艦隊これくしょんー啓開の鏑矢ー 作:オーバードライヴ/ドクタークレフ
レイキャシール先生ごめんなさいシリーズが続きますが、
抜錨!
その日の夜。
「……やっと終わったか」
「……ですね」
「お疲れさまでした、提督」
大量の書類を捌き終わった東郷徹心大佐は椅子の背もたれに体重を預けた。
「いつも助かっている、扶桑。五月雨もすまない、別の部隊なのに付き合わせてしまった」
「とんでもないですよ。いつも提督は、周りをあまり頼られないので……」
「緊急事態でしたし仕方ないです。それに……また一緒にお仕事できて、その……うれしかったです」
扶桑が目を細め、朗らかな雰囲気で笑う。照れたように視線を下げるのは五月雨だ。その様子を見て、東郷大佐はどこか遠い目をした。
「……懐かしい雰囲気だ」
「そう言えば五月雨ちゃんがいたころは三人で書類を終わらせることが稀にありましたね」
「そうでした。私がパラオを出てからもう一年近く経つんですね……懐かしいです」
「硫黄島はどうなんだ?」
「みんな優しいですし、村雨姉さんとか夕立姉さんもよくしてくれます。最近やってきた吹雪ちゃんもいい仲間ですし」
「そうか、なら、いいんだ」
時刻は既に
「……提督」
「どうした?」
一瞬寂しげな顔をした五月雨に東郷大佐は軽く首を傾げた。
「……いろいろ、ありがとうございました」
「急に改まって、どういう風の吹き回しだ?」
「もうっ、ちゃんと真面目な話なんですっ!」
一瞬沸き上がった悪戯心でそう言えばどこか不本意そうな顔をする。それを見た扶桑が目を細めて笑う。
「……やっと、わかった気がしたんです。今更なことですけど……、旗艦として戦うことの意味を、他の部隊に進んでみて、わかった気がするんです」
東郷大佐を真っ直ぐに射抜いている五月雨の瞳を見て、彼はどのような表情をするべきかわからなかった。
「旗艦は司令部にいる提督と一緒に皆の命を預かる立場です。私はそれがとても怖かった。また私のせいで誰も守れなかったらどうしようって……実は、ずっと思ってました。でも、提督はそんな私をずっと旗艦に指定していて、私を信じてくれました。それがどれだけ大変で、すごいことなのか、ようやくわかったんです」
五月雨はそう言うとどこか照れたようにはにかんだ。
「ずっと提督は、いろんな気持ちを飲みこんで、みんなを信じて送り出してくれていました。私たちが帰ってくるって信じて、それができるように頑張っていて……私は、五月雨はそれに応えようといっぱいいっぱいでしたけど、提督は信じてくれました」
熱を持つ頬を隠そうと思ったのか、目線を窓の外に向ける五月雨。欠けた月が窓の端に浮かぶ。
「信じるって口で言うのは簡単です。でも、本当に信じることはとても難しいです。それでも旗艦はみんなを口だけじゃなくて心から信じて、指示を出さなくちゃいけない。盲信とも、独りよがりとも違う、みんなを信頼して、指示を出して、みんなで生きて帰ってくる。その大切さと大変さを私は提督から学んだんだと思うんです」
「……そんな大層なものを教えたつもりはないんだが」
「そんなことないですよっ。万年珍プレー大賞とか言われてた私を、一人前にしてくれたじゃないですか!……一人前って言うには、今日電ちゃんに負けちゃいましたけど……」
「相手は特務艦隊、一流のエリートを集めたような艦隊だ。それに指揮官は黒烏の面々だ。あそこまで食いつければ十分に一人前って言えるだろうさ」
それに、とどこか意地悪い笑みを浮かべる東郷大佐。
「ちゃんと最後は電をノックダウンしたしな」
「あれは事故ですっ! やろうと思ってやったわけじゃ……!」
「提督も五月雨ちゃんをからかうのもそろそろやめてあげないと……」
「わかってるよ」
顔を赤くして抗議する五月雨を見て、東郷大佐は普段よりも柔らかい表情を浮かべた。
「私には、出来過ぎた部下だ。本当に」
「まさか五月雨ちゃんから相手の航空回線のハッキングのアイデアが出てくるとは思ってませんでしたしね」
扶桑の言葉に東郷大佐は苦笑いだ。
「……本当に、誰に似たんだか」
「「間違いなく提督です」」
声を揃えてそう言われ東郷大佐が苦笑いを深めた。
「そうでもしなければ勝てない相手だった。そして、そこまでやっても競り負けてしまった。私のオペレートミスだな」
「そんなことないですよ、提督」
扶桑が間髪入れずに否定すると軽く肩を竦める東郷大佐。
「もっと、皆を守れるようにならなければね。劣勢の中でも、皆、よくやってくれた。五月雨は一隻拿捕、一隻撃破の大活躍だ。正直、驚いたよ」
そう言って東郷大佐はどこか寂しそうな笑みを一瞬浮かべ、それを心からの笑みで隠す。そして彼女の軽く熱を持った頬に軽く触れた。
「……立派になったな、五月雨」
「……はいっ!」
顔を上げた五月雨が眩しい笑顔を浮かべる。そうしていると、ドアがノックされ、五月雨も東郷大佐も慌てて飛び退いた。顔を真っ赤にする五月雨を横目で見つつ、東郷大佐は咳払い。
「……入れ」
「高峰大佐、入室いたします」
そう言ってドアを開け、入ってくる。第一種軍装の男。この蒸し暑いのに制服をきっちり着ているのは生真面目なのか温度感覚が鈍いのか、東郷はそう思いながらも彼を出迎える。
「少々お時間よろしいですか……ってなにがあったんです?」
「なんでもない。こんな夜中まで高峰君もご苦労様だな」
「中央からの応援要請がなければとっくに寝てるんですけど、そこは東郷先輩も同じでしょう」
「まったくだ」
そう言うと東郷大佐はデスクのボタンを押した。現れたQRSプラグを引き出そうとすると高峰が右手を上げた。
「今回は内容が内容なんで外部記憶装置の使用はなしでお願いします」
そう言うと高峰は視線を左に移した。その先にはどこか不安そうな顔をする五月雨の姿があった。
「五月雨ちゃん、少しだけ席を外してほしい。直近の仕事がないなら人払いを頼むよ」
「……わかりました」
どこか訝しむような間を開けて五月雨が頷く。後ろ髪を引かれるような様子で扉を潜る彼女。司令官二人はそれを笑顔で見送った。扉が閉まったことを確認して高峰が視線を東郷大佐に戻す。感情を極端に隠した、冷え切った、目。
「……五月雨ちゃんには青葉がついてますよ、何かあっても大丈夫でしょう」
五月雨の名前が出たとたん、東郷大佐の眉がピクリと動いた。
「……五月雨の安全に関わる内容か?」
「いや、少なくとも現時点では違います。だが、その可能性も出てくるかもしれない。明日にはほかの指揮官にも特別調査部部長名義で通達が行くかと思いますが、先輩には先にお伝えしておきます」
「つまり、私に関わる内容であり、扶桑にも聞かせておいたほうがいい内容か?」
「その可能性がある、というだけです。一応まだ将官クラス以上にしか渡っていない情報なので、どうぞご内密に」
そう言って高峰は書類を一枚、東郷大佐に渡した。
「……これは?」
「それを今からご説明します」
東郷大佐の執務室を出るとドアの横でセーラー服の女性が立っていた。その人を五月雨は少し見上げる。
「青葉さん……」
「なんですかぁ?」
どこか間の抜けたような、ひょうきんなような声が返ってくる。
「高峰大佐って……どんなご用事を持ってきたんでしょう?」
「ふふふー、一応秘密なんですよねぇ、何だと思います?」
「演習のことか……昼間のハッキングのこととか……ですか?」
「正解を知りたいですか?」
青葉がにんまりと口角を釣り上げた。それを手元のメモ帳で隠す。今どき紙のメモは珍しいが、青葉はなんだかんだで紙媒体を愛用していた。
「えっと……私が聞いていいんですか?」
「高峰さんには不用意に話すなとは言われてますけど、まぁいいでしょう。そこは五月雨ちゃんの口の硬さに期待、ということで」
戸惑ったような仕草を見せる五月雨に青葉はそういうと、彼女の目線に合わせて少々屈みこんだ。彼女の耳元に唇を寄せ、周囲を気にしながらメモ帳で口元を隠した。極力小声で伝える。
「……実は東郷大佐に重要参考人としての軍法会議への出廷を要求してるんです。軍機密への不正アクセスの容疑がかかってます」
直後、五月雨が飛び退くように青葉から距離をとった。僅かに腰を落として臨戦態勢のように見えるが、その肩が震え、顔色がどんどん蒼白になっていく。
「青葉さん、何を言ってるんですか……?」
「別に何も? いま高峰大佐が東郷大佐に話している内容をお伝えしただけですよ?」
そう言って青葉は後ろで手を組んで微笑んで見せる。
「提督は、提督はそんな人じゃ……」
「そう、東郷大佐はそんな人じゃないと私も思いますよ? でも、状況はそれを示してるんです」
「それは、そんなこと……そんなことあるはずが……。だって」
そこで、五月雨の言葉が止まる。青葉は目を僅かに細め、続けた。
「それを確かめるために私たちがいるんですよ、特設調査部はそういう事態の真実を掴むために創設された。軍内外の情報を掴み、成すべき人が成すべきを成せるようにする。そのための組織です。そして私と高峰大佐は深海棲艦との交渉を持つという特殊な部隊、第五〇太平洋即応打撃群に捜査権を維持したまま異動となった」
「……」
「そしてその捜査権は、対深海棲艦以外にも適用されるんです。もちろん、東郷大佐にもそれは適用される」
青葉の目がすっと細められた、白い肌をさらに白くした五月雨は細かく首を横に振りながらさらに距離を取る。
「そんなはずない、そんなはずは……そんなこと」
「あってはならない、じゃないんですか? 五月雨ちゃん」
「……!」
そう言われ、五月雨が動きを止める。
「大丈夫ですよ、五月雨ちゃん。別に私たちも東郷大佐が全部悪いと決めているわけではないんですよ。彼が黒か白か確かめるだけです。それとも、五月雨ちゃんには、調べられてはいけない理由でもあるんですか?」
「だって……確かに司令官は仮想空間立てて演習をしてましたけど、それだけでなんでハッキングしたなんて疑われなきゃいけないんですか!?」
「―――――五月雨ちゃん」
青葉の声が、冷え切った。
「どうして五月雨ちゃんは演習中のパーソナルデータの破損事故の原因がハッキングだと知ってるんですか?」
青葉は姿勢も表情も変えない。ただ、そう言っただけだ、それだけで五月雨の世界が止まる。
「確かに今日の昼間、パラオでドンパチしている間に軍機密への不正アクセスがありました。でも、それがハッキングによるものだというのは、まだ特設調査部の人間と、軍所属の防諜ユニット、将官クラスの司令部要員にしか知らされていないんですよ。それを水上用自律駆動兵装という区分でアクセス権のない五月雨ちゃんがどうして知ってるんでしょうねぇ」
首を振りながらどんどん後退する五月雨、それを見て、青葉は初めて表情を崩した。完全に表情の見えない能面のような顔。
「考えられる可能性は二つですよね? ひとつは五月雨ちゃんがハッキングを行った、もうひとつは東郷大佐か部隊の誰かが行うのを知ってて黙認した。どっちなんです?」
直後にまるでスイッチが切り替わるように五月雨の震えが止まった。急激な踏み込み。義体ならではの加速で青葉に向かって突っ込んでくる。五月雨が折りたたみナイフの刃を展張させるのと、青葉がメモ帳を放り投げて両手を開けるのはほぼ同時だった。
「甘い」
青葉は凶刃が食いこむ直前で右足を半歩下げて体を回転させてナイフを避けた。ナイフを持った五月雨の手を両手で抑え込み、そのまま相手の体勢を崩す。彼女の足を払うと、五月雨はしたたかに腰を打ちつけるように地面に倒れ込む。彼女の右の腕を無理に後ろに捻り上げると、呻き声と共にナイフをとり落とした。その刃を踏みつけて武装解除。
「ちぃっ!」
五月雨は床を転がるようにして距離を取る。立ち上がりながら右手を後ろに回し、取り出したそれを青葉に向けた直後、その彼女がバランスを崩したように地面に倒れる。刹那の間遅れて破裂音。彼女の手からくすんだ銀色の塊が弾き飛ばされ、板張りの床を滑る。
「だから甘いと言ってるんです。―――――非殺傷性のスタン弾とはいえ、直撃食らうときついでしょう?」
青葉がそう言って足元のナイフと廊下を転がった小型の拳銃を取り上げた。
「ジュニアコルト……というよりはサタディナイトスペシャルのオートマチック版、ってところですかねぇ、狙ってもまともに当たらないでしょう、これ」
そう言いながらシャコシャコスライドを前後させ、弾を抜き切るとそれをポケットに突っ込んだ。軽く腕を押さえて倒れた五月雨のそばにしゃがみ込み、その腕を後ろに回して両手の親指を結束バンドで戒めた。地面に押さえつけておくのも忍びないと地面に座らせ、その上で青葉もホルスターから拳銃を取り出した。FN FiveseveN。それを五月雨に向ける。
「パラオ艦隊出身者は接近戦になれている。でもそれは艤装を背負っての海上戦に限定される。艤装を使えない陸上では出力制限がかかってることは念頭に置かないとダメですよ、五月雨ちゃん」
「なんで、どうして……」
「我々特調六課は対人間、対サイボーグ戦も視野に入れた防諜機関だ。全身義体のサイボーグを物理的に拘束するための訓練も積んでいる。要は艤装を付けていない五月雨ちゃん程度なら、こちらも容易に取り押さえられるということだ」
五月雨の疑問への回答は頭上から振ってきた。男の声。
「それに今の五月雨ちゃんは半ば外部コントロールに近い状態だから、ラグも大きい」
目線だけを上にあげれば、高峰春斗大佐がドアを開けて立っていた。その後ろには驚いて目を見開いた東郷大佐と扶桑の姿が見える。扶桑の表情が驚きから怒りに代わる。
「五月雨ちゃんに何を……!?」
扶桑が動くよりも早く青葉が動いた。右腕を伸ばし、左腕をサポートに回したウィーバースタンスで拳銃を扶桑に向けた。防弾ジャケットがなく、横からの急襲を受けないならばこれが一番相手に晒す面積が少ない。まだ引金に指はかけない。
「スタン弾を入れてますから死ぬことはないですけど死ぬほど痛いですよ」
「青葉、手が早い」
高峰がそう言い溜息を付いた。
「任務は武装組織の制圧じゃないし、良識ある面々だ。銃を下ろせ。……島風もだ」
高峰がそう言うと、廊下の影の暗闇から黒い大きなリボン付きカチューシャを揺らしてどこか眠そうな表情の島風が現れる。その横には島風が連装砲ちゃんと呼ぶ自律砲台が控えていた。島風は眠そうないつもの顔を崩さないまま、連装砲ちゃんにそっぽを向かせた。青葉も銃口を真上に向ける。
「光学迷彩……公共施設内での使用は禁止されているはずだ。どういうことか説明してもらうぞ、高峰君」
呻くような声を出した東郷大佐の方を高峰が振り返った。
「一つ目、昼のパーソナルデータへのクラッキング騒ぎに使用されたIDは五月雨ちゃんのものと一致。また電紋を照合したところ、五月雨ちゃんのものと一致しました」
「……それはどういうことでしょうか」
敵意丸出しの扶桑がそう聞き返す。
「要はそのハッキングに今我々が不本意ながらも拘束させていただいた五月雨ちゃんが関わっている、ということ」
「そんなことがありえるわけが……」
扶桑の声に高峰が頷く。
「そう、普段の五月雨ちゃんならおそらくありえないだろう。普段の素行も良好、政治的な繋がりがあるわけでもなければ、周囲への不満を漏らしていたわけでもない。周りからもよく働く優秀な人材だと高評価されている。何の疑いようもないクリーンな背景だ。……ある一点を除けばね」
高峰がそう言うと五月雨のまえにしゃがみ込んで視線を合わせる。
「五月雨ちゃん、ここの所よく通信機を使用しているね、誰と話してる?」
「船団護衛でご一緒した輸送艦の艦長さんと、です。前に、お世話になった方で……」
「その人の名前は?」
「え……?」
「その船団護衛で一緒になった艦長の名前は?」
「えっと……」
「すぐに思い出せないかい? じゃぁ質問を変えよう、その人が艦長をしている艦の名前は? その艦を護衛した日でもいい。なにか一つでも思い出せるかい?」
五月雨は呆然としている。高峰は溜息を一つ。
「これが二つ目、五月雨ちゃんが電脳ウィルスに感染している可能性が高かった。これでほぼ証明できましたけど」
東郷大佐はずっと黙っていた。高峰も言葉を辛抱強く待った。
「……そんなことが」
「記憶を短絡、ないし捏造し、その記憶にのっとった行動をさせることで相手の行動をコントロールする。――――疑似記憶ウィルス。我々はこのウィルスを“ディストリビューター”と呼んでいます」
「疑似記憶を配って回る配給機、か」
東郷大佐がそう言うと高峰が僅かに目を伏せた。
「配給というよりは配電です。エンジンのスパークプラグに電流を送る
それが点火したらどうなると思います? と高峰は呑気にそう言った。
「五月雨ちゃん、演習の時に航暉たちの艦載機の映像を抜くように提案したのは君だそうだね。そしてその裏で、システムプログラムにあるコードを流した」
青葉がメモ帳を差し出す。高峰がそれを受けとりそのページを開いて見せた。
「これだね?」
「……よく、わからない、です」
「それはどうして?」
「その人に……そのプログラムを流すように……言われただけで……」
しゅんとした声五月雨の声が響く。扶桑と東郷大佐がどこか悲しそうな目で五月雨を見ていた。
「……これを流せば、提督が助かるって言われて、わたしも、提督のためになると思って……」
「私のためになる?」
東郷大佐が驚いたように声をあげた。五月雨がそれを聞いて萎縮するように視線を下げた。
「提督が……こんなにいい指揮をするのにずっとパラオに留め置かれてるのは、提督を妬む人達が記録を改ざんしてるからだって……その証拠を掴みたいから、このプログラムを流してくれって……」
しまいにはぽろぽろと涙を流しながら五月雨がそう言った。重い沈黙が落ちる。しばらく誰も言葉を発さなかったが、黙っているわけにもいかない。高峰が口を開く。
「これが“ディストリビューター”の特徴です。記憶の捏造によって、一見ありえないことでも信じ込ませる洗脳行為が容易に行える、そして、それを対象者が信じやすいものを勝手に抽出し、利用する。今回利用されたのは東郷大佐と五月雨ちゃんの信頼関係だった。……信頼だけじゃ救えないこともある。そう言うことです」
東郷大佐はそれを黙って聞いていた。その肩が細かく震えていた。
「なぜ、どうして五月雨なんだ……」
拳が強く握りしめられそこから血がにじんでいた。爪が食いこんでいるらしい。
「なぜ五月雨ちゃんだったのかはこれから捜査が入るでしょう」
「……高峰君」
「はい」
「この後、五月雨はどうなる?」
「一度横須賀で電脳の解析を行うことになります。どういう動きになるかは保証しかねますが、おそらくディストリビューターの対策パッチの作成し、アップロードした後、任務に復帰することになるでしょう」
「……五月雨が、このまま軍務につくには不適格と判断される可能性は」
扶桑が目を見開いた。それはすなわち、兵器として使用できないと判断されるということであり、兵器として生まれた水上用自律駆動兵装としての寿命を意味する。
「ディストリビューターの影響次第です。対策パッチが作れるか否か、それが有効かどうか。ですが、バグのないプログラムが存在しないように、デバックが不可能なプログラムもまた存在しない。五月雨ちゃんが海に戻れる可能性はかなり高いと見ています。……ですが」
「ですが、なにかね?」
高峰が言いよどむ。言うべきか言わないべきか悩んでるような間だった。
「東郷大佐が五月雨ちゃんの指揮に上番する可能性は今後限りなく低いものと覚悟してください」
五月雨が弾かれたように目線を上げる。
「そんな……っ」
「先ほど申し上げましたが、五月雨ちゃんは“ある一点を除けば”とても優秀です。その但し書きのある一点というのが、東郷大佐、貴方の存在だ」
「それは……どういうことでしょうか」
扶桑の声が一気に冷えた。
「今回、五月雨ちゃんはウィルスに罹患した条件下とはいえ“貴方のためを思って”電子情報の不正アクセスの片棒を担いだ。今後その危険性がある以上、貴方の指揮下に五月雨ちゃんが戻ることはないでしょう。そして我々もまた、貴方を今回の事件の容疑者リストからあなたを外したわけではない」
扶桑が東郷大佐を守るように前に出る。同時に青葉が拳銃を向ける。それを高峰は止めなかった。
「東郷徹心大佐、貴方はとても優秀で、とても良識のある方だ。五月雨ちゃんを貶めてまで何かをする理由もないでしょう。しかし、限りなく黒に近いグレーを黒だと言いきれないように、限りなく白に近いグレーは潔白ではない。そして我々特調六課の人間は、白に混じる黒の可能性を一つずつ消して、本当の黒を刈り取るために存在する」
「……なにが言いたい」
東郷大佐が務めて冷静に口を開いた。それでも言葉尻が力む。
「貴方の白黒がはっきりするまで、おとなしくしていてほしい。私の仲間がおそらく既に監視体制をひいているはずです。すべての通信が監視されているものと思った方がいいでしょう」
そう言うと高峰は青葉を一瞥した。青葉が銃をホルスターに戻し、五月雨を立たせる。島風が代わりに高峰の隣に立ち、連装砲ちゃんが五月雨を取り囲むように動いた。
「容疑者リストといったな。犯人の目星は、ついているのかね?」
「犯人たちの絞り込みは完了していますが、お教えするわけにはいきません」
「ほぅ」
「貴方が勝手に手を下されると困りますから。彼らにはしかるべき機関でしかるべき裁きを受けてもらわねばならないのですから」
そう言って高峰が目礼。背を向け歩き出す。
「……五月雨!」
連れていかれる五月雨の背中に東郷大佐が声を投げた。五月雨が振り返る。
「すまない。必ず君が笑って海に戻れるよう状況を整える。必ず助ける。だから、それまで待っていてくれ」
「提督……」
「……あぁ、そういえば」
五月雨の肩に手を置いて高峰がもう一度振り返った。
「おそらく五月雨は艤装研での検査の後、一時的に特調六課預かりになります。ずっと我々のところにも、硫黄島にも置くわけにいきませんので」
「……そうか。よくしてやってくれ」
「身の安全は保障しますよ。私の古巣ですから」
くれぐれも早まった行動をなさらないように、と言って高峰は皆を連れていく。角を曲がったところで五月雨の両の指を戒めていた結束バンドを切った。
「あの……外していいんですか?」
「五月雨ちゃんが縛って欲しいならそうするけど? 君が誰かを人質に立てこもるようなことはしないだろうし、艤装をつけない君程度なら抑えつけるぐらいできるさ。島風も青葉も、もちろん俺も。それに、青葉に飛びかかったのだって、とっさに体がそう動いてしまったんだろう?」
高峰はそう言うと軽く笑った。五月雨が悲しそうな顔で頷く。
「洗脳がかかっている状態だから仕方ないだろう。一応今君の通信アクセス権を停止しているから追加で君が誰かに攻撃するような指示は来ないはずだ。そして来たとしても我々なら取り押さえられる。もう君は誰かを傷つける心配はしなくていい」
そう言って五月雨の肩を軽く叩いた。それから自分のポケットから出したものを五月雨に見せる。
「一応保険のためにも、
高峰がそう言って五月雨のQRSプラグに薄い機械を差し込んだ。肌色であまり目立たないように配慮されているらしい。それを確認した高峰が頷く。
「島風、お前と夕張の部屋で五月雨を護衛しろ」
「監視じゃなくて?」
「護衛だ。本命が五月雨を物理的に口封じに出る可能性がある。五月雨のネットワークアクセス権を停止は続行」
「はーい、夕張も巻き込んでいいんだ?」
「五月雨ちゃんと懇意のようだし、気心が知れている人がいるだけでも安心するもんだ。非常事態であることも考慮し、許可する」
「りょうかーい」
それじゃいこっか。といって島風が五月雨の手を取った。その後ろを高峰は歩く。無線チャンネルを開いた。
《青葉はこのまま俺の部屋へ》
《今夜は寝かせないぜとか仰ります?》
《阿呆、追加で仕事だ、サビ残でな》
《うげぇ》
青葉が苦い顔をするが、高峰にはそれを笑う余裕などなかった。
「さて……ここからが本番だ。次が来る前に止めるぞ」
……本当にどうしてこうなった。
予定シナリオが二転三転してしまいレイキャシール先生本当にごめんなさい
感想・意見・要望はお気軽にどうぞ。
パラオ演習編はもう一話続きます。
それでは次回お会いしましょう。