戦闘など断固反対である立場からすれば異を挟む余地などない。
朱色に刻まれたキャスターのそれの下に、凛がその紋様を記そうとして――
『――いいや、違うね』
9発の銃声と共に、彼女が今まさに押そうとしてた契約書が粉微塵に吹き飛んだ。
『馬鹿は手前等みたいな腑抜けのことだろ』
「どこからっ」
独特のエコーが掛かったように拡声された音は音源、襲撃者の位置を探知するのに混乱を引き起こす。
響いた銃声は9発。
内5つは反響していた為判別がつかなかったが、後の4つは傍にいるアーチャーのものだと解る。
彼は即銃を構え、主を守るように後ろに庇うようにして周囲を軽く見渡しているようだ。自分もキャスターもそれに倣い、屋上の入口へ背を向けるようにして待避する。
先程まで敵対しておきながら些か考えが甘い気がしなくもない。が、仮にも休戦協定を結ぼうとしていたのだ。それに、この襲撃者の目的が誰であるのか読めない以上、いがみ合う必要性は低い。
そしてアーチャーを前に皆が周囲を警戒する中、“
「折角の敵を目の前に見逃すとか、お前ら揃いも揃って玉無しかよ」
癖のある青髪。
記憶にある頃のそれより目つきが数段悪くなった人相。
昔から放浪癖にサボり癖、非行が目につく奴だったが、見ないうちに腕に刻まれた派手なタトゥーが袖を剥いだだろうコートの肩口から覗いている。
「シンジ!?」
旧友、悪友。
そして親しい後輩である少女の“馬鹿”兄。
「よお、久しぶりだな“衛宮”。家、えらく派手にぶっ飛んでたけど元気してるわけ?」
その手に握られた“砂漠の鷹”を掲げ、こちらを見た彼は何食わぬ顔で日常的な挨拶を交してくる。確か、彼が撃った弾丸の一つ一つは命中と同時に引き裂かれた契約書を除き、ご丁寧に4人へと放たれていたはずで。アーチャーが対処していなければキャスターはともかく、凛と自分は怪我をしていたかもしれない訳で。
「お前、なんでっ、こんな所に――」
「あ? なんでって、おまえそりゃ」
コートの先、大きさが明らかに体格以上の為にダボダボなシャツの下。顔を覗かせていた包帯の一部、鎖骨のあたりが淡く、だが確かに模様を描いて輝きを放っていた。
「マスターに、なったからに決まってるだろ。こんな面白そうな祭りだ。まざらない方がどうかしてる」
「嘘、でしょっ、なんであんたが令呪を」
凛と共に唖然としながら、荒れた屋上に立つ“間桐 シンジ”を確認する。彼女と自分とでは驚いている部分が違った気がするが、それでもこの男がマスターの一人であるという事は確定的で、衝撃を伴った。
だが、その胸で輝いた令呪が放つ魔力の波長を見間違える筈がないし、凛が見誤るのはもっとない。
「つうわけでさ。参戦、させてもらうから――よろしくたのむぜ」
だから、銃口を再度こちらに向けて無造作に発砲するシンジの言葉を受け止めるより早く、横にいた“彼女”が動いた。
そこでようやく、これが“殺し合い”だという事を、“衛宮 蓮”が忌み嫌う非日常の渦中なのだと思い知った。
“間桐 シンジ”の作り方。
挫折して干からびたワカメを用意します。
→更に絶望を少々加えて細かくします。
→希望(あるかもしれない)を少量注いで潤いを与えましょう。
→少々身が膨れてしまったので余分な身体機能の幾つかを削ぎ落します。
→空いたスペースに既知感を大匙―――あ(察し
“ワカメ”のイケメン度がアップした!!
というのが本作での“間桐”君です! 司〇だとは一言もイッテナイヨネ!!(目逸らし