艦隊これくしょんー啓開の鏑矢ー   作:オーバードライヴ/ドクタークレフ

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それではお気に入り800件突破記念行きます!
それでは、抜錨!


PREQUEL05 I'm Not In Love――正義と罪と罰

 

 

 高峰は小さくため息をついた。首の後ろに差し込んでいたQRSプラグのノイズが気になった。

 

「高峰さん」

「……青葉か」

 

 そう言って振り返れば青葉が独特な色をした髪を揺らして立っていた。手元にはマグカップが二つ。

 

「どうしてコーヒーミル式なんですかね、この船。青葉、一杯分だけ欲しかったのに挽きすぎちゃいました」

「で、俺の分も入れてくれた訳だ。いただいても?」

「一緒に飲みましょうよ」

 

 青葉から熱いブラックのコーヒーを受けとり小さく笑った。その彼を見て青葉も笑う。

 

「……透明人間、か」

「え?」

 

 高峰の呟きに青葉が驚いた表情を浮かべた。

 

「いや、昔のことを想いだしていただけだ」

「昔……というと外交官時代のことです?」

「まぁ、な」

 

 そう言った高峰の顔はどこか苦しそうだった。

 

「……話聞きますよ?」

「いや、いいよ」

 

 むう、気になるじゃないですか、と頬を膨らませる青葉に高峰は肩を揺らした。

 

「すまんな、誰かに話せるようなことでもないんだ」

 

 あの時の行動が正しかったか、高峰にはまだ判断がつかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「時間だ」

 

 端的に告げられた一言が彼を現実に引き戻す。

 

「あぁ……今日はどこだったかな?」

「セクションD4、セクトの奴らの本拠地になってるってタレコミのあった場所だ。昨日のブリーフィング忘れたのか?」

「毎日毎日ライフル握ってちゃぁ、どれがいつのブリーフィングか忘れちまうよ」

 

 横に置いたケースからH&K社製G28E2カスタムを取り上げた。艶消しの黒のそれを抱えるように持ってゆっくりと立ちあがった。

 

「行けるのか、杉田」

「行くしかねぇだろ。俺にはもう、この道しかねぇんだ」

 

 市街地迷彩の濃いグレーのキャップを被り背中側に吊ったヒップホルスタを確かめる。

 

「あんたこそいいのか水内(みない)、こんな半端モノと組むことを強制するつもりはないんだぜ?」

「あんたのスポッターが務まるやつがどれだけいると思ってるんだよ。それに、肌の色で人を見る趣味はないしな」

 

 ここの所2週間、ずっと行動を共にしてきた相棒(バディ)が疲れ切った笑みを浮かべた。

 

「さぁ、いこうか。今日も合法的な人殺しの時間だ」

 

 彼――――日本国自衛陸軍第一師団第一偵察隊第二小隊所属、杉田勝也二等陸曹は深呼吸を一度すると、マフラーを巻いて隠した褐色の肌をさらに覆うように外套の襟を立てて歩き出した。

 

 彼のことを人は『同属殺し』と呼んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「高峰君、緊急事態だ。仙台に飛べ」

 

 スーツ姿の上司にそう言われ、高峰は顔を上げた。上司が命令書を挟んだフリップボードを滑らせた。それを受けとりざっと目を通す。データで渡してこないということは、万が一こちらが“誰かに捕まった場合に電脳を覗かれるとまずい事態になる”ということだろう。彼にとっては“おきまりの”仕事だった。

 

「ロドリエーゴ・E・イルデフォンソは知っているな?」

「イルデフォンソ……イルデフォンソ……フィリピン第6共和政権、内務大臣の親族であってますか?」

「息子だ。あと追加で一つ。フィリピン国防軍を抜けた後、人権活動家として東南アジアで活動中」

 

 高峰が眉を顰めると上司は僅かに笑った。

 

「……日本に?」

「在日外国人排斥運動に抵抗する過激派亜流セクトによる報復戦に参加中らしい。写真も上がってきた」

 

 フリップボードの紙を一枚めくれば褐色の肌の男が写っていた。軽くやせ気味の男、目元の傷を隠すように目深に被った男の映像だ。

 

「所属しているセクト『NNN』に対しての討伐が行われることが確定した。お前は陸軍からイルデフォンソを逃がせ。可能ならば国外まで送り出せ」

「……装備D2と部下7名の使用許可を」

「許可する。飛べ」

 

 すでに用意されていた武器の持ち出し書類や航空機の手配書に目を通すと立ち上がる。いつも通りの非公式作戦。サインは必要ない。

 

「期待してるよ、高峰君」

 

 高峰春斗二等審議官、人は彼のことを『混血』と呼んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仙台市の中心部。気温はマイナス1.2度、2月の昼間としては僅かに低い程度だろう。それでも杉田達スナイパーにとってはキツイ条件だった。体を動かすわけにはいかない狙撃手という立場上そういうものだとわかっているが、生身の体ではかなり堪える。ビルの中というようないくら雪が直接下りてこない場所で張ってたとしても辛いのだ。特に今二人がいるスペースは普段人が立ち入らないところだから居住性なんて無いに等しい。対象のビルの交差点を挟んで向かい、7階建てガラス張りのビルの階と階の間のスペースで這いつくばっているのだから。

 

『霜焼けとかになんないの? 義脚との接続部って』

『なんねぇよ。錬金術師の出てくる漫画じゃあるまいし。金属パーツはそもそも通常なら外に出ないようにできてる。人工筋肉とスキン様様さ』

 

 観測手(スポッター)を務める水内がからかうような言葉がかかった。それを杉田はピクリともせずに受け止める。首の後ろから伸びるケーブルは口を開かなくても会話ができるから便利だ。特に敵地で通信電波を傍受されたくない時などは有用性が高い。

 

『それで、どう思う?』

『クロだろう』

『だよな』

 

 杉田が即答すると水内は笑った。ライフルを構えたまま無線を続ける。

 

『狙撃対策万全だ。良く偽装された映像カーテンを中和したところで普通のカーテンが塞いでる。それもおそらく防音仕上げだ』

 

 タワー式駐車場と一体になった商業ビル、データを信じるならばここは地下一階地上5階の商業ビルだったはずだ。文字通りの激戦区からわずかに離れているだけあって見かけは十分きれいだ。

 

『だが、ずっと監視カメラが回っていたし、周囲のIRシステムには何も映ってなかった』

 

 水内がそう言うが杉田は黙っていた。

 

『相手の武器は即製爆弾(IED)からスティンガーまで。圧力鍋爆弾みたいなのは別としても使うにはかなりの設備がいる。それを誰にも見つからずに市街地に運び込むのは限りなく難しいし、出入りすればカメラや、出入り口の危険物探知機にひっかかる。タワーパーキングから出し入れするにしても、普通車ぐらいしか使えない』

 

 まぁそれでも自動車爆弾とかのストックに使われると厄介だけどな。などと軽く言う水内の横でずっとスコープを覗き込み続ける杉田。彼はその言い分を聞いていた。

 

『本当にどこから武器を持ち込んだんだろうな、……っと』

 

 眼下の通りを自動車が曲がってきた。もちろんスポッターがそれを映像で確認し、リストを参照し、危険人物かどうか確認をしている。

 

『この路面状況であんな高級車乗って、傷つくぞあれ』

 

 水内がそうぼやいた。

 

『男性一名、武器確認できず、リスト登録なし、低強度対象だ。撃つなよ』

『了解』

 

 杉田はそう言うと引金から指を離した。車を追うことを止めると、その黒い車はスコープから瞬く間に飛び出し、地面の四角いマンホールを映すだけになった。交差点を抜けた車の音だけが響く。

 

『……マンホール』

 

 え? と水内が声を出した。

 

『何がだ?』

 

 今度は通信、顔からして声に出したことを一瞬悔いたらしい。

 

『マンホールだよ。さっきの答えだ』

『おいおい、上下水道を使って武器運んでるとか言う気か? パリじゃあるまいし、ここの下水道はそうそう人が抜けていけるもんじゃないぞ』

『用水は?』

『……なんだと?』

『四角いマンホール、あれは水道用のものじゃない。暗渠部などの河川管理に使う通用口なんじゃないのか?』

『まさか……』

『急いで確認だ。テロの事件のあった場所の位置関係と地下土地利用図を照らしあわせろ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「Ikaw ang ni Rodrigo E Ildefonso?」

 

 タガログ語で呼びかけると褐色の肌の男が急に振り返った。周りを取り囲んでいた男たちが激烈に反応するが、それよりも早く、短機関銃を持った部下が部屋に入り、抑え込んだ。

 

「き、貴様ら政府軍か!?」

「政府関係者だけが共通項だな。ロドリエーゴ・イルデフォンソ、貴方にはここから脱出してもらう」

「なにを勝手なことを……」

 

 背中から取回した粗雑な拳銃を振り回そうとするその手を消音器(サプレッサ―)付きの短機関銃から放たれた亜音速(サブソニック)弾が貫いた。

 

「あ、があああああああ!」

「我々は君たちを殺すつもりはない。抵抗しない限りはね」

 

 まだ若い青年がそう言った。トレンチコートを着こんだ彼はイルデフォンソに向って厳しい目を向けた。

 

「大臣の息子が出歩いていい場所じゃないんだよ、ここは」

 

 彼がそういうとイルデフォンソは露骨に嫌な顔をした。彼の取り巻きが一瞬呆けたような顔をした。

 

「話してなかったんだな。フィリピン第六共和政権現役内務大臣アルテミオ・Y・イルデフォンソの息子、ロドリエーゴ君?」

「……私より年下だろう、侵入者」

「自国民を守るならもっといい方法があるだろう。それを選ばず、暴力でしか抵抗できない君よりは人生経験を積んでると思うけどね」

 

 そう言う彼は冷めた目のまま笑った。

 

「……それに君がここにいると君の国にとっても不利益になりうる。内紛の火種を抱えたフィリピンで今の安定した政権が崩れた後、何が起こるかわからない君ではあるまい。その最後の引金に君がなる可能性がある。その可能性を我々は摘みにきた」

「……同志を捨て置けと?」

「場合によっては刑務所になるかもしれないし、強制送還になるかもしれないが、そこは警察の領分だ。我々は関与しない」

「それで私を―――――」

「勘違いしているようだが」

 

 彼の顔から笑みが消える。

 

「これは交渉でも勧告でもない。ただの事務連絡であり、伝達だ。君に交渉権はない」

 

 そう言った瞬間にトレンチコートの男の姿が掻き消えた。取り巻きの男たちの顔が驚愕に変わる。直後、見えない手にひねり上げられるようにイルデフォンソの腕が背中に回り、捻じれる。

 

「Diyablo!」

 

 叫び声が響く。中心格だったイルデフォンソがいきなり透明人間に襲われたことで取り巻きが銃を持ちだしたからだ。銃を手にしたものから地面に倒れていく。イルデフォンソの首の後ろに大振りな電脳錠を噛ませた高峰が姿を現す頃には地面に倒れ込んで呻く人影で一杯になっていた。

 

「……審議官、どうします?」

「対象は確保した。離脱するぞ」

「了解」

 

 小さくそう言って高峰は下がる。その直後、発砲音が響いた。ガラスが割れる音が先に響いたからかなり距離が離れている。

 

「……45口径ですかね?」

「おそらくはな、ホロハックと電脳侵入キーの偽装がばれたかね。急ぐぞ。陸軍部隊が突入する前に離脱だ」

 

 高峰はそう言ってイルデフォンソを担ぐようにして前に進む。もう一度銃声。

 

「……地下から先に脱出を」

「高峰審議官?」

 

 窓の外を見れば遠くにヘリが寄ってきていた。マガジンを交換して笑う。

 

「少しだけ用事だ。先に出てろ、ルート37.符号の確認を忘れるな」

 

 高峰が手に持った短機関銃のチェンバーを引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「案の定クロか」

 

 上空のヘリコプターからの突入をサポートして杉田はライフルのスコープから一瞬目線を外した。雪が僅かに積もる屋上でG28のスチールのハンドガードを握り直す。

 

「案の定スティンガーのバーゲンセールだったな。捕捉からのラグは3秒半。毎度毎度良く当てる」

「マークスマンの距離だからな、当てなきゃ話にならんだろう」

 

 そう言って杉田は伏せ射の姿勢を解き、直後に飛び退いた。

 

「水内!」

 

 観測手の足にナイフのような刃物が刺さる―――――薄刃のスローイングナイフ。呻き声を押し殺す水内。その時の方向を“見る”。看板の足場が光るだけだ。

 

「――――――光学迷彩か」

 

 虚空を割るように飛び出してくるナイフをギリギリで躱しその方向に送り込むのは50口径のマグナム弾、重い銃声が響くと同時に足跡がもう一対、雪の積もる屋上におりてくる。同時に飛び出してきたスローイングナイフが首元に巻いていたマフラーを引き裂いた。

 

「おーおーおーおー、危ないな兄ちゃん」

「その肌……貴様も移民か?」

 

 光学迷彩が解除された。全身タイツのような投影服はかなり場違いに映り、それを杉田の笑いを誘った。

 

「移民かって聞かれるとそうだなぁ、母親がフィリピン人だ。それがどうかしたか?」

「なぜ祖国の地を引きながら、この国に加担する」

 

 その問いには答えない。右手に持ったリボルバー……トーラスレイジングブルを向けたまま黙るだけだ。

 

「この国が我らに何をしたのか、わからないのかっ!」

「知っているさ。俺だって排斥運動で腰から下と親父を失った」

 

 杉田は笑って首元を戒めるシャツを緩めた。

 

「……何をしてる」

「今は黙ってな」

 

 水内の方を一瞬見てそう言った杉田が自らの胸元を晒す、金属の十字架がかかったネックレスの向こう、褐色の肌に大きな弧を描くような―――――火傷の跡。それを見たナイフ使いが目を見開いた後歯を食いしばる。

 

「これが何を示すかわかるだろう?」

「……だったら尚更だ! なぜネックレスを刻まれてまで隷属する! なぜ虐げらている仲間を撃ち殺す!」

「それしかできないからさ」

 

 ピタリと照準を構えたままの杉田はどこか自嘲するように嗤った。

 

「親父はネックレスで殺された。皮肉なもんだよな。ここは南アフリカでもなんでもない。元は白人側についた黒人の裏切り者を処罰するためのリンチだったらしいが、それで人種差別解放のためにと願った白人への見せしめとなった」

 

 彼は笑みを崩さない。しんしんと降る雪はその合間を埋めていく。

 

「同じ構図で親父は殺された。反日の裏切り者、非国民としてね。俺もそうなるところだった。実際これを刻まれた訳だしな。まぁ俺の場合デカすぎたタイヤが功を奏したわけだけど」

 

 胸元を左手で指さしながら笑った。

 

「その時のやつらは今でも死ぬほど憎いさ。下の弟妹も酷いことされたから、それも合わせていろいろ返してやりたい気持ちもないわけじゃない。――――だが、その地獄の奥底から連れ出してくれた人もまた日本人だ。そして俺にもその日本人の血が入っている」

 

 銀の銃身に鈍色の雲が光る、二人の褐色の肌の間に静かに雪が降る。

 

 

 

「復讐するのは簡単だ。だがそれで誰が救われる?」

 

 

 

 そう言って目元をふっと弱めた。

 

「耐えねばなんのだよ、同朋」

 

 杉田の声に彼は答えない。

 

「……誰が、救われるか……? 死んでいった仲間の無念をどこに葬ってやればいいというんだ、この同朋殺しが!」

 

 

――――――抑制された銃声。膝をつき、崩れ落ちる身体、赤黒い何かが雪を染めていく。

 

 

「――――――っ! 誰が撃った!?」

 

 反射的に伏せた杉田、その視線の先では杉田に敵対していた男の空ろな瞳がなにも映さず転がっていた。

 

「水内、生きてるか!?」

「いつまで放っておかれるかと思ったが生きてるよ。―――――サプレッサ―付きの短機関銃だ。逃したな」

 

 水内が指さす方向には小さな点のようなものが見える。

 

「カーボンチューブのワイヤーだ。あれで外壁にぶら下がってたんだろう。影どころが熱源反応すら皆無。この雪の中でここまで視認率が低いとなるとおそらく飯田製造のTC7104、“隠れ蓑”、最新式だろうな」

 

 直径一ミリあるかないかの細いワイヤーが撃ち込まれ、ビルの側面に垂れ下がっていた。ほぼ重さを返さないそのワイヤーを手に取る。ワイヤーの持ち主は逃げ去ったらしい。

 

「……軍関係者か」

「もしくはそれに準ずる機関、だろうな。なんにせよ、文句をいうべきじゃあない。あの状況ならお前は死んでた可能性があるだろう、杉田よ」

「……助けられたかもしれないがな」

「そんなの可能性に過ぎない、兵卒に求められるのは結果だけだぜ?」

 

 わかっているつもりなんだがな、とつぶやいて杉田は右手で十字を切った。その後警戒しつつも腰を上げる。

 

「戻ろう。向こうの作戦も終わったみたいだ」

 

 そう言いながら杉田の目は足元の交差点に向いていた。四角のマンホールが一瞬だけノイズに揺れた。

 

「……透明人間が」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラッタルを滑り降りた先で出迎えた部下を見回し、高峰は撤収の指示を出した。電脳錠に加えて手枷をはめられたイルデフォンソの姿も見える。

 

「介入する必要が……あったので?」

 

 そう聞かれ高峰は笑った。

 

「さあな」

 

 用水の水は彼らの靴に沁みて、刺すように冷たい。それを気にしながら長い丈のトレンチコートの裾を揺らして高峰は進む。

 

「……介入するべきか否かはの判断は俺がする。今は何も聞くな」

「わかってますとも審議官殿」

 

 高峰の背中を守る彼はおどけたようにそう言った。

 

「……やはり混血の性かな」

「何かいいました?」

「いや。急ごう、帰りの飛行機は待ってはくれないだろうしな」

 

 

 

「勝也がキリスト教徒だったとは意外だな」

 

 そう言われて杉田は肩を竦めた。横になっている吊りベッドがギシリと抗議するようになった。駆逐艦“あすか”に設置された彼の私室、吊りベッドとデスク以外何も置けないような部屋で椅子に腰かけた武蔵に笑い返す。

 

「母親の影響だろうな。熱心なキリスト教徒だった」

「実はお母さんっ子だったのか?」

 

 マザコンとか言ったら切れるぞ。と杉田。武蔵は噴き出すようにわらった。

 

「それにしても、そんな傷があるなんて知らなかったぞ。それに今の技術なら簡単に消せるだろうに」

「見せるもんでもないし、消したくもない」

 

 彼にしては少々意固地な答え方に武蔵は小さく笑みを浮かべる。

 

「……己が己であることの証明の一つさ。そして俺が忘れちゃいけないことの一つでもある」

「私のスリガオ海峡の記憶みたいなものか」

「かもな」

 

 それっきり会話が途切れる。船のスパンが長い揺れが続いている。

 

「……なぁ」

「……あのな」

 

 二人同時に口を開いて、同時に口を噤んだ。

 

「……レディファースト、武蔵から言いな」

「都合の悪い時だけそう言うのか?」

「よせやい。これでも俺はフェミニストなんだ」

 

 杉田が体を起こすと再びベッドが軋んで抗議する。彼の眼が先を促している。

 

「……いわなきゃだめ、か?」

「言いかけた先は気になるもんさね」

 

 珍しく視線を落とした武蔵。眼鏡に蛍光灯の光が僅かに反射した。

 

「……その話、他の誰かに話したことは、あるのか……?」

「肩あたりの傷なんて制服着こめば見えないさ。話すことはなかった。男の傷には触れないのが軍の暗黙の了解だったしな」

 

 直接の答えではないがそれで十分だった。

 

「……そうか。安心したよ」

「なにがだ?」

「ちゃんと人間じゃないかって」

「なんだそれ」

 

 肩で笑った杉田が武蔵を見る。その顔はどこかスッキリしたような色がみえた。

 

「それで、勝也が言いかけたことって何だったんだ?」

「……もう忘れたよ」

「自分は鳥なみの記憶力と言うつもりか?」

「鳥は少なくとも3歩歩く間は覚えているらしいけどな」

「鳥以下だって自慢したいか?」

 

 それには笑って答えない杉田。

 

 

 

 ……そんな人殺しでも、信じてくれるかなんて。口が裂けても聞けるわけがなかった。

 

 

 

 

 




杉田の過去編、実はもっと別なものも考えていました。それはまた別の場所で語ることにしましょう。

今回出てきた飯田製造は帝都造営先生の『模倣の決号作戦』からお借りしました。艦娘皆無で進む艦これ作品という強烈な作品です。ぜひおすすめですよ。アクセスはこちらから→http://novel.syosetu.org/41671/

感想・意見。要望はお気軽にどうぞ。
次回は少々海を離れます。『月刀航暉 怒りの帰省』編をお送りします。

それでは次回お会いしましょう。

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