水の都とことり   作:雹衣

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第33話

 ゴンドラはゆっくりと暗い水路の中……の筈なんだけど、もはや廃屋の中を進んでいるかのようです。水路の中の所々に崩れて沈んだ木材が見え、水の上にいくつか看板みたいなものが見えます。ついさっきまでの時間はお昼の筈でしたが、上はボロボロの木の屋根に遮られ、隙間から僅かに光が漏れるのみ……暫くまっすぐ進んでいましたが、途中から右へ左へと道が入り組んでいてどの辺りを漕いでいるのか直ぐ分からなくなっちゃいます。

 そんな水路で唯一の頼りは、ゴンドラに乗っているワンピースの女の子。時々、私に簡単な指示を出してくれますが、ずっと暗い水路が続くばかりでこの先に本当に出口があるのか全然分かりません……。

「ねぇ、本当に何処まで行くの?」

「いーから、いーから」

 私不安の声に対して、女の子の言葉はまた変わらずの気ままな返事……本当に大丈夫なのかな……。

「あ、次は右ね」

 不安な私を余所に女の子は声を上げます。それに従って私もゴンドラを右に向けます。

 その時、水路の奥に何か見えました。薄暗い水路の為、奥の方は何も見えない。ただ一瞬、そこで何かが二つくらい……点のようなものが光った気がしました。

「……?」

 思わず目を凝らしてみますが、その箇所は真っ暗で何も見えません。……なんだか、ここずっと暗いし、入った当初からなんだか誰かに見られるような感覚がします。

 も、もしかして幽霊とか⁉

「って流石にそんなことは無いかな」

 思わず頭の中で考えていたことを否定します。幽霊だなんだって……もう、ここは火星(アクア)。未だに怪談話とかそういうのはもう時代遅れ……なのかな?

「ねえ、お姉ちゃん」

「ひゃ、な、何?」

 女の子に突然聞かれて私は思わずビクッとしながら答えちゃいます。ちょっと水路が怖くなってきているのは年下のこの子には内緒です。

 女の子は私の様子を大して気にして無さそうで言葉を続けます。

「……お姉ちゃん、火星(アクア)での暮らし、どう?」

「え、な、なに?」

「楽しい?」

 そう言って女の子は私に顔を向けます。

 なんでそんな事を聞くんだろうか? まるで私が火星(アクア)出身じゃないことを知っているみたいな……。

 ポチャンと、何処かで水音が聞こえました。……どこかで水漏れでもしているみたい。こんなボロボロじゃ、何処かで水が漏れていても可笑しくないんだけど……。

「た、楽しいよ? 皆いい人ばかりだし」

「そう? 良かったぁ」

 そう言うと嬉しそうに女の子は笑います。

「お姉ちゃん、ずっと落ち込んでたから心配だったんだ」

「え、そ、そう?」

 ずっと? 少し疑問に思っていたけれど、女の子は私の事を前から知っている……そして、私もどこかで会ったような。

 そしてふと頭の中に噴水のあった広場の事を思い出しました。そういえば、あの時あった女の子にこの子は似ているような……。

「うん、お姉ちゃんこっち来る前何かずっと悩み事してたでしょ?」

「……え?」

 そう言うと少し悲しそうな表情になる。

「だから、とっても楽しい場所に連れてきてあげたら良いんじゃないかなぁって、思ったの」

 そう言うと少女は立ち上がり、私の方に近寄って来る。少女の瞳は気付いたら縦に細長くなっていました……さっきまではこういう目じゃなかったはずです。

「前に会った時はまだまだ不安だったけど。もうとっても元気だね! 安心しちゃった」

「ねぇ、何か、私の事知ってるの?」

「うん、知ってる。ずっと」

「ずっと」……多分、その言葉に嘘じゃない。彼女の声音からはそう感じました。

でも、それと同時に「ずっと」の範囲が分からない。ネオ・ヴェネツィアに来た当初? いや、もっと前から私を知っているかのような口ぶりです……。

なんだか、ゴンドラを漕ぐ手が急に力を冷たくなったように感覚が無くなります……。

「だから、お姉ちゃん、前にもした質問、もう一度するね。お姉ちゃん、何処から来たの?」

 

 

 

 「何処から来たの」……憶えてる。その質問は噴水で出会った少女にされたものでした。

「何処から来た……」

「ううん、今は違うね。お姉ちゃんにしなくちゃいけない質問はこっち、『お姉ちゃん、何処に帰りたい?』」

「何処に帰りたい……」

「そう、そろそろね。お姉ちゃん。決めなきゃいけないの。今日はそれを伝えに来たの」

 質問が大きく変わっている事に気付いて私は呟きます。それに対して女の子は無邪気な声音を一切変えずに答えました。

 ピチャンと水滴が落ちる音……また、何処からか見られているような感覚。

 私は視線を感じた方向に向きます。

「今のお姉ちゃんは選べるの。ここに残るか、帰るか」

 ……そこには沢山の目がありました。縦に割れた眼それがあちこちに……光っていました。水路の端、何対もそれが浮かび上がっています。屋根の柱。家屋の窓の奥。

 その眼すべてが私を見つめていました。

「選ぶのはあなた次第……ただ、何時までも待てないの」

 女の子はそう言っています。けれども私の意識は周りの目に向いてしまいます。視線はゆっくりと増えていき、私を取り囲んでいるかのようです。そのことに思わず鳥肌が立ってしまいます。

「お姉ちゃん、だから気を付けてね。私達は過去と未来を繋げることが出来る……でも何時か決断しなくちゃいけないの」

 その女の子の声はハッキリと耳に聞こえていました。けれどもまともに返事は出来ませんでした。私を見る周囲の視線が何なのかに気付いたからです。

 それは、猫でした。何十匹……いや、それどころか百を超えちゃうんじゃないかという数の猫さん。猫さん達があらゆる所から私を見つめていたのですから。

「お姉ちゃんが今ハッキリと答えられたなら、今すぐにでも帰してあげられるんだよ? でもまだ、火星(アクア)に居たいのかな? 居心地良いもんね」

 そう言うと女の子は「よかった、よかった」と一人で何やら納得したみたいに呟いた後、彼女は笑いながら言いました。

「次にこの姿で会った時、それが最後だよ。その時、質問の答えよろしくね?」

 


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