艦隊これくしょんー啓開の鏑矢ー 作:オーバードライヴ/ドクタークレフ
それでも、抜錨!
空を進むティルトローターの中で電は少しばかり思いつめたような表情を浮かべていた。
「電ちゃん……大丈夫?」
「大丈夫なのですよ」
「本当にホント?」
睦月は席を立ち電の座るジャンプシートの前にしゃがみ込んだ。彼女の両手をそっと握りその目をまじまじと見つめる。
「ひとりで抱え込んでない?」
「……抱え込んでないと言えば嘘になるかもしれないのです」
「なら――――――」
「それでも、今はそれを考えてていい状況でもないのです。この作戦には、関係ないことです」
「ダウト」
電の斜め向かいに腰掛けた如月が目を閉じたままそう言った。どこか冷たい声色だ。
「電ちゃん。如月には旗艦を務めたことはないけれど、ずっと旗艦のそばにいる立場だったの。だから責任者が話せないことを抱えていたり、嘘を言わなきゃいけない状況は何度も見てきたわ」
如月がうっすらと目を開ける。
「だからなんとなくわかっちゃうわよ。確かに電ちゃんの抱えている問題は任務には関係ない。だけれども電ちゃんが深く考え込んでしまう状況にある。―――――――司令官関係の私情、よね?」
電の肩が跳ねる。図星なのだろう。
「それも電ちゃんと司令官の関係に関わる大きな問題。それを星影少佐か凪風少佐から聞いた。違う?」
電は答えられない。無言の肯定。フロップローターの回る音が響く。
「……あたしは電のことも月刀准将のこともよく知らないけどさ」
キャビンの中央に固定されたキャニスターケースに寄り掛かるようにして川内が声をかけた。
「そういうことはため込んでおいても何も解決しないことがほとんどだよ。もちろん話したところで直接解決する問題じゃないかもしれないし、それを話すこと自体が月刀准将を裏切ることになるようなことなら無理に話す必要もないよ。それでも今ここでそれを引きずって戦闘に集中できないんなら、今回は旗艦を降りるべきだろうと思う」
川内はそっと前に出た。睦月の横にしゃがみ込み電の目を覗き込む。
「本当はこういうことを天秤にかけるべきではないってわかっているけど、残酷な二者択一にさせてもらうね。話すか、旗艦を下りるかだよ、電。私達は旗艦の指示で動く。その旗艦が上の空だとしたら私達は旗艦の何を信じて動けばいい? 何を信じて命を預ければいい? 今の電ちゃんが置かれているのはそういう立場だよ。話してくれれば電ちゃんが何を見ているのか判断できる。少なくともそれを視野に入れて動ける」
「電ちゃん……」
睦月の手が電の手をきゅっと握りこんだ。
「……私、は」
――――――君の存在自体が彼の鎖になっていることに気がついてるかい?
ベトナムコーヒーを前に言われたその問いに電は僅かに眉を顰めた。目の前の凪風は自分用のそれを手に微笑んだ。
『電ちゃんはガトーを守りたいって言ったね? それは何よりも最優先されることかい?』
間を置かずに首肯した。それを見た凪風の笑みの色が変わる。
『なら電ちゃんの道は二つに一つだろうね。……ガトーのそばから離れるか、二人で心中かだ』
『……理由を聞かせてもらえますか』
凪風はその諧謔的な笑みを深める。
『いいよ、答えましょ。……今真っ先に感情が出てきたからだよ、電ちゃん』
凪風が指を一本立てる。
『君たちが仕事をするとき求められるのは機械としての正確性と効率だ。君たちの電脳は高度なAIの上位互換や代替品として扱われる。君たちに与えられるのが姓名や血液型を示したドッグタグじゃなく、備品としての管理コードであることがその証明だよね。……俺たちもそうだったからよくわかる』
そう言うと電の眼が見開かれた。
『軍において特殊殲滅部隊は存在してはならない部隊だ。平和国家において殲滅戦など発生してはならない状況だからだからね。その場にいる全員を殺してよしなんて展開になる状態は基本的に発生しない。それこそその事実がなかったことにしなければならないような特殊な場合だけだ。そんな事態に対応するために陸軍第八師団特殊殲滅部隊や第九師団特殊殲滅部隊が表向き存在しない部隊として組織された』
その笑みは何でもないことを言うかのように軽かった。
『存在しない部隊に裂く人員なんていない。だから俺たちは人間として扱われなかった。君たちと同じようにね。でもその上には人間様が居座る訳さ。そして人間様は機械を扱うようにソレを扱わなければならない。理由は単純、自分の命令で死地に行かせるソレは人間であっては困るから。そうでなければ自分が人殺しになるからね。そのままではその重みで司令官は狂う。まぁ元から狂ってるとは思うけどね』
『それがなんでさっきの二択に繋がるのです?』
『その掟をガトーが破っているからさ。そして破らせているのは、いや、破ることを強制しているのは君だよ、電ちゃん。君がいる限り彼は狂い続ける。命のやり取りの現場で家族ごっこなんてしているようじゃ潰れるのは当然だ』
そう言われ、瞬間的に頭に血が上った。
『家族ごっこなんかじゃないのですっ!』
『なぜ言い切れる? 彼の妹のPIXコードを引き継いでいるから?』
『それは……』
『それに家族ごっこじゃないとさらにたちが悪くなる訳だけど、わかって言ってる?』
どこか呆れたようにそう言った凪風。
『艦娘と司令官はね、いつでも切ろうと思った時に切れる関係であるべきだ。少なくともその死を乗り越えられる絶対的な自信がない以上はね。彼にも君にもそれがない。そしてガトーはこれまで妹を救うという題目に人生のすべてをかけており、君も彼を家族として認識しているなら“君が戦い続ける限り彼は戦い続けなければならない”。そういうことだよ』
小さく笑ってそう言った。
『君がどういう結論を出すのかはわからない。でもね、これだけは言えるよ。君が戦い続ける限り、彼は君の背中を守り続ける。文字通り彼自身が壊れるまで。遅かれ早かれ、彼は潰れる。間違いなく君たちのせいでね』
――――――だから、彼を本当に戦場に引き出していいのかよく考えるといい。
「でもさ、答えは決まってるんじゃないの?」
川内は小さく笑みを浮かべそう言った。
「早く戦争を終結させなければいけない、それでも司令官を守りたい、そのことにはきっと優劣なんて無いのです」
電はそう言った。
「だから答えは一つしかないのです。“どちらも守るしかない”……だから絶対に選択とタイミングを間違う訳にはいかないのです」
それを聞いた睦月は握った電の手を振った。
「大丈夫だよ。電ちゃんならできるよ」
「それでも、これが間違っていないかどうか、心配になってしまうのです」
「それは誰だってそうじゃないの?」
川内が笑う。
「それはしっかり電が決断することの重みを知ってるってことだよ。それがわかってればきっと動ける。動けない時は動けないと言えればいい。それでどうする? 今、動ける?」
「――――――いけます」
「そうかい、なら頼むよ旗艦殿」
笑ったタイミングで何やら無線に感があったらしい。
「……藪に棒を突っ込んだ? なんだろこれ」
「藪を突いて蛇を出しやがった」
渡井がメカニカルな音と共に両手を“開く”と機械式キーボードを猛烈な速さで打ちこんでいく。両肘より先を義体化している渡井の情報の入力に特化した腕はフル活用され、超人的な速度でスクリプトを送り込む。速すぎてキーを叩く音が渓流を流る水音のように聞こえる。
「状況は?」
「ごーやもゆーちゃんも通信沈黙のため不明、無線を切ってるか気を失ってるかもう死んでるかの三択だね」
いつも通りのテンションで渡井が言う。
「ではお前の予測は?」
「通信途絶5秒前、魚雷の管制システムの追加パッケージを緊急ロードしてる。――――――ごーやらしい判断だと思うよ?」
「簡潔に答えろ」
航暉がそう言うと戦闘用のヘルメットを被った渡井が振り返った。その顔には笑みが浮かんでいた。
「追加パッケージの内容は魚雷の強制点火と安全距離制限の解除用プログラムコードだ。それを敵魚雷と交差するタイミングで起爆。残りの魚雷も巻き込んで爆裂させて海中を引っ掻き回して離脱する算段だろう。――――――間違いなくまだ生きてるよ。俺の部下を舐めるなよ」
実際伊58もU-511もまだ生きていた。
(伊58さん……なんで、どうして……?)
伊58の顔は苦痛に歪んでいた。魚雷に強制点火して無理矢理魚雷を撃ちだしたことで擬装には大きなダメージが入っていた。そこに魚雷爆発の衝撃波を浴びたのである。艤装には浸水が発生していた。その重みもあって二人の体はゆっくりと沈降していた。
無音潜航。水中にはまだ爆発の余波が残りソナーにはノイズが溢れていることだろう。この間ならゆっくりと沈むように動くことでソナーを躱して動くことができる。
沈みながら伊58は首の後ろに手をやった。水中作業用に高度防水を加えられた特殊なケーブル。それをU-511の首の後ろに回した。
『このまま150まで潜航するでち』
『でも、その傷じゃ……!』
『大丈夫でち。日本の潜水艦はそこまでヤワじゃないでちよ』
深く潜るにつれて体を押しつぶそうとするかのように圧が高まってくる。水が光りを奪い、足元に開いた黒い闇に向けてゆっくりと落ちていく。その中でも伊58はゆっくりと笑みを深めた。
『でも、無茶だよ。外殻損傷状態で150メートル潜航なんてしたら……!』
『その時は後を頼むでちよ?』
『冗談でもそんなこと言わないで!』
『……結構冗談じゃないんだけどなぁ』
伊58の艤装がミシリと音を立てる、浸水区画が広がっていく。その度に体がどんどん重くなっていく。
『……伊58さん、浮上しよう』
『今浮上すれば間違いなく捕捉されるでち。もう魚雷の使えない足手纏いを連れての戦闘は避けるべきでち』
『今なら浮上できる。でも伊58さんは帰らない気なんでしょ。これ以上深く潜ればもう上がれない。やっぱり無理だったとか言われても納得できない』
U-511はブローバルブを解放、メイン注水タンク排水開始。それを見て伊58は驚いたように目を見開いた。
『だから、今上がったら……!』
『それでも、ここで見捨てるなんて絶対嫌だよ!』
中性浮力値を通過、降下がゆっくりと止まる。
『諦めないで。私が、ゆーが、守る、から……!』
排水完了。体がゆっくりと持ち上がっていく。伊58に特殊なスクリプトを送り込む。外部制御で
『私が……守るから!』
そう伝えて伊58にコードを返した。U-511の体が浮き上がっていく。彼女は伊58の手をひくようにして海面を目指す。右手には砲戦用の砲を持っていた。
(わたしはゆー、U-511)
原隊は国連海軍欧州アフリカ方面隊第298潜水艦隊。Uボート部隊の一員としての矜持を持って取り組んできた。だからこそ、ここにいる。
(思い出して、わたし。私は敵を恐怖の底に落とし込む狼にして、海の覇者の末裔)
海面まであと少し。伊58の方を一瞬見て、微笑んだ。同時に音が聞こえる。探針音、―――――アクティブソナーに捕捉された。一瞬悲鳴を上げそうになり、飲み込む。
(浮上続行します!)
戻ろうという意味を込めてか、U-511の左手が強く引かれる。それでもここで潜っても伊58がもう一度海面に戻れる可能性は低い。酸素がなくなるか、圧潰するかの二択になる。それならばせめて雄々しく戦い、生き残れる一縷の可能性に賭けた方がマシだろう。
「―――――――ぷはっ!」
水面から顔を出す。新鮮な酸素を吸って周囲を確認すると同時に砲門の防水栓を抜いた。初弾装填、水上で構える。夜闇はどこか遠く白みかけており、夜明けが近いことを示す。
遠くに小さな影が揺れる。それが一瞬瞬いた。――――――敵影だ。
「……砲戦、用意ですっ!」
少々離れたところに水柱がたった。遠・遠。まだいける。
伊58の手を曳いて距離を稼ぐように進む。水中よりも水上の方が速度を出しやすい。できる限り距離を取る。
相手がこちらの動きを押さえにかかる。僅かずつだがそれでも距離が詰まっていく。
「初弾装填、再確認。目標、敵駆逐艦……!」
「ゆー、無茶でち!」
「無茶なんかじゃない!」
距離を取りつつ相手との距離を測る。後ろの弱気になっている伊58にそう言って砲を構える。
「わたしは、ゆーは、負けません! Feuer!」
鋭いショックと共に砲弾が吐きだされる。僅かに左にずれた、修正しつつ再装填。再度発砲、今度は僅かに上にずれた。相手の速度が想像以上に速い。白んだ空に浮かぶシルエットがどんどん大きくなっていく。
「当たってぇ……!」
三度発砲。それでも相手の行き脚は止まらない。どんどん距離を詰めてくる。
「――――まったく、強情な後輩でち」
強張ったU-511の両手に冷たい右の手が添えられた。
「落ち着いて、敵速32ノット、相対速度38ノット、敵の砲撃のタイムラグは大体12秒でち」
彼女は優しくその照準を修正して、そっと囁いた。
「砲撃の瞬間は縮尺合わせのためにどうしても回避行動を捨てて単純な動きになる。ことりと落ちるようにゆっくりと引金を引くんでち」
伊58が小さく笑った。笑った先には敵の駆逐艦が砲撃を喰らわせようと口を開けていた。
「―――――――Jetzt!」
ドイツ語で伊58が叫ぶ。その刹那、U-511の構えた砲から勢いよく鉛の塊が吐きだされた。それは過たず直線にも見える低い放物線の弾道を残して音速を超えて飛翔する。直後に見えたのは相手の赤黒い爆炎。
「やっ……た……?」
「気を抜いちゃダメでち!」
その爆炎を超えてくる軽巡の影を認める。
「雷撃用意! 1番から4番、通常弾頭!」
「はいっ……!」
U-511の艤装の門扉が開く。そこから魚雷が射出される。それと同時に相手の軽巡が砲撃を吐きだした。それがU-511の艤装を抉るように突き抜けた。
「あああああっ! とても……痛い……」
痛みに呻く間にも魚雷は前進を続ける。が、到達予測時間を過ぎても水柱は上がらない。
「不発? いや、躱してきたでち!」
痛みに背を丸めるU-511の右手から砲を奪うように持った伊58はそれを相手に向ける。想像以上に強い反動を受けつつも相手に砲弾をぶち当てる。反動で大きく手首が跳ね上がる。痛みに顔を顰めつつもそのまま撃ち続ける。
「だめ、止まらないでちっ……!」
相手は勝利を確信しているのか、どこか笑っているように見えた。伊58はその砲門を見返して砲を構え続ける。
そして両者が引き金を引く。その刹那。
「……で、でちっ?」
相手の体がいきなり爆ぜた。あまりの事態に目を白黒させていると伊58の頭上を水上機が飛び抜けた。巨大な二本フロート。機体番号が読み取れる―――――E16A、瑞雲11型。
「い、イク……?」
《はーい、ゴーヤまだ生きてるのね?》
たった一機のその応援が無線を飛ばす。
《こちら伊19、ゴーヤとユーの浮上を確認したの!》
《水晶宮了解。心配かけさせやがってこのヤロウ》
ノイズの酷い無線から響くのは司令官――――渡井慧大佐の声だ。
《イク、瑞雲のコントロールを司令部に移譲、こっちの空戦バカが指揮をとる》
《了解なのね! ゆーはぶこんとろーる!》
《誰が空戦バカだ誰が、アイハブコントロール》
瑞雲が一気に反転。そのタイミングで顔を出した太陽の一瞬の緑光を煌めかせ、上昇する。それに伊58が見とれているとU-511が何かに気がついた。
「あれ、なにか来る……」
伊58が首を振ると波を切り裂くようなごく低空で何かが接近してきていた。瞬く間にそれは伊58たちの横を高速で通過していった。M6A1“晴嵐”が3機、編隊を組んでU-511の防止を吹き飛ばさんとするかのように飛び抜けた。
「――――――しおいっ!」
《ごーやもゆーも友達だもん! いつでもどこでも助っ人参上っ!》
どこかテンションの高い返答が返ってくれば、極低空の高速水平爆撃が過たず対潜攻撃のために集まってきていたピケット艦隊を殲滅していく。
《ごーや、ゆー、生きててよかった。大鳳艦戦隊到達までイクの瑞雲が直掩に入る。ゆー、ごーやを曳航して離脱しろ。回収班が回る》
「了解、しました。がんばる」
《いい子だ。頼むぞ》
渡井の通信が途絶えるとU-511は伊58の手を取った。
「それじゃ、一度下がるよ」
「了解でち。ゆーちゃん」
「毎度毎度、極低空でのホバリングは気を使うわね」
後ろに乗せていた艦娘たちを指定の場所に下ろした永瀬はそう言って機体を上昇させる。その横では真面目な顔でレーダーを睨む森田の姿もあった。
「今日はまだ風がなかったから良かったけれど。……って森田君?」
「先輩、レーダーに映ってるノイズ、怪しくありませんか?」
一瞬写っては消えるノイズが走るのを見て森田が声を上げる。
「……下手すると、ヤバいかもね」
サイクリックレバーを倒し、機体を急旋回させる永瀬。
「パパジュリエット、戦闘用意だ」
「了解」
「伍長! 聞こえてるか?」
「はい! なんですか?」
小柄な少女が後ろのキャビンから顔を出した。
「機関砲を右ハッチに設置して。……もしかしたら戦闘になるかもしれない」
「え……?」
「大丈夫、機体に装着してあるやつはこちらでやるから、貴女は指示があった時にボタンを押してくれればいい。頼むわね」
空での戦いがもう一つ開けようとしていた。
今回の話は字数が膨らむ膨らむ……大丈夫かなこれ。
感想・意見・要望はお気軽にどうぞ。
次回は星影提督たちのターンになる予定。やっと真打登場です。
それでは次回お会いしましょう。
あ、800お気に入り突破ありがとうございます。
活動報告でやるかもしれない短編のアンケートみたいなことやってます。お暇ならどうぞご覧ください。