艦隊これくしょんー啓開の鏑矢ー   作:オーバードライヴ/ドクタークレフ

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戦闘回!
いつもの1.5倍の量がありますが分けて投稿するのもアレですし一度に投稿します。
それでは、抜錨!


ANECDOTE004 月がきれい

 

 波の一定のスパンを感じながら科奈畑は双眼鏡から目を放した。こんな嵐のような中では双眼鏡があったところであまり意味がなかった。双眼鏡がなければ見えないところは雨と闇のヴェールの向うだ。

 

「―――――BVRは現代戦闘艦船の十八番のはずだったんだがな」

 

 Beyond Visual Range、訳すなら視界外射程だろうか。見えもしない敵を視て、相手を叩く。ミサイルという矛を得た人類はそれが活きる戦争に明け暮れた。それも今じゃ有効打にならないなんて笑えない話だ。

 人間大のターゲットを捕捉することは既存のレーダーでは難しいことがその一番の理由だが、艦娘や妖精(フェアリー)の作った電探なら既存のレーダー範囲よりも劣るが察知することは可能になった。それでも、既存の兵器は、ことごとく効果が薄かった。―――――それこそ、禁断と言われた核の投入なんて馬鹿もやったが、一時的に殲滅しても、すぐに意味はなくなった。爆弾で出た被害が多かったこともある。だがそれ以上に効果が薄かったのだ。

 そんな中で少女たちに海防を託すことになり早7年。戦場の様子は様変わりした。少なくとも科奈畑はそう思った。

 近代の正規戦ではありえない近射程。目視して撃ち合う一回りどころか二回り以上過去の戦い方を強いられる。速度のために装甲を犠牲にし、当たる前に撃ち落とすを基本とするイージス艦。アイギスにはめ込まれたというメドゥーサの力も相手を見つけなければ石にして砕くことも出来はしない。アテーナーを守ったという神の盾も相手を見つけて備えなければ用をなさないのだ。

 

 それを言うならば、通常の人間同士の戦いの尺度で測ることの方が間違っているのかもしれない。深海棲艦が出てきた黎明期に海上保安庁が海獣駆除として出動することを強いられたように、相手は人間大の生物なのだ。鋼鉄の塊同士でミサイルを撃ち合っていた戦闘と程遠くなるのは当然なのかもしれない。

 

(どうも、そんなことばかり頭を過るな。船乗りとして情けない―――――)

 

 山本准将のことを笑えないと科奈畑は唇を噛んだ。

 弱気になるな。相手はただの生き物に過ぎないのだ。こちらの切り札は艦娘だけではない。国連海軍という巨大な組織。それは個の能力を結集し、動かし世界の平穏を取り戻すための機関だ。持てる英知を結集し、作り上げた組織だ。守るべきものを守るため、得るべきものを得るために人は力を欲し、その頭脳をもってして道具によって不足した能力を補填することを覚え、武力というものを身に着けた。そのすべてを持ち寄って得たのがこの国連海軍だ。

 

 J-PaReS Group50――――第50太平洋即応打撃群。

 

 最前線にして世界の命運をかけた交渉が行われる宮殿(パレス)。それを乗せたこの“あすか”はさながらノアの箱舟か。すべての生物のつがいを、希望を乗せて運んだという箱舟か。

 

「――――――柄でもないな、私は」

 

 科奈畑はそう呟いてもう一度双眼鏡をあてがった。外では夜が容赦なく忍び寄ってきていた。

 その状況で科奈畑がやるべきことはただ一つだった。

 

「この船を沈ませないこと、生きて全員を返すこと、それだけだ」

 

 戦闘は水平線の向うで行われているはずだ。その戦闘に思いをはせる。船乗りの私では想像もできないような接近戦になっているのだろう。

 

「上手くやってくださいよ。月刀准将」

 

 願うことしかできないことが腹立たしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 荒れた海に金属が啼く音が響く。断続的に2度3度と続いていく。

 

「話を聞いてください!」

「オ前ラトスル話ナド無イ!」

 

 もはや宵口と言って差し支えない時刻を超え夜闇に文字通りの鎬を削る火花が散った。

 

「……取り付く島もないとはまさにこのことだな」

 

 天龍が刀を正眼に構えつつそう笑った。

 

「……電、タイムリミットだぞ。そろそろ決めないと後がないぜ」

「わかって……いるのですっ!」

 

 弾き合って一度下がる。息は上がっていたがそれでも危なげなく海面をすべり距離を取った。相手から吐きだされる砲弾が空中で弾かれた。……司令官の操るシールドビット、それが相手の弾丸を弾いて見せた。縦横無尽に駈けるシールドビットもそろそろ作動限界だ。エネルギーを使い果たせばただの鉄くず同然だ。状況はじり貧と言っても差支えなかった。

 

 それでも司令官が、月刀航暉がついている。それだけで電は少し気が楽になった。

 

 

 

――――――いいか、電。

 

 一瞬だけ意識が記憶の中に落ち込んだ。

 

『警棒や剣など長物系の武器は手だけで使うものじゃない。全身を使って活かすものだ』

 

 2ヶ月ほど前、警棒を使う訓練で初めて航暉と組んだ時の記憶だ。いつもと違い剣道用の道着に防具を付けていて勝手が違ったということもあるが、それを差し引いても圧倒的な実力差を前に叩きのめされたといっていい。

 

『手二分に足八分と言ってな、足さばきでほぼ全てが決まる。相手の攻撃を警棒で受ける必要はない。躱す。回り込む。間合いに飛び込む。それらには足が必要だ』

 

 航暉はそう言って紺の道着の裾を揺らし、へたりこんだままの電と目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

 

『歩み足、送り足、継ぎ足、開き足……4種の足さばきを覚えれば、無駄な動きをぐっと減らして効果的な攻撃が可能になるはずだ』

 

 そう言って電を立たせた航暉は笑って見せた。その笑みを思い出して、電は僅かに口の端を持ち上げる。

 

 

「大丈夫なのです。絶対に届かせるのです」

 

 

 息はもう整った。STARDUSTの影響か体に負荷がかかっているものの、まだ動ける。動ければ、今はそれでよい。

 

「――――――電より水晶宮。砲撃支援を要請します。目標、パッケージ・ホテル」

 

 これで決められなければ相手を沈めるしかできなくなる地点。その分水嶺は、今、通り過ぎた。

 

「……夕立ちゃん。聞こえますか?」

 

 まだ声は届くと信じている。いや―――――――信じていたかった(、、、、、)

 

「これからパッケージ・ホテルを……春雨さんを撃破します。夕立ちゃんたちは危ないので下がっていてください」

 

 電はそう言って一気に加速した。

 

 それと時を同じくして波の飛沫を盛大に浴びながら、暁は相手の横へ横へと回り込み続けていた。

 

「まったく、れでぃの扱いがなってないんじゃないかしら?」

 

 そう言いつつも暁は海上を駈ける。敵方の砲火は向いていないがこの波が厄介だ。この波がなければおそらくはもう位置につけていたはずだ。

 

《大丈夫か暁嬢》

「と、当然よ!」

 

 杉田大佐の冷やかしのような声が響いた。その答えを聞いて暁は口をへの字に曲げた。

 

《暁嬢は眼の役割に徹してくれればいい》

「わかってるから嬢呼ばわりしないでよっ!」

 

 暁に、正確には暁と島風に課された任務はただ一つ。鷹の眼システムの末端端末の一つとしてデータを収拾し、リアルタイムでも正確な狙撃を可能にすること。島風は今1キロほど後方で連装砲ちゃんを駆使しながら海上を走っているはずだ。それを信じて夜闇で暗くなった海を走り抜ける。

 島風が操る自律砲台4基、そして暁の“眼”それをリンクさせ、情報を統合し相手を定め、撃破する。この夜闇の中でそれを成す。

 

「本当にそんなことできるのかしら……」

《後で驚くといいさ》

「うえっ、聞こえてたの?」

《情報収集のための深々度リンク中だぞ。気がつくさ。それに“第二次日本海海戦”に比べれば楽勝だ》

 

 杉田の声がそう言った。気負わない声だが、確かに自信を持って話していることがわかる。

 

《さて、電嬢からの支援要請受諾。そろそろ本番行くぞ、暁嬢。視界情報が一気に荒れるからそれに見とれてコケるなよ》

「わかってるわよ……!」

 

 暁の視界にHAWKEYE-STBYの表示が現れる。杉田大佐との直接リンク。暁にとっては初めての経験だ。響曰く“まともに付き合えば船酔いする”らしい。

 

《電嬢、本当にいいんだな?》

《片舷に被弾を集中させてほしいのです。浮力のバランスを崩して動きを制限。後は水雷戦隊で片を付けます》

 

 電は即答。それを聞いて暁はどこか違和感を覚えた。

 

 どこか感情が落ちている。まるで……用意された台本を読むような、本心じゃないことを話しているような、そんな声色だ。電は何度も何度も呼びかけた。それをパッケージ・ホテルは拒絶した。その結果がこれだとしても、電の切り替えが早すぎる。そこに違和感を覚えたのだ。それにわざわざパッケージ・ホテルを撃破すると夕立たちに名言したことも電らしくない。そう思えてならない。

 

 だがそんな思考をしている余裕もなくなる。鷹の眼の上体がSTBYが一瞬EXCTを挟んでONLINEとなったのだ。鷹の眼が始動する。直後にいくつもの情報が流れていく。距離、方位はもちろんのこと、熱源情報、海面の揺れのスパンの予測や大気データも含めて様々な情報が一気に視界にあふれかえる。

 

「――――――――――っ!」

 

 確かにこれは“酔う”。視界に現れる一つ一つの数値を視ようとしてはあっという間に情報の波に呑まれてしまう。

 

《第一射、弾着まで3、2、1、マーク》

 

 マークのカウントがあると同時に相手の左半身を抉るように弾着した――――――ように見えた。

 

「至近、近! パッケージから4メートル手前!」

《そこ狙ってるんだから当然》

「はえっ!?」

 

 島風の自律砲台を観測機代わりにして多角的な視点から誤差を修正しているのもわかっている。暁と島風自身の視点を合わせて監視の眼はトータル6つ。それでカバーしているから正確な着弾点の観測が可能なのはわかる。だとしてもそこに弾を撃ちこむのは至難の業だ。

 

《さて、射角修正、第二射用意、大和、行くぞ》

 

 毎度思う。25キロ以上先から1メートル単位で着弾を管理するこの男は何者だ?

 

 第二射もほぼ同じ場所に着弾した。その水しぶきの向こうに電の影が飛び込んだ。その姿を遠くに眺め暁はどこかその妹分の影に……航暉の影をはっきり幻視した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待って、ゆう!」

 

 村雨の制止を振り切って、夕立が缶の限界が近い速度で前に飛ぶ。文字通り飛んだ。そこまで速度を出して、雨が上がっていることに気がついた。雨粒で視界が歪まない。それだけでかなり楽だ。これならばまだ間に合うかもしれない。

 

「春雨……っ!」

 

 あの優しい笑顔が夕立の脳裏に張り付いて離れない。……ずっとそうだった。春雨が姿を消してから、ずっと。

 夕立姉さんと呼んで慕ってくれていた春雨。所属駆逐隊の上位組織である極東方面隊西部太平洋第二作戦群は海域防衛や輸送船警備などを担う縁の下の力持ち的役割を担う。攻勢部隊たる第一作戦群と比べれば地味で日の当たらない役割だ。それでも春雨はくるくるとよく働いていた。

 飯盒を手に皆に炊き出しを配るなど彼女らしく頑張っていた。守備戦闘が得意だったことと、誰かを守りたいという意思が強い子だったから、護衛任務を中心的にやっていた。その彼女が沈んだ時、船団を守ろうとして自らを盾にして魚雷を受けた彼女、回収できたのは浮力発生装置がついた靴の片方と、彼女の白い大振りなセーラーハットだけだった。

 

 

 夕立にとってそれは胸の中が空洞になったように思えていた。姉妹を失うというのはこういうことかと初めて実感した。……前世といっていいのかわからないが、“純粋な船だったころの夕立”は春雨を遺してソロモンの海に消えた。その悼みを春雨はどう受け止めていたのだろう。

 ただの行方不明と信じたかった。それでも軍のお偉いさんが春雨を喪失と判断した。その時点で軍の登録は過去のものとなった。その時にはみんなで泣いた。そうして夕立たちは夕立たちなりの区切りをつけた。春雨の穴を埋めるべく補填としてやってきた吹雪を加えて改めて頑張ろうと決めたのだ。

 

 そのタイミングで現れたパッケージ・ホテルは春雨に酷く似ていてどうしても彼女の影が被る。

 

 砲撃の水柱が二度立った。それと同時に“彼女”の影を認める。―――――まだ沈んでない。

 

「春雨っ!」

 

 ねぇ、春雨、覚えてる?

 

 夕立は砲を構えた。その砲の先にはパッケージ・ホテルと電。夕立自身、誰に砲を向けているのか、引き金を引く気があるのか判断ができずにいた。

 

 ねぇ、春雨。最後の出撃の時、帰ったらみんなでパーティしようって言ったよね。みんな、みんな待ってるんだよ。春雨が帰ってきた時にできるようにって、みんな待ってるんだよ? 他のみんなが春雨は沈んだって言っても、私達はまだ待ってるんだよ?

 

 電が警棒を振りかぶりつつその背後に回り込もうと海面を蹴った。夕立に気がついたのか射線を空けるように飛び退く。

 

 ねぇ、春雨。覚えてる? 私達は僚艦だったんだよ?

 

 春雨の砲が夕立を捉える。ガラス玉のような瞳が夕立を射ぬいた。でも、今度こそ夕立は足を止めずに踏み込んだ。缶が悲鳴を上げている。それでも今だけは止まる訳にはいかない。

 

 ねぇ、春雨。覚えてる? 夕立は春雨のお姉ちゃんなんだよ? 村雨姉ぇに比べれば頼りないかもしれないけど、お姉ちゃんなんだよ?

 

 だからさ、砲を向けられても、もう春雨が私のことを見てくれなくても――――――

 

「私はまだ……春雨のことを信じたいっぽい!」

 

 精一杯の声で、叫ぶ。相手に届けと祈りを込めて、叩き付ける。

 

「だから帰ってきて、春雨!」

 

 

 

 そしてその瞬間に

 

 

 

――――――戦闘が終了した。

 

 

 

“彼女”が一瞬動きを止めた。その一瞬が1秒、2秒と伸びていき、“彼女”が動きを完全に止めていることを知る。“彼女”の肩越しに夕立は電の手が彼女の首筋に伸びていることを知る。彼女の手元にあるのは――――――QRSプラグ。それを“彼女”の首筋に突き立てていた。

 

「はる……さめ……?」

 

 夕立の呆然とした声が響いた。攻撃もできないままただ距離を詰めていた夕立はもう“彼女2に手が届く位置まで来ていた。夕立はそっと前に手を伸ばし、“彼女”に触れる。ゾッとするような冷たい手に触れる。ガラス玉のような“彼女”の眼が小刻みに揺れた。

 

「春雨……聞こえてる?」

「…………なサい」

 

 ノイズ交じりの音声、質の悪いラジオを聞いているような声だ。間違いなく“彼女”の口から発せられた声だ。

 

「……ゴめンなさい、ねエさん」

 

 その声は記憶の中の“彼女”の声とはかけ離れていたが、間違いない。

 

「春雨ぇ……」

 

 夕立は“彼女”を抱きしめた。ただ、抱きしめた。互いに雨と波に濡れた身体を密着させた。夕立の目には涙が浮かんでいる。

 

「こちらの司令官さんが動きを封じているのです。一時的なもので長くは保ちません……話すのは急いでください……!」

 

 電の戦術リンク経由で航暉が“彼女”にウィルスを送り込んで、義体の動きを阻害させていた。

 艦娘―――――水上用自律駆動兵装は兵器である。ミサイルがミサイル発射ボタンを操作しないように、その行動は人間の指揮官が統括すべき。そういう考え方を元に開発された兵器だ。艦娘が自我を獲得し個性を持っていても、求められるのは機械としての性能と成果だけである。

 その兵器が間違っても人間に牙を向けないよう。人間側の都合でいくつものセーフティが存在する。

 そのうちの一つは今航暉が利用した艦娘の電脳への非常用バックドアだ。正規の手段ではいくつもの防壁を超え、いくつものコマンドのやり取りをしなければ艦娘の動きを制御する区画へのアクセスはできない。しかし、艦娘ごとに割り振られた非常用のコードを使えば、ワンストップで相手のすべての区画へのアクセスを可能にするルートが存在する。万が一艦娘が暴れて手を付けられなくなっても、それを使えば相手に触れることなく無効化できる。

 

「で、でもそれって……」

「だから急いでほしいのです。春雨さんを壊してしまう前に! 早く!」

 

 電が珍しく語気を荒げた。

 

 この強引なアクセスは、相手の電脳を傷つける可能性が高い。それは侵入時間が長ければ長いほどその可能性が高くなる。可能ならば一発で相手を完全にロックして、状況を整えるのがベストなのだが、深海棲艦の影響なのかロックが不完全にしかかからず、必然的に潜入し続けなければまずい状況になっていた。

 

「はる……!」

「春雨さん!」

 

 夕立の後ろから村雨と五月雨が追いついた。

 

「……サみちゃん、村サめねえさん……」

「はる、はるだね……!」

「春雨さん、春雨さん……!」

 

 三人が“彼女”を抱きしめた。“彼女”は表情を動かすことを忘れたかのような能面じみた表情だったが、その瞳にうっすらと水滴が浮かんだ。

 

「ごメんなさイ……ゴめんなさい」

「謝らなくてもいいっぽい。また会えたからそれでいいっぽい……!」

「そうだよ……はるが、帰ってきたんだから、それ、で……!」

「はい……!」

 

 涙が海へ落ちる。それを目で追った五月雨が気づいた。僅かずつだが“彼女”の体が沈下している。

 

「春雨さん……しっかりしてください!」

「司令官さん!」

《無理だ! 艦娘用のダメコンプログラムと衝突(コンフリクト)を起こしてる! こっちのシステムじゃ悪化させるだけだ!》

「ヒメちゃんのダメージコントロールは無理なのです?」

《プログラム化が間に合ってない。――――――春雨を曳航、あすかに収容しろ。ヒメのところに連れてけば、なんとかなるかもしれん》

「いイ、です。はぃ。はるサめは、もう……」

 

 それらの声を“彼女”自身が否定した。

 

「みんナを傷つケて、モぅ、私ハ皆さンといることは、出来ナいデす」

「そんなことないっ! はるのことは誰も責めないよ。攻めさせないから、責める人からは村雨が守るから……」

「ミんなが許シても、私が許せナいから、ダめなんでス……、だから……」

「ダメなんかじゃないっぽい! そんなこと絶対ないっぽいっ!」

「諦めないでください、春雨さん!」

 

 それらの声を聴いてか、彼女の瞳に感情が戻ったように見えた。

 

「守るべき人を傷つケてしまったカら、もう、戻れないんです。それに」

 

 戻っても、きっと海には戻れないんでしょう、と“彼女”は言った。それを誰も否定できない。深海棲艦に取り込まれた水上用自律駆動兵装。その確認第一号である“彼女”に待っている未来は十中八九研究所送りなのだ。

 

「みんなに会エた。それでモう大丈夫です」

「はるさめ……」

 

 雲の間から月の影が降りてくる。

 

「夕立姉さん、私はみンなの役に立ちましたか?」

「たったよ……ずっと、たってたよ……!」

 

“彼女”の胸に顔を埋めるようにして夕立は絞り出すようにそう言った。すべてを銀の光が染めていく。

 

「あの出撃から帰ったら、パーてィ、でしったっけ……?」

 

 村雨がはっとしたように顔を上げた。

 

「そうよ。ひとり帰ってこなかったからずっとできないままだったのよ? 私とゆうとはるとさみの578駆逐隊の出撃100回記念の……」

「みんなでジュース用意して、みんなでドーナツとか用意して楽しもうって」

 

 五月雨の言葉に“彼女”は微笑んだ。

 

「そうでした、ね……。約束守れなクて、ごめんなさい」

「だから謝らなくていいっぽい。……このあとからやろうよ。ドーナツとジュース用意して、最っ高にステキなパーティにするの。吹雪ちゃんもいるんだよ? 電ちゃんたちもみんな祝ってくれるもん」

「そう、できれば。良かっタんだけどね……」

 

 もう“彼女”の腰から下は完全に水面下に没していた。曳航も、もう、おそらく間に合わない。

 

「電サん……」

「はい、なのです……」

「私ノ電脳に残った情報、回収してください……」

「でも、それは……!」

 

 それは“彼女”の電脳に深くメスを入れると言うことであり、“彼女”の電脳を壊すことを意味する。それをした時点で“彼女”は“彼女”ではなくなる。

 

「せめてほかの誰かが私みたイなことにならないために、使ってください。それで私は満足です……」

 

“彼女”はそう言った。それを聞いた電はぎゅっと目をつぶる。

 

「もう、それしかないのです、か……?」

「私の体は夕立姉さんたちに会ウ前からもう限界でした。何事もなくても、横須賀まデ保ったかどうかわかりません。もう、私も、みんなの顔もおぼろげにしか見えてないし、記憶もみんな、モウ曖昧なんです……!」

 

 それでも、みんなのことを思い出せただけでも良かったと“彼女”は続けた。

 

「だから、大丈夫です。私が消える前にどうか、もう少しだけ役に立たせてください……」

 

 ゆっくりと彼女が沈んでいく。時間が、ない。何をするにももう時間が足りなくなってきていた。

 

《電、春雨の電脳の情報をサルベージする。……これは命令だ》

 

 航暉の声が冷たく、寂しく響いた。

 命令と言ったと言うことはその責を司令部が負うと言うことだ。電はそれに従うだけでいい。

 なんと残酷なやさしさだろうか。

 

「わかり……ました」

「村雨姉さん、いえ、578旗艦村雨に報告します」

 

“彼女”の声が震えた。

 

「DD-SR05春雨、ただいま帰還いたしました」

 

 それを聞いて、村雨は笑おうとした。笑えて……いるだろうか?

 

「帰還承認します。お疲れ様……はる……!」

《……サルベージ、開始するぞ》

 

 電脳の情報がコピーされ、元のデータが消されていく。

 

“彼女”の顔は安らかだった。

 

「春雨!」

 

 夕立が叫ぶ。

 

「絶対に忘れない、忘れないっぽい! 絶対に絶対に絶対に!」

 

“彼女”―――――春雨はそれを笑顔で聞いていた。もはや首から上が水面から出ているにすぎない状況だ。

 

「うん……私も、忘れない、から……」

 

 瞳がすうと閉じられる。電がQRSプラグを引き抜いた。春雨の顔を月光が照らす。

「あぁ……月が、き れ   い     」

 

 そうして、幕が下りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に良かったのか? カズ」

「お前が言うかよ、高峰。それを士官として真っ先に指示したのはお前じゃねえか」

 

 演算器やタービンの唸る音が響く中、航暉の声がやけに大きく響いた。渡井が外部記憶装置を航暉の方に投げてよこした。その中にはかろうじて回収できた直近5カ月分ほどと思われる分量の記憶データとPIXコード。そして、ダメコン用のプログラムコードとコンフリクトを起こしたコード深海棲艦が発生させたプログラムコード……その内容が詰まっている。

 

「……だとしても、さ。電ちゃんに介錯させてよかったのか、本当に」

「ああするしかなかった。そう信じるしかないだろう」

 

 航暉はこめかみを揉むようにしながら顔を伏せた。

 

「パッケージ・ホテルが春雨であることを信じたうえで、夕立に発破をかけ、それに春雨が反応する可能性に賭けた。QRSプラグを繋ぐにはその可能性に賭けるしかなかった。そうじゃなければ、本当に沈めるしかなかった。そう判断した」

「お前が、か? カズ」

「そうだ。電の提案を精査して、俺が判断した」

 

 電脳と情報を共有するためのQRSプラグでバックドアを解放、動きを止める。その上でパッケージ・ホテルを鹵獲し、時間をかけて交渉する。電が提案してきた最終プランだ。確かに荒れた海でやるよりも確実だ。それが可能な可能性が高いとして、航暉が最終的に判断して、許可を出した。

 

「だから、命令した」

 

 そう言うと笹原が肩を竦めた。

 

「それならそれでいいけど、電ちゃんのフォローはしてあげなよ」

「当然」

 

 航暉はそう言うと高峰の方を見た。

 

「ユーハブフリートコントロール、高峰」

「アイハブ。万が一に備えて川内たちを直掩で残すぞ」

「了解だ」

 

 高峰が艦隊の総指揮に入ると航暉はリンクを切り、うなじから伸びるプラグを引き抜いた。

 

「お疲れか、月刀」

「さすがにな」

 

 杉田にそう答えると肩を回す。それを見て渡井は笑った。

 

「でもその価値はあったんじゃない? 軍としての作戦の成果としては十分な量の成果でしょう? そして、艦娘を深海棲艦化することも可能だということもわかった。それに無理があると言うこともね。これだけの情報を集めるのに必要な対価と言えなくもないと僕は思うよ?」

 

 渡井の言葉に杉田が明らかにムッとした表情を浮かべる。鷹の眼用のグラスデバイスを外すと赤く充血した目で睨む。

 

「当事者にとってはろくでもないがな」

「それでもこの情報が手に入ったことは大きい。水かきがついてるお釈迦様の手で掬っても水は零れてしまうだろうし、千手観音だって、これだけ膨れ上がってしまった生命を救おうとすれば手遅れになることもあるんじゃない? 僕たちの仕事は手の平に残った水をどう救うかのはずだ。もちろんこぼれた水がどうなってもいいという意味じゃない」

 

 渡井はそう言うとへらっと笑った。

 

「ここからが勝負なんじゃないの? 春雨の喪失を活かすか殺すか。その明暗を分けるのはこれから次第じゃない? 違う?」

 

 渡井の声に航暉が頷いた。

 

「そうだな……そうだ」

 

 まるで言い聞かせるようにそう言って航暉は立ち上がる。

 

「収容が終わったら横須賀に帰還となるだろうが、気を抜くなよ」

「ところがどっこい、そうもいかないらしいみたいだぞ」

 

 杉田がそう言うとメッセージをホロスクリーンに映し出した。

 

「そのまま父島列島守備隊と合流、前線待機?」

「総司令部からのトップダウンだ。艦娘の収容が終わればそのまま弟島の577としろだそうだ。補給は“とわだ”が物資満載で弟島に乗り付けるとよ」

「弟島というと……“カナリア”か」

 

 高峰の声に笹原が一瞬嫌そうな顔をした。

 

「あそこも、うちとどっこいどっこいの濃い面子よね」

 

 それを聞いた高峰も苦笑いだ。

 

「とりあえずは収容して指示通りに動こうぜ。話はそれからでも十分だろう」

 

 次の目的地が決まったと言うことは次の任務が始まると言うことでもある。それを考えて杉田が笑う。

 

「覚えてるか? これ、まだ発足初日なんだぜ?」

「先が思いやられるよな」

「いーじゃん、暇で仕方ないよりいい気がするけどね」

「軍が忙しい世の中はろくなもんじゃないけどな」

 

 駆逐艦あすかが海上を滑る。一戦を終えた少女たちを迎える灯がともされた。

 

 

 

 




いかがでしたでしょうか。
700お気に入り記念の話を挟んで次のPHASEに移ります。

本編でのコラボ企画第三弾kokonoSP先生の『艦隊これくしょん~明かされぬ物語~』とのコラボ企画の予定です。

感想意見要望はお気軽にどうぞ。
2/25~3/3はベトナムにいるため返信などが遅れる可能性があります。ご了承ください。

それでは次回、お会いしましょう。

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