艦隊これくしょんー啓開の鏑矢ー 作:オーバードライヴ/ドクタークレフ
それでは、抜錨!
《こちら暁、司令官聞こえてる?》
「こちら月刀、クリア&ラウド」
浜辺で第二陣のLCACが到着したのを確認しながら無線を開く。
《今初春が子日を曳航してあきつ丸につくところよ。今のところはクリア》
「戦闘は?」
《報告した通りよ、潜水艦が最低1、駆逐ロ級2隻と交戦したわ。駆逐の方は島風が落とし切った。対潜のほうは中破ぐらいまでいけたと思うけど、圧潰音は確認できなかったし取り逃がしちゃったみたい。ごめん》
「各艦損傷は?」
《子日が大破一歩手前の中破、あとは全員無傷よ》
交戦場所と各艦のルートが記録されたデータが送信されてくる、この位置からして敵は東側、南北アメリカ方面隊の管轄地域からやってきたらしい
「睦月を連れてこれなかったのが悔やまれるな」
《そうね……。睦月がいればここで潜水艦も沈められたし、対魚雷防衛戦もうまいもんね》
「まぁ、アッツ島奪還部隊の方に必要なのもわかるからな、そっちはそっちでうまくいくことを願おう。―――――子日をあきつ丸乗員に引き渡した後、島風はキスカ港防衛の応援に、暁と初春は青葉と一緒に揚陸艦の護衛に入れ」
《わかったわ》
《じゃあ、走って港に行くね!》
《こちら初春じゃ、助けに来てくれて助かった》
「礼をいうのはまだ早い。潜水艦を落とし切れていない以上、こっちの様子は深海棲艦に知られていると思うべきだ。撤退戦での戦闘も考えられる、哨戒直後で疲れていると思うが頼むぞ」
《わかっておる。まかせてくりゃれ?》
やたらと古風にそう言われて航暉はそれに返事を返して無線を切る。
いまのところは避難も順調、数人が国連隊員に殴り掛かろうとした事態も発生したが双方軽傷で済んでいる。
「あとどれくらいかかるんでしょう?」
「あと一往復で終わればベストだな。港の方は民間系の人員の回収を終了、あとは軍人の乗り込みだけだからすぐ終わる。こっちはあと1時間で完了させたいところだ」
隣に立つのはLCAC第二陣の誘導を終えた阿武隈だ。ランプが下ろされると難民キャンプの人たちを詰め込んでいく。
「でも、今回の撤退戦もここまでは順調ですね」
「お約束の魚雷もやったしな」
「あー言わないでくださいっ!」
航暉は口角を持ち上げて笑うが目まぐるしく周囲を見回す瞳は笑っていなかった。
「……月刀司令、どうかしたんですか?」
「いや、……何でもない」
そう言う航暉だが、阿武隈は彼の手が一点保持式スリングに吊られたライフルに伸びていたのを見逃さなかった。
「避難漏れの人がいないかの確認に入る、阿武隈はここで待機、第二陣の出発準備が整ったらあきつ丸まで護衛しろ」
「はいっ」
航暉はそう言ってゆっくりと海岸線を離れていく。濃くなっていく霧の中、航暉は速足へとテンポを変え、すぐに走り出した。
(高峰の姿がどこにもない。俺たちが上陸した時点で合流、撤収のはずだ。どこだ、どこにいる?)
直後に響くくぐもった音に航暉はライフルを手に取った。
「……だれだ、サプレッサー付きの銃を撃った奴」
この霧でかつ高音域をカットされどこから聞こえたかわかりにくい状況での銃声である。
(……ヤバいな)
国連軍、特に海軍は対人戦闘の訓練を積むことはあまり重視されていない。したがって、国連軍になってから軍に志願したような若い兵は人間を相手どっての戦い方など知らない。その状況でこの低視界の中で“誰かがどこかに向けて銃を撃った”。それは普段とは別の意味を持つ。
その直後、タタン、タタン、タタンとハイテンポの三点バーストの音が響いた。サプレッサ―なしの音―――――おそらく国連海軍用の
「撃つな撃つな撃つな!」
無線に叫んでもそれに誰かが応射した。
「国連軍各員撃ち方やめっ!」
航暉もそういいつつ地面に伏せた。いつ流れ弾が飛んでくるかわからないのだ。キンキンに冷えた土に頬を押し付けつつあたりを確認する。不気味なくらいに一気に銃声が止む。
「なにがあった!?」
《宮原曹長被弾! ポイントW-03付近!》
「長淵・長谷バディは宮原・牧下バディの撤退をサポートしろ。霧の中で撃ってもまず当たらん! 相手も同じはずだ。静かにかつ急げよ」
航暉はそういいつつ低い姿勢を維持したまま歩を進める。
《電、緊急なのです!》
きたか、と航暉は唇を噛んだ。
《LCAC近くでパニック発生なのです。皆がいきなり―――――きゃぁっ!》
霧や夜、見通しの利かない場所での発砲音。
それは人間の恐怖をあおるには十分だった。それも撃ちあっているように二種類の銃声が響いてしまったら、死の恐怖を植え付けるには十分だ。それにここは“人間同士の戦争で生じた難民を収容するキャンプ”だ。その時の記憶を呼び覚ましてしまうかもしれない。
航暉が引き返すように戻ろうとした直後、もう一つの無線が入った。
《司令官っ!》
阿武隈の悲鳴じみた叫びだった。
「どうした?」
《合田司令官が今、バラックの方に……!》
「合田少佐が?」
何とも最悪なタイミングで見つかったものだ。
《月刀司令、すいません! 合田司令官を連れ戻してきます!》
「まて阿武隈、おい!一人で突っ込むな!……くそっ」
一方的に切れた無線に思いっきり眉をしかめながら航暉は一瞬迷ったように立ち止まる。
「……無茶だけはするなよ、阿武隈」
航暉はLCACの方にむけ全力で駆けだしていく。
「こうも堂々と
真っ白な部屋の中にたたずむ男はそう言った。“彼”は部屋の真ん中に置かれた椅子の背に寄り掛かるようにして高峰を見つめていた。
「まぁいい、君と少し話がしたかったんだ。……世界を守る国連海軍で日本の利益を守るのはどんな気分だい?」
「……何が言いたい?」
高峰は予断なく銃を構えたまま先を促す。メタリックシルバーの眼鏡のリムが僅かに光る。それを見ながら“彼”は歌うように続ける。
「君は極東方面隊の上層部が未だにほぼ日本人で占められている理由を考えたことがあるだろう? なにせ君はそのために派遣されたんだから」
“彼”が指を鳴らすとホログラムが部屋の中央に浮かぶ。
「理由は単純だ、国連海軍が保有する技術を日本国が独占するため。極東方面隊所属の艦娘が日本の船ばかりなのも、その言語フォーマットが日本語なのも、艤装製造元が日本自衛軍御用達の国内兵器カルテルグループに限られているのも艦娘のシステムが他国に渡ることを恐れているからだ。それ以外の意見は日本政府派閥が全てなかったことにした」
“彼”の隣に浮かぶホログラムは司令部レベルごとの出身国別の人員リストだ。司令部レベルが上がるにしたがって日本人以外の名前が減っている。
「こんなことができたのも、国連海軍設立時に日本が安定した経済基盤を維持し、国連海軍設立予算の6割を負担した。そして技術の粋を集めて“開発”した水上用自立駆動兵装を独占した。―――――日本の利益を守るために」
皮肉な笑みを浮かべて、“彼”は糸目をさらに細めた。
「君も自覚してるんだろう? 日本の利益のために正しい意見を封殺してるって、その片棒を担いでいる自覚があるはずだ。無かったらただの馬鹿か、嘘つきだ」
もう一つのホログラムが現れる。
「君の仕事は軍人の横領や技術の民間人への流出を防ぐこと。それは日本人以外への機密情報流出を防ぐことだ。そのために君は日本政府から派遣され、それを国連海軍は黙認した。それができるポストも融通された。君が検挙した人物もこの通り……人員構成の割に日本人以外の検挙数が多いのはなぜだ?」
“彼”はホログラムを消すと改めて高峰君、と呼びかけた。
「君はそれに命を賭ける価値があるのかい? この国の安泰だけを考えて戦うことで正義を騙るような軍隊に君は何を見出す?」
それを聞いて高峰は鼻で笑った。
「正義かどうかは関係ないさ。戦う理由なんて後付けで何とかできてしまうものだからな。それを正しい正しくないと言っていたってそれこそ後の火種になる。俺のこの行為がどういう結果をもたらすかわからない訳ではないよ。でも“現状稼働しているこのシステムを組み直す間の空白期間はいったい誰が人間を守るんだ?”。もう水上用自立駆動兵装を主軸に据えた対深海棲艦戦略は止められない。ポスト艦娘システムが誕生するか、深海棲艦が根絶できるまでは止めるわけにはいかないんだよ」
高峰はそう言うとへらっと笑った。
「俺がどうだったかを決めるのはこれが歴史になってから、後世の人たちが決めるだろう。その時世紀の大悪党だと罵られるなら甘んじて受けよう。だがね、それを神様気取りの男がその場で叩き潰して自己満足を得て終わるのは我慢ならないね」
それを聞いて男がくつくつと笑う。
「僕に説教をたれるか、面白いね。」
「―――――遊んでいる暇もないんだ。そろそろ本題に入ろうぜ、ホールデン」
ノックもなしに勢いよく開けられたドアに中にいた男が顔を上げる。そこには杉田中佐と彼の担当艦の武蔵が立っていた。
「どうしたね」
横で補佐をしていた古鷹が咎めるような目で杉田を睨む。杉田はそれには答えずに速足でデスクに近づきつつ懐に手を突っ込んだ。それを引き出してデスクに腰掛けた男に突き付ける。
とっさにFN Five-sevsNを引き出し杉田につき付けようとした古鷹はそれより先に向けられた銃口に矛先を変える。同じFN Five-seveNの銃口が古鷹の左目を捉えるように向けられる。古鷹はそれに一瞬遅れてその銃の持ち主の頭に狙いをつけた。
「すまんね、古鷹、こいつを撃たせるわけにはいかんのだ」
「――――――杉田中佐、どういうつもりですか?」
目の前の武蔵を睨みつつ古鷹は低く問いかけた。それを無視するように杉田は表面だけの笑顔を浮かべた。
「……どういう要件かわかってるだろう、中路中将。いつからあんたはアナーキストに鞍替えした」
銃口をぴたりと眉間につき付けられていても中路は涼しい顔だ。
「さぁ、いつだったか。人の心は簡単に移ろいゆくものだ」
「月刀も合田もハッキングなんて受けていなかった」
その答えに取りあわずに杉田は真顔でそう言った。
「傀儡なんて仕込まれていないし、彼らの電脳を追っていても“ホールデン”なんて出てこない。理由は単純だ。彼らの操作は“ホールデン”によるものじゃないからだ」
「……その根拠を聞こう」
中路は銃口をつき付けられたまま顔の前で手を組んだ。全員が動くことができない状況の中で杉田だけが発言の権利を有する。
「硫黄島の電子戦防衛システムに引っかからず、軍用回線経由で傀儡をコントロールするにはかなりの情報量がいる。常に膨大なデータを捌かなければならない。それだけのトラフィックを軍の防壁に気付かれずに行うことなどほぼ不可能だ。かつそれを二人同時に捌くなんてジャグリングはそうそうできるものじゃない」
横須賀の冬の日差しがぼんやりと部屋を照らす。逆光でわずかに影の多い中路の顔は静かに杉田を眺めていた。
「だが、もしそれを“合田や月刀が自分の意思だと思い込んで”行動していたとしたら? 実行犯の意思を被害者の電脳に上書きしたとしたら?」
杉田はそう言うと銃の安全装置を外した。それを見た古鷹が動こうとするが武蔵がそれを抑え込む。
「電脳への侵入・記憶の偽造・洗脳を同時に行い、プログラム終了後に自動消滅するスタックスネット型電脳ウィルスプログラム、それが“ホールデン”の正体。そしてそれを持っているのはあんた、違うか?」
「何を言っているんですか!? 中路さんは―――――!」
「スタックスネット型の特徴はネット環境を介さなくとも感染させることが可能であり、スタンドアロン型の機材にも破壊的な電子戦を仕掛けることが可能な点にある。時限爆弾式に行動を起こさせることも可能だ」
古鷹が抗議するように声を荒げたが問答無用で杉田が押し切った。
「……続けたまえ」
「戦術リンクにクラッキングの形跡は一度だけ、たった数バイトの意味不明なシグナルのみ。それは合田正一郎の電脳に仕込んだ傀儡の起動プログラムだと考えられていた。だがそうじゃない、あの信号自体には何の意味もなかったんだ。ただ外部から傀儡が侵入しホールデンが合田を乗っ取ったというブラフのためだけに発せられた囮の信号だ」
侮蔑すら混じった視線を中路に向け杉田は笑う。
「じゃあ、いつ月刀と合田がそのウィルスに感染したのか? 分散して少しずつ送り込んだのか、違う。戦術リンクの通信量を改ざんしたのか、違う」
拳銃を中路の眉間に押し付けた。
「硫黄島基地のロビー、あんたが作戦データを渡すためにわざわざ使った電脳直結式の
中路は表情を崩さなかった。
「監視カメラのデータは残ってたよ。俺らは先に到着してたから現地のコンピュータ経由で受け取っている。戦術ネット経由で受け取れる資料をわざわざ外部媒体を経由して渡す理由は何だ?」
杉田の疑問に中路は答えない。
「プログラム自体は自己消滅している、痕跡は残ってないんだろう? それでも月刀の記憶手術を実行したのはインフォメーションキューブの通信記録の抹消と俺が月刀の態度が厳しいと気がついてから、あんたの電脳から飛ばされた追加のウィルスパッチの痕跡削除ってところか?」
「……それで、杉田君は私になにを求める」
「は! 否定すらしないか」
古鷹は目を見開いた。杉田はそれを見て笑った。
「否定したら君は私を信じるかい?」
反語だ。
「質問は二つあるが、今はこれだけ答えてくれれば十分だ。てめぇ、月刀たちをどうする気だ?」
銃を突きつけたまま杉田は顔を近づけた。
「杉田君、我々の後ろには何がある?」
「あ?」
「40億を超える人員、ズタボロになったインフラ、疲弊しきった農作地に終わらない戦争……。これらは全て深海棲艦によって引き起こされている」
ぽつりぽつりと語られる言葉を杉田は待った。
「私はね、杉田君。君が生まれる前から日本国自衛海軍の船乗りだった。ミサイル艇から始まり、いくつもの役職をやった。第三次世界大戦の間はミサイル護衛艦“ゆうぎり”の艦長だった。そこで生き残ったころにはもう人虎などと呼ばれていたな。そのあと深海棲艦がやってきてからも、国連海軍に艦丸々所属が切り替わってからも最低限のシーレーン防衛のために戦ってきた」
その瞳は杉田を捉えていない、どこか遠くに据えられていた。
「何人も何人も見殺しにした。“あさぎり”を見捨て、“はしだて”を処分し、最後は乗艦の“ゆうぎり”すら見捨てた。ゆうぎり航海長の吾妻三佐は家族持ちで、娘の自慢をよく聞かされた、長坂一尉はひょうきんなムードメーカーだった。副長の九鬼二佐は厳格な人でなぁ、歩く規則とか言われていた。―――――全員私が見捨てた。生きて帰せたかもしれない人を見捨て、おめおめと艦の長が生きて帰った」
力なく笑って中路は初めて視線を落とした。
「深海棲艦出現後、私の部下だった船員は全員で568人、うち死亡及び行方不明375人。自らの可愛さに生き残った臆病者が彼らの墓前に何をささげればいい? あなたたちの犠牲を糧に我々は平穏を取り戻した、深海棲艦を一掃したのだという勝利宣言以外に何を供えればいい?」
デスクの横に置かれた制帽を中路は引き寄せるとそのつばを撫ぜた。
「私はもう長くない、電脳の負担に耐えられず生身の脳が急激に衰えているそうだ。軍務につけるのはもってあと5年、このまま進めばあと3年だ。それを過ぎれば己が誰かすら忘れてホスピスの中で朽ちていくだけの老人に成り下がる……なりふり構っておれんくなった」
そう言って中路は笑う。
「艦娘の技術を日本や帝政アメリカなどの数国だけが独占する今の状況では戦力が足りない。総力戦とはいいながら各国間のパワーゲームを続けていれば当然だな。戦力を拡充し深海棲艦を押し返すためには、今のままでは勝てんのだ」
そういって、一言二言、告げる。
「…………………………、……………………………。……………………………………………………………」
「――――――てめぇ!」
それが言い切られる前に杉田が左手一本で中路をつるし上げる。踵が完全に浮くほどの力でネクタイを掴み、怒鳴りつける。
「いくらなんでも冗談が過ぎるぜ中将! アイツらが一体何をした!? 世界を信じ、守れると信じて戦ってきてんだろうが! それをてめぇが押し付けてきたんだろうが! それをてめぇの都合で切り捨てるだぁ!? 寝言は寝て言え! アイツらを信じて戦っている電嬢たちを、俺たちの代わりに体を張ってる艦娘たちを侮辱するのもいい加減にしろ糞野郎!」
ネクタイを放すと中路は足元に崩れ落ちる。咳き込む中路を見下しながら杉田は吐き捨てる。
「てめぇの思い通りにはさせねぇ、5期の黒烏を舐めるなよ」
拳銃を右手に提げたまま杉田は振り返ることなく部屋を出ていった。
はい、おっさん回でした。
高峰さんに続いて杉田さん何やってんですか……な今回です。
ホールデンとはなんなのか、ホールデンがプログラムだとしたら、今高峰と話している“彼”は……?
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次回から怒涛のバトル回の予定、あくまで予定。どうぞお楽しみに!
それでは次回お会いしましょう。