「はぁ…」
白玉楼の縁側に座り、壁に身体を預けてもたれ掛った。口を突いて出てくるのは乾いたため息ばかり。私は人間の里で鉢合わせた妖夢さんと一緒に白玉楼に戻っていた。妖夢さんの話では、一緒に買い物に出ていた欧我とは途中で別れたらしい。なんでも、霊夢さんから文のメモ帳を受け取った後、山が心配だからと言って飛び去ったらしい。まあ、山には文がいるし、椛さんやにとりさんもいる。欧我も大丈夫だよね!異変に巻き込まれてなんかいないよね!そう自分に言い聞かせても、ため息は収まらなかった。自分自身を納得させても、胸の中にあるこのモヤモヤと淀む霧を拭い去ることができない。
「心華ちゃん…」
心華ちゃんの笑顔を写した写真を取り出し、じっと見つめた。この異変を引き起こした、付喪神の女の子。この輝く笑顔の奥には、道具を粗末に扱う人間への怒りと憎しみ、そして悲しみが秘められているのだろう。彼女の言った言葉にも、怒りと悲しみが感じ取れた。
『嫌なの?小傘ちゃんだって長い年月誰にも使われず、無視され続けて付喪神になったでしょ。人間に使われることも、気に留められたこともないのに、怨みを抱かない方がおかしいわよ!』
確かに、私は心華ちゃんの言った通り人間に使われることも、気に留められたことも無い。それなのに…
「私って、おかしいのかな…」
「何がおかしいのですか?」
「ひゃい!?」
不意に聞こえた声に驚いて飛び上がった。慌てて振り返ると、妖夢さんがやさしい笑顔を浮かべていた。妖夢さんに心華ちゃんの写真を見られないように、慌ててポケットに仕舞った。
「もう、私を驚かさないでよー!」
「ごめんなさい。でも、何かを思い悩んでいるようでしたので、少し気になって」
そっか、妖夢さんは私を心配してくれていたんだ。こんなことで思い悩まずに、もっとしっかりとしないとね。
「ありがとう。でも、私は大丈夫よ」
心配させては申し訳ないと、努めて笑顔でそう答えた。すると妖夢さんも笑顔になってうんと頷いた。どうやらうまく誤魔化せたみたいだ。
「そうですか。今から幽々子様のおやつを作るのですが、よかったら小傘さんも一緒に食べませんか?」
「本当に?ありがとう!私も何か手伝います!」
確かに、今くよくよ悩んでいても仕方がない。まずは気持ちを切り替えよう。カメラを首にかけ、縁側から立ち上がった。そして妖夢さんの後について台所へ向かおうとしたが、こちらに向かって空を飛んでくる何かを視界に捉えた。
「妖夢さん、あれは?」
「ん?なんですか?」
私が指さした方を見て、妖夢さんは目を細めた。
その物体が近づくにつれ、私は驚きで目を見開いた。なぜなら、こちらに向かってきたのは…
「欧我!文!」
ぐったりとした文を横抱きに抱え、ふらふらしながらも欧我は白玉楼を目指して飛んでくる。欧我の服は所々が破け、赤黒い物がついている。そして、誰かと戦ったからなのか、かなりの重傷を負っている。
「欧我!」
慌てて上空に飛び上がり、欧我から文を受け取った。特に外傷は見られなかったものの、ひどく疲れ切っているのかぐっすりと眠っていた。欧我から文を受け取った途端、欧我はほっとしたような笑顔を浮かべると力尽きて真っ逆さまに落ちていった。
浮かぶ力を失った欧我の体は妖夢さんが受け止めてくれた。しかし、その直後傷口から一斉に真っ赤な血が噴き出した。
「あわわ!欧我!?どうしたの!?」
「と、とにかく手当てをしましょう!」
気を失った欧我と文を白玉楼の一室に運び、無我夢中で欧我の傷の手当てを行った。
白玉楼の一室に座り、じっと欧我と文を見つめる。2人ともぐっすりと眠っていて、すやすやと寝息を立てている。一体2人に何があったのだろうか。どうして文はぐったりとしていたのだろうか、どうして欧我はこんなにも傷だらけなのだろうか。必死に考えても、その答えは見つからなかった。もしかして、2人とも異変に…?
水に浸したタオルを絞り、欧我と文の額に浮かんだ汗を優しく拭き取っていく。この2人のおかげで、私は一人ぼっちでいる寂しさから救われた。欧我は私を助手として受け入れ、文はいきなり現れた私を家に住まわせてくれた。この2人との生活は、いつも優しさと温もり、笑顔と幸せに満ち溢れていた。今まで一人ぼっちだった私に“家族”というとっても大きな宝物をくれた。欧我と文は、私にとってかけがえの無い大切な人なんだ。
だから、心華ちゃんにも…
「欧我、文。いつも本当にありがとう」
面と向かってじゃあ恥ずかしくて言えなかった言葉を、そっと2人に贈る。2人とも大好きだよ。
コツッ!
「いたっ!?」
突然頭に何かがぶつかり、両手で痛む頭を押さえてうずくまった。もう、不意打ちをするなんてひどいじゃない!一体誰の仕業なのよ!
「ん…?」
洗面器のそばに転がっている物体に目が留まった。それを拾い上げてみると、小さな紙切れが挟まった小石だった。その小石に挟まっている紙を取り、折りたたまれた個所を広げていく。
「これって…」
その紙には文字が書かれていた。手紙?誰に宛てた物なのかは書かれていなかったが、文面からして私に宛てられたものに間違いない。そこには、こう記されていた。
『もう一度話がしたい。白玉楼の階段下で待つ。心華」
これ、心華ちゃんから…。その小さな手紙を握りしめ、立ち上がった。今度こそ心華ちゃんと話し合って異変を静めてもらうんだから。見ててね、欧我、文。私、頑張るよ!
白玉楼の門を出て、白玉楼の長い階段を下りていく。そして一番下に着くと、辺りをきょろきょろと見回した。
「心華ちゃん?」
「こっちよ、小傘ちゃん」
声の聞こえた方を見ると、そばの桜の木の陰から顔を出して心華ちゃんが手招きをしている。私は心華ちゃんのもとに駆け寄った。
「小傘ちゃん、来てくれてありがとね。あなたをここに呼んだのは、もう一度話をしたかったからなの」
誰にも聞こえないように、小声で私をここに呼んだ目的を説明してくれた心華ちゃん。それは手紙にも書かれていたから分かるんだけど、話って一体何なのだろうか。
「ねえ、もう一度お願いする。私たちに協力して!」
「心華ちゃん…。復讐なんてもう止めようよ」
予想通り心華ちゃんの目的は異変への協力をお願いするものだったので、私は首を左右に振ると宥めるように優しく言った。
「どうして?あなたに私の気持ちは分かるの?」
「私に貴女のすべては分からないわ。でも、同じ付喪神として悲しみは分かるよ。それに、復讐なんかしても何の意味が無いことも」
「意味がない?じゃあこの悲しみは?憎しみはどうやって無くしたらいいの?」
今の言葉で、心華ちゃんの目的が分かったような気がする。人間たちを乗っ取って暴れさせたのは、心華ちゃんの中にある悲しみや憎しみを発散させるためなんだ。
「復讐じゃない、別の方法でも無くせるの。それは人と関わる事よ」
「人と関わる?」
私の言葉を聞き、心華ちゃんは信じられないという顔をした。
「道具を大切に扱わない人間と関わって憎しみが癒されると思っているの?逆に増していくだけよ!」
「違う。人間がみんなそうだと決まっている訳じゃないわ。人間の中にも、道具を大切に使っている人だっているわ。私も、そう言った人間と関わったことで、悲しみを、そして憎しみを拭い去ることができたの」
「その人って誰よ。名前は?」
「名前は、葉月欧我よ」
脳裏に浮かぶ欧我の笑顔。欧我が私の悲しみを取り去ってくれた。だから、心華ちゃんにも…
「葉月欧我?」
「そうよ。一人ぼっちだった私を悲しみから救ってくれた掛け替えの無い大切な家族なの。欧我はいつも私に優しく笑いかけてくれる。だからなのかな?私、欧我の前にいるともっと甘えたくて、ついつい子供みたいな喋り方になっちゃうのよ」
欧我に甘えたいあまり、時に自分でも驚くぐらい幼い子供のような言動をしてしまうことがある。それでも、欧我はいつも笑いながらそれを受け入れてくれた。その優しさのおかげで、私の心には常に幸せが溢れ返るくらい湧き上がってくる。欧我は私にとって、心を開くことができるただ一人の人間なのだ。今は幽霊だけど…。
「だから、心華ちゃんも欧我に会ってみて。彼は絶対に受け入れてくれるはずよ。だから私を、欧我を信じて」
心華ちゃんに異変を、復讐を止めてもらうように懇願した。心華ちゃんは目を閉じて考えているようだったが、小さく息を吐くと首を横に振った。
「小傘ちゃんの言う欧我って人に会ってみたいけど、復讐のために起こした異変は止めるつもりは無いわ。それに、人間の里で起こした異変は私の能力を試しただけ。真に復讐したい相手は他にいるの。そいつに復讐をするまでは、異変を止めることなんてできない!」
「真に、復讐したい人…?」
心華ちゃんの口から語られる異変を起こした本当の目的、そして真に復讐したい相手。それは、私の耳を疑う内容だった。