恭しき華は霞の中で何想う   作:音子雀

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7、だめでした。

 太陽が仕事を終えて眠りについてからしばらくして、ようやくツナが目を覚ました。

 

 不本意ながらも僕の隣にはリボーンが座っている。

 

 とにかく今は知らんぷりだ。

 

「ツナくん大丈夫? 痛いところとかない?」

 

「えっ? あ、大丈夫だよ。ごめんね、もうこんな時間なのにいてくれたんだ」

 

「気にしなくていいよ。それより……」

 

 知らんぷり、と言えども彼にとってはそうもいかないだろう。

 

 僕はちらりと横を見た。

 

 その視線を追ってしまったツナは、あからさまにギョッとした顔になった。

 

「何でまだいるんだよ!?」

 

「俺はお前の家庭教師だからな」

 

「はあ!? たかが赤ん坊だろ!?」

 

 今にも飛びかかりそうな勢いのツナのことを袖を掴んで引き止める。

 

「あんまり刺激しちゃダメだよ。ツナくん、さっきこの子に気絶させられちゃったから」

 

 その言葉が効いたのか、一瞬で大人しくなった。

 

 本当のことを言えば、僕はあの時の時点ですぐにでも沢田家を飛び出して自宅に駆け戻りたかった。

 

 だけれども、奈々さんに少し困ったような笑顔でお願いされてしまったのだ。

 

 ツナが目を覚ますまでの間でいいからそばにいて欲しい、と。

 

 あんな風にお願いされたら断れませんからぁっ!!

 

「とりあえずツナくんは大丈夫みたいだし、僕は帰るね」

 

 あらかじめまとめておいた荷物を持って立ち上がる。

 

「じゃあツナくん、また明日ね」

 

 軽く手を振ってから家を出た。

 

 そこからはもう全力疾走だった。

 

 倒れない程度の全力はもう把握していたからその範囲内での猛ダッシュで沢田家から自宅までを駆け抜けた。

 

 ここまで慌てて逃げ帰る奴は普通に考えたら不自然極まりないけど、どうせリボーンはツナの相手をして気づかないだろうからとにかく全力で逃げ帰った。

 

 何が何でもリボーンと関わる訳にはいかない。

 

 たとえ原作に関わろうとリボーンにだけは関わってはいけない。

 

 その瞬間に僕の人生は幕を下ろす。

 

 そんな気がした。

 

「ただいま」

 

 こうなれば気が済むまで本気で撃ちまくってやる。

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

「京子ちゃんおはよー」

 

「あっ、おはよう恭華ちゃん!」

 

 結局のところ久しぶりの完徹をキメた僕は、それでも徹夜を全く感じさせない睡眠不足を感じることすらない絶好調とも言える気分の中で登校した。

 

 しかも途中で京子ちゃんとエンカウントすると言う奇跡まで起きた。

 

 ただ……なんだろうな、何か変な感じがするんだよな。

 

 よく思い出せないんだけど、何か大切なことを忘れているような気がする。

 

 すごくもやもやする。

 

 うーん、もしかして寝てないせいで頭が働いてないのかな。

 

「ねえ京子ちゃん、今日って何か忘れちゃいけないものってあったっけ?」

 

「え? うーん……体育の授業はないし、調理実習はもっと先だし、小テストもないし。……何も無いよ?」

 

「ん、そっか」

 

 だとしたら一体何を忘れているんだろうか。

 

「あれっ?」

 

「どうしたの?」

 

「何か聞こえてこない?」

 

 京子ちゃんに言われて耳を澄ませてみる。

 

 本当だ、何か聞こえる。

 

 なんだろう……地鳴りみたいに聞こえるけど……?

 

 ううん、違う、そんなんじゃない。

 

「恭華ちゃん、あれ」

 

 同時にその正体に気づいて振り返った。

 

 目の前に広がる光景に、ようやく僕は思い出した。

 

 思い出して、絶望した。

 

 取り返しのつかないことだと気づいた時にはもうすべてが手遅れだったんだと初めて思い知らされた。

 

 その後に何があったのかは覚えてない。

 

 目の前の恐怖から逃げ出したいと、ただそう思っていたことだけは覚えてる。

 

 悲しそうに僕を見つめる、ツナの顔も。

 

「……か、恭華!」

 

 気づいた時には花ちゃんの顔が目の前にあった。

 

「あんた大丈夫? 京子もさ、朝から災難だったね」

 

「朝……?」

 

 何のことだかわからなくて小首を傾げる。

 

 隣を見ると半ば放心状態の京子ちゃんの姿があった。

 

 どうしたの?

 

 問いかけようとして自分の声が出ていないことに気づいた。

 

 自分の体が震えていることに気づいた。

 

 僕に京子ちゃんを慰める資格なんてないと、何故かそう思った。

 

「今朝、パンツ姿の沢田からの告白事件があったでしょ? 京子はそん時の沢田にショックを受けたみたいよ。いつもと全然様子が違かったものね、アイツ」

 

 ああ、そうだ思い出した。

 

 あの時、校門をくぐろうとした僕たちは異変に気付いて振り向いたんだ。

 

 そして、そこに現れたツナは、僕の予想を、期待を、大きく大きく裏切る形で告白をしたんだ。

 

「霞恭華、俺と付き合ってください!!」

 

 死ぬ気モードのツナは思っていたものよりもずっと怖くて、好きな人が僕だったという事実に恐怖して、それで僕は拒絶してしまったんだ。

 

 なんて言ったかは覚えてないけど、何かを叫びながら力の限りにツナの胸許を押し返してしまったんだ。

 

 倒れた瞬間に死ぬ気が解けたツナがどんな気持ちだったのかなんてわからない。

 

 ただ、とても悲しそうな顔をしていた。

 

 考えることを放棄した僕は、茫然とするツナを置き去りにしてその場を走り去った。

 

 僕はこれから一体どんな顔をしてツナと接していけばいいんだろうか。

 

 ツナが好きだったのは京子ちゃんじゃなくて僕だったのだ。

 

 だけど僕は原作だ原作だと勝手に自分の中で騒ぎ立てて囚われてちゃんと接していかなかったら、なんの迷いもなく躊躇いもなく京子ちゃんが好意の先だと思い込んでいた。

 

 ……馬鹿みたいだ。

 

「あんたは悪くないでしょ」

 

 花ちゃんの柔らかい手が僕の髪を撫でた。

 

「確かにあんたは思い込みが激しい子な気がするし自分に向けられた感情にすごく鈍感なところあるけどさ、アプローチが中途半端なくせにこんな形で告白してきた沢田もおかしいって」

 

「ツナくんを悪く言っちゃダメだよ。悪い子は、僕だ」

 

 そう、知識に頼ってばかりでご都合主義で現実をちゃんと見ようとしていなかった僕が悪いんだ。

 

 僕が、僕が悪いんだから、ちゃんと、ちゃんとツナに、ちゃんと、謝らなくちゃ。

 

「ツナくん……」

 

 絞り出した消えそうな声は、それでも彼に届いたようで、静かに顔がこちらに向けられた。

 

 いつも優しい彼は、あの時と同じ、すごく悲しそうな表情をしていた。

 

 言わなきゃ、謝らなくちゃ。

 

 ごめん。

 

 たったその一言が、今はとても高い壁であるかのように思えた。

 

「恭華!」

 

「恭華ちゃん……」

 

 結局僕はその一言を口にすることもないままに教室を飛び出してしまった。

 

 何も考えないままに廊下をひたすら走る。

 

 怖い。

 

 この世界で生きることが。

 

 この世界の人に関わってしまったことが。

 

 ――死ぬ気モードのツナのことが。

 

 本当は京子ちゃんのことを盲目的に好きになるはずのツナが、いるはずのない僕と出会ってしまったから、僕と友達になってしまったから、京子ちゃんが遠い存在でなくなってしまったから、京子ちゃんに恋心を持たなくなってしまった。

 

 それだけじゃない。

 

 死ぬ気モードが怖かった、たったそれだけの理由で僕はせっかく仲良くなってくれたツナのことを拒絶してしまった。

 

 これを機に誰とも関わらずに傍観に徹すればいい。

 

 そう考えてしまえればとても気が楽になるはずなのに、僕の心はとても重く、そしてとても悲しかった。

 

 気づけば屋上までやってきてしまった。

 

 自分の限界もお構い無しに走ってしまったせいで胸が苦しい。

 

「あ、雲雀さん……」

 

 そして僕の目の前には雲雀さんが立っていた。

 

 何を思ったのか、それとも混乱のしすぎで頭が正常に働いていなかったのか、僕はとっさに雲雀さんの陰に隠れた。

 

「ねえ、何してるの」

 

 すごく不機嫌なことは声でわかる。

 

 だけど僕は、今ツナと会ってしまうくらいなら咬み殺されたって構わないと、咬み殺された方がマシだと、そう思えた。

 

「ごめんなさい、ちょっとだけでいいんです、咬み殺されたって構わないから、今だけは隠れさせてください」

 

 目から溢れ零れ落ちる雫は一体何に向けてのものなのだろうか。

 

 走った苦しさか、雲雀さんへの恐怖なのか、それとも――。

 

 しかし雲雀さんは僕の予想に反して何もしてこなかった。

 

 ただ、そこにいてくれた。

 

「恭華ちゃん!」

 

 しばらくして僕を追ってきたらしいツナが屋上にやって来た。

 

「ひっ雲雀さん!?」

 

「騒がしいよ君。僕は今イラついてるんだ、これ以上騒ぐなら咬み殺すよ?」

 

「失礼しました!」

 

 雲雀さんがいる。

 

 たったそれだけの理由でツナはあっさりと屋上からいなくなってしまった。

 

 雲雀さんの後ろに僕がいることにも気づかずに。

 

 ほっとして僕も屋上から退散しようと思ったその時、視界が大きくぐらりと揺れた。

 

 バランスが取れなくなって思わず雲雀さんの背中に倒れ込んでしまう。

 

 なんてことをしているんだ僕は。

 

 こんなことをしていたら今度こそ絶対に咬み殺される。

 

 けれど僕の意に反して体は言うことを聞いてくれない。

 

 この感覚を、僕は知っている。

 

 死んだあの日と全く同じ。

 

 僕、また死ぬの……?

 

 そう思ったのも束の間、僕の意識は深く深く沈んでいった。


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