艦隊これくしょんー啓開の鏑矢ー   作:オーバードライヴ/ドクタークレフ

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ご無沙汰しておりました。本当にお待たせしてしまい申し訳ないです。

何とか更新と相成りましたが、結構リハビリ兼ねてます。

それでもお楽しみいただければ幸いです。

それでは、抜錨!


ANECDOTE036 まずい兆候だ

 

 

 

「全く、骨が折れるな……第15波の確認だ」

 

 杉田の声に航暉は飲んでいた水を吹き出しかけた。

 

「おいおいおいおい。もう400機近く落としてるぞ……。どれだけ航空戦力を拡充してるんだ、奴さん。……加賀の疲労が限界だ。飛龍、蒼龍出られるか?」

『こちら飛龍。蒼龍共々発艦用意完了してます!』

「了解、CAT-Iから発艦。艦戦を優先して上げさせといてくれ。加賀、とりあえず下がれ。赤城、艦隊直掩を頼めるか」

『了解しました』

『私はまだ戦えます……!』

「今戦えてても数時間後に闘えなきゃ意味ないんだ、加賀、お前の処理能力はこの先っでも鍵となる。温存しておきたい。戻れ」

 

 航暉はそう言って無線を切る。自分の中に余裕がないのに気がついた。

 

「……相手を誘引するのが目的とはいえ、ここまで多くなるとは思ってなかったな、まったく」

「でも航空戦は昼だけだろう。夜は笹原と俺で何とかするからがんばれよ飛燕」

 

 先ほど指揮に上番したばかりの杉田が笑う。それを見て航暉は力ない笑みを浮かべた。シートのヘッドレスト脇に無理やり吊り下げた袋からエナジーバーを取り出して齧る。

 

「かれこれもう10時間以上こうしてるんだが、いつになったら奴さんは引き下がってくれるんだ?」

「……トイレ休憩込でその場所最後に立ったのはいつだよ」

「ヒトマルフタサンだが?……飛龍、CAT-Iチェックイン了解。システムグリーンライト、チェックオンモニタ。発艦を許可する。姿勢制御をローンチへ移行」

 

 割り込んだ飛龍の無線に答える航暉に呆れたような表情を浮かべる杉田。

 

「おいおい、7時間近く席立ってないのか。体に毒だし規定値限界じゃないか?……金剛、三式弾用意、バラージで鷹の眼行くぞ」

「ならお前がこの航空戦全部捌いてくれるのか? ……飛龍の発艦を確認。蒼龍のCAT-Iエントリーを許可。飛龍は艦戦の用意を整えつつ赤城と合流しろ」

「金剛、レコメンドファイア。……俺がこの量を捌くのは無理だな。海大の演習で鳳翔さんに副砲ガン積みにしてたのはお前も知ってるだろ」

「良く知ってるよ。全く、マンパワーに拠りすぎたチーム編成は疲れるぜ」

「同感だ。……来るぜ月刀。玄関でお出迎えだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二足開きで足踏み、胴造り、安定したら弓構え。呼吸が整っていることを確認して打起こし。弦がキリリと鳴る。緊張が一気に高まっていく。

 

「第二次攻撃隊、発艦っ!」

 

 弦が一気に鳴った。その姿勢で屋の行く末を見やる。残心。その先で打ち出した鏃が揚力を得、空中を縦横無尽に駆けていく。

 

「……頼むわね、友永隊」

 

 そう言う視線の先で一気に機体が高度を落とす。極低空を飛び込む艦攻隊。飛龍の真骨頂たるその高い機動制御により、荒波の中を高速で艦載機が抜けていく。部隊無線が入感する。送信元は司令部だ

 

《蒼龍、艦爆を1飛行隊分こちらに回せ。あとCVW-201の三番機を出すぞ》

「提督……大丈夫ですか?」

 

 横で矢を番えていた蒼龍の戸惑った声が響く。それには苦笑いが帰ってきた。

 

《これくらいでへこたれるようじゃぁ、准将なんて務まらんさ。回せ》

「わかりました、彗星を8機預けます。1番から8番、ユーハブコントロール」

《アイハブ》

 

 蒼龍が弓を引き絞り刹那のうちに矢を放った。それが一気に高度を落とす。航暉が操舵する航空機は艦爆隊。要は急降下爆撃隊だ。通常の動きなら高度を上げるのが正解だ。だが、航暉の場合はことなる。

 

「極低空からの水平爆撃……何度見ても冷や汗ものよね」

「……たしかに」

 

 蒼龍の言葉に飛龍も頷く。波が高いためまだ高度を稼いでいるが海抜5メートルを割っている。狂気の沙汰とも言える高度だ。その高度で飛龍の航空隊に追いつかんと速度を上げる蒼龍艦爆隊。飛龍が繰る艦攻隊よりも一機分ほど低い高度でゆっくりと邂逅した。

 航暉がタイミングを指示した。密集形態からゆっくりと散らす。攻撃対象は空母ヲ級2隻と未確認種の航空型1隻。未確認の航空型がおそらく戦術の鍵を担っていると思われるため、これを潰すのが最大の目標だ。

 夜闇が近くなってきていることと、天候が優れないためコントロールには細心の注意が必要になる。だがそれを乗り切ることができる技量があれば、これはチャンスとなる。青波砕ける海の中で小型の艦載機は電子的・視覚的に海面のノイズとして処理される。運よく見つけたとしても、それを追いかけ、撃ち落とすのは普段に比べて格段に難易度が上がるのである。

 

《雨が、酷くなってきたな》

「ですね……」

「目視で合わせるのは大変かと思いますが、これで大丈夫ですか?」

 

 蒼龍の疑問も最もだ。今は杉田の操る鷹の目のデータに則って誘導をかけている状況だ。それのみに頼っての誘導は確実性が担保されない。そのデータが正しいというのは、その場に行ってみないとわからないのだ。

 

《大丈夫だと信じよう。高峰がいれば安心して誘導できるんだが》

《なんだよ、俺の眼じゃ不安か》

 

 不満げな無線が割り込んだ。鷹の眼を使って観測データを送っている杉田だ。航暉のコメントなのだが、それに頷きかけた蒼龍が慌てる。

 

「そ、そう言うわけでは……」

《鷹の眼で艦載機を誘導するのに慣れてないだけさ。そうカッカするなよ。杉田》

 

 航暉がフォローを入れるとどこか不満げな鼻息が無線に乗った。少しほっとする。

 

《さて、そろそろ捕捉されるぞ。一気に飛び込んで喉笛に喰らいつけ》

 

 航暉の声に、飛龍と蒼龍の声が揃う。強風と雨、そして大禍時とも言える日暮れを隠れ蓑とし、高速で海面付近を駆けていく。

 

《レーダーコンタクト》

 

 敵の艦隊を捕らえた。ほぼ同時に敵の機銃の曳光弾が伸びる。精度はかなり高い。電探持ちが存在する。

 

「飛龍航空隊! 魚雷投下!」

 

 無線に叫ぶと同時に魚雷を落とす。重りを失い、急激に機首が跳ね上がった。そのまま反転して去っていく。しかしながら、蒼龍の艦爆隊は未だ低高度を驀進中だ。

 

「頑張って、江草隊……」

 

 蒼龍の声が飛龍に届く。飛龍は司令部が統合したレーダー画面でそれを追うが、未だに全機残っている。敵艦隊に特攻でもするのか、という距離まで近づいて、そのまま艦隊上空を飛び越えた、直後。

 

「……!」

「ここからでも閃光が見えるって……蒼龍、あの航空隊に何積んだの?」

「えっと……サーモバリック爆弾……」

「……遅延信管とはいえ、それを極低空投下……」

 

 サーモバリック炸薬、気化爆弾とも呼ばれるそれは炸裂範囲が広く、投下後すぐ炸裂する極低空投下では巻き込まれることになる。半ば自殺行為だ。

 

《大丈夫だ。おかげで奴さんの艦載機のコントロールが切れた。沈んでは無いが、これで艦載機攻撃はもう来ない》

《了解だ》

 

 無線の奥で笑った野太い声。

 

《月刀准将はすでに連続指揮規定時間を超過している。この先は杉田勝也大佐が指揮を執る。武蔵・大和の展開終了後、金剛と霧島は一度帰還せよ》

《おい、勝手に決めるな》

《こんなところで過労で倒れられるとこっちが困るんだ。航空隊は潰したんだろう? なら後処理(スイープ)は砲戦部隊の仕事だ。さっさと休んどけ。お前はそもそも昼間見張ってればいいんだから、さっさと休め》

《……わかった》

 

 航暉が渋々了承する。

 

《飛龍・蒼龍は航空隊を回収。悪いが敵航空隊がそれでも残ってたときの対空砲台として残ってもらう。……夜のうちに決めるぞ》

「了解」

 

 夜戦に向けて、戦域が加速していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、艦載機の回収も終わったんだ。出てけ」

「……本当に追い出す気か、お前」

 

 杉田に半眼を向ける航暉だが、杉田は肩を竦めた。

 

「何のために渡井を呼んだと思ってるんだよ」

「そーそー。夜はサブマリナーたちに任せておきなって」

 

 そう言ってエナジーバーを齧る渡井が座席につく。彼の手元ではタブレット端末とヴァーチャルキーボード、トラックボールに音声入力(DVI)システムコントロールユニットと入力装置の見本市が開催されている。

 

「……良くそれだけいじれるなお前」

「技官舐めると痛い目見るよ、航暉クン。僕はこれでも天才なんだ」

 

 おどけて言う渡井。杉田が軽く笑みを浮かべた。

 

「まぁ、なんであれ秀でるものがなければハンモックナンバー上位独占なんてできてないだろう。間違っては無い」

「確かにそうだが、そこまで大量に使ってやる用事でもあるのか?」

「用事もないのに、こんなに駆使すると思うかい? 鷹の眼が使えない対象を一手に引き受けるんだよ。全くもって大変だけどね」

「よくやるよほんと」

 

 航暉が呆れたように言うと同時、その語尾が欠伸に潰れた。

 

「ほら、気が緩んだら疲れが出る。寝とけお前」

 

 そう言われ航暉は蹴りだされた。

 

「……義足で蹴るのはなしだろう、杉田」

 

 蹴られた尻を押さえながら航暉は自らの執務室兼仮眠室に向かう。波の影響で大きく揺れるラッタルを上り、部屋のドアに手を掛け、動きを止める。

 

「……空き巣か」

 

 腰に下げた拳銃を引き抜いた。制服のベルトをノブに掛け、ドアの前を避けて立って遠隔操作でドアを開ける。同時に中から笑い声が響く。

 

「あんたさー、自分の部屋に入るときにそんな面倒なことしているわけ?」

「部屋に誰かいる気配がするのに用心しない馬鹿がいるか」

 

 拳銃を右手に下げたまま、航暉は部屋の中に入る。

 

「いやぁ、さすが即応打撃群司令長官殿の艦内私室。ベッドの仕立てまで違うとは」

「毛布もシーツもお前らと同じもんだ。広い個室が使えるせいだろう。それよりなんでお前は俺の部屋にいるんだ、笹原」

「えー、まずかった?」

「まずいに決まってる」

 

 人のベッドに横になった笹原を睨みながら航暉はドアを閉める。

 

「ずるいよねー、給料も待遇含めて1階級でこの差……」

「ただ単に左官と将官の違いだろう。それで、わざわざ俺のところに来た理由はなんだ?」

せっかち(いらち)は嫌われるよー」

 

 部屋に鍵をかけて航暉は拳銃を仕舞う。同時に笹原が笑って体を起こした。

 

「大丈夫。部屋にちょっと手を入れたけど、君の部屋には盗聴器やらなんやらは無いらしい」

「……またヤバイ橋か」

「まぁね。でもまぁ、とりあえず今すぐじゃない」

 

 笹原は肩を竦めてそう言う。それを聞いてため息をつきながら航暉はどっかりと椅子に座り込んだ。

 

「それで、何があった()()()()()

「グラウコスはほぼ間違いなく身内に存在する」

 

 笹原の言葉に航暉は眉を顰めた。

 

「どういうことだ?」

「信頼できる筋からの報告があってね、500艦隊は聞いたことあるでしょ?」

「あの幽霊艦隊(ガイスト)か。いろいろ噂は聞いているが、それがどうした?」

「うん、その部隊が極東方面隊総司令部正式発効の命令書を根拠に、高峰君が仕掛けたブービートラップに引っかかった。完全防備の合田少佐にアタックをかけたってさ」

「……それはまぁ、お疲れ様としか言いようがないんだが」

 

 航暉がそう言って苦笑いを浮かべた。当然航暉は高峰が合田正一郎少佐を餌にグラウコスの狩り出しを行うプランは聞き及んでいた。あんなあからさまな罠、誰が引っかかるのかと思ったが、案外効果はあった訳だ。

 

「どうもお粗末じゃないか。わざわざそれで捕まりに来るとは」

「それは私も思うよー。まぁ、人事部のサーバーを爆破されて、次の標的は中央戦略コンピュータ(CSC)かもしれないって焦ってるんじゃないの? コンピュータが保身に走るってのも珍しいからこの先も暖かく見守ってみたいけど……まぁそんな時間もないのが現状だ」

 

 彼女はそう言って航暉に顔を寄せた。

 

「グラウコスはこれまでの攻撃でプレアデスインターコンチネンタル(PISPaLC)の衛星を使用してたし、米帝寄りの視点で活躍しているのは間違いない。『それ』がこのタイミングで動いている。狙っているのがなんなのか、わからない訳じゃないわよね」

「景鶴の拿捕、か?」

「もしくは破壊だね。体よく南北アメリカ方面隊との合同作戦になった訳だし。その前に決着を図りたかったのもわからないわけじゃない。グラウコスの問題を解決済にしておきたいんでしょう」

 

 そう言って笑みを浮かべる笹原。

 

「……景鶴の拿捕のために何があったとしても、米帝は関係ない形になるからね」

「極東方面隊がそれを容認していると?」

「正確には中央戦略コンピュータが、かな。アレらしくないよね。アレ、この世で唯一愛国者を名乗ってもいいレベルなのにさ。一定の他国に媚び売っちゃって、もう」

 

 笹原は話題を変えるように「さて」と前置いた。彼の首筋にそっと手を回す。

 

「そろそろ話してよ、ガトー。スキュラに何を頼まれた? あんたはいったい何をしようとしてるのかな」

 

 彼女は彼の頭を抱いて、そう問いかけた。彼はだんまり。その様子を見た彼女はそっと目を閉じた。

 

「極東方面隊が容認するのはまぁわからないんでもないんだよ。つまらない結論だけどさ。でも、それをスキュラが容認するはずがない。スキュラが信頼する数少ない駒であるガトーがここに及んで動きがないのはなんでなのかしら?」

 

 自らの胸に抱き込だ頭を撫ぜて彼女は続けた。

 

「雷電姉妹が質になってるから喋れない? でも、スキュラの言いなりになったところで彼女たちが救われないのはわかっているでしょう? ただのリスクヘッジで従ってるだけ、真綿でじわじわ首を絞められているのを眺めてるだけ。……月刀航暉、ガトー、月詠航暉。あんたたちは、それで満足? 彼女たちがじわじわ殺されていくのを眺めるだけで、あんたたちは幸せになれる? 彼女たちがそれで幸せになると思う?」

 

 耳元に囁くように言われた言葉が彼の脳裏に刷り込まれていく。航暉はそれでもしゃべらない。

 

「答えられないかな。わかるよ。あんたたちにとって、彼女たち二人はどう動かしても壊れる薄いワイングラスみたいなもの。どう梱包しても壊れるリスクがある。だからあんたたちは誰かに話すことができない。それが彼女たちを壊すかもしれないから。それは絶対避けたいでしょう」

 

 でも大丈夫と嘯いて、頭に回した手に少しばかり力をかけた。

 

「パンドラの箱を開けたことを誰も知らなければ、約束を破ったことにはならないわ。それに、私があの子たちを守ることもできる。スキュラのやり口は私が知っているからね。誰にも話さずに抱え込んでいるより効果的に守れるよ。貴方が話さない理由はどこにもないわ」

 

 閉じていた目を開き、彼女が続ける。

 

「さぁ、話して。月刀航暉。貴方はなにを頼まれたの?」

「……まるでマタ・ハリだな、スクラサス」

 

 航暉はそう鼻で笑った。彼女はそれを聞いても表情を崩さない。

 

「それが本性だろう。本質としてはスキュラと変わらん。自らの利益のために俺たちを利用する。それだけだろう?」

 

 それを聞いて彼女はわざとらしく溜息。彼の頭をゆっくりと放した。

 

「……その側面は否めないわ。でも、それだけだと思われるのはちょっと心外。私個人としても助けたいと思うし、それがお互いの利益になると思ってるわよ。貴方は電ちゃんたちを助けられて、私はグラウコスとその後ろにちらついている極東方面隊の病巣を抉り取れる。Win-Winの関係で行きましょうよ」

 

 そう言って笹原はメモ帳を差し出す。

 

「考える時間はあまりないのが現状よ。おそらく……スキュラはもう動きだした。グラウコスはすでに仕込みを終えているはず。……電ちゃんたちが巻き込まれない保証は一切ない」

 

 メモ帳の文字列を航暉の目線がなぞる。彼の息が一瞬止まった。

 

 

 

 グラウコスはALの司令部員の可能性大。

 

 

 

 視線でなぞり切ったタイミングでメモ帳が捲られた。次の文字列が現れる。

 

「いい返事を待ってるわ。お互いの利益になればいいわね」

 

 航暉からさっと離れてメモ用紙をポケットに突っ込む笹原。水溶性のメモ用紙なのだろう。すぐに処分されるはずだ。

 

「さて、そろそろ私もシフトインだから行くわ。川内が夜戦要員で駆り出される訳だし」

「気をつけろよ笹原、慢心したら駄目だぞ」

「あんたもね。カズ君」

 

 笹原がひらひらと手を振って外に出ていく。航暉はそれを見送ってため息をついた。

 

「何事もなくとはいかないな、全く」

 

 二枚目のメモ帳の文字列が頭から離れない。

 

「……電と雷の()()()()()()()()()()()()、か」

 

 バックアップは航暉が破壊したはずだ。それを()()()()()()()()()()()()

 だがもし、不完全であってもそれが残っていたとしたら、それは間違いなく中央戦略コンピュータの管理下にあるはずだ。それが今も電たちに干渉しているとしたら。

 

「電と雷の記憶への干渉が今も行われている可能性あり……不用心だったな、俺は」

 

 それで終わればまだマシかもしれない。いつ誰が二人を乗っ取るかわかったものではないのだ。その可能性が出てくる。

 

「……ブラフなんだろうが、割り切るのはリスキー過ぎる」

 

 デマの可能性が高いとしても、無視できないのは確かだ。その情報をスクラサスは航暉に売りつけた。すでに貸し1の状況にさせられたともいう。

 

 左腕にはめた時計を撫ぜる。それを送ってくれた大切な部下を思う。

 

「……無事でいてくれよ、電」

 

 呟いて、拳を作った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……乗ってはこない、か」

 

 笹原は航暉の部屋を出てから長く細く息を吐いた。ラッタルを下って指揮所のある甲板まで下る。ラッタルの出口で足を止めた。

 

「川内、聞いてたね?」

「うん、それで?」

 

 出口で待っていた川内に微笑みかけて、笹原は足を止めた。

 

「状況は芳しくない。でももう止められない。カズ君には悪いけど。こっちで勝手に動かせてもらおう」

「司令官はそれでいいの?」

「分水嶺はとうに過ぎ去った。もう止められない。諦めるわけじゃないけど、もう、間に合わない」

 

 そう言って笹原はQRSコードを首筋から引き出して、川内に投げた。危なげなくそれをキャッチした川内がそれを自分のうなじに差し込む。回線がオンラインになると、間髪入れずに笹原が通信を飛ばした。

 

『電ちゃんが“発症”した。記憶中毒のレベルⅢ。このまま行けばあと1年もしないうちに、電は《いなづま》を認識できなくなる』

『……止める手段は?』

『ないね』

 

 笹原は即答した。川内は言葉を詰まらせる。

 

『それはカズ君自身が叩き壊した。正直、このまま壊れていく電ちゃんを抱いて心中っていうのが月刀航暉の一番幸せな結論になりそうで戦慄してる。まぁ、させないんだけどさ』

 

 電脳通信の内容に川内は腕を組んだ。

 

『……それで、司令官の着地点は?』

『電にもカズ君にも死んでもらう訳にはいかないの。今後の国連海軍のことを考えても、私個人の友人としても。だから何とかするしかない』

『……バックアップのリロード?』

『それでもいいんだけどね、それじゃあ意味がないんだ。記憶と経験の乖離が起こってるのは《水上用自律駆動兵装としての電》が生まれた時から始まってる。バックアップのリロードをしても、《水上用自律駆動兵装としての電》がまっさらな状況になるだけだ。それより前に遡らないと解決しない。その可能性はマニラでカズ君自身が破壊した。……もう残ってないのさ。月詠雪音の完全なバックアップは』

 

 笹原はそう通信にのせて、自虐の笑みを浮かべた。

 

『それにカズ君はそれを望まないよ。死者を蘇らせてもゾンビにしかならないのは、自分の体でよく知ってるだろうから。それを部外者のくせに止めたくなる私がきっと間違ってるのさ。それでも最悪のシナリオを回避しなくちゃいけない。間違っていたとしても、呪われたとしても』

『何をする気なの?』

 

 川内の視線の先で笹原は目を閉じた。

 

『とりあえずの処置になるけど、電ちゃん自身が《自らがいなづまである》という自覚を持ってもらうしかないね』

『具体的には?』

 

 笹原は黙り込む。そして目を薄く開いた。

 

『……川内。犯罪者になる覚悟はあるかい?』

 

 その言葉に川内は黙って目で先を促す。

 

『ディストリビューターの原板が必要だ。グラウコスを私達で確保する必要がある』

『まさか……電を洗脳する気!?』

『雪音ちゃんの疑似的な個の情報(アイデンティティ・インフォメーション)を刷り込んで、記憶と経験の乖離を止める。それで症状悪化にストップがかかるはずだ。それしか延命できる手段はない』

 

 笹原は至極真面目な表情をして、そう言った。

 

『川内、ここから先が辛ければ降りていいよ。ここから先は大人の仕事だ』

 

 そういい残して笹原が有線通信を畳み、コードを回収した。

 

「出撃が近い、用意してね」

 

 笹原は笑って川内の肩を叩く。そうして、司令部の方に足を向けた。

 

「降りないよ!」

 

 その背中に向かって、川内が声をかける。

 

「司令官一人に、悪人面はさせない」

「……まったく、強情な部下だ。ほんと」

 

 川内に肩を竦めることで返事として、司令部の方に歩いていく。ため息を一つ。

 

「……ため息が増えた。まずい兆候だ」

 

 呟いて笑う。状況に流されている。良くない。これでは『笹原ゆう』らしくない。掌で踊らされるのは全くもって好みではない。だから誰の掌に置かれているのかを考える。それを刺すならどういうことができるかを考える。

 

「……グラウコス」

 

 口にして、苦い。

 

 米帝側とのコネクションがあり、自ら働くほどに米帝に忠誠心を持っているか、弱みを米帝に握られている人物。そして、パラオでの事件の時に現地にいた人物であり、景鶴や五月雨に接触可能な人物。そして、比較的容易に様々な情報にアクセス可能な権限を持つ人物。

 

 

 そんな人物に、笹原は一人だけ、心当たりがある。

 

 

 アメリカ生まれの日系人で、外務省勤務の経験から米帝との取引も容易に行え、今、AL作戦に同行している、第五〇即応打撃群副司令長官。

 

 

 

(高峰春斗大佐。あなたがこれを望んだの? それがあなたの正義かしら)

 

 

 

 奥歯を噛み締めていることに気が付き、力を抜いた。

 

 まだ確証はない。それに希望を求める。だがそれは同時に危険であることは百も承知だった。確証バイアスがかかれば、事実確認すらおぼつかない。それでも、そうではないことを願う。

 

「……ディストリビューターが手に入るまで、無事で居なさいよ。雷ちゃん電ちゃん」

 

 笹原が司令部に入る。

 

「上番にしては早いねー笹原」

「渡井氏が遅いの。いっつもギリギリじゃない」

「とか言いながら夜戦だから早く来たんじゃないのか?」

「カッちゃんひどくない?」

 

 杉田にそう言って笹原が指揮卓につく。今は切り替えなければ、川内が沈む。

 

「来てくれて助かったよ。水上艦と潜水艦の同時指揮は疲れるからねー」

「どおりでそんなに入力インターフェースを広げてるわけね。ご苦労様。向こうの現状は?」

 

 隣の渡井にそう聞くと、ノータイムで帰ってきた。起動した管制卓の表示を見ながらQRSプラグを接続。情報の共有を開始した。

 

「予定通り敵泊地確認だってさ。それに、ヒメちゃんと電ちゃんにご招待が来たってさ」

「ご招待って、アメリカ方面隊から?」

「深海棲艦から。今から向こうも鉄火場だ。こっちの夜戦に応援は難しそうだね」

「そっかー」

 

 笹原も知らない世界に戦闘が移行しようとしている。打てる手は少ない。

 

「とりあえず、無事に生き残ることを考えなきゃね」

「だねー。とりあえず、水上艦のコントロールを移譲していい? 向こうから対潜ソナーの解析の応援要請が来てるんだ」

「了解。渡井大佐から水上艦指揮を受けとるわ。……時間合わせ、今」

 

 渡井がトラックボールを操作した。笹原の目の前のディスプレイに情報が流れ込む。

 

「ユーハブコントロール」

「アイハブコントロール」

 

 笹原が笑みを浮かべる。

 

「水上艦指揮が笹原に変更になったよ。みんな大丈夫?」

《こちら大和、了解しました。よろしくお願いいたします》

 

 皆の現状が表示される。損壊は皆無。戦闘域に飛び込もうとしている比叡と榛名に目を向ける。

 

「比叡、左舷1点転進、榛名はそのまま。エンゲージメントまであと1分半、用意は?」

《『夜鷹の笹原』指揮下に入るのは初めてで、榛名、少し緊張してます》

「大丈夫、そっちに合わせるから。比叡、気合い入ってる?」

《当然ですっ! 気合い! 十分! 行けます!》

「おーけー、なら行こう。さっさと終わらせようね。――――エンゲージ」

 

 笹原の戦場が、幕を開ける。

 

 

 

 





グラウコスをめぐる動きが加速する中、電の交渉が幕を開けそうです。
毎度爆弾抱えながらの戦闘になってますけど、これ大丈夫なんですかね(作者が一番自信がない)


完全に別件ですが、艦これが三周年を迎えて、エーデリカ先生や帝都造営先生等、総勢五人のハーメルンでの艦これSS作者が集まって、コラボ記念合作を投稿しました。すでに完結済です。よろしければ覗いてみて下さい。原稿持ち寄り式で書いてるので「あー、ここはオーバードライヴが書いたなぁ」とわかるところがあるかもしれません。お楽しみいただければと思います。

艦隊これくしょん~抜錨! 戦艦加賀~ (投稿名義:GF-FleGirAnS)
https://novel.syosetu.org/83620/

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それでは次回お会いしましょう。

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