「うーん、特別、特別……」
「ま、まあまあ。灯里ちゃん」
ネオ・ヴェネツィアから少々離れた小島の一つ。そこで灯里ちゃんはうんうんと唸っています。この小島はいつもの練習スペースの一つ。藍華ちゃんが「スタミナを鍛える練習」と称してここまでゴンドラで行くことが何度かあありました……ひとまず練習中なのでここまで漕いでみたけれど、灯里ちゃんの称する「特別な練習」にはちょっと違うみたいで、どこか不満顔です。
「今日は色々やっていこう。灯里ちゃん」
「はひ、そうだね。まだまだ今日は始まったばかりだしね。頑張りましょう!」
私の言葉に嬉しそうに顔を綻ばせる灯里ちゃん。それを見て私も彼女に笑顔を向けます。
「じゃあ、次は私が練習するね」
「あ、はひ」
私がオールを灯里ちゃんから受け取り、ゴンドラの船尾へと移動します。
「特別かぁ」
私も灯里ちゃんから聞いた言葉を繰り返します。占いの結果に一喜一憂するのはよく分かります。私も占いとか大好きだし、希ちゃん程じゃないけど占いの本とか図書室から借りる事もあります。だから、ランキング一位で嬉しい気持ちも分かるけど……。
(今日は特別気合が入っているというか……)
なんだか、いつもより変? 緊張しているというか色々ガチガチというか……。
「まあいいや、灯里ちゃん。じゃあ、私も今日気合入れてやるから見ててね」
「はひ、ことりちゃんをしっかり見てるね」
「うん、お願い!」
灯里ちゃんの意気揚々とした返事に私はオールを握りながら返事します。
私達のそんな特別探しなど知らない
小島を一周した後、穏やかな海を渡る私。灯里ちゃんはまだ「うーん」なんて可愛く唸っています。
「そうだ、灯里ちゃん。この前行ったパフェのお店、最近期間限定メニュー出てたの知ってた?」
「へ、ああ、あのお店。そうなんですか?」
ふと、私は何気なく思い出したことを呟きました。そのお店は以前アリシアさんと灯里ちゃん、アリア社長の皆で食べに行ったお店です。偶然、一人で散歩している時に通りがかって、そのことを覚えていました。
「うん、メニューの写真が凄くおいしそうで覚えてたの」
「そうなんだ、あ、ちょっと行ってみる?」
私の言葉を聞いていた灯里ちゃんがそう提案します。
「うーん、アリシアさんとも一緒に行きたいけど……」
そう言って私はアリシアさんの予定を思い出します。うーん、そこまで一緒に行く余裕は無いかもしれない。
「じゃあ、私達で一回食べに行ってみましょうか。アリア社長もそれでいいですよね」
「ぷいにゅ!」
私の言葉にアリア社長は嬉しそうに尻尾を振りながら返事します。
「アリア社長も行ってみたいそうです」
「ふふ、甘い物好きだもんね。アリア社長」
「ぷい」
私達の言葉にアリア社長は前足を挙げて元気に返事をします。
「じゃあ、社長の了承も頂いたし、行きましょう!」
私はそう言うとオールに力を込めてゴンドラを加速させて、ネオ・ヴェネツィアの方に舵を向けました。
ここはネオ・ヴェネツィアの一角。サン・マルコ広場からちょっと離れた所に立っているパフェのお店。そこのオープンテラスに私達はいました。
「うわぁ」
「ぷいにゅ!」
「凄いですねー、アリア社長」
私の前に置かれた大きなパフェ、期間限定でイチゴをいつもより大幅に載せたピンクの特大パフェ。それを私達は思わず感嘆の声を漏らしながら眺めます。
まるまる一個乗っかっているイチゴと生クリームを一緒にほおばる。ほのかな酸味溢れるイチゴと生クリームの甘さが程よく混ざって……。
「ん、おいしい!」
「はひ! すっごく甘くて……思わず頬が落ちちゃいそう」
皆で顔を緩めながらパフェを食べていると思わずついつい夢中になっちゃいます。
「うーん、幸せ」
私は嬉しい声をあげながらスプーンでパフェをすくっていると、灯里ちゃんは私に目を向けている事に気が付きました。
「……? な、なに、灯里ちゃん」
「ううん。ことりちゃん、楽しそうで良かったって思ってただけ」
「? そ、そう?」
なんだか年下の灯里ちゃんにそう言われちゃうと気恥ずかしさみたいなのを感じちゃいます。
「うん、ことりちゃんこっちに来たの夏くらいだったのに、もう冬だもんね」
「そうだね、もう冬だね」
灯里ちゃんにそう言われ、素直に同意します。夏に
「だから、ちょっと不安だったの。ことりちゃん落ち込んでないかな、とか」
そう言うと「たはは」と灯里ちゃんは笑います。
「だから、ことりちゃんもちょっと落ち込んでないかなぁと思って。色々励まそうと思ったんだけどね」
「だから、今日『特別な練習』探してたの?」
灯里ちゃんが今日占いの結果を見てから色々探していたのになんか合点がいっちゃいました。どうやら私を励ましたくて二人で楽しくなるような練習を探していたみたい。
「はひ、占いの結果もあったし良い事あるかなって思ってね。ただ、今日もことりちゃんに励まされちゃった」
そう言うと灯里ちゃんは「たはは」なんて笑います。
それを見てパフェを食べるスプーンを止めます。灯里ちゃんの明るさにいつも助けられているのは私なのに。
「よし」
そう思ったら思わず声が出ていました。
「……ことりちゃん?」
私の声に灯里ちゃんは不思議そうに首を傾げます。
「灯里ちゃん、今からちょっと行きたい場所あるの」
「え?」
私の言葉に灯里ちゃんが目を開いてびっくりします。
「だから、ちょっと来て欲しいの」
「え? う、うん」
私の言葉に灯里ちゃんは戸惑いつつ首を縦に振ります。そして灯里ちゃんはアリア社長に目を向けます。
「ぷい?」
そんな私達をパフェを食べながら静観していたアリア社長は灯里ちゃんに不思議そうに首を横に傾げました。
パフェを食べきった後、私はゴンドラを漕いでネオ・ヴェネツィアの水路を進んでいきます。私が漕ぐゴンドラは徐々にネオ・ヴェネツィアの中心から徐々に離れていき、街外れにまで行きます。
「……ここは」
私が進む方向を見て、灯里ちゃんは何処へ向かっているのか気が付いたみたいで、小さく声を漏らしています。
「よっと」
私は前から来るゴンドラを避けます。昔はそんなに細かい操作出来なかったけど今ではこれくらいならお茶の子さいさいです。
「おぉー」
それを見て灯里ちゃんは思わず拍手をします。
「ことりちゃん、ゴンドラ本当に上手くなったね」
「うふふ、どう?」
「うん、ほんと。ここを上手く漕げるなら、もしかしたら、もう私と同じくらい上手いかも!」
灯里ちゃんのそんな言葉を聞いてなんだか嬉しくなります。いつもの練習だけじゃ中々実感が湧かないけどゆっくり成長出来てる。
「でも、私はまだまだだよ。あ」
そう言っていると、ゴンドラの前に壁に囲まれた滝……水上エレベーターが見えてきます。
「お、お客さんかい」
水路の横に椅子を置いて寛いでいるおじいさんが私に気付いて話しかけてきます。
「はい、上に行きたいんです」
「はいよ、ちょっと中で待ってな」
おじいさんがそう言うと水上エレベーターの後ろの壁が閉じられます。滝から流れる水は止まらず、壁にせき止められた水は行き場を失ってエレベーターの中に溜まっていきます。
「昔、ここに来た時とってもびっくりしちゃったな」
「そうだね、私もアリシアさんと初めて来た時同じようにびっくりしちゃった」
そう言うと私達は思わず笑いあっちゃいます。
水上エレベーターの水位はどんどん上がり、ゴンドラもそれに合わせて上へ上へと登っていきます。
そして、水上エレベーターが上がり切ると、下にいたおじいさんが先に上がっていて迎えてくれます。
「ありがとうございます」
「おう、帰る時は呼んでくれ」
おじいさんにお礼を言うと私はゴンドラを漕ぎ始めます。
水上エレベーターの先は冬だからか、前回来た時よりも茶色がかった野原が広がっていて、野原には沢山の風力発電の風車が立ち並んでいます。
空を見ると
そんな水路を私はゴンドラで漕いで進みます。
「灯里ちゃん、前ここに連れてきてくれたよね」
その途中、私は灯里ちゃんに声を掛けます。それを聞いた彼女は私に振り向くと笑って頷いくれます。
街灯の灯りが点灯しはじめ、灯里ちゃんの顔を黄色く照らします。
「あの時、色々悩んでいる私にここを教えてくれたの本当に嬉しかった」
私の言葉はゆっくりと星が見える空に融けて消えます。
「だから、私にとってもここは素敵な思い出の場所なの……ここが今日の特別じゃ、駄目かな?」
そう言って私が微笑むと灯里ちゃんも弾けるような笑みを返してくれました。
「はひ、もちろん! 今日はとっても本当に素敵な日です!」
そう言うと嬉しそうに目を輝かせる灯里ちゃん。その姿を見ると私も頑張ってここまで漕いできた甲斐があって、嬉しくなります。
「ぷいぷい!」
ふと、アリア社長がゴンドラの船尾に跳んできて、立ち上がります。そして、私の後ろの方を指さし始めました。
「どうしたんですか、アリア社長……わぁ!」
アリア社長の指の先を見た灯里ちゃんが声を上げます。それを聞いて私も振り返ると
「わぁ」
視界の先、箱庭みたいに小さく見えるネオ・ヴェネツィアの街は暗いアドリア海の中で輝いていました。
「はひ、本当に今日は特別で素敵な日でした! アリシアさんと来た時もすごかったのに、今日はもっと綺麗で、素敵な景色を見れたんです!」
灯里ちゃんのその歓喜混じりの明るい声。それを聞いて私も笑みを浮かべます。
――本当にここに来てよかった。
なんて思わずそう感じました。