冬木に綴る超越の謳   作:tonton

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-Faceless no name-

 

 まず始めに自覚したのは、浮遊感だった。

 

 上下左右、それどころか自分がここにあるのかも不確か。いっそ虚脱感すら感じるほどこの空間は白い。そもそも、この体に視界と呼べるものがまだ機能しているのかは不明だが、まるで自分が死んでいるかのように感じ―――何を馬鹿なと自嘲する。

 

 死んでいるように、ではなく、この命はとうに“終わって”いる。

 

 自分が最後に見た物。黒甲冑の拳が目の前に迫るその時を鮮明に覚えている。アレを受けたのは間違いなく、なら生きている筈がないと理由を考える前に理解してる自分がいた。

 あの術理、その絡繰りが分かった訳ではないが、そうだという確信が己の中にあった。

 

 そうして、己の現状を把握すれば、次に浮かんでくるのがあの後、自分が死んだ後に凛たちがどうなったのか。

 最悪のケース、を想像しなかったわけではない。考えられる、ありうる場合として彼女等が敗れ、同じ末路を辿るということもあるだろう。

 だからこの胸にある感情は、ある種信頼によるものだ。

 

 きっと彼女達なら、アイツならきっと生きている。そうだと信じていたから、例え理不尽な死だったとしても、取り乱すことは少なかったのだと思う。

 

 だから、この時の自分は致命的に無防備だった。

 

「――ああ。何とも情けない事だな我が■■よ」

 

 途端に風景が風に浚われるように、白い世界が黄昏色に染まった。

 

 突然の声に驚く暇もなく、景色が変わり、消失していたはずの感覚が戻ってくる。

 例えばそれは目の前に現れた砂浜に打ち寄る波の音であったり、浮いていた筈の足が感じた砂に沈み込む感覚だったり。

 

 そして何より、開けた視界が目の前の広がる風景よりも異質だと捉えてしまった影。

 

 ボロ外套に身を包んだ稀薄な男の姿。

 

 いや、稀薄、というのは少々語弊があるかもしれない。確かに、そこにいると認識しなければ気にも留めない、或いは意識から零れ落ちてしまいそうになるほどの存在感。だがそれは一度気付けば、服に付着した炭のように、対面した者へと拭いされない違和感を植え付けられる。

 

 思わず誰だとこぼれたのは自分のものだったか。

 身構えるこちらを眺めていた影法師の男は、まるで呪詛を謳い上げるように、仰々しい動作で深くかぶられた外套の奥から言葉を洩らしていく。

 

「誰か? ああ、その問いに答えるのも何度目だろうか。今こうして思うに感慨深く、今回の出来事が無ければこうして感傷に浸ることもなかったのだろうが―――ああ、すまんな。つい懐かしさにこのようなことを」

 

 予想に反し、外套の男は口数が多かった。多いというより途切れないと形容した方が確りとはまるような言葉の羅列。一つ一つ、その並びが呪文のように、耳にしているこちらの内が削られる様な苛立ちを感じさせながら、彼は名乗りを上げた。

 

「メルクリウス。名など私にとって掃いて捨てるほど、それこそ星の様にあるが……君相手なら此方の方が妥当かな」

 

 とてもではないが人に名乗るような、まるで作法の無い名乗りに思う所はある。あるが、ふざけてるのかというこちらの言葉に対し、男は気にした風もなく、言う傍から言葉を被せていく。だからか、遮るのも無駄だと悟り、彼の好きにさせていた。現状、彼の言葉を遮ろうにも手が、離れようにも足が動かないということもあった。

 

「さて、こちらの名乗りも済んだところで、本題に移らせてもらおうか」

 

 そもそも、話題を脇道に逸らさせていたのはどこのどいつだとか、そんな抗議が通る事もないのだろうから。

 

「君は、自身の身に起こった事を正確に思い出せるだろうか」

 

 だから、そんなまるで先程自分に起こったことを見ていたかのように語りかける男に、初めて意識を真直ぐと向けた。

 

「難しく考える事はない。断片でもいい。要はパズルと同じ。自身の中に思い浮かんだピースを繋ぎ、己に起こったことの顛末を詳らかにする。話はそれからでも遅くない」

 

 先程自身に起こったこと。

 思い出すのは苦痛を伴ったが、一言で言えば単純な言葉。

 即ち、自分は“殺された”のだということ。

 

「然り。では、君はあの後どうなったのか。想像できるかね」

 

 なら今こうして見ている光景は何なのか。まさか人は死んだ後でも夢を見るものだと思っているわけではないが、死んだ後の事など誰も知る筈がないのだから証明する方法など当然ない。

 そして、目の前にした怪奇現象を真剣に考察するのも馬鹿らしくなり、つい、言葉通りの情景を思い浮かべる。

 

 凛は、あれで根は情に厚い人間だ。知った顔がなくなればいくぶん動揺するかもしれない。だけど自分は彼女の魔術師としての顔も知っている。だからそれほど心配はしていない。抜目の無い彼女の事だ。守勢に回れば狂戦士程度、仕切り直すなど造作もないだろう。

 彼女の傍にはアノ男(アーチャー)がいた。

 軽薄そうな男で、人となりを知るにはまだ碌に話してもいないが、不思議と信頼している。理屈じゃない。あの男は戯れが過ぎるきらいもあるが、結果として最後には廻りまわった必ず主の為に動くのだと。

 セイバーは、あの夜から拒否しているこちらを守るために剣を取ってくれた。期待に応えるどころか、こちらに何を望んでいたのかはまだ聞いた訳ではないが、悪いことをしたとは思う。出来るのならもっと真剣に彼女と向き合えばよかったのだが。

 

 こうして思うと、不思議と後悔は薄かった。未練がない、とはまた違うのだろう。心配が無いのもそれに一役かっている筈だ。

 だからそれが答えだと、目の前の男に怯まず告げようとして、その答えをまるで知っているかのように、男は聞くまでもないと両断しにかかった。

 

「いいや、答えは単純―――全滅だ」

 

 瞬間、心臓が止まったかと思う程の衝撃を受けた。

 感覚の消失以前にこの体が確かなものであるかもわからないが、直視を避けようとしていた顔が、ここにきて目の前の男に固定される。

 

「そう驚く事でもあるまい。幼き頃からの知人、悪くは思っていなかったのだろう。近く、それも目の前で失ったとあっては自失するのも無理は無かろう」

 

 言われたソレは、あえて目を逸らしていた結果の一つ。

 ありえない。信じている気持ちに偽りはない。だがもし、万が一になくとも可能性が、と。思い至れば止まらない。マイナスの思考が外套の男によって浮き彫りにさせられる。

 

「そして主達がいなくなれば憑代の失った彼彼女等に生き残る術などない。例え|例外《アーチャー)であったとしても、アレはおめおめと見逃してくれるほどやさしくはないよ」

 

 つまりは契機となったのは自身の“死”。

 彼女が死に。彼が討たれ、彼女が倒れる。無理や直視させられた想像(ソレ)は輪郭を帯びていき、この目にその光景を幻視すらさせた。

 

 いや、今こうして目の前にしている光景は自身による想像の産物ではなく、

 

「で、あればだ。君はそれを知り何をなす」

 

 目の前に積まれた血の通わない三つの塊が何であるのか。確かめるまでもなかった。

 

「今、君に提示されている選択肢は大きく分けて二つ。つまりは、諦めるか、足掻くかだ」

 

 仰々しい動作で右手と左手を横に開く。あたかもそこに提示するナニかがそこにあるかのように。思えばコイツは初めからこちらを馬鹿にしたような芝居かかった挙動が多かったと思い起こしながら、けれど意識の殆どは道連れにしてしまっただろう三つの折り重なったソレに向いてしまう。

 よって耳に届く言葉の束が、まるで砂嵐にさらされたかのように途切れ途切れに聞こえてくる。長々しい口上が流れ、その最後、恐らく要点であろう彼が掲げる二つの選択肢が差し出される。

 

「前者は難しくはない。アレによってもたらされた終焉に納得し、受け入れ、ただ壺毒の断片としてもう一度消え去る。もしくは、待ち受けている絶望を理解し、無謀にも不動である極致の死へと立ち向かうか」

 

 男の言っている言葉を理解した訳ではない。

 そもそも言っている言葉の半分以上は意味不明だ。雑多な情報が多すぎるし、そもそも選択肢である筈のそれらは前提条件からしておかしく破綻している。消えようにも立ち向かおうにも、死んだはずのこの身に選びようがある選択肢などそもそも初めから一つの筈なのだから。

 

 だが、それすら些末事だと、一層笑みを深くした男がゆっくりと掲げている内の一つを差し出してくる。

 それが何であるのか。もし言われた通りだとして、確かにソレは自分が選ぶだろう選択肢だ。嘘や罠に塗れていると心が警鐘を鳴らしている一方で、その程度がどうしたと躊躇わず手を伸ばしていた自分がいる。

 そして――

 

「そう。それでいい」

 

 差し出された手を掴むのではなく、その掌の上で拳を作る。そこには何もないが、例えるなら男の掌にのせられていたナニかを受け取ったような形。そして確かに、なにもない筈のそこで形を作った拳の内から、何かが自分の核に向かって流れ込む様な違和感を感じた。

 

 背筋を走る悪寒から、咄嗟に振り払おうと手を大きく払った。が、視覚に何もなかった以上、その程度で振り払える筈もない。実際、手に何かが触れた訳ではないのだから。

 では、今の不確かな異物が混入したような感覚は何なのだというのか。

 

「では、君の■■の■として最初で最後の贈り物だ。どうかそのまま受け取ってあげてほしい」

 

 息が荒くなったような、過呼吸に陥ったように重く感じる身体。視線が低く、男から見下ろされる形になり、ようやく自分が蹲っていたのだと気付いた。

 睨みあげるこちらを、男は満足げに観察している。

 そう、先程からこちらを見ていた不快な視線の正体はそれだ。

 目の前の男は相手を同じモノだと思っていない。そういった者特有の冷たさと熱、好奇心と期待感が混ざった瞳をしている。いくぶん達観したような色が強いが、男がこちらをモルモットのように見て接していたのだと思えばこの苛立ちにも納得がいく。

 なら、今この身に陥っている不快感も碌なものである筈がない。

 

「そう邪推したものではないだろう。親の情というのは中々に偉大だと痛感した為の、謂わばコレは彼の真似事のようなもの」

 

 逸る鼓動はまるで耳元で鳴り響くいているかと思う程うるさい。

 何とかしてこの異物を摘出しなくてはと理解しながら、しかし体は僅かも抵抗が出来ない。それらしく動いたのは内に走る苦痛から、微かに身悶えた程度。

 

「さあ、我が代替よ。今度こそ我らの悲願を―――」

 

 そして頬についたざらついた感触に、身体が完全に地に伏したのだと気付く。一歩、目の前で踏み締められた足音と視界に移る外套が、男との距離を物語っている。頭上からより大きく、覆い潰すようにせまる圧迫感が動け動けと身体に警鐘を鳴らし―――そうして、二度目の意識の途絶を味わった。

 

 

 

 

 

 舞い上がった塵が霧散し、その中から一つの影が現れる。

 

「うそ、でしょ」

 

 粉塵の要因となった爆砕の着弾点。そこにさきほどまでいたのは二人の男。

 片方は自分の小さい頃からの幼馴染であり、性格は中々に歪んでいるが悪運が強い奴で、

 

「あーぁ……意外とあっけないのね」

 

 間違ってもこんな無骨な大男ではない。

 

「っ」

 

「そうこわい顔しないでよ。私は何もまちがった事をしていない」

 

 そうだ。彼女は、イリヤスフィールは何もまちがった事はしていない。聖杯戦争に参加する一人のマスターとして、取れる最善手を選んだだけだ。

 そもそも、初めにサーヴァント同士の決着をつけるでもなくマスターを狙ったのはこちら側。それが偶発的とはいえ、立ち位置が変わり狂戦士に強襲されたのだとしても至極当然の流れだろう。

 固執するのではなく、手近に、確実に屠れるものから削っていく。合理的な手段を選んだに過ぎないのだから。

 

「―――いや、それでもっ」

 

 考えろ考えろと止まりそうになる思考に鞭を打ち、ひたすら馬車馬の如く回し続ける。

 こちらから見てバーサーカーの向こう、セイバーは目の前でマスターを失った衝撃からか、どこか固まっているように見える。アーチャーは、問題ないだろう。まだ聖杯戦争が始まったばかりだが、アレがその手の感傷に手を鈍らす性質であるとは思えない。それに、どちらかといえばダメージがデカいのはこちらの方だという話で。

 

「っ、アーチャー!!」

 

 だからこの場は敗色濃厚と判断し、即座にアーチャーに撤退の意を伝える。ただ名前を呼んだだけであろうと、それだけでこちらの意をくんでくれたのか、彼は脇にセイバーを抱え、負傷している筈の腕で狙いも出鱈目にバーサーカーを牽制する。

 

「無駄よリン。言ったでしょ。ここからは誰も逃がしてなんかあげないって」

 

「くそっが! オイてめぇ、ボケッとしてんな振落すぞ!!」

 

 牽制の筈の銃撃が、狂戦士に対して有効に働かない。

 だがそれも当然の話。アーチャーの銃撃が曲りなりにも牽制として働いていたのは、大口径の銃を形状から見て取れる弾倉以上の弾数と、そしてそれらを二丁も自在に手繰る彼の射撃の腕前によるところが大きい。だから無事な片手でセイバーを抱え、負傷した腕で乱射するという曲芸じみた行為がどういう結果になるかなど論ずるまでもない。

 故に、

 

Fixierung(狙え、),EileSalve(一斉射撃)!』

 

 腕に刻まれた魔術刻印、そこへ過剰供給で熱暴走を起こすのではという程魔力をこれでもかと流し込む。その結果が目の前、狂戦士へ目掛けて放たれる魔弾の壁。

 物理的に破壊力を持たせるまでの技量を持つ凛だからこそ可能な魔術であり、いかにサーヴァントといえど無抵抗で正面に構えるには難のある弾幕。

 

「■■■ァ!!!」

 

 しかし、そのことごとくを狂戦士は一考もせず猛進する。

 わずかに、本当にわずか、その分厚い装甲に着弾した瞬間だけコンマ単位でぶれている様に見える。

 つまりは戦車に石を投げつけているようなものだ。わずかに揺れたとしても、巌のような虎兜の足は止められない。

 

「こっの!! なめるんじゃ、ないわよ!!」

 

 それだけの小さな足止め。だがそうだとしても、一撃一撃が小さな揺れ幅しか生み出せないのだとしても、数にものをいわせればその一歩を押し止めることは出来る。

 

「よぉ、お勤めご苦労さん」

 

「無駄口叩かないで早く代わって!」

 

 そして横に到着したアーチャーの腕から抱えられていたセイバーを奪うようにしてひったくる。

 この非常事態に相も変わらずぶれない態でいるアーチャーは、空いた手にもう一度銃を握り、負傷している方と合わせて迎撃を開始する。その様はお世辞にも会敵当初の冴えは見れないが、悔しいが自分の魔弾より遙かに上なのだから、これが適材適所だ。

 

「アンタも、呆けてないでしっかりしなさい!」

 

「――っ」

 

 しっかりしろ、と焦点のあっていなかったセイバーの頬軽く張る。活力が戻ったという程ではないが、自力で立てはするだろう。

 

「いい、今状況を把握してるのは貴方よ。衛宮君とのパスはっ」

 

 マスターとサーヴァントはその主従関係により、召喚の儀式より目に見えないパスが繋がっている。よって正確ではなくとも大凡危機的状況であるのか程度は感覚で見て取れるし伝わる。つまり、バーサーカーの向こう、破砕されたアスファルトと砂の山の下にまだ生きているかもしれないという微細な可能性もある。のだが、首を下げて目を伏せたセイバーの姿が明確に答えを告げていた。

 

「そう。なら、他に選択肢はないわね」

 

 悔やんだのは一瞬だけ。

 喧嘩もするし、笑い合う事もあった。決して憎く思っていた訳ではない。ないけど、だからといって今は必要以上に感傷的に浸っている時ではない。否、感傷に浸っていられる暇などない。

 

「■■――■ァ!!」

 

「アーチャー!」

 

「わーってるって、の」

 

 人使いがあらいとぼやきながらも的確に応戦してくれるアーチャーの牽制を頼りに、迅速に後退していく。その中、やはり後ろ髪を引かれるのか、セイバーの動きはどうにも鈍い。

 

「セイバー! もっと急いで」

 

 マスターを愚直に忠義を尽くしてくれる従者というのは本来貴重だ。そもそも英霊などという最上位の魂、癖があるのが当然で殿を務めているアーチャーでさえましな方なのだ。

 けれども、今この場でその美徳を讃えている場合ではない。通常なら彼女にもバーサーカーに対して応戦してもらいたい所だが、今の状態の彼女があの虎兜と戦ってくれたとしても、この状況へプラスになるとは思えない。

 

「オラさっさとすすめ、ちんたらしてんなっ」

 

「っ、ごめんなさい」

 

 そうしてアーチャーを後尾に本格的に撤退仕様と反転しかけた時だ。

 バーサーカーの向こう。瓦礫の山より、黒い影がゆっくりと立ち上ったのは。

 

 その影は見覚えがある。間違えようもない。

 服はボロボロだと遠目でも見て取れるが、彼は立ち上がるだけの状態にはある。

 

「衛宮君! 生きて―――!?」

 

 ならばならば、この場で撤退という選択肢は彼を見捨てるという行為で、だからこそ転進することに異論を唱える者などいない。

 

「どういうことかはさっぱりだけど……生きているならやる事は決まっているわ。バーサーカー!」

 

「させません!!」

 

 まず飛び出したのは彼のサーヴァントであるセイバー。銀髪の少女の従者である虎兜の方が蓮のの距離は圧倒的に近い。が、その程度がどうしたと気にも留めた風もなく、彼女は文字通り風となりこの狭い道を踏破した。

 

 まさに一瞬。

 その大凡のステータスからか、セイバーが速力に優れたサーヴァントだということは読み取れる情報として知っているが、コレは確実にその情報を越えている。

 

 大きく振り被られる黒く大きな拳。着弾は大砲の如く、火力はただの爆砕とは比べようもない凶悪なそれを、しかしセイバーは雷光を湛えた聖剣を下段にひいて構える。瞬く光量は今までの比ではなく、ここにきて出し惜しみのない全力を投入しているのだと傍目にもわかる。

 

 いざ、と必滅の拳に迎撃の覚悟で臨む彼女へ、横から思わぬ手が伸びた。

 

「っ、マスター!!!」

 

 助けに駆けつけたセイバーを、何を考えたのか蓮は横へ突き飛ばす。当然、その後に迫る拳が止まる筈もなく、目標も変える筈もなく狙い違わず彼の頭上へ向かって振落されていく。

 

「今度こそ、直撃よ。少し驚かされたけど。さ、次はあなたの番よ、リン」

 

 バーサーカーの拳が、蓮のいた壁ごと粉砕し、触れた傍から砂になり余剰で破片と混ざり飛び散る。

 何故彼がセイバーを突き飛ばしたのかは分からない。だが、あの至近距離でただの人間が無事でいられる要素などどこにもない。

 

「なんでっ」

 

 まるで理解が追い付かないと思考に続いて突き飛ばされた状態から体が止まっているセイバー。

 先ほどとは違う、間に合ったのだ。駆けて、全力で走り、決死の思いで虎兜の拳に相対した。

 なのに、

 

「さぁ、バーサーカー。まずはその女から始末なさい」

 

「まずいっ、アーチャー!!」

 

 遠くで凛の叫びが聞こえる。が、間に合いはしないだろうし、一撃でこの狂戦士をどうにかできるとは思えない。

 役に立てなかった騎士など不要。

 結局、自分は何のためにもう一度この地獄に呼ばれたのか。結局はまた何もできない絶望を味わうだけなのかと、抵抗する気力も失せた彼女は力なく頭を垂れ――

 

「――――」

 

 何故か、いつまで経っても彼女にその生の終わりを告げる幕引きがおりる事はなかった。 

 

「なんで、だってバーサーカーの攻撃はっ」

 

 いや、正確には、伏せて視界が狭まっていた彼女を除き、この場の誰もがただ一点を凝視し固まっていたのだ。

 

「生きて、る」

 

 埃と爆砕の影響か、皮膚の所々に擦れたような傷が見れたが、あの一撃に曝されたというのなら不可解に過ぎる生還劇。

 

「――よ、――れ」

 

 生きている。言葉も喋っている。

 本来なら手放しで喜ぶべき場面だろう。なのに、なのになぜ、言いようもない不安感にかられるというのか。

 

「何をやっているのっ、さっさとかたづけなさい!!」

 

「レン!!」

 

 バーサーカーと彼の距離はほとんど変わらず、そこは死地。虎兜の間合いだ。

 返す体の動作で振り上げられた拳。次いで放たれた一撃はこれまでの比でなく速い。だが、距離というのなら彼女とて同じ、付け加えるなら、速さでセイバーが劣るということはありえない。

 

 故にこの程度と、瞬間的に最高速にギアをあげようとした彼女はしかし、その寸前、守るべき目標である少年が目の前より消失した。

 

「え?」

 

 不発する拳と、急な展開に辛うじて制止を間に合わせた彼女が前に傾きかけた体を無理やり修正する。

 どこだと、失った目標へと視線をめぐらせた両者だったが、先に見つけたのはセイバーだ。

 

「■■■!!」

 

「な!?」

 

 背後より狂戦士の兜を力の限り殴る蓮。その膂力は巨躯の虎兜に対しては明らかに力不足。だが、その鈍く輝く黒い拳はいかな強度をほこるのか、殴りつけたバーサーカーを転倒させた。

 

「押し、勝った? ……うそでしょ。立ち上がったって言っても」

 

 この場の誰もが目を疑う光景。如何に強化の術を持つ魔術師とはいえ、相手は痛覚と無縁の狂戦士、加えて歴然の体格差がある二人において、ただの魔術師である蓮がこのような芸当が可能だと誰が予測できるだろうか。

 

「うそ。まぐれ……ううん、そんなことありえないっ! 何を遊んでいるのバーサーカー、そんな死にぞこない、さっさとやっつけなさい!!」

 

「■■■■ォオオ!!!」

 

「よく解らないけど、これなら……ってなによアーチャー」

 

 続いて放たれる狂戦士の拳のラッシュ。その一撃一撃はいかな存在であろうと致死量になる必滅の一撃。ならば当然コレは好機だろうと、援護に回ろうとした凛の肩を、傍らにいたアーチャーが押し止めた。

 

「今はふざけている場合じゃ」

 

「下がってな。ありゃまだ寝ぼけたままだろ」

 

 よく見ろという彼の言葉に従い、蓮の姿を確認する凛。

 遠目に見ても、バーサーカーを相手取る彼の速度は尋常ではない。強化した視力と魔力の残滓でようやくその軌道が読める程度。攻撃の際にぶつかる影響で捉えられる一時的な制止で、彼がようやく見て取れた。

 

「なによアレ、傷が」

 

 一撃でも喰らえば敗北する拳。ということはつまり、彼は最初の一撃以降、目で確認した限りでは一撃も、それどころか掠りもしていないのだろう。

 しかし、制止する彼の残像には、まるで服の内側に負傷を受けたように衣類が徐々に赤いその面積を増やしていく。傷らしい傷はない――いや、初めにあった頬や腕といった露出部分に見られた傷が徐々にだが薄れているように見て取れた。

 傷は癒えていくのに出血の跡が残るという異常。つまり恐らくは、身体が異常な速度で再生されているということ。限界を超えた行使に悲鳴をあげた体が壊れるそばから、彼の中の何かが故障個所を元に戻しているということだろう。でなければあの出血と消えていく傷の説明がつかない。

 

「仕組みはよく解らんが、どう見ても正常な人間の反応じゃねえだろ。いいか悪いかはともかく、だ。あの状態のままにしていい展開が待ってます、なんて都合よく事が運ぶとも思えねえ」

 

「だったらっ」

 

 こんな所で悠長に話している余裕はないだろうと吠える凛に、そんな事解りきってるといわんばかりに気だるげに、彼は傍らで事態の変改取り残されていたセイバーの背を蹴った。

 

「ってわけだ。オラ、ボケっとしてんなよ駄犬」

 

「アーチャー!? 何をっ」

 

「噛みつくのは後にしろってんだよ。テメエのご主人様がもたねぇ。見りゃわかるだろ、さっさとアレ止めてとんずらすんぞ」

 

 恨めしそうに蹴られた背中を押さえていたセイバーだったが、視線は主である蓮とアーチャーへ二回ほど行き来し、天秤が傾いたのか彼女は主を救うべく全力で駆けていった。

 

「たく、動くのが遅ぇんだよ」

 

 そして後衛に控える凛を残し、三騎の英霊とただ一人の魔術師はぶつかり合う。状況はバーサーカーと蓮を中心に、既に人の認識を越えた域に上っている。

 

 バーサーカーが拳を放つ。

 その拳を避け、視覚から同じく拳を当てる蓮。

 いくら人を越えた動きをしているといっても、一撃目の虚をついた動きを除いて、蓮の動きは酷く単調なものだ。

 

 ヒット&アウェイ。

 

 基本的な戦術というものは、それだけ検証がされているということ。

 同じく“狂化”で理性の働かないバーサーカーもそうした意味では単調な攻撃手段になるのだろう。だが、ただの人間と英霊では、その経験が天と地ほどもの差がある。如何に本能で突き動こうと、それだけで勝れるほど彼等の溝は浅くない。

 

 そう、遠目で観察する猶予があった凛だからこそ、その事実がよく解る。本能で立ち回る。その印象の通り、今の蓮は意識を失った状態だということ。

 正確には理性を手放したからこそ、回避運動がより反射と直結しているのだろう。運動速度は時間とともに上昇しているが、明らかにスペックを越えた動きは試運転もなく手綱を手繰れるものではない。寧ろ手放す事で状況が上手く型に嵌っていると見るべきだ。

 

「でもこのままじゃっ」

 

 だけどそう。状況は三体一数の優勢を持っても覆しきれない。押しているのは間違いないのだ。けれど、その中核である蓮との意思疎通が図れない以上、残る二人は必要以上のアプローチが制限される。数値で言えば圧倒的に有利であろうと、連携が取れないのなら烏合の衆と変わらない。

 ならばこの状況を好転させるにはどうすればいいのか。

 

 答えは二つ。

 

 一つはどうにかして蓮の意識を取り戻すこと。

 ある種の暴走状態に近い未知の術の行使。放っておけばどうなるか、十中八九碌な事になら合いと断言できる。だから、優先順位はともかく、これも間違いなく解決しなければならない。

 

 二つ目は虚をつき、当初の方針通りこの場を離脱すること。

 そもそも難敵であるバーサーカー相手に虚をつくというのが無理難題。しかし優位に立てない以上、蓮の容態に経過を見る余裕があるかも不明な以上これも早急に手を打つ必要がある。その際はあえて蓮を気絶させてでも引っ張り出すつもりだ。

 

 ここまでは考えつく。いや、正しくは二つとも選ばなくてはならない選択肢だ。順序が前後しようと選ぶ必要がある。が、現実問題として、今この状況を覆すには手が足りないというのが実状だ。

 

 持ち歩いている“宝石”達の感触を確かめる。小さい頃からコツコツと魔力を蓄積させてきた彼女のとっておき。

 その数十。

 一つ一つが消耗品であるが故に、コレは本来使いどころを慎重に選ぶ必要がある。あるが――目の前で戦っている三人の姿を視界に収め、そんな打算は瞬時に捨てた。

 

 手が足りない?

 

 いいや違う。手ならここにある。

 力が不足するのなら、補えばいい。足りないのなら余所から持ってくる。魔術師の常套手段だ。

 

 狙うは中央の乱戦を飛び越え、その先にいる銀髪の少女に。それは蓮が先に取った手段だが、自分があの混沌とした戦いの中に飛び込むより遙かに確率が高い。問題は、魔術師として、遠坂 凛がイリヤスフィールにどこまで迫れるということだが、それ以上の思考は無為な行為だ。

 

「5、―――4」

 

 カウントダウンと共に姿勢を低く、動かす視線は最低限に周囲を窺う。焦って回路を逸らせれば計画は水泡に帰す。慎重に、かつ瞬時に行動に移せるよう、徐々に徐々に魔力を注いでいく。

 

「2、―――1っ」

 

 さぁ、次だと、絞りに絞った弦が悲鳴をあげるように、軋んだような音を幻聴し、利き足から踏み切ろうとした時だ。

 

 一発の銃声が、混沌とした夜を切り裂くように辺りに響き渡った。

 

「っ、だれよこんな―――」

 

 銃声といえばアーチャーだが、確認した彼も周囲を確認している事から除外される。第一、その音は彼が持つ銃と比べて明らかに発砲音が異なる。

 襲撃となればアサシンが該当するが、蓮から聞いた情報では今回のアサシンは女で武術使い。暗器はともかく銃撃という線は考えられない。

 視線は上下左右、強化した視力を使い確認していく中、その先は前から背後、坂の下の方へと下っていく。

 そして坂の下、こちらへとゆっくりと歩んでくる撚れたコートを羽織る男の姿を捉えた。

 

 火のついた煙草をくわえ、右手に持った単発式の銃から空になった薬莢を取り出して投げ捨てる。

 その姿があまりに自然で淀みなく、同時にこの場では誰よりも異質で、考えてみれば“彼”が此処に来ること自体は想定できたことの筈だった。

 

「――――やぁ、大きくなったね。イリヤ」

 

 蓮の養父である、衛宮 切嗣の姿がそこにあった。

 

 

 






 ひっさびさになっげぇ(白目
 ども、少し間が空きましたが、二つに分けると長くなりそうなので無理矢理一つにしてお送りしています。
 主人公がようやく活躍してきたね! まて、次回! だよ!!

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