艦隊これくしょんー啓開の鏑矢ー 作:オーバードライヴ/ドクタークレフ
それでは、抜錨!
「それじゃ、行ってくる」
「はい、浜地司令官。お気を付けて」
司令部の前で浜地中佐は制帽をかぶる。振り向くと胸のメダルが揺れた。その視線の先に梅色の和装の女性の方を振り返る。
「鳳翔さん」
「はい、中佐」
この基地で唯一の空母である鳳翔がいつも通りの笑みを浮かべた。
「留守にする間、お願いします」
「……ちゃんと帰ってきますよね?」
「もちろんです」
そう言って、敬礼を交わす。そうして簡易中継器や航路などの
「……! 鳳翔さん……?」
「……ずるい人」
鳳翔が彼の背中に体重を預けると、彼はそれに驚いて動きを止める。女性としてもかなり小柄な鳳翔は、彼の背中に隠れるように立ったまま、彼のジャケットをそっと握る。
「帰ってくる気なんて、ないんでしょう……?」
「!」
「私、これでも訓練艦なんですよ……? これまで何人の提督を見てきたと思ってるんですか? まだ若い提督の嘘なんて、わかっちゃうんですよ……?」
鳳翔の声がわずかに震えた。彼が動こうとするとジャケットを握りこむ。
「貴方は、嘘をつくのが苦手で、変なところで意地っ張りで、誰よりも優しくて、時に無謀に思えるようなことでも、それを乗り越えるだけの強さを持っている方です。艦でしかない私たちを家族のように接してくれて、怖い時もつらい時も私たちのそばにいてくれた。そういう方です」
鳳翔は彼の方に額を預けるようにした。
「私たちは、自律駆動兵装は、提督の指示があって初めて出撃します。それは提督がいなければ戦うことすらできない。貴方たち提督が、いいえ、浜地提督、貴方が私たちには必要なんです」
彼女のぬくもりを背中に感じても、彼女にどんな言葉をかければよいのだろう。
「もし今、私に兵器以上の何かを求めることを許されるなら、私は貴方を求めます。どうかご自愛を、浜地提督。貴方の命令ならば私はこの基地を死守し、貴方の帰還を待ちましょう。貴方の命令ならば私は貴方を守るため、いかなる敵であろうとも艦載機を飛ばし血路を拓きましょう。貴方の命令ならば、地獄への道もお供いたしましょう。ですが、貴方がいなければ、そのどれも叶いません。どうか私を、私たち浜地艦隊の仲間を置いていかないでください」
わずかな水滴はどこから落ちたのか、それを知る必要はない。今空は雲一つなく、硝煙の匂いが残る。
「……これじゃあ、貴方を泣かせた悪者じゃないですか」
浜地中佐は肩に乗せられたほっそりとした手に触れた。
「せっかく格好良く出ていこうと思ったのに……」
「……格好つける必要などありません。いつも通り出発して、いつもの通り帰ってきてください」
「わかった。……かなわないなぁ。鳳翔さんには」
彼が振り返る。左腰に吊った
「必ず帰ってきます。待っててください」
「……わかりました。浜地提督、ご武運を」
彼はそれに頷くだけで静かに歩き出し、基地の前に来ているであろうバスへと向かう。それを鳳翔は静かにいつまでも見送った。
「……ほんと、ずるい人」
皮肉なほどの晴天だった。グレーの鋼鉄の塊が静かに動き出す。
「月刀より国連海軍派遣団各艦、状況開始。各艦の間隔に気を配れ」
イージス巡洋艦“リカルテ”のブリッジで航暉は無線を使って指示を飛ばしていく。双眼鏡をあてがい、左舷斜め前方と進む川内と、彼女と対になるように右舷側を引く電の姿を認める。腰に吊った長剣が軽く揺れる。
「何度見ても女子が海の上を進むのは慣れませんなぁ」
「私もこんな風に一緒に航海しながら指揮を執るのは慣れてないので、少し新鮮ですね」
「おや、ツキガタ大佐は現場に立たれないのですか?」
「普段は司令部の暗い部屋で戦闘指揮です。ちょうどCICで指揮を飛ばすことに近いかと」
横に立つ大男、大佐の階級章を肩に掲げた彼はマルセロ・ピラール大佐――――この艦“リカルテ”の艦長だ。国の宗教を反映してか、ターバンを正式な制帽に指定しているため、最新鋭の船橋設備に黒のターバンは新鮮に映る。
金のカバーがかけられた艦隊司令席には国王であるパドゥカ・マウラナ・マサハリ・マジャハル・シャリーフ・キレム3世が腰掛け、ことの推移を見守っている。国王の隣には屈強な大男である近衛隊長や艦隊司令のスールー海軍大将などが団子のように固まって控えている。
右舷側を警戒している航暉と対になるように、同じように警戒をしているのは笹原ゆう中佐だ。中央では浜地賢一中佐が双眼鏡を片手に前方警戒にあたっている。
《笹原、この無線にノイズが入ってるか?》
《いや、クリアそのもの。どうしたの?》
《―――――いや、了解、引き続きウォッチを頼む》
《あいあい》
艦長と会話を交わしながらも艦娘たちの無線とレーダーを取り纏めている笹原とのコンタクトをとる。――――茶番とはいえ、真面目にやらなくては思わぬ事故を起こしかねない。
艦列は港の防波堤を過ぎ湾の中へと進んでいく。
《本番始まっとるし、そろそろ機嫌直さんといかんよ、皐月》
「わかってるけどさ……」
司令官が乗っているイージス巡洋艦を前に見つつ、川内の300メートル後方を航行する皐月は、乗ってきた無線に視線を落とした。無線の向こうは浦風……自分の同僚で右隣のフリゲート艦を挟んで反対側を航行しているはずだ。
艦隊はバターン半島を右手に10ノットほどのゆっくりとした速度で進んでいく。間もなく右前方に湾の入り口とその中央に浮かぶコレヒドール島が見えるはずだ。
《確かにここんところの司令官は余裕がないんはウチも感じとるよ? なにかウチらに隠しとるんも。でも司令官がウチらを陥れようとしとるとかそういうのは絶対にないんはわかっちょるけぇ、信じてあげんさいや》
「信じてない訳じゃない、でも……やっぱり変なんだ」
艦速を気にしつつも、皐月の思考か自分の内側に落ちていく。
司令官が明らかに変わったのは観艦式に参加するようにとの通達が来てからだと思う。何度となく地図を広げて何かを書いては破り捨てを繰り返していた。司令官は艦娘をまるで人間のように扱うところがあるし、心配性なほど作戦を何度も確認する癖があった。でも今回はそれに輪をかけて回数が多かった。
そうして、当日が近づくにつれて、“皐月と目を合せなくなっていった”。どこか遠慮するように目線をそらしているのだ。皐月だけじゃない、艦娘全員とだ。皐月とも、浦風とも、今基地を守ってくれているはずの、鳳翔さんとも。
決定的だったのは、昨日の夜。即位記念式典の晩餐会の帰り道、疲れてうつらうつらしながら、彼に背負われている間のことだ。
――――この子には話したのか?
聞きなれない男の声、たぶん月刀大佐だ。
――――話せなかった。話せるはずがありませんでした。
今度は聞きなれた声、浜地賢一司令官の声だ。
――――そっか、いいのか?
――――そう言う大佐はどうなんですか?
――――さぁ、な……。
その場で聞き返すべきだったかもしれないと、今はすこし後悔している。
次に目が覚めた時には文月に抱き枕にされていて脱出に苦労した。着替えて司令艦室に向かって、浜地司令官に昨日のことを謝ろうとして、部屋に入る前に足を止めた。開いているドアからは中の様子がうかがい見れた。
開襟の第一種軍装にサーベルを下げ、制帽を小脇に抱えた浜地司令官が見えた。小さなナイフを親指に当てると、その親指を何やら紙に押し付けている。紙を封筒にしまい、デスクの中に仕舞いこむ。心臓がとくんと大きく跳ねる。あれは、なんだ?
そのまま浜地司令官が出てきそうだったので、いまきた風を装って司令室に飛び込んだ。互いにおはようを返すだけで終わってしまった。謝れなかった。
彼は何を書いていたのだろう。気になったがデスクには鍵がかけられ見ることはかなわなかった。
《……皐月》
「……なに?」
無線に考えを中断させられる。この声は、川内だ。
《来るとしたらそろそろだよ。司令官に言いたいことはちゃんと伝えた?》
「……どういうことさ?」
心臓が跳ねた。
《国王の暗殺ってことは同じ船の同じブリッジにいる司令官たちは私たちと比べ物にならないぐらいに危険な状態にいるわ。それわかってる?》
「……!」
《川内さん、どういうことなのです?》
《電ちゃんも聞かされてなかったか》
川内は前を向いたまま平然と言葉を紡ぐ。
《……今回の私たちはある意味》
《――――川内》
女性の声が割り込んだ。
《無線に“枝”がついてるみたいだ。
問答無用で会話を途切れさせた。ただそのためだけの無線。
「……なにを隠してるの?」
皐月にはわからなかった。わからないところで何かが急激に動いている。
その直後に国王の乗っている船のブリッジの窓に真っ白くヒビが入るくらいには事態は急転直下で動いていた。
その数瞬前、気が付いたのは航暉だった。
国王に呼ばれて首を垂れながら話を聞いていた航暉だが、走った違和感に警告を出す。
《笹原、警備無線のノイズ、枝だ》
枝――――それは電脳通信に割り込んだ盗聴ラインのことだ。通信に割り込み、盗聴やデータの改ざんなどを行うための横線。糸電話の中間に別の糸を結ぶことをイメージするとわかりやすいだろう。
《国連士官全員
《了解》
《はいはーい》
警護班の無線に割り込んだノイズ。もしそれが――――――電脳に介入するためのアンカーだったとしたら。場合によっては航暉も含めた全員が国王に対する暗殺者に仕立て上げることも可能だ。
人知れず冷や汗をかいていると“それ”が起こった。
「う、あ……」
国王の警備責任者である近衛隊長がわずかに身震いした。全身がけいれんでも起こしたように小刻みに震える。
「あ、が、だ、だだだだ、第7共和政権に、栄光あれっ!」
その屈強な右腕が腰から何かを引き抜きそれを振り上げる。
「隊長っ!?」
国王の右脇に控えていた近衛隊長は体を回し、何かを国王に叩きつけようとする。そこに、航暉が割り込んだ。
右足を大きく踏み込み、国王と近衛隊長の間に体を滑り込ませる。膝を曲げ姿勢を低くしたまま両手で彼の肘あたりを押さえにかかる。全身振り下ろされる腕のパワーを全身に分散させ、近衛隊長の獲物“スタン警棒”が国王に振り下ろされるのを防ごうとする。だが予想をはるかに超える力に航暉は顔を顰め、左肩から嫌な音がした。激痛が走る。
(こいつ全身
人間の力をはるかに超える鋼鉄の体を相手に生身の体で出力勝負を仕掛けても勝てるわけがない。右手に力はそのままに左腕を抜重、相手の腕の力を横方向に傾け、航暉は彼の懐に体をまわし込んだ。スタン警棒は国王の足元の床にあたり、わずかに火花を残す。
航暉は回転の勢いを左肘に乗せ相手の心臓があるであろう位置に叩き込み素早く引き戻す。ほんとは顎を狙いたいところだが、体格差を考えれると大きく伸びあがらねばならない。次の攻撃が来た時に対応が遅れる。予想よりも固い手ごたえ、チタンか何かで生命維持用の臓器を保護しているのだろう。激痛に歯を食いしばりながら、右脇に相手の右腕を挟み込み締め上げる。体重をフルに使ってその腕を無理な方向にひねっていく。警棒を持つ手が痛みにわずかに開く。その隙に警棒を奪い取ると、相手の顔面に叩きつける。
「が、ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
悲鳴を上げる近衛隊長に警棒を押し付け続ける。強度を重視した金属を多用する全身義体は生身と比べても電気をよく通し、発熱する。また、脳と機械の体を結ぶ電脳に強い電流が流れれば、脳の保護のために自動的に接続が切れる。
悲鳴を上げた時の姿勢のまま近衛隊長が硬直する。脳の保護に入り、義体部への信号が遮断されたためだ。その姿勢のまま地面に倒れ込むと奇妙な沈黙が降りる。それを破ったのは航暉だった。
「全員電脳活性をチェックしてください! 敵は電脳ハッカーの可能性大、誰がアンカーを仕込まれてるかわからない、相互に監視せよ!」
「りょ、了解!」
近衛兵士が慌てて返事を返す。
「電脳ハッカーだとなぜわかる!?」
「警備無線のノイズだ。おそらくそのノイズにスタックスネット型のウイルスが分割して紛れ込んでいた。発動条件がわからない以上何とも言えないが次に発狂するとしたら電脳通信の管制キーを持つ隊長格以上か、近衛兵全員だ!」
だがその忠告も間に合わない。ブリッジの出入り口に立っていた近衛兵士がうつろな目で
「全員伏せろ!」
航暉が叫びつつ、国王にタックルを決めるとそのまま抱き地面に伏せた。
ハイテンポの破裂音と共に大量の鉛玉が船橋を蹂躙していく。航暉が盾にしているのは近衛隊長……彼の金属製の義体だ。それに当たって鉛弾が明後日の方向に跳ねていく。
拳銃の銃声が響いた。直後マシンガンの銃声がやむ。脳漿と血液を大量にぶちまけながら近衛兵士がどうと倒れる。拳銃を持っているのは……マルセロ・ピラール艦長だった。
「私の艦で小銃など使ってほしくはなかったんだが」
そういいながら体を起こした艦長は小さく溜息をつきつつ拳銃を腰のホルスターに仕舞いこんだ。
《司令官さん、何があったのです!?》
電の焦った通信が飛び込んでくる。
《電脳ハックを使った攻撃を受けた》
《だ、大丈夫なのです!?》
《司令部要員と国王は今のところ健在だが、状況的にはかなりヤバい》
《具体的には?》
割り込んだのは川内だ。
《一つめ、電脳ハックのせいで誰が国王を攻撃してもおかしくない。二つめ、国連派遣団の面々は儀礼用のサーベルしか持ってない。三つめ、俺の左肩が外れて使い物にならない》
「左肩脱臼治せる?」
制御卓を挟んで反対側で伏せていたらしい笹原が声を上げた。
「やってはみるが骨をはめたところでまともな戦闘行動は無理だ。戦力としてはカウントできない」
「あっちゃー。ヤバいねこれ」
「あぁ、かなりヤバい」
航暉は返事をしながら、気絶していた国王の肩を叩いて起こすと、制御卓の足元まで国王を連れていき、それを盾にするように寝かせた。
「艦長! この船のコントロールは?」
「今はオートパイロットでコース通り。機関制御システムも異常なし」
「艦隊司令! 観艦式を中止し至急キャビテ港に入港することを意見具申いたします」
航暉がそう言うと後部の配電盤の影に隠れていたスールー海軍の大将が答える。
「なぜマニラノース港じゃないんだ?」
「地理的にキャビテ軍港の方が近いからです。スールー海軍の管理区画ならそのまま護衛体制を取ったうえでキレム国王を安全地帯までお連れすることも可能でしょう!」
「ダメだ、マニラノース港でなければ国王の安全を確保できん」
「なぜです?」
「キャビテ軍港周辺は第7共和政権のゲリラグループが潜伏している可能性が高い。ここで相手が仕掛けてきたってことはおそらくキャビテに艦隊を入港させそこを襲う可能性が高い!」
そういいあっているところに笹原が割り込んだ。
「緊急! “ホロ”の
「はぁっ!?」
“ホロ”は“リカルテ”の後方300メートルを航行しているスールー海軍のフリゲート艦マニラ級の5番艦だ。その武装が起動している。真っ先に反応したのはマルセロ・ピラール艦長だ。
「リカルテよりホロ! 戦闘指示は出ていない! 武装を解除せよ!」
《こちらホロ! 管制システムが応答しない! こちらの指示がすべてはじかれてる!》
混乱した声が返ってくる。その間にも戦闘用意が整えられていく。
「どこだ、どこを狙う気だ!? 艦長! リンク32の起動許可を! ホロのCICの武装管制をミラー出力してください!」
航暉の叫びに反応して、ピラール艦長がうなじからコードを引き出し、制御卓につないだ。直後にブリッジの天井からつるされた液晶に画像が写る。
「左舷真横150メートル……!そこって」
「……皐月だ!」
DD-MT05“SATSUKI”と表示されるべきマーカーがT-13に置き換わっている。ホロの武装管制システムは皐月を認識していない。武装管制システムはそれに気が付かないまま迎撃シーケンスを始動、その経過を高速で伝えてくる。
「――――ナトリウム反応式メーザー砲! まずい!」
「皐月、逃げろ! 取り舵一杯最大船速!」
浜地中佐が叫び、ブリッジの左舷見張り台へと駆けこんだ。それとタイミングを同じにして、
浜地中佐の視線の先で、皐月の足元が、爆ぜた。
……兵器の名前とか仕組みとかは突っ込まないでください。
そのアルファベット三文字でかっこよさそうなものを考えたらそんなことになったんです。ナトリウムはメーザーの触媒として使えないよ! とか、なんでシリアスに突っ込んだんだよ! とかいろいろあると思いますが、どうぞよしなに。
感想・意見・要望はお気軽にどうぞ。
次回から本格的な戦闘回です……相手は誰?
それでは次回お会いしましょう
(活動報告で簡単なアンケートもやってます。よろしかったらご覧ください)