車。
車とは男の浪漫である。
日々の鬱屈とした憂さを晴らせる最高の玩具であり、最高の癒しを提供する揺り篭だ。
男は車に魅せられ、恋人や嫁に以上に、金や時間をつぎ込むこともしばしば。
特に意味も無いのにホイールを無駄に高級なものに交換したり、特に汚くも無いのに洗車したり、特に拘りも無いのに車内電灯をLEDにしたり本革シートにしたり、と実に際限が無い。
昔から、船乗りにとって船は“女”だと言われているが、現代の男達にとっても車は、そういう感覚に近いのかもしれない。
某民間警備会社の“社長”
彼もまた車に魅せられた男だった。
彼は昔から黒塗りのセダンが好きな男だった。
あまりにも格好良く愛らしく非常に萌えるその外観。偶々カタログを眺めていた彼は、気に入ったなら買うしかないじゃん? とよくわからないテンションのまま衝動に任せ、現金一括で購入した。そこいらの子供と何ら変わらなかった。
変に精神年齢が高い今時の子供と比べると彼の方が余程ガキなのかもしれなかった。彼に、ストッパーとなる人間が周囲にいないのがまた拍車をかけていた。
思い立ったら即行動。後のことを何も考えない。自分の好きなように生きる。実にフリーダムな人間だ。
10年前のガストレア戦争で死亡した彼の妻子が生きていれば、話はまた違ったのかもしれない。
「わかるわー。この新車特有の走り方すげぇわかるわー」
新車を購入した彼は実に機嫌が良かった。
いつもの腐った目はなりを潜め、まるで少年のようなキラキラとした目をしている。
「ふんふんふーん」
「……………………」
おまけに鼻歌まで。
それがゼっちゃんの、堪忍袋を刺激する。
「ゼっちゃん。どうよ? この車カッコよくねー? この前買った新車なんだぜ!」
イライラしているゼっちゃんに、男のドヤ顔はクるものがあった。
運転席に座る男のそんな呑気な言葉に、
「車とかどうでもいいのです!」
ゼっちゃんは助手席のシートをぼんぼんと叩きながら、
「社長、もっとトばして下さい! 早くしないとガストレアが夏世ちゃんにが奪わ――――ガストレアに夏世ちゃんがヤられてしまいます!」
本音全開のゼっちゃんに、若干辟易としながら、
「急いでるさ。ただ、あんまり無茶も出来ないわけ。民警だからって道交法を無視して何百キロで走っていいわけじゃないの。警察に捕まりたくないの。まだ緊急事態警報も出てないんだ。無茶も出来ん。警報が出るだろうあと数分我慢しろよ。わかる?アンダスタン?」
「道交法……? そんなもの“直死の魔眼”の敵じゃないのです!」
ゼっちゃんは犬歯を剥き出しにして獰猛に笑う。
直後に行動に出る。運転席、アクセルを踏む社長の足を、自身の足で踏みつける。
瞬間、メーターは200キロを突破した。
「ちょまて! 足退けろ! マジで事故るから!」
「不運と踊ってしまうわけですね、わかるのです!」
黒い弾丸と化した乗用車がパンデミックが発生した、と報告されるであろう区画Xに侵入した。
●
ガストレアとの戦争は基本的に集団戦である。
実際に、場馴れした民警社員からすればステージⅠのガストレアは(因子による相性もあるが)左程大した障害には成りえない。
中には、イニシエーターの力を借りないプロモーター単独での撃破も可能な場合もある。
雑魚のガストレア程度では、再生阻害効果を持つバラニウム金属で武装した人間には叶わない。
故に単純なステージⅠ相手の戦闘なら、民間警備会社は組織戦を行わない場合が多い。
それは個性が強い傾向にあるプロモーター同士が争わない為、または会社間における報酬の奪い合いの問題もある。
しかし、それは相手が一体だった場合の話である。
複数体のガストレアを相手取る時は、いくら格下のステージⅠといえども、民警は徒党を組む。
今回、パンデミックが発生している区画X。
東京エリアを代表する“三ヶ島ロイヤルガーター”など複数の会社が、それぞれチームを組んで部隊を派遣していた。
そして今、彼等の眼前。
数百の規模を誇るガストレアの集団を発見し、両者が激突しようとしたその最中、
「■■■■■■■■■■■■■■!!!」
「てめぇえええええええええええええええええ!!」
黒塗りのセダンが戦場へ、否――――ガストレアへと突っ込んで行く。
鈍い打撃音。ガラスが割れる甲高い音。タイヤが地面を掻き毟る音。断末魔のような絶叫。
タイプフォックスは吹き飛ばされ、壁へと叩き付けられた。
誰もが想定外。何が起こったのか、正しく把握出来ていない。混乱の極致。
すると、
視線を独占してやまない乗用車の助手席から、奇妙な出で立ちをした少女が現れた。戦場にいるというのに、まるで一般人染みた格好――――青いジャージにブルマを纏った少女だ。
異彩を放つ民警な中でも更に異彩。特に目を覆う赤い包帯が特徴的だ。
誰もが思った。満場一致。何だアイツは、と。
周囲の視線を独占した彼女は、微妙に“やってしまった”という表情を浮かべ車の前面部分に回り込む。
そして屈みこみ、
「うわっ……」
状態を確認する。その口から思わずといった感じで、無意識に呟きが漏れた。
視線の先、おそらく購入しても間もないであろう“新車であった車”がある。
「社長の車、凹み過ぎ……」
口元を押さえ、さも悲劇だと言わんばかりに嘆いた。
それは、現在見るも無残な姿になっていた。
ピカピカであった車体はボコボコに凹み。凹み以外にも大小様々な傷が散見された。
タイヤもパンクしている。ボンネットは筆舌に尽くし難い状態になっていた、とだけ言っておこう。
「わ、私は悪くないのです。社長がこんな緊急事態に法定速度をまもってノロノロと運転しているのが悪いんです。す、少し社長の足を踏みつけアクセル全開にしただけですし……? 途中半泣きでやめてくれとか聞こえていないですし……? 仕方がないのですよ! 緊 急 事 態 な の で す !」
運転席でエアバッグに押しつぶされて気絶している社長。
あまり直視したくないそれから目を逸らしながら、ゼっちゃんはそんな言い訳染みたこと口にした。
周囲の民警は即座に察した。お前が原因か、と。
「と、兎も角、無事に戦場へとたどり着いたのです。結果オーライなのです」
珍しく頬が引き攣るゼっちゃん。彼女に話しかけるものがいた。
民間警備会社所属の若い女だ。
「あなた……何者?」
「某民間警備会社所属の、ただの民警なのです。Tちゃんでも、弟子零号でも、略してゼっちゃんとでも呼んで下さいっす」
「某民間警備会社? 弟子零号? ゼっちゃ……まさか“CCC”!?」
「嗚呼っ! “2つ名”……実にオサレです。OSR値上昇中の予感!」
自身の名を告げた直後、少女に相対した民警が気が付いたように叫んだ。
それはゼっちゃん達につけられた2つ名。OSRワード。
直後に、それを聞いた少女はまるで何かの発作のように突然クネクネと奇行に走る。
明らかにヤバイ系だ。
話しかけた民警はドン引きだった。
これが本当にあの“CCC”か、と。
【CCC】
某民間警備会社に所属しから僅か数か月で、冗談染みた“数百匹以上のガストレアを屠る”という結果を叩きだし、世界に対して絶対強者であることを証明してみせた化け物。
誰が信じられようか。視界の先。華奢な体をした少女がそのようなことを本当に為せたのか。
「■■■■■■■■■■■■■■!!!」
すると、
ゼっちゃんによる混乱を引き裂くように、獣の絶叫が轟いた。
「あは」
それを認識し、喜悦に歪む口元。畏れを知らぬ威風堂々とした立ち居振る舞い。
まるでこれからピクニックにでも行くかのような軽い足取り。向かう先はガストレア数百体。
「ガストレア発見なのです! 今行くのです!」
「君! 私達も援――――」
・――――直死解放
ゼっちゃんに話しかけていた女の言葉が止まる。否、止められた。
ゼっちゃんが目を覆う包帯を解いたのだ。辺りに死の気配が漂う。
顕現するのは“死を具現化する瞳:直死の魔眼”だ。
誰もがその青い目を直視し、息を飲んだ。
綺麗な澄んだ目だ。だが直視し続けていると深淵に吸い込まれてしまいそうな不安を与えてくる。底なし沼のような目。
まるで人間の目ではない。この世ならざるモノの目だと思った。
背に冷たい汗が走る。
「――――――――――――」
目に呑まれた、ある民間警備会社の社員が思った事を呟いた。
それに対し、ゼっちゃんは笑みを濃くした。
「その一言だけで……一晩でモノリスが建てられちゃうよぉ」
どこぞの少女漫画に出てくるような迷言を呟きつつ、腰に手をやる。
少女の腰には合計6本の武器が携帯されている。鞘に包まれたブラックバラニウム製の短刀だ。
新調したばかりの刀を抜き放ち、敵陣に突っ込む。
多くの民警はその日、目撃した。
生物に対して“絶対殺害権”を持つ少女のことを。
●
「何……だと……?」
眼前の光景を見て誰かが呟いた。
納得のいかない、不可思議なものを目の当たりにして呆けているかのような声だ。
呟く男は東京エリアの民間警備会社:“三ヶ島ロイヤルガーター”に所属する男だ。
名は秋山・十五。世界に70万人近く存在する民間警備会社、そのIP序列千番台のベテランだ。
秋山は経験があった。イニシエーターとのペアを組み単独でステージⅢのガストレアを屠った事がある実力者だ。
故に自信があった。大抵の事態に対処できる、そういう自信。
だが、そんな秋山でも眼前の光景を、少女がガストレアを蹂躙する様を正しく認識出来ないでいた。
華奢な少女が“武器”を携帯することもなく、文字通り“単独で”斬殺している。
「あはははは!はーはははは!!」
「■■■■■■■■■■■■■■!!!」
「漸く! 漸く斬れるのです! あは!」
単純に、秋山の眼前で起きている事を言葉にしよう。
青い少女が腕を振るう。ガストレアが一刀両断にされて崩れ落ちる。
それだけだ。
意味がわからない。
どうしてなのだろうか。たった三尺程度の刀で巨体を両断出来るのだろうか。
どうしてだ。
「どうして全て一撃……必殺っ!」
意味がわからない。
技量もさることながら。それ以上にあの女の――――
「十五……。私、あの人……怖い……気持ち悪い」
茫然と呟くプロモーターの傍ら、彼のイニシエーターがポツリと呟いた。
その声音は恐怖で震えている。
深山・桃子。秋山とペアを組む歴戦のイニシエーターだ。
戦闘特化の能力を有しており、ステージⅠのガストレア程度なら一捻りに出来る実力を持っている。
だが、眼前で暴れまわる少女を見て、畏れ慄いている。
無理もない、と秋山は思う。
精神年齢が大人である自分ですら忌避感を抱いているのだ。
無垢な深山にはあまりにも酷な光景だろう。
「確かに、そう、なのかもな。あまりにも常軌を逸している」
一見すると彼女は英雄に見えるかもしれない。
そういう一面も無きにしも非ずだ。数メートルはあろうかという巨体を前に一歩も引かないその姿なんて、まさにそうだろう。
「どうしたのです!? ガストレア! これで!? この程度で終わりなのですか!?」
「■■■■■■■■■■■■■■■■!」
しかし、ゼっちゃんという少女の表情を見れば、即座にそのような感想は唾棄する。
彼女の、直視するのも悍ましい悦楽に歪んだ表情を見れば。
少女が刀を振り回す毎に、縦に横に斜めに次々と切り裂かれ果てるガストレア。
一切の例外無く全てが一撃必殺。
刀が化け物の体を斬り飛ばす度に、
「■■■■■■■■■■■■■■■■!」
吹き出る鮮血、
「■■■■■■■■■■■■■■■■!」
弾ける臓物、
「■■■■■■■■■■■■■■■■!」
四散する手足、
「■■■■■■■■■■■■■■■■!」
砕ける骨。
それを認識し、首謀者の少女は笑みを濃くする。愉悦に染まった女の顔だ。悪魔のような顔をしている。正気の目ではない。理性の欠片なんてものは微塵も感じない。
鮮血が噴き出す度に笑み、臓物を弾き飛ばす毎に笑み、手足を切断する毎に笑み、骨を砕く度に笑む。その笑顔は快楽殺人者のソレだ。
気持ち悪い。
縦横無尽に斬り尽くされて、肉の残骸となったものよりも、首謀者の少女の方が、
「気持ち悪ぃし、首謀者の方が怖ぇよ」
「仕方ない……十五。ビビりだし小心者だから」
「うっせぇ。悪いかよ」
ううん、と告げながらも、深山はゼっちゃんから視線を逸らさない。
「IP上位X位“CCC” 恐ろしいね……。ちびった?」
「ちびるか。……噂は伊達ではない、ってことか。まさに現在の東京エリア最強の一角だけはある」
「戦闘、続行、する? 援護、入る?」
「馬鹿言うな。あれから獲物を横取りしてみろ……下手したらその矛先こっちに向くぞ。あのバーサーカー」
民警には、ガストレアに復讐するためだけに生きているものもいる。
彼等は常に私怨を晴らすために動いているし、それ自体は悪いことではない。会社の利益とも直結する。
復讐なのだろうか。自問して、即座に否定した。
青い少女の行動は彼等と一線を画す。あれは復讐などという高尚な理由で動いていないはずだ。もっと別の目的があって動いている気がした。
無論それは単純に人助けや善行というものではないのは明白だ。
上手く言葉に出来ないが、秋山の直観が告げていた。どのような目的か知らぬが、目の前の女からガストレアを奪うな、と。
「日本語通じない? 通じない?」
「お前行ってこいよ。『オデ トモダチ ナカマ テキ タオス イッショ』って感じで」
「『オレサマ オマエ マルカジリ』って言わるオチ」
深山はゼっちゃんを指さす。
首を傾けて無言で、秋山を見やる。
「全然! 全然食い足らないのです! もっともっと! もっともっともっともっともっと!!!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■!」
ガストレアの上半身と下半身を両断して絶叫するゼッちゃん。
「そうです! そう! 死を恐れずに! 私に解体される為! だけに! 向かってきてください!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■!」
アクロバティック変態体術でガストレアを蹴り殺すゼっちゃん。
「ハリーハリーハリーハリー!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■!」
ガストレアの屍の山を踏みつけ哄笑するゼっちゃん。
――――…………。
秋山は深山の視線に耐えられなくなった。
気分を入れ替えるように、なぁ、と告げる。
「そういえばあの女にもペアのイニシエーターいたよな。確か……千寿・夏世。そいつも相当な化け物なんだろうなぁ」
「あんなのが二人? なにそれこわい」
深山の言葉に、秋山も頷いた。俺も恐い、と。
●
和製RPGだとよくあることだが、MAPに存在するシンボルボスを全て撃破すると、大抵の場合エリアボスが出現する。
今回の場合もそうだった。
ゼっちゃんがエリアに存在するガストレアを斬殺することによって、引き寄せられるように大物が現れた。
他の個体に比べ、3倍はあろうかという巨体。九尾の獣。神話の化身。一見するだけ感じる特別な個体。
パンデミックを引き起こすことになった原因。
ブラックブレットという世界の歪みが生み出した化け物。そこには様々な問題が交差している。
が、そんなことはどうでもいい。
ゼっちゃんは構える刀を見せびらかすように、ニタリと気味の悪い笑みを浮かべ告げる。
対象は黄金の九尾。
「どうです? この刀――――命を刈り奪る形をしている、でしょう?」
結果なぞ言うまでもない。
同情も、憎しみも、特別な感傷も抱く間もなく、最後は、呆気なく、一瞬で奪われた。
それだけだ。それがこのパンデミックの結末だった。
仕事で二階級特進なりそうです。
色々無視して責任者になる可能性がありますので、正直10月以降の更新に自信がありません…。滞った場合はノーマルエンドに分岐して下さい。