水の都とことり   作:雹衣

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第32話

「ヴォガ・ロンガ……そっか、もうそんな時期なんだねぇ」

 晃さんと会話をしたその日の夜、夕飯の準備をする二人に晃さんからされたお話をしました。

「そうね。良いんじゃないかしら。晃ちゃんの言う通り凄い大きなお祭りだから、ことりちゃんも楽しめると思うわ」

「でも、私なんかが出て良いんですか? その、ARIAカンパニーの制服を着て出ると、なんというか会社の箔みたいなのとか」

 あっさり了承するアリシアさんに私は思わず聞いてしまいます。晃さんは「水先案内人の昇格試験も兼ねてる」みたいなこと言っていたけど……。

「あらあら、ことりちゃん、特に順位とか付ける訳じゃないからそう言う事を気にする必要ないわ。去年の灯里ちゃんはゴールするのに一日がかりでゆっくりゴールしたのよ。お祭りだから大切なのは速さとかじゃなくて、楽しく参加できるかどうか」

 そう言うとアリシアさんはニコニコと灯里ちゃんに微笑みます。

「あはは、途中で会う人たちと喋ったりしてたら、ついついゆっくりになっちゃって……」

 そう言いながら苦笑する灯里ちゃん……なんだか、灯里ちゃんらしいエピソードです。

 でも、そっか……楽しく参加できるか。ある意味ゴンドラでそういう視点で考えたこと無かったかもしれません。

「そうそう、ことりちゃん、肩ひじ張らずに参加して良いのよ」

 そう言いながら、アリシアさんは、にこやかに微笑みました。

 

 

 

「ってアリシアさんは言ってたけど……」

 その次の日、私はゴンドラを水路で漕いでいました。

 楽しく漕ぐ……実際とても大事。でも、やっぱり少しは練習しなくちゃ。

 流石に下手くそな漕ぎ方でARIAカンパニーの泥を塗るような……なんて堅苦しく考えている訳では無いけど、やっぱり人前で漕ぐんだからね。

「ここで曲がる時はっと……」

 オールに負けないように足に力を入れて漕ぐ……うん、我ながら上手くいった気がする。

 大きい水路からちょっと狭い水路に入る。ここ最近よく通る練習コースの一つ。辺りは民家に囲まれていて、ネオ・ヴェネツィアの観光名所からは少々遠いから人通りが少ない。更に、水路としては細くて、高いオール捌きが要求されるから個人的にすっごく難易度が高いコースなので、私は最近この辺りで練習をしています。

「お姉ちゃん」

 ゆっくりと漕いでいく途中で民家の前を通る。その時、女の子の声が聞こえてきました。ふり向くと黒いワンピースを着た女の子が近くの桟橋に立ってました。

……結構近くに居たのに気付かなかった。

「お姉ちゃん」

「え、あ、うん。何?」

「最近よく来るね」

「あ、うんゴンドラの練習でね」

 どうやらこの辺りに住んでる子みたいです。彼女は私の事をニコニコと微笑んで見ています……なんだかとっても不思議な雰囲気の子。

 彼女は私がちょっとぼうっとしていると勝手に私のゴンドラに移って来ちゃいます。

「あ」

「お姉ちゃん。ちょっとあっちに行って」

 なんて言いながらニコニコと笑う女の子、彼女は指をスッと伸ばして脇道を示します。

 思わず突然のことに何が何だか瞳をぱちくりしていると女の子はニコニコと笑い続けています。

「お姉ちゃん行こ行こ」

「ええ、なんで? そっち言ったことないよ私。それに……私はまだお客様を乗せちゃいけないんだよ」

 一応格好は水先案内人(ウンディーネ)なので、アリシアさんや灯里ちゃんの言っていた言葉を思い出して女の子に注意します。でも私の言葉を女の子は余り気にしない様子で言いました。

「大丈夫、私が詳しいから。それに、お姉ちゃん水先案内人(ウンディーネ)じゃないでしょ?」

 思わずオールを持つ手が固まりました……格好だけでそれを判断できるとは思えません。女の子はそんな私を知ってか知らずか、彼女は私に笑顔を向けます。

「だから大丈夫だよ。お姉ちゃんの練習に付き合ってあげる。それにお姉ちゃんに大切なお話があるの」

 

 

 

 

 

 その後、女の子を乗せたまま私はゴンドラを漕ぎだしました。黒いワンピースの女の子はゴンドラの座席に座り、ゴンドラが進む度に生み出す波を楽しそうに眺めています。

 ……本当に何で、私が水先案内人(ウンディーネ)だって分かったんだろう。

 彼女の様子を眺めつつも心の中はその気持ちで一杯です。格好だけで言えば寧ろ水先案内人(ウンディーネ)と判断されて当然の筈……以前観光客らしき親子に間違えられたこともあるし、それが普通だと、思う。じゃあ、なんで違うと思った? それは、私の事を知っているから?

 そこまで、考えて私はふと気が付きました。目の前の女の子に私は一度会っている。あの子は……確か

「お姉ちゃん、ここここ」

 女の子に声かけられて私はふと意識が女の子の方に戻ります。いつのまにかゴンドラは女の子が指さしていた脇道の前にいました。脇道の先を覗いてみます。幅はそこそこあってゴンドラが通るのは問題なさそうです。ただ道は暗くて先が見えません。まだお昼なのにここから先はまるで夜みたいです。

「ここ? ねえ、この先に何の用があるの?」

「ん? ただの道だよ。大丈夫」

 女の子はニコニコな表情を崩さずに言いました。……あまり悪意は無さそうだけど、本当に大丈夫なのだろうか。

「はやくはやくー」

「んー、分かったよぉ……」

 女の子に強く推されて最終的に私は折れました。オールを動かして脇道へとゴンドラの向きを変えます。

 そして暗い暗い水路へと黒いワンピースの女の子を乗せたゴンドラはゆっくりと入っていくのでした。

 


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