艦隊これくしょんー啓開の鏑矢ー 作:オーバードライヴ/ドクタークレフ
テンションの上がり下がりが激しいですがどうぞよろしくお願いします。
それでは、抜錨!
その日の夜。
彼女はゆっくりと一つのドアを叩いていた。中からは軽いテンションの男声が“どうぞー”と帰ってくる。
「……失礼します、です」
「うん、よく来たね。初日で直属以外の上官に会いにくる用事ってなんなのかな? 電ちゃん」
彼の私室なのかこぢんまりとした部屋だ。電の姿を半透明に映す窓ガラス越しに、顔を出したばかりの月が覗いていた。小さな銀のケトルが卓上用の小さなヒーターにかけられており、小さく湯気を吹いていた。
「ごめんなさいなのです。お邪魔でしたか?」
「いんや、出撃命令が出ない限りは今の時間は暇だ。おしゃべりするぐらいの時間はあるさ。……要件は月刀君のこと、というよりは“ガトー”のことかな?」
そう言って笑うのは凪風だ。髪に隠れて右目が見えないせいか、どこか表情が読めず、不安に思えてしまう。
「……やっぱり凪風さんたちは」
「うん、元戦友……といっても所属部隊自体は違ったんだ。ガトーは
座りなよ。と言われ、電は勧められるままにベッドに腰掛けた。凪風はデスクに向かう椅子から立ち上がり、デスクの隣に設置された小さな棚に向かい合った。その一部が食器棚になっているらしくそれを開ける。
「コーヒーぐらいしかないけど、飲んでいくかい?」
「気を使ってくれなくてもいいのです」
「ベトナムコーヒーは苦手かい?」
甘くておいしいよ? と言い、電の様子を伺う凪風。彼は小ぶりなコーヒーカップを軽く振った。
「……では少しだけ」
「結構。ホスト側の意見は飲むのが無難だよ?」
どこか棘があるような言い方に電は少し眉を顰めるが、彼は気がつかないようにカップにコンデンスミルクを注ぐと、それぞれのカップに金属製の仏式コーヒーフィルタを乗せた。
「そこまで警戒しなくても大丈夫だって。戦友の部下に毒を盛るほど薄情でも恥知らずでもない。ガトーの航空支援に助けられたこともある」
コーヒーの粉をざっと計ってお湯を注いでフィルタにふたをした。粉を入れたビンはラベルがはがされており、どこのものかはわからなかった。
「それで、電ちゃんがノウェムのことを知っているってことは、ガトーは君をよほど信頼しているんだろうけど、俺に何を聞きたいのかな?」
春先とはいえ、この南の海では気温は高い。だのに目の前の男は首筋を守るようにストールを巻いている。そのストールを緩めるようにわずかに引っ張り、凪風は薄く笑ってみせた。その笑みの色は……どこか航暉の笑みに似ている気がした。
「……司令官さんが、どうして殲滅部隊に入ったか、凪風司令は知ってますか?」
「行方不明になった妹を探しに、だったと思うけど?」
「……その妹が電と雷お姉ちゃんだと言ったら、笑いますか?」
凪風は僅かに目を細めた。
「……なるほどね、そう言うことか」
納得したような様子で小さく笑う凪風。
「ガトーの笑みがどこか彼らしくなかったからね。なるほど、目的を果たしたのなら表情も変わるかな」
「……昔の司令官さんはどんな感じだったのです?」
「そうだねぇ、強かったよ。強くならざるを得なかったからというのもあるけど、ガトーの場合は彼自身の意志がそうさせたんだろうな。強くなるしか選択肢を無くした。他の道を自ら断って、そのいのち全てを彼の目的のために使う。そういう風に自分を追い込んだ。そういうやつさ」
カップに雫が落ちる音が僅かに響いた。その音は雨音にも似てどこか耳に残る。
「そうしてガトーは力をつけたわけだ。戦術航空管制要員としても、水上用自律駆動兵装運用士官としてもね。そのことを君が気に病む必要はないと思うけどなぁ」
そういうと、電はハッとしたように顔を上げた。
「どうしてわかったのか……かな? 単純だよね。文字通り命がけでガトーは君たちを探した。そして見つけた。そうして“君たちが生きている以上、君たちを守る方向に彼は方針をシフトさせる”。見つけて終わりとなるはずがない」
そういった凪風の笑みからはどんな感情も読み取れなかった。喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、どの感情も読み取れない。皮肉さえ読み取れなかった。
「そうして君たちは最前線で戦わなければならないわけだから、そりゃぁ彼は疲弊していくよ。彼の戦う理由だもの、君たち自体が」
凪風はただそう言った。
「まぁ、ここでやっと最初の質問に戻るんだけどさ。君は俺んところに何を聞きにきたの?」
「……ずいぶん腑抜けたじゃねぇか“ガトー”」
深青色の甚平が風に揺れる。その先には季節外れの蛍のように赤い光が不規則に揺れていた。
「そう言うお前も甘くなったな、“ステラ”。いつの間にそんなに甘くなった」
赤い光の向こう、紫煙で揺らぐ視界の奥に航暉の顔があった。夜闇というほどの闇はなく、誰何するにはわずかに明るい世界の色の中でも、二人の姿は闇に溶けようとするかのように沈み込んで見えた。
「珍しいなと思ったよ。他人に興味を持たなかったお前があんな条件を出してくるなんてな」
航暉が皮肉げな笑みを向ければ似たような笑みを返す星影……。その間を湿った潮風が吹き抜けていく。
「知るかよ、そう言うお前はよくあの条件を飲んだな」
「負ける算段はなかったからな」
「よく言うな。踏み込みを読み違えた癖に」
「そういえば左手首は傷まないのか? ステラ」
互いに互いのミスを言い合い、ほぼ同時に眉を顰めた。……今日の昼の戦いはお互いがベストじゃなかったと痛感するだけの戦いとなった。勝負は結局つかないまま、杉田と凪風のセコンド役に取り押さえられて終了となったのだ。
「……何を迷った。ガトー」
小さい問いかけに航暉は肩を細かく上下させた。笑っているのだろうか。
「相手に向き合ってなお迷う余裕があるようには見えなかった。死にてぇのかガトー」
「迷った、迷ったねぇ……。俺は最初からこういう人間さ」
「は。稀代の殺人鬼が笑わせる」
「それも含めてだよ。俺はこういう人間だ。だから、ガトーはガトー足りえた」
携帯灰皿に航暉は煙草を押し付けた。顔の前の明かりが消え、その表情が黒く塗りつぶされる。
「今更人間ヅラかよ。忘れたか、俺たちは――――――」
「狼の皮を被った人間ではなく、人の皮を被った狼である、か?」
航暉は星影の言葉を遮った。口の端だけで笑って見せる。
「人の温かみを知り、人に混じったところで、狼は狼のままであり決して人間ではない。だが、それがどうした?」
しばらく嫌な沈黙が落ちた。先に沈黙を割ったのはやはり航暉である。
「……いかんな、最近口数が増えた。歳かな」
「知らん。だが、腑抜けたのは確かだろう」
腰に差した打刀の柄を苛立ったように指で叩きながら星影がそう言った。航暉は肩を竦める。
「ステラもえらく菊月がお気に入りみたいじゃないか。俺たちの規律を忘れたのはお互い様だろう?」
「……それがお前にどう関係する?」
「それこそこちらのセリフだぞ、ステラ」
航暉は携帯灰皿をチーフポケットにしまいながら鋭く言った。空気が一気に張る。
「今更ごちゃごちゃうるせぇんだよ。俺たちの間に義理も情も存在しねぇだろうが。俺たち殲滅部隊の人間は
その声に星影は答えない。それをいいことに航暉は続ける。
「そうして俺はそれを成し、ステラもそれを成していた。それだけの話じゃねえか。何をグダグダ話す必要がある?」
星影が指を止めた。
「お前のそういう上から目線が嫌いなんだよ。偉そうに」
「偉そうじゃなくて偉いんだよ。星影少佐。……話はそれだけか?」
「お前とこれ以上話したくもないが……もう一つだけ話がある」
星影は懐から取り出したキューブを航暉に向けて放り投げた。緩い放物線を描いて飛んだそれは航暉の右手にしっかりととらえられた。
「……いつの情報だ?」
「それは直接姉御に聞けよ」
お前の元上官だろうが、と言いながら肩を竦める星影。
「だが、情報筋は信頼に足ると思うがね、なんたって怪物スキュラの情報網だ」
「だがいささか鮮度が悪いな。とっくに上層部が可決した内容だろう、これは」
航暉はそう吐き捨てた。
「だとしても知っていることと知らないことには雲泥の差がある。違うか?」
情報をザッピングして航暉は溜息をついた。それが返事代わりだ。主旨はイエス。確かに知らない情報は使えない。使えるネタを一つだけ仕入れたことになる。
「……白夜の鐘事件か。今更蒸し返してどうなるって言うんだ?」
さあな。とだけ返した星影に航暉が外部記憶装置を投げ返す。それを片手でキャッチした星影が踵を返した。
「……明後日には動くんだろう。ミスったら承知しねぇ」
「俺がミスると思うなよ、ステラ」
それだけで会話が途切れる。去っていく間際に星影の手元でキンと澄んだ金属音がした、同時に仄明るくその顔の輪郭を浮かべる。
懐かしい香りを嗅いで、航暉は僅かに空を見上げた。
「テメェも変わったじゃねぇか、ステラ」
「お前が泣かせるとは珍しいじゃねぇか」
星影が戻った先で凪風があいまいな笑みを浮かべた。手元にはわずかにぬるくなったベトナムコーヒーが二つ、手を付けないまま残されていた。
「……不満かい、星影」
「不満そうなのはお前の方だろうが、……で、何を言ったんだ?」
凪風が肩を竦める。
「家族だそうだよ。電ちゃんとガトー。DD-AK04はガトーの実の妹を素体にしたモデルだそうだ」
「……そういうことか」
皮肉げな笑みを浮かべる星影。部屋の壁に寄り掛かった。
「ガトーのことを皮肉ったな? 家族持ちだったガトーのことを」
「……戦うには必要ない感情に拘泥していたら生き残れない。それが俺たちの世界のテーゼだった。そうだろう?」
「だよな。だからアイツは甘い。家族なんてものを意識してこの世界で生き残れるはずがない。……ただの妬みじゃないか」
少し冷えたコーヒーをマドラーでかき混ぜる凪風。底にたまったコンデンスミルクが混ざり、黒から焦げ茶、淡い色へと変化していく。
「……俺たちとガトー、何が違うって言うんだ」
「さぁな、それこそ意味のない問いだろうが」
凪風の言葉を星影がぴしゃりと叩き切った。――――――それが無性に腹が立つ。
「ステラ、アイツだけなんで昼の世界に戻ってる?」
「らしくねぇな。クール・アズ・キュークだろ?」
均一なブラウンになったコーヒーを口に運ぶ凪風、わずかに啜る音が響いた。
「……それで、話して見てどうだった。“彼女”は」
「一言で言うなら純情、無垢ともいうね。月刀航暉への絶対的な信頼、そして忠誠……昔ならテレビ局のお涙頂戴もので取り上げればいいんじゃないかな?」
「そう意味で聞いてねぇよ、ウォン。……わかって言ってるだろ?」
「……旗艦としては極めて優秀。その性格もあって周囲の意識や好意的な感情を集めることができる。ボトムアップ型のリーダーシップと、俯瞰的なビジョンを同時に兼ね備えた極めて優秀な司令塔。だろうね」
「だが、月刀航暉が絡むと一気にドカンか」
凪風は答えない。やはりコーヒーを一口。
「――――――潰れるぞ、あの二人」
「うん。間違いなく共倒れになるよ。今のままじゃ」
凪風はそう言うとまだ半分残っているカップをデスクに置いた。
「銃を乱射しながらラブ&ピースを訴えているようなもんだ。守るべき対象を前線に押し出していることを後悔しているガトーに、そんな彼を支えたいと思っている旗艦の艦娘。……壊滅的なまでに状況と感情が合ってない。このままだと先に倒れるのは……」
「ガトーだな」
「あぁ、ガトーの精神が先に臨界を迎えるはずだ。そうなると同時に電ちゃんが崩れる。そうなればあの部隊は一気に崩壊するぞ」
「――――――それはないな」
割り込む声、星影と凪風は一斉に扉の方に振り返った。
「菊月、なぜそういいきれる?」
「電はそこまでヤワじゃない。少なくともしっかりとした芯を持っているように感じた」
白にも見える銀の長髪を揺らす菊月が笑って見せる。
「それに、司令官たちも手を打つんだろう?」
「は、なんでアイツらの尻拭いをしなきゃいけないんだよ」
「そういいながらも、彼らのリスクを減らそうとしている……。違うか?」
それに凪風が肩をすくめて返す。否定とも肯定とも取れない返事。それを見て至極真面目な顔で菊月が続ける。
「……あの部隊には姉がいるんだ。それも一番上のは月刀航暉准将を狙っているようでね。泣かせたくない。協力してくれないか?」
しばし沈黙が下りて、凪風が耐えきれない様に噴き出した。
「全く、理由までお膳立てされちゃあね。動かざる負えないんじゃないの? 星影少佐?」
「知らん。できるかどうかはテメェ自身で判断しろ。手出しをするつもりはねぇ」
そういいながらも星影はインフォメーション・キューブを菊月に投げて渡した。それを菊月は躊躇いなく接続し内容をスキャニングする。
「……クラスSまで解放してくれるとは珍しい」
「勝手に覗いた分だから他言無用だよ」
凪風が釘を刺すと当然だと菊月は返してインフォメーション・キューブを星影に返した。
「確認させてくれ。今回の任務は戦艦レ級を中心とした艦隊群の打破。それを航空戦隊を持って漸減、大和型の砲撃でさらに漸減して水雷戦隊で止め。それが大まかな作戦でいいんだな?」
「もっとステップは踏むだろうがそれは月刀たちの仕事だ。俺たちはその背後を守るだけでいい」
ムスッとした星影の声に菊月は笑って見せた。
「護衛任務も大切なミッションだ。失敗するつもりもない」
菊月はそう言ってラフに敬礼をした。それに司令官二人は軽く肩を持ち上げる。答礼を返さない程度のことはこの鎮守府では日常茶飯事だ。気にせずに部屋を出る。
「共にゆこう。星影司令、凪風司令。2人だって守りたいんだろう?」
口の中だけで呟いた声に、菊月はひとり笑みを深めた。
私事ではありますが最近就活が始まりまして、更新ペースが落ちそうです。週2回は更新していけたらいいなと思いますが期待しないでください。楽しみにされている方申し訳ないですが何卒よろしくお願いします。
感想・意見・要望はお気軽にどうぞ。
次回から戦闘に入るかと思えばところがどっこい、もう少しかかりそうです。おそらくは菊月のターン。
それでは次回お会いしましょう。