艦隊これくしょんー啓開の鏑矢ー 作:オーバードライヴ/ドクタークレフ
それでは、抜錨!
「にゃ~、疲れた……」
机にぐでっと伸びたのは睦月である。その向かいには望月が、望月の隣には弥生が、弥生の目の前、即ち睦月の隣では如月が同じように伸びている。
ここは第551水雷戦隊の待機室、時刻は1930、普段なら夜間の
「はいはいはいはい、みんなもう少しだから頑張るよー」
そういいながら紙コップに入ったオレンジジュースを配るのは阿武隈だ。
「どうしてこんな時に提督が倒れちゃうかなぁ……」
この事態は睦月が提督と呼ぶ人物――――月刀大佐が倒れたことに端を発している。普段は合田司令官と月刀司令が捌いている書類――――それを分担して捌かなければならないという事情があるのだ。
合田司令官が書類に圧殺されそうになっているのを見かねて551水雷戦隊旗艦の阿武隈が見かねて「手伝いますよ」と声をかけたのである。それを睦月たちにも分配して隊で処理しようとした結果が……これだ。
「……私たち、艦娘だしぃ……書類の要約能力なんてあんまり使わないしぃ……」
「だよね~。マジめんどくせぇ」
「でもできた方がいいに決まってるじゃない。睦月、ほら頑張らないと」
「望月も……頑張る」
それを横から叱咤激励するのは如月と弥生。この中で一番事務スキルが高いのは以外にも弥生だったりする。
「阿武隈さんの分は終わったんですか?」
「うん、一通りね~。さっき真っ白に燃え尽きてた司令官にできた分まとめて出してきた」
「あ、合田司令官もこういうの苦手なんですか?」
「苦手というより遅いの、こういう作業」
困ったように笑う阿武隈は自分の分のオレンジジュースを煽って笑った。
「まぁそれも含めて支えてあげるのが私の仕事なんだけどね。さ、頑張るよ!」
阿武隈にそう言われて渋々書類に向き合う睦月と望月、如月たちの書類はもう消えている。
「ねー如月」
「ダメよ」
「むー、まだ何も言ってない」
「半分ことかそう言うことでしょ。しっかりノルマはこなしなさいな」
正直どちらが姉かわからないのはいつものことである。
「まぁあと4枚だし頑張っていこう!」
「……はーい」
そんなこんなで夜は更けていく。
航暉に電脳通信がつながったのは十分に夜も更けた午後10時近くになってからだった。
《ようカズ、風邪ひいたって?》
「……誰から聞いた?」
《そりゃあ、お前ん基地から送信される書類にさ。お前のサインが一つもないからな。で、グアムの軍病院にコンタクトがないとなると“風邪などの軽い病気による病欠”ってわけだ》
通信の奥で高峰はくつくつと笑う。
「で、風邪っぴきの俺に何の用だ? 冷やかしって訳でもないだろう?」
《お見舞いと言ってほしいね。……まぁ、あたりだが》
直後、一瞬のノイズ。回線がスイッチングして軍用のラインの奥深くに潜る。
《“ロビー”でできる話じゃない。“飛んで”くれるか?》
また厄介ごとか、と辟易としつつも航暉は通信先に意識を向ける。直後目の前の空間が引き伸ばされるように遠のき、すぐに別の空間――――バーカウンターの備えられたパブのような空間を知覚する。自分の服装が第一種軍装のアバターに切り替わる。
「どこだここ」
「カズを招待したのは初めてか。特調六課のワードルーム」
振り向くと第二種軍装の高峰春斗が立っていた。……そういえばこいつのアバター年がら年中夏服だっけと思い出す。
「……今から取り調べとか言うんじゃないだろうな」
「まさか、と言いたいところだが、場合による」
座れよ、とバーカウンターを進められ、そこに腰掛ける。その隣に腰掛けた高峰が腕を振るとひとりでにショットグラスが現れた。
「とりあえず飲んでくれ。盗聴ライン防止機能補強用のパッチだ」
グラスに注がれた液体を軽く傾け液体を“視る”。口にすると喉が焼けるような感覚を覚える。スモーキーフレーバーに少し驚く。
「……スコッチか」
「リンクウッドの10年物のイメージでメモリをいじってる。こういうのもおしゃれだろ?」
けらけらと笑い、高峰もそれを口に含んだ。
「……いきなり呼び出してすまなかった。だが“そこそこ緊急性の高い話”だと思ってくれ」
声色は世間話でも続けようかという色合いだ。
「俺がいま特調六課から出向してるの話したか?」
「いや、初耳だ」
「今、極東方面隊総司令部のカウンターテロ委員会に出向中だ」
「……マニラか」
苦い顔をしてもう一口液体を含む。
「そうだ。いま、カウンターテロ委員会はマニラ湾観艦式緊急戦闘の分析中だ。その途中経過について少しお前に話しておきたくてな」
「いいのか?」
「お前の身を守るためだ。聞いとけ」
高峰がショットグラスでマホガニー色の天板を叩くと波紋が広がるように天板が透き通り、画像が現れる。
「とりあえず、これを見てくれ」
「……これをどこで?」
「昨日、1734UTCに動画投稿サイトにアップロードされたものだ。これが
「あぁ、この戦闘を俺たちは指揮したからな」
画像は荒れていて見にくいが、映っているのは―――――島風。魚雷艇との間をすり抜けるように走り回っている。視点は……イージス艦のデッキからだろう。
「元動画は削除済みだ。だが転載も始まってるし完全削除もできないだろう……いよいよ対人戦闘から目をそらすことができなくなってきたわけだ」
ショットグラスが二回、天板を叩く。画像が切り替わる。
「これはまぁ“些細な問題”だ。問題はこっち。これは別ルートで別のサイトにアップロードされたものだ。……なぁ、この時お前“気がついてたか”?」
息をするのをためらうほどの衝撃を受けた。
「……あり得るかこんなの」
「気づいてなかったんだな?」
「当然だ。気づいてたらとっくの昔に報告してる!」
その映像は視界のブレが激しく何をしているかわからないほどだ。音声はなくただ淡々ど激しくブレる画像が続く。
「……どうやって盗んだんだ。“島風の視覚”なんて」
「この時のリンク状況は?」
「フリップナイト使用中だ。強度はほぼ最大に近い」
「枝が割り込む隙は?」
「あったら潰してる。少なくとも俺と島風の間のリンクには割り込まれてなかった。メモリ活性量も双方一致しているのは戦闘終了後のデブリーフィングでも確認済みだ」
「こちらに転送されていた戦闘状況も見ても枝が張られていた可能性は低い。……考えられる流出経路は三つだ。一つめ、フリップナイトシステムにセキュリティホールもしくはバックドアが設置されておりそこから第三者へ流出、二つめ、島風とカズの間に枝が張られてそこから流出。三つめ、内部犯」
「……俺も被疑者って訳だ」
わずかに笑ってそう言うと、高峰は悲しそうな顔をした。
「それが一番“手っ取り早い”んだよ。おそらく、フリップナイトシステム推進派の技術開発局も平菱インダストリアルもシステムエラーを認めない。だから“あの司令部の誰かのせい”にしてしまえばいい。そして、島風とリンクしていたのはお前だ、カズ」
「俺がそれをしてなんの益を……あーくそ、月岡コンツェルンか!」
「“月一族”の利権を守りたかった……疑う理由にしては十分すぎる」
月刀航暉は軍閥“月刀家”の人間だ。軍需産業の一翼を担う「月岡コンツェルン」、そのトップに君臨する月岡家とは親戚関係にあたる。
そして、最近の艦娘建造プロジェクトでは、月岡コンツェルンの重工業部門であるポセイドンインダストリー社がライバル社の平菱インダストリアル社に水をあけられている。そのきっかけとなったのが平菱インダストリアル社提案の「コンセプト・フリップナイト」であり、そこから誕生した「フリップナイトシステム」だ。
航暉は頭をガリガリとかきむしった。
「頭皮にダメージ与えてたらいつか剥げるぞ」
「その歳まで生きてればいいがな。……ここでフリップナイトシステムの危険性が露見してしまえば平菱インダストリアル社の優位性は白紙に戻る。そうすればポセイドンインダストリーの次期計画……“理想郷計画”実用化まで時間が稼げるって訳だ」
「状況がわかってもらえたようで何より。念のため聞くが、お前、本当に流してないな?」
「……高峰が言うか?」
「念のためって言っただろ。お前の実家嫌いは嫌というほどわかってるさ」
そう言った高峰はグラスを回す。
「だがお前の状況が“限りなく白に近いグレー”である以上、疑いの目は避けられない。限りなく黒に近いグレーが裁けないのと同じでな。だから、お前の白を証明するには」
「本当の黒が必要って訳だ」
「安心しろ、カウンターテロ委員会はお前を“第一被疑者”だって思ってるわけじゃない。――――――本命の“黒”の話に入るぞ」
高峰の表情がすっと冷える。
「カウンターテロ委員会ではスールー海軍のシステムにクラッキングを仕掛けた人物と同一の人物が島風の目を盗んだとみている」
そう言うと天板にデータが表示される。表示されたのは大量のスクリプト。それがゆっくりとスクロールするように流れていく。
「これは?」
「割り込まれたリカルテの武装管制システムのテキストコピー。……あの時のテロリストグループの取り調べによると“あの戦略”を持ちかけてきたのは外部のクラッカーらしい。彼らの記憶をたどってみたが……きれいにブラフを掴まされてる」
「ブラフ?」
「疑似記憶さ。その人物――――“彼”の記憶がごっそりと抜け落ちてる。外部クラッカーが存在したのは確かだが、それがどこの誰なのかについては一切の記録も記憶も存在しない。“彼”のことを俺たちは“ホールデン”と呼んでる」
「ホールデン?」
航暉が聞き返したタイミングで高峰がスクロールを止めた。
一見意味のないスクリプトの中に不自然に意味が通る英文が紛れ込んでいた。
「I thought what I’d do was, I’d pretend I was one of those deaf-mutes」
「……ライ麦畑でつかまえて、か?」
「ザッツライ。おあつらえ向きだろ?」
高峰が笑う。
「僕は耳と目を閉じ、口を噤んだ人間になろうと考えたんだ――――そう言う割にはしっかり干渉してきてる。皮肉なもんだよ」
そういいながら高峰はどこから取り出したのか煙草を咥えると火をつける。
「ホールデンについて確実なのは“彼”が特A級のハッカーだってことぐらいだ。
「そんなにレベルが高いのか」
高いなんてもんじゃないさ、と高峰は笑う。
「何せ警報を鳴らさずにイージスシステムを食い破る腕前だ。いつからアタックしてたのかすらさっぱりだ」
航暉はスコッチを飲み干すと横目で高峰を見る。
「“ホールデン”の電紋は?」
「ほとんど残ってないが……リカルテの防空レーダー制御システムにひとかけらだけ残ってた。復元は67%まで進んだが……面白い人物と合致しそうだぞ」
電紋――――声や指紋が個人を特定するように、電脳によるネットへのアクセスも個人を特定しうる情報となる。そういう個人を特定しうる情報の痕跡が電紋だ。
「合田直樹……お前んとこの合田正一郎少佐の父親だ」
「はぁ? 死人がハッキングしましたとでも言うつもりか?」
「さぁな、おそらくこの電紋もブラフだろうが、警戒した方がいいだろう。実際合田直樹の死体は首から上が吹っ飛んで脳殻が完全に破壊されてるんだ。首から下の生身の部分が一致したから死亡と判断したが、吹っ飛んだ脳みそが“本当に彼の脳みそだったのか”は証明できん」
それからはしばらく無言が続いた。
「……高峰」
「なんだ? カズ」
「この後の戦い、何が必要になると思う?」
「……さぁな。少なくとも人間は必要だ」
「……そうだといいな」
航暉が立ち上がる。
「いい話が聞けた。こちらも警戒しておく」
「待て、カズ。別件で一つだけ、聞きたいことがある」
去ろうとした航暉の肩を高峰がつかんだ。
「……なんだ」
「お前の前の経歴だ。日本国自衛陸軍第二五五歩兵中隊第三強化歩兵分隊、お前が海軍に来る前の最後の軍歴はこれで合ってるか?」
「それがどうした」
「……あってるんだな?」
「あぁ、そこの分隊長で最終階級は三等陸尉、これでどうだ?」
「シースクランブル7.17の時はどこにいた?」
「質問は一つじゃないのか?」
「……いや、悪かった。忘れてくれ」
航暉の姿が掻き消える。残された高峰はその記録を覗き見る。
「……カズ、まさかお前も“こっち”の人間じゃないだろうな」
ミネラルウオーターを冷蔵庫から引っ張り出して、煽る。わずかに火照った体には心地よく染み渡っていく。
「……さて、どうしたものかな」
航暉は常夜灯に切り替えられた給湯室の隅で自嘲するように笑った。ペットボトルの中の透明な液体が自分を睨んでいた。
「……お礼くらいちゃんと言わせろ。合田少佐」
「よく気づかれましたね。体調は大丈夫ですか?」
部屋に入ってきたのは運動着姿の合田正一郎少佐だった。
「あぁ、まだ完治って訳じゃないが大分よくなった」
「そうですか。なら明日の書類整理は楽できそうです」
「阿武隈にもお礼言っといてくれ」
「わかりました」
冷蔵庫のペットボトルを投げて渡すと乾杯をするようなジェスチャーをかわす。正一郎は軽く笑って背を向けた。
「病み上がりなんですから、早くお休みになられた方がいいと思いますよ」
「君も成長期だろう? お互いしっかり休むとしよう」
正一郎が給湯室を出ていく。それをみて少し溜息をついた。
「……隠し事はお互い様か、寂しいもんだ」
航暉ははそう笑って部屋を静かに出ていった。
やっぱり漂う攻殻臭。
次回からChapter4に入りますが、月曜からネット環境があるかどうかわからないところへ行くため更新できないと思います。8/30あたりには復帰できるかと思います。
半月近く更新が開いてしまいますが、何卒お待ちいただければ幸いです。
感想・意見・要望はお気軽にどうぞ。
それでは次回、お会いしましょう。