水の都とことり   作:雹衣

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第44話

「……」

 ARIAカンパニーのカウンターに座りながら、私は空を眺めます。ネオ・ヴェネツィアの冬の空は青く透き通っていて、そこに浮かぶ浮島もなんだか何時もよりも気持ちよさそう。

 今日は灯里ちゃんもアリシアさんもいません。灯里ちゃん、アリア社長は日用品のお買い物。アリシアさんはゴンドラ協会に呼ばれています。

 その為今日の私は一人でお留守番。とはいえ、お客様からの電話が来なければ私の仕事は無いので、こうやってのんびりとカウンターに座っています。

 海へと視線を落とせば風力発電機が何台も一列に並んでゆっくりと大きな羽を回転させている。すっかり慣れ切ったネオ・ヴェネツィアの穏やかな一幕。それに釣られて私も静かに目を閉じて波の音を聞き続ける。

「……」

 ふと、静かに音を聞いていると「ぎしっ」と音が聞こえてきました。位置は私の前……ARIAカンパニーの桟橋から。

 一瞬誰か来たのかと思ったけれども、音の大きさからすると人というよりは、何か動物みたいな感じ? 海鳥か、それとも……

 何気なくそう思って目を開く。すると

「……あ」

 私の座るカウンターに1匹の黒猫が座っていました。艶のある、綺麗な黒い毛をした可愛らしい猫です。そして、その猫はジッと青い目で私を見つめてきます。

「……」

 その綺麗で澄んだ、まるで海のような青い瞳……その目に私は見覚えがありました。

「あなた、前にもここに、私に会いに来た?」

 私が黒猫にそう聞くと黒猫は黙ってカウンターから外へ飛び下ります。そして、少し桟橋からネオ・ヴェネツィアへ向けて歩くと、黒猫は私へ振り向きました。

 私はカウンターから自然に立ち上がり、その猫を追っていました。黒猫は私の姿を見て桟橋を軽やかな足取りで走っていきます。

 その姿は、まるでどこかへ連れて行きたいかのようで……。

 

 

 

 ネオ・ヴェネツィアの道を走り、黒猫を追っていく。猫ちゃんは付かず離れずの所を走っている……何だかとっても見覚えがある。以前もこうやって黒猫を追ってネオ・ヴェネツィアを走っていた気がします。その記憶を思い出そうとすると少し朧げになる……なのに既視感だけはずっと私の頭の中に霧の様に満ちていて、何だか不思議な気分。

 黒猫は突然、横道へと入っていった。私も躊躇なく黒猫を追うために入る。

 横道は狭い路地で2つの建物の間の狭い道を走る。薄暗い路地では、黒猫の背中は時々漏れる日の光でしか見えない。けれども不安なく私は足で駆ける。

 路地裏はどんどんと薄暗くなっていく。まだ昼間だというのに窓から漏れる光は何時の間にか人工の灯りへと置き換わり、建物の中から猫のシルエットが浮かび上がる。

 シルエットは1つだけじゃない、2つ、3つと徐々に影は増えていく……そしてシルエットの中に1つ。とっても大きな猫の影が浮かび上がった。非常識な程大きなシルエットは大の大人よりも大きい……そのシルエットの相応大きな2つの眼と眼があった。そこに恐怖はありませんでした。だってなんだかそれは

 

 私の行く先を見守るようで/見送るようで。

 

 そう思った瞬間、視界が開けました。

 私は何時の間にか小さな広場に立っていました。建物に囲まれ狭い2つの路地からしか繋がっていない、人気のない……皆に忘れられたかのようにポツンと空いた空間。水のない枯れた噴水だけが置かれたもの寂しい広場。

 そして――。

「お姉ちゃん」

 この広場の端に一人の女の子が立っていました。

 

 

 

「お姉ちゃん。久しぶり」

 女の子は私をじっと見て声を掛けて来る。

 この子には、以前も会ったことがありました。ヴォガ・ロンガの練習の時に出会った女の子。彼女はあの時と同じ黒いワンピースを着ていました。

『でも何時か決断しなくちゃいけないの』

 そして彼女があの時言った言葉を思い出します。そう、あの時、彼女の言葉を全部理解できたわけではないけれど……彼女を見て私は何となく理解しました。

 ここが彼女が言った決断の時だって。

「うん、久しぶり」

 私がそう声を掛けると、女の子は目を細め嬉しそうに笑います。

「お姉ちゃん。うん、良かった……とっても素敵な顔してる」

 そう言うと彼女は枯れた噴水の周りをクルクルと駆け出します。なんだか自分に楽しい出来事が起きたかのよう。

「……そんなに嬉しいの?」

「うん、だって今のお姉ちゃんならどっちに行っても素敵な道を歩めるって分かるもの!」

 そう言うと女の子は噴水の縁を足場に勢いよく飛び、私の前に綺麗に着地します。黒いワンピースと相まってその姿軽やかな動きはしなやかな黒猫を思わせました。

 ……そう、黒猫。さっきまで追っていた、綺麗な青い目をしたあの猫の様。

 彼女は私に当たってしまいそうな程顔を近づけたと思ったら、私の手を引きます。

「こっちこっち!」

「うわわ!」

 そう言うと女の子は私を引っ張ると、枯れた噴水の傍まで誘導してきます。

 私はあまり抵抗せず、彼女に従うとその縁に座り、私をじっと見てきます。

「……それで、私は何を決断したらいいのかな?」

 私は女の子に尋ねました。私の頭の中ではもう何を言われるのか、大体分かっているというのに。

「うん、それはね。お姉ちゃんがここに残るか……それとも過去に、音ノ木坂に戻るか。その決断をしなくちゃいけないの」

 ……うん、やっぱりその通りだ。女の子は私が想像した通りの言葉を発した。

 見当もつかない音ノ木坂への帰り道。それを彼女は知っている……一見信じられないような言葉。けれども、私の心はそれにストンと納得してしまった。

「そうなんだ……もう、時間は無いの?」

 私はそう質問しました。それと一緒に私の頭の中に浮かぶのは皆の顔。灯里ちゃん、アリシアさん、アリア社長のARIAカンパニーの皆。アテナさんにアリスちゃん……オレンジぷらねっとの2人。晃さんに藍華ちゃん……姫屋の2人。

 挨拶もせずに突然消えちゃうのは少し寂しい。けれども

「うん、ここが最後。ここから一度戻っちゃうともう、ここには来れない」

 女の子はそんな私の考えを見透かしたように、言い切りました。

「急でごめんね? でも、ここが時間ギリギリなの。ここを過ぎるとお姉ちゃんは戻ることが出来なくなる。だから、お姉ちゃんに答えを聞きに来たの」

 そう言うと女の子は笑みを消してジッと私を見つめてきます。彼女の青い大きな丸い目は私の答えを待つように静かに見つめてきます。

 その真剣な眼差しで、どうやら彼女の言葉に全部嘘は無さそうです。

 そしてそれと一緒に以前、女の子が言った「ずっと落ち込んでたから心配だったんだ」の一言を思い出しました。多分、ここに私が来た理由はそんなお節介。純粋な心配だけだということがよく分かりました。

「そうなんだ……うん、ありがとうね」

 思わずそう呟くと同時に私の手は女の子の頭に触れちゃいました。

「うわっ!」

 女の子は驚いた声を上げる、けれども抵抗はせず、不思議そうに私の手を見上げます。

「あなたに心配させちゃったんだね。私」

 そう言って女の子の頭を撫でます。彼女はそれを気持ちよさそうに目を細めながら甘受してくれます。

「うん、あなたのおかげで私のやりたいことが見えたよ」

「うん、それは何?」

 私の言葉に女の子は嬉しそうな声を上げて、私の顔を見つめてきます。二つの眼はキラキラなんて言葉が似合うくらい輝いて、私の返答を待っていました。

 私はその二つの眼をまっすぐに見つめ返して、口を開きました。

「私はね――」


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