艦隊これくしょんー啓開の鏑矢ー 作:オーバードライヴ/ドクタークレフ
そんなこんなで短めですが、抜錨!
いつだって、そうだった。兄はずっとわたしの前を進んでいる。わたしに背中を見せて歩いていく。私はその背中を、必死に追いかけてきたように思う。兄の背中はわたしにとって特別だった。
父も母も、わたしを本当に大切にしてくれた。無理をさせないように、泣くことがないように、父も母も、家のお手伝いさんや執事さんもみんな、本当によくしてくれた。足りないものは、何もなかったと思う。もちろん喧嘩もしたし、つらいことがなかったとは思わないし、言えない。それでもわたしは恵まれたことに変わりないはずだ。周りの人はみんな、いい父であり、いい母であり、いい人だった。
それでも兄は特別だった。家のみんなにとっても、私にとっても。
家の長男であることもあったし、男子と女子では扱いが変わるのもあったのだろう。私たちとは明らかに背負うものが違っていた。家は“月一族”とも呼ばれる『風月三友会』の一角を成していた。兄はいつかそこに家の当主として顔を出すことが求められていたはずだ。そのためにあの人は、誰かを率いること、誰かに背を向け立ち向かうことを覚えたのだと思う。背中を預けるのではなく、背を見せるだけ。「一身独立し、一国独立す」と言ったのは福沢諭吉だっただろうか。誰かを頼ることはせず、自らの足で立つように、兄は教えられた。媚び諂うことも、驕ることもなく、等身大の人間として、誰かを率いることを教えられた。
私はそれを、どこか寂しいと思っていたのだと思う。きっとあの人は誰にも頼らず、どこか遠くまで行ってしまう。そう思った。だから、私は、あの人を追いかけた。あの時は小さかったから、そこまで明確に意識していたわけではないのだろう。それでも、なんだかそれが嫌だったのだろう。そして、あの人は――――に歩調を合わせてくれたのだと思う。私はそれに全力で追いつこうとして、あの人は、私が追い付ける速度で歩いてくれた。だから、私はずっとあの人の背中を追いかけることができた。突き放されることもなく、追いつくこともできずに、ただひたすらに追いかけることができた。
だから、私は、――――は、あの人の隣に立つことはできなかった。ただ、追いかけるだけ。あの人が歩いて、切り拓いた道を追いかけるだけ。前に立ちはだかる困難は、いつもあの人が切り伏せた。その後を、必死について歩くだけ。いつも守ってもらう立場だった。
背中を守ると言えば聞こえはいいだろう。いつ背後から困難が襲ってくるかわからないからだ。それでも、あの人は、―――さんは、――――に、背中を守ってもらうことを望まない。他を頼らず、媚び諂うことなく、自らの意志で、自らの行いを徹すことを是とした人だ。だから――――を頼ることはない。頼りにすると言われたし、私もそれを望んでいた。あの人の部下になった時から、私がずっとそれを望んで、それができる位置に―――さんは、私を置いてくれた。
それでも、あの人は背中を見せて、置いていくのだ。付いて来いと言うし、手を差し伸べてくれる。それでも、私はあの人の隣に立てない。あの人に追いつくことができないままだ。
いつだってそうだったじゃないか。私が犬の喧嘩に割り込んで大けがしそうになった時も、お姉ちゃんと喧嘩した時も、みんなを助けたいと言って、海にでることができなくなった時も、皆を率いることになったときも。いつだって、あの人は私の背中を押してくれた。
でもそれは、既にあの人が歩いて来た道であって、――――が切り拓いた道ではない。危険な海を啓開してきたのは、いつだってあの人だ。
私は、あの人に、何ができるんだろう。あの人の妹として何ができるんだろう。あの人の部下として、何ができるんだろう。――――として、―――さんに何ができるんだろう。
盲目のままあの人に付いてきた。あの人を孤独にさせたくない。それだけを願ってきた。それがあの人を、司令官さんを苦しめる。私は、何ができるんだろう。
――――は、あの人の重りにしかならないのだろうか。私は、――――は。
電はゆっくりと目を開ける。ぼうっと霞む視界の奥に自分の手のひらが見える。暗い部屋で、指の先は仄暗く灰色に光る。親指から順繰りに指を閉じて手をグーにしてから、すぐに開く。義体制御は正常だ。すぐに電脳が戦術リンクに論理接続を開始する。オートフォーカスが始動し、ぼんやりとした視界が瞬時にクリアになった。同時に視力が底上げされる。暗い部屋に合わせて光量が調整されたのだ。
体を起こす。体を覆っていた毛布をめくる。それを畳んで足元に置いていく。
「――――わたしは」
義体の全ての機能が正常に始動していることを、義体を走査していたチェックプログラムが告げる。眠気なんてどこにもない。頭はすぐにクリアになった。その事に違和を覚えていること以外は何ら正常だ。目の端にかかる長い茶色の髪が気になった。そうだ、仮眠をとるために、バレッタを外しているからだ。チェックプログラムは義体を診るだけで、備品の確認をしてはくれない。
ゆっくりと立ち上がる。
浮力と推力を生み出すための出力系をまとめた重い靴が見える。義体を守るためのハイパーケプラー製のセーラー服が見える。扉に引っかけられた小物入れの棚には自分の髪をまとめるバレッタが見える。第一級代表旗艦技能徽章の金色のバッジが見える。第五〇太平洋即応打撃群を示す、5本の稲光を掴む3本脚の八咫烏が光る部隊バッジが見える。打撃群の独立旗艦を示す、破魔矢を番えた梓弓のバッジが見える。
そして、あの人がくれた万年筆が静かに置いてあるのが見える。あの人に送った腕時計の余ったバンドを入れたお守りが見える。私物――水上用自律駆動兵装の機能維持に必要なもの以外のもの――は、この二つだけだろう。
そう。電の私物はその二つだけのはずだ。あえて言うならば、昨年の五月から、彼がウェーク島基地の司令官に収まったときからの記憶が入る程度のはずだ。間違えても、電が稼働を開始した5年足らずの時間しか、記憶はないはずなのだ。水上用自律駆動兵装に、姉はいても、兄は存在しない。
だとするならば、先ほど浮かんだ情景は。アレをみた主体たる『わたし』は――――。
視線を上げる。扉の裏につけられた小さな鏡が見える。そこに移るのは、当然、鏡の前に立つ、茶色の髪を垂らす、小柄な全身義体。鏡にそっと人差し指を乗せ、その輪郭をなぞる。その影に、問いかける。
「……あなたは、いったい誰なのです?」
「まともにコミュニケーションが取れることでも十分に驚愕だったが、向こうとの取引が成立するとは思ってなかったね」
戦闘指揮所には指揮官全員が詰めていた。井矢崎莞爾少将が欠伸をかみ殺しながらそう言った。それを受けて肩を竦めるのは篠華・リーナ・ローレンベルク中佐だ。
「知能自体は高いようですからね。向こうのフィールドに合わせることで、向こうのトップに謁見する。交渉対象を無事引き出せたのは大きいですよ。ねー、委員長」
「おかげで相手は待ち伏せも奇襲もやりたい放題になりましたけど」
話題を振られた東郷駈中佐がそう返せば高峰が頷く。
「それでも、やっと交渉の第一フェーズに入れる。今回は深海棲艦が考える『戦争の終わり』を知ることだ。可能ならAL方面の停戦を確約させたいところだが、行きつくかわからん」
「だねー。ところで高峰クン。南北アメリカ方面隊はどう抑えるつもり? 会議に出席させろとか言いだしたんでしょ?」
「決死隊でいいなら来させていい気がしますが、こっちも決死なわけですし。井矢崎少将こそどうお考えでしょうか」
「出席もなにも、そもそも人間との接触を断ってる状況だよ。こちらからも高峰クン一人捻じ込むので精いっぱいだったんだよ。そんな余裕はないよ」
「では、米帝陣営の足止めはお願いしますね」
「めんどくさいんだけどねぇ」
井矢崎はそう言って伸びをした。
「せめて高峰クンが背中を刺されないようには守るつもりだよ。安心して交渉しておいで」
「……」
恨みを買っているところもあるでしょ? と言外にちらつかせながら井矢崎はそう言った。それに気が付かないふりをして澄まし顔で頭を下げる高峰。
「用意があるでしょ? ここはもう大丈夫、後は私と、皆で捌くから、退出していいよ」
「了解しました」
「制服で行くの?」
「相手には礼を尽くすのが筋でしょう。もちろん、防弾プレートや対刃のインナーは着ていきますよ。最悪の場合、電と北方棲姫だけでも離脱させるのでよろしくお願いします」
「文字通りの決死隊だね。わかった」
高峰クン、と井矢崎は続けて目を細めた。
「一つ質問がある。君が
「どちらにしても切り捨てください。高峰春斗という人物は存在しなかったことにしていただいて結構です。その方がメリットも大きい。死体が出たならなお良いですけどね」
高峰が即答。それを最後に会話が途切れる。
「……君の覚悟、了解した。君の遺書が愛する人に届かないことを祈るよ」
「遺書なんてありませんよ、私には。届け先ももうありませんし」
高峰は寂しそうにそう言って、制帽を手に取った。
「ほう、珍しいね。ご家族には出さないのかい?」
「父とは離縁しておりますし、母は行方不明のままです。手紙を送る相手はいませんよ。それに、海軍に来る以前は誰かに喧伝できるような仕事ではありませんでしたので、そのころの名残で、書いていません」
「……悪いことを聞いたかな?」
「少将がお気になさる必要はありませんよ。では」
そう言って一礼して高峰が外に出る、それを見送って、井矢崎は溜息をついた。
「あぁは言ったけど、抑えられるかわかったもんじゃないんだよね」
「少将」
どこか窘めるように東郷駈中佐が言う。
「もちろん全力は尽くすさ。それでも難しい場合もあるってことだよ。君だって切り捨てるだろう? 人間1人が地球に住む全人口42億人よりも優先させる事態はありえない訳。万が一それが起こるなら地球が42億個必要になる。そんな天変地異、ありはしないんだ」
それを聞いて東郷は黙った。わざと論点をずらしつつある。白々しいと思いつつもそれを流す。
「だからまぁ、彼を助けるコストが状況に合わなければその選択肢はとり得ない。そうならないように対策はするけどね」
わざとらしくため息をつく井矢崎に、東郷はゆっくりと口を開く。
「それで、具体的にはどうされるおつもりですか?」
「問題は南北アメリカ方面隊だ。あそこは世界の警察の名残を引いててねぇ。とりあえず軍事力で気にいらないところを黙らせる大層迷惑な傾向がある。今回当事者だから仲裁役にはなれない。でもここで反撃すれば、向こうのいいようにプロパガンダに使われるだけだろう。したがって反撃もできない。
MIも修羅場ってるみたいだし、と井矢崎は嘯く。それに噛みつくように視線をあげたのは東郷だ。
「だから見捨てると?」
「それを高峰クンは承知のようだったけど? 高峰クンは実際ニューヨーク生まれだから肌で知ってるでしょ。彼の祖国がどういうところか」
どこか皮肉な笑みを浮かべた井矢崎が肩を回してそう言う。東郷は僅かに視線を下げる。その肩をトントンと叩かれる。篠華が右手を伸ばし、人差し指で肩を叩いたのだ。
「怖い顔してる」
「……別に」
「そう?」
東郷はちらりと目を動かす。篠華はその視線が井矢崎に向けられたことに気がついた。それに気がついて笑みを浮かべる。
「
「……どういう意味だ?」
「日本語だと『泣く子と地頭には勝たれぬ』とかになるのかな?」
「聞こえてるよ、篠華クン」
後ろから含み笑いが混じる声が響く。演技臭く肩を竦めて、篠華が振り返る。
「これは失礼しました、井矢崎少将」
「権力者と強者には逆らえない。道理だけどね、それは。でもそれを律儀に守れる時間は過ぎたでしょ? ロシア語で返すなら、必要は法など待たない……だったかな?」
「『待たない』ではなく『知らない』ですね。Нужда закона не знаетですから」
篠華の指摘に井矢崎はそうだったね、とドライに返した。そして続ける。
「そう、いつだって必要な処置は法を外れる。それでも、成さなければならないことがある。そのために僕たち軍人が、前線に立ち続ける必要がある。」
井矢崎はそう言った。彼の細められた目の先にある時計は、交渉開始時刻マイナス2時間前を示していた。
「さて、開場の用意を始めよう。悲劇的な喜劇にならないことを、願うしかないね」
『青葉』
電脳通信を開いて問いかける。すぐに無線がつながった。直後に足が思わず止まる。
《なんですかぁ? 今、新しい義体に乗り換えてる真っ最中で動けませんよ》
『……知ってる。今フェーズ3かどこかだろ』
《あれぇ、青葉の行程どこまで進んだか話しましたっけ?》
『視界や皮膚感覚までリンク流しといてよく言う』
《へぁっ!?》
慌てたのか、リンクで飛んだ視界がぶれる。首を曲げて俯くように視界が動いた後、いきなり映像が切れた。同時に皮膚にまとわりつくような感覚や、異物感が消える。下げた視界に移った肌色は見なかったことにした。そのほうが青葉も楽だろう。
『調整液の粘度上げてるのはお前の趣味か? 腹の中に感覚器ないけど気持ち悪い。ナメクジかお前は』
《……うぅ。全感覚を並列化してるなんて思ってなかったんですよぅ》
もうお嫁にいけないぃ、と嘆く青葉に溜息で返す高峰。
『別に裸見ても御利益なさそうだからいらん』
《……そういうときは、責任とってもらってやるとか続くんじゃないですか?》
『知らん。で、そっちの状況は?』
青葉の言葉を完全無視して発せられた高峰の返答に、無線の奥はどこか諦めたような溜息が乗る。電脳通信に吐息が混じることはまずないから、わざと乗せているのだろう。高峰はそれをスルーして返事を待った。
《平菱の義体制御プログラムは何とかならないんですかね。安全装置四重掛けとかセーフティの誤作動華々しいんですけど》
その返事を聞いて、高峰は義体の調整が既に後半に入っていることを理解する。
『六課のチャンネルはリンクできるか?』
《六課と九課、両方すでにリンク済です》
『上々。グラウコスが仕掛けてくるならこのタイミングだろう。俺がオフラインになっている間、六課の方を頼む』
《了解しました。電脳通信は生きてるので遠慮なく組み込んでください》
『その権限も含めて預けるのさ』
高峰はそう言って常夜灯の赤い光が照らす廊下を歩いていく。制帽は脇に抱えたままだ。鍔の桜葉模様が僅かに光る。
『……万が一のことがあったら、頼むぞ』
《嫌です》
青葉の即答に高峰は思わず足を止めた。
《……生きて帰ってくるんでしょう?》
『それでも万が一の可能性は消えないだろう』
そう返すと、返事は笑い声で帰ってきた。
《帰ってくる気があるなら、帰ってこれますよ。だから青葉はそのお願いは受けません》
『なんだその自信は』
《そりゃぁ、優秀な方ですから、貴方は》
『答えになってないぜ、青葉』
《その答えすら出せない頼りない後輩に任せたくなければさっさと終わらせて戻ってきてください。先にクリリスクで待ってますから》
『……わかった。待ってろ』
その声に至極嬉しそうな返事が帰ってきて通信が切れた。高峰は頭を掻いて廊下を改めて進む。その先にはウェルドックがある。広大な広さのドックには既に二人の影があった。
「待たせたね。大丈夫かい?」
「待ってないのです。高峰大佐こそ、大丈夫なのです?」
電が笑う。いつも通りのように見える、どこか儚げな笑み。すでに艤装を背負い、準備を整えた後らしい。
「大丈夫だよ。少し緊張はしているけど」
「ふふっ、いなづまもなのです」
電がそう言って振り返った。どこか無表情に見える北方棲姫が立っていた。
「ほっぽちゃんは大丈夫なのです?」
「……実ハ、スゴク緊張シテル」
その答えに電が笑みを深めた。
「でも、きっと大丈夫なのです。それを信じていきましょう」
「ウン」
頷いた北方棲姫に電が頷き返す。その仕草はいつも通りだ。それを見た高峰の表情がわずかに陰る。ずっと傍にいた航暉なら、この違和の正体に気がついたのだろうか。
「タカミネ大佐、イナヅマ」
耽りかけた思考に北方棲姫の声が割り込んだ。高峰が顔を上げる。
「私カラ離レナイデ。アノ中デハグレタラ、皆ノ生存率ハ一気ニ下ガルカラ」
北方棲姫の言葉に高峰が神妙な顔で頷いた。
「わかった」
「しっかり付いていくのです」
LCACを下ろすために、あきつ丸のウェルドックが解放されていく。外の夜闇が入り込んでくる。LCACの操縦者が高峰たちを待っている。
「……いこうか」
「なのです」
「ワカッタ」
深海棲艦との正式な交渉が開始されるまで、あと30分を割っていた。
……電がヤバイ、かなりヤバイ。
これで大丈夫なのか本当に心配ですが、大丈夫だと信じましょう。
世の中ではGWが終わりを迎え、艦これではイベントが始まりましたがとりあえずやりこめるGW中に神風を手に入れてホクホクの丙提督オーバードライヴです。あとはのんびり攻略ですかね。
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次回は交渉回。気合入れて頑張ります。
それでは次回、お会いしましょう。