この後、私達はネオ・ヴェネツィアの様々な所を見て回りました。小さな雑貨屋さん、藍華ちゃんが良く使う抜け道のような小道……。観光名所よりも、藍華ちゃんの生活に即したスポットを見て回った後、私達はカフェで一息つくことにしました。そして私は再びサン・マルコ広場へと歩くことになりました。
藍華ちゃんの案内でやってきたそのカフェはサン・マルコ広場の雰囲気に融け込むように開いています。……なんというか、サン・マルコ広場と一体化している? 歴史を一緒に刻んできた。そんな表現も似合うお店です。
「うわぁ、凄いお店。本当に良いの? 藍華ちゃん」
「遠慮しなくて良いわよ。さ、早く入りましょ」
秋葉原とかのカフェとは全然違う雰囲気に圧倒される私とは裏腹に藍華ちゃんはずんずん進んで店内へと入ってしまいます。それに私も慌てて彼女についていき、中へ入ります。
「うわぁ……」
ウェイターに連れられ席へと案内されます。しかし、室内の様子を見るだけで私は思わずポカンと顔を開けてしまいました。室内は見てみると天井には沢山の花の絵があしらわれていたり、金の額の鏡が置かれていたり……まるで昔のヨーロッパの御屋敷に迷い込んだかのような古めかしくも荘厳な装飾達に目を惹かれてしまいます。
私があちこちに目を泳がせながら席へ着くとウェイターさんからメニューを手渡されます。
「カフェ・フロリアン。ネオ・ヴェネツィアに来たならここには一度寄らないとね」
藍華ちゃんはそう言うとのんびりとメニューを見始めます。ここには何度か来てるようで手慣れた手つき。私はこのお店の古めかしい雰囲気に少し緊張しながらメニューを読み始めます。
「うーん……じゃあ、アイスカフェラテかな」
「そうね、私も同じ物頼むわ。すみません」
藍華ちゃんが手際よく頼むとウェイターさんはうやうやしく頭を下げ、立ち去って行きました。店内には私達以外にも観光客らしき人達が何人か見えます。
「ここ、凄いね。まるでタイムスリップしちゃったみたい」
「そうね。ここカフェ・フロリアンは地球の頃から数えて580年。サン・マルコ広場でずっとカフェをしているお店よ。この店内の内装もその頃から全く変わってないの」
「580年!」
カフェ・フロリアンの長い歴史に思わず声を上げちゃいました。地球の頃から続いているというだけでも驚きですし、同時にこの建物の趣ある内装にも納得です。
「地球から持ってきたんだ」
「そうよ、
「そんな話はアリシアさんからも聞かれたけど話の規模が大きすぎてイメージが浮かばないよ……」
「あはは、そうね」
私の言葉に藍華ちゃんは笑いました。馬鹿にしてるというよりは同意した感じの笑み。
「スケールが大きすぎるわよね。文化を守りたいから街を丸々
藍華ちゃんがそう言っているとウェイターさんがやってきてカフェラテを置いていきました。それに私は口を付けます。コーヒーの苦さと牛乳の甘みが丁度よく混ざったその飲み物はずっと外で散歩していた私の体をすっと冷やしてくれます。
「ま、私達はそのおっきな事業のお蔭で今このカフェラテを飲める。そのことを感謝すればいいのよ」
「あはは、そうだね。もしかしたらこのカフェラテも飲めなかったかもしれないもんね」
藍華ちゃんが明るく言ったその言葉に私は思わず頷きました。
二人でカフェラテを片手に静かな午後の時間を過ごします。最初はさっきまで案内してもらった場所の事。その後は灯里ちゃん、アリスちゃんの話。姫屋にいる厳しい先輩の愚痴……などなど色々な話題で盛り上がりました。
「そういえばことり、
そして話題が移って私の話題になりました。
「何か?」
「そう、良く思ったらことりの事良く知らないなぁなんて思ってね」
「そうだね、余り言う機会も無かったし……うーんスクールアイドル? かな」
藍華ちゃんの言葉にまず思いついた「μ's」の事を伝えました。
「スクールアイドル?」
藍華ちゃんはそれを聞いて不思議そうに首を傾げます。……どうやら今のネオ・ヴェネツィアではあまり馴染みはないみたいです。
「うん、何て言うんだろ? 学校の部活で、友達と集まって歌を練習したり踊ったり……みたいな感じかな?」
「へぇ」
私の説明を聞いて藍華ちゃんがちょっとびっくりした反応。なんだか、意外と感じているみたいです。
「な、何かな?」
「いや、まあ……ことりって正直あまり積極的に運動するイメージが湧かなくてね。なんというかふわふわしてる感じ? なんだけど踊りとかやってたのね」
「あはは、それよく言われるよ」
藍華ちゃんのイメージ通り私はそこまで運動が得意ではありません。大の苦手って程じゃないけど、いつも元気な穂乃果ちゃんや、弓道などもやっている海未ちゃんに比べれば全然です。
「最初は色々大変だったけど、でも一人じゃなかったからすごく楽しかったの」
「一人じゃなかったから……友達とか?」
「うん、皆とずっと一緒に練習してたから。得意じゃない事でも頑張れたの」
「にゃるほどね」
藍華ちゃんはうんうんと頷きながらアイスカフェラテを口に含みます。私の言葉に何やら納得したみたい。
「多分、藍華ちゃんにとっての灯里ちゃんとアリスちゃんみたいな感じかな?」
「な!?」
私が思ったことを何気なく口にすると藍華ちゃんはカップを落としそうになってしまうくらいにビックリしたみたいです。
「な、何を言い出すのよ」
「え? 似てるなぁって思っただけだよ。灯里ちゃんとアリスちゃんの三人で一人前の
「ああ、もう何か恥ずかしくなってくるからストップ!」
藍華ちゃんは顔を赤くしてストップをかけてきました。
「……どうしたの?」
「いや、ことりの言う事はよく分かるわよ。実際あの二人がいて勉強にもなるし、頑張ろうって気も起きる。でもそこまで直球で言われるとなんだが、恥ずかしくなるのよ」
そう言って彼女は赤くなった顔を冷ますようにカフェラテを飲みます。
「藍華ちゃんって褒められたら『どうよ』みたいに自信満々なイメージだったんだけどそんな顔もするんだね」
「普段はゴンドラの漕ぎ方とか、そういうのでしょ。さっきのとは違うのよ」
「さっきのとはって……どう違うの?」
「それは何て言うか仲の良さというか……ああ、もう、この話題禁止! ことりの話に戻るわよ」
藍華ちゃんに無理矢理禁止にされ、話は再び私の方に戻っちゃいました。恥ずかしがってる藍華ちゃんがちょっと可愛いからもっと追求したかったんだけどこの様子じゃこれ以上は駄目って感じです。
「まあ、スクールアイドルをしていたのは分かったわ。他には何か無いの?」
「他には? ……うーん」
私の色々と言われると大体はスクールアイドル関連が殆どの気がします。……でもその中でも。
「服とかかな? 私スクールアイドルのメンバーの中で衣装を任されてたの」
「任されてた……って衣装とか自作するの?」
「うん、衣装全部作ってくれるお店とかもあるんだけどお金が足りないから、最後の手直し以外は全部私がやってたの」
「それって凄い事よね! え、デザインとかも?」
「うん、他の皆ともよく相談したりするけど大体は私一人かな?」
「……」
藍華ちゃんが思わず口をポカンとしています……そこまで、不思議な事かな? 衣装を作れば皆喜んでくれるし、その衣装を着た皆がより綺麗に、可愛くなってくれたらとっても嬉しい。だから衣装つくりにもつい力が入っちゃうそれだけの事です。
「普通の事だよ。藍華ちゃん達にもいつか私の服見せたいな……あ! そうだ! 私が服作ってあげる!」
「……あぁ、そうね。私も気になるから是非お願いするわ」
「うん、ありがとう! じゃあ、色々と準備をしないとね! ミシンとかアリシアさんに頼めばあるかな……それに布。買うお金は無いからアリシアさんのお手伝いをもっと頑張らないとね。あとは……」
「ちょ、ことり、ストップ!」
色々と服の事を考えていた私の思考は藍華ちゃんの声でストップしました。
「え? どうしたの?」
「いや、何でもないわ。ことりの意外な一面が見えて驚いただけよ……そろそろ出ましょうか」
「うん、そうだね……あ、もうこんな時間なんだね」
藍華ちゃんに言われ、私はカフェ・フロリアンの窓から広場を観ます。すると、日が傾き始めていました。
「そうよ、やっぱカフェにいると時間が過ぎるのは早いわね」
「うん、凄くのんびり出来ちゃったありがとう藍華ちゃん」
「どういたしまして。灯里達とは違う話が聞けて私も楽しかったわ」
藍華ちゃんが料金を支払って二人でサン・マルコ広場に出ます。広場では街灯が点き始めていて、徐々に夜が来るのを知らせていました。
藍華ちゃんがARIAカンパニーまで付いて来てくれるそうなので私はそれに甘えて二人で歩きます。
サン・マルコ広場から離れると徐々に人の姿は減り、暗い夜の海に街灯の光がゆらゆらと揺れていました。
「ねぇ、ことり」
「ん?」
「ことりはネオ・ヴェネツィアのことどう思ってる?」
ふと、藍華ちゃんが私に小さく尋ねてきました。
「ネオ・ヴェネツィアの事?」
「そう、ことりが私と最初に会った時見てたネオ・ヴェネツィアグラス覚えてる?」
「うん、あのキラキラしたガラスだよね」
「あれを作る技術はね、一度
「え? じゃあ、あそこに置かれてたのは?」
「
藍華ちゃんの言葉を黙って聞きます。ネオ・ヴェネツィアングラス……藍華ちゃんが自慢げに説明してくれたソレにそんな歴史がある事を私は今初めて知りました。
「へぇ、凄いね」
「私もそう思うわ。アレを作るためにどれ位頑張ったんだろうなって……でも、時々心無い人が言うの『所詮ヴェネツィアングラスの真似事だってね』」
「そうなの?」
「そうよ、それだけじゃないの。ネオ・ヴェネツィアのことも似たように言われている事を何度か聞いたことあるの。それが時々、悔しいの」
そう言うと藍華ちゃんは足を止めてしまいました。私も釣られて足を止めます。黒い海に二人の白い制服がポツンと映っていました。
「……藍華ちゃんは本当にネオ・ヴェネツィアが大好きなんだね」
私は静かに言いました。藍華ちゃんはいつも自分の街を自慢げに語ってくれました。そのことから彼女はネオ・ヴェネツィアが大好きで……だからこそそういった言葉に落ち込んでいるのがよく分かりました。
「私ね。今日はネオ・ヴェネツィアの事を見て回った。サン・マルコ広場にリアルト橋。そしてカフェ・フロリアン。色々な場所を巡った。そのどれもが綺麗で素敵で……とっても楽しかった」
これは間違いない本心からの気持ちだった。私は今日とっても楽しい思い出一杯だった。
「本当にその人の言うようにここが偽物の街だとしてもここで出来た思い出の数々は本物なんだよ。藍華ちゃんと一緒に飲んだカフェ・ラテ……あの素敵な思い出は本物だもの」
ふと、サン・マルコ広場で出会った少女のことを思い出しました。私は水先案内人じゃないけど、彼女にとってあの写真はきっと、素敵な思い出になっている。そう、大事なのはそういった目に見えない物が大切なんだと。
「……恥ずかしいセリフ禁止」
「へ?」
私の言葉に藍華ちゃんは少し間を置いてからそう言いました。
「だから、恥ずかしいセリフ禁止。そもそもさっきの質問もナシナシ! あぁ、何しんみりしちゃったのかしら私」
そう言うと藍華ちゃんは手で顔をビシビシと叩くと前に進みだします。
「そうよね。大事なのは思い出。それを作るのは私達だもの」
「ん? 何?」
藍華ちゃんが何か口にしましたが少し離れていたせいで私には聞こえませんでした。
「何でもないわよ。さ、ARIAカンパニーまでもうすぐよ」
「え、あ、うん」
何て言ったかは聞こえなかったけれども、藍華ちゃんが何時も通りに戻っていました。
海に映る水面は少し駆け足で歩く二人の姿を静かに見守っていました。