水の都とことり   作:雹衣

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第34話

「あ、ことりちゃん、こんにちは。良い天気だね……ことりちゃん?」

「……あれ? アテナさん?」

 空は雲たちがゆっくりと泳ぐ青い空。涼しい風が吹いているサン・マルコ広場の桟橋。

 ふと気が付いたら私はその桟橋で立っていました。そしてアテナさんがゴンドラに乗って「おーい」なんて朗らかな笑顔を浮かべながら私に近づいてきています。

「ことりちゃん、ぼうっとしてたね。誰か待ってたの?」

「あ、いや、そんな訳じゃないんですけど……アテナさんは今日のお仕事終わりですか?」

「うん。ことりちゃんは練習?」

「はい」

 アテナさんに尋ねられた私は首を縦に振ります。それ以外にもなにかあったような気がしたけれど、その事を思い出そうとすると靄ががったような……ずいぶん昔の事を思い出そうとするような歯がゆい感覚に陥ってしまいます。

 そもそも、どうやってサン・マルコ広場に? 確かに練習でここまで漕いでみようとしていたのは覚えているけど、その練習を途中から思い出せません。途中にとっても大事な話があったような気がするんだけど……。

 ふと、広場を黒い影がよぎった気配を感じて私はそっちに振り向きます。けれどもそこには何もいません。

「……? どうしたの?」

「いや、何でもないです。ちょっと疲れちゃったのかな」

「練習してたもんね。じゃあ、ちょっと休憩する?」

 そういうとアテナさんは微笑んで、ゴンドラから降りました。

 

 

 アテナさんと歩いて数分。私達はカフェにやってきました。以前、アテナさんといったカフェです。

「ここね、私のおすすめがあるの。すみませんホットチョコレートを二つお願いします」

 そういって微笑むと店員さんにメニューを頼みます。

「沢山練習してたみたいだけど、何かあったの?」

「ヴォガ・ロンガがあるのでそれの練習してました」

「ヴォガ・ロンガ……あぁ、そっかそんな季節なんだね。ことりちゃんは頑張り屋さんだね」

 私の返答を聞くと感心したようにアテナさんは頷きます。……私としてはそれ以外にすることが無いからやっているみたいな面もあるので水先案内人(ウンディーネ)として毎日働いているアテナさんにそんなに感心されちゃうとなんだかこそばゆく感じてしまいます。

「いや、私は別にそんなわけでも……ヴォガ・ロンガの練習も私が勝手にやってるだけだし」

「そうなの? でも、最近すっごく練習してるって晃ちゃんも言ってたよ」

「……それは、正直あまりすることがないからしてるっていうか……」

「そういえば、色々あってARIAカンパニーに居るって以前聞いたけど。いつまで居るの?」

 アテナさんからの何気ない質問に私の動きが止まります。

 いつまで……私はいつまでARIAカンパニー、いや火星にいるのだろうか。

「ううん、いつまでか決まってない……かな?」

 曖昧に答えるとアテナさんもそれを聞いて察したのか思わず申し訳なさそうな表情に変わります。

「ごめんなさい、言いづらい事だった?」

「い、いや。全然、大丈夫です。……ただ、帰ろうにも帰れないというか」

 思わず頬を掻きながらアハハと笑ってしまいます。

「そうなの? 地球に帰るお金が無いとか?」

 アテナさんは私の言葉に不安そうに呟きます。

「え、えっとそう言う訳じゃないんですけど……」

「そ、そう? でも何か大変なことあったら私にも相談してね」

 そう言うもののアテナさんは不安な表情を隠してはいませんでした。……まぁ、しょうがないよね。でも、「実は過去の地球(マンホーム)から来ました」なんて言っても流石に信じてもらえるとは思えないし……いや、アテナさんなら信じてもらえるかもしれないけど、変に私の事情を知って心配してもらうのも何だか申し訳ないです。……それに

「あはは、その気持ちだけ頂きます……それにアテナさんにはもうすっごく助けられましたから」

「え?」

「アテナさんに初めて会った時の言葉です『そこで立ち止まったら多分、駄目』。私も決めなくちゃいけないんです。きっと」

 今日、私の中で靄がかった欠けた記憶。でも何か覚悟を決めなければいけない。それだけは私の心の中ではっきりと刻まれていました。

「……」

「アテナさん? 何か悩み事ですか?」

 私が覚悟を決めて言うと、アテナさんはちょっと視線を下に向けます。なんだか、アテナさんにも気がかりなことある点……なんだかそんな風に見えました。

「うん……ちょっとね。色々」

「アリスちゃんに関する事ですか?」

「ん」

 私の言葉にアテナさんはびくりと肩が動きます……ズバリ図星かな?

「う、うん……そうなの。すごいねことりちゃん。よく分かったね」

「何となく……かな。アテナさん、アリスちゃんのことよく考えてるの私でもよく分かっちゃいましたし」

 そういってちょっと悪戯っぽく笑うと、アテナさんはなんだか恥ずかしそうに、でもとっても嬉しそうに笑います。

「なんだかそう言われるとすっごく恥ずかしいね」

「全然恥ずかしい事じゃないですよ。すっごく仲が良くてなんだか羨ましいです」

「ううん、そうなのかな。なんだか色々と悩むことがあってね……」

「お待たせしました」

 アテナさんが悩みを切り出そうとした瞬間、私達の前に飲み物が届きます。グラスになみなみと入ったホットチョコレートの上に山盛りの白いクリーム……なんだかすっごく甘そうな飲み物が運ばれてきました。

「おお……」

「ふふ、まずはこれを飲もうか」

 素直に驚いた声を上げてしまった私を見てアテナさんは嬉しそうに微笑みます。オススメというだけあってアテナさんはこのホットチョコレートがとても好きみたいです。実際私も凄くおいしそうで関心がこっちに思わずむいちゃいました。

 相談事は一つ置いといて私達は運ばれてきた飲み物に手を付け始めます。……なにがともあれ、まずはおいしいもの、だよね。

 


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