静かな病院の待合室。
平日の昼間ということもあってか、人は少なくてちょっとがらんとしている。
体育の先生(後で知ったけど新島匠海という名前らしい)のおかげで学校を休むことのできた僕は、同じくして学校を休んでくれた花ちゃんと京子ちゃんに付き添いをしてもらって並盛中央病院までやってきた。
朝は2人が家まで迎えに来てくれたんだけど、場所を教えた時にものすごく驚かれた。
実は僕の住んでいるところは、並盛では結構高い部類に入るマンションらしく、僕の部屋はその10階(最上階)。
よくこんなところに住めるわね、と花ちゃんに問い詰められたけど、僕はそもそも高級マンションであることすら知らなかったから「お母さんに言われただけだからわかんない」と笑って誤魔化した。
「霞恭華さん、3番の診察室へお入りください」
「あ、はい」
名前を呼ばれたので診察室に向かう。
今回来たのは総合診療科という場所だ。
主に、体のどこが悪いのかわからない、という人向けの科らしくて、今の僕がまさに行くべきところだという。
から、そこに行ってきなさいと保健室の先生に言われた。
中ではいくつか質問を受けて、いつごろから調子が悪いのか、とか、病気にかかったことはあるか、とか、とにかく色んなことを聞かれた。
あとは心拍音を聞いたり、血液検査をしたり、レントゲンを撮ったり。
あまりにもたくさんの検査をするもんだから、京子ちゃんと花ちゃんがだんだんと不安げな表情になっていった。
僕の体はなんかやばいことにでもなっているのたろうか?
ここまでやることを精密検査ということは知っているけど、僕自身にはそこまでやるような危機感はなかった。
検査がすべて終わると今度は結果待ちということでまた待合室に戻った。
足をぶらぶらさせたり、不安そうな顔の花ちゃんのほっぺをつついたりして時間を潰した。
「人が心配してるってのに遊ばないでよ」
と怒られたのは割愛。
しばらくするとまた名前を呼ばれたので診察室に向かった。
中に入ると先生が待っていて、パソコンにはたくさんのレントゲン写真が映し出されていた。
おーすごい、レントゲンが漫画で見るようなフィルム写真じゃないぞ。
かがくのちからってすげー!
「まず最初に1つだけ確認させてください。霞さん、あなたは今までに大きな病気にかかったり手術を受けたことはないんですよね?」
「ないですよ」
「そうですか。ではこれは生まれつきということで……」
「あの、結論から言ってどうなんですか?」
しびれを切らしたらしい花ちゃんが問いかけると、先生は、なんというか、気まずそうな顔をした。
「これが生まれつきだとしたら、今まで相当な苦労をしてきたと思います。検査の結果、霞さんには肺が1つしかないことがわかりました」
「はい?」
「人が生きていくのに大切な呼吸器官です。本来なら左右に1つずつ存在しているのですが、霞さんの場合、それが片方しか存在していませんでした。これでは十分な酸素を得ることが出来ず、生命活動に大きな支障をきたしてしまうのです」
途中から何を言っているのかちんぷんかんぷんだったけど、簡単にまとめるなら「お前よく生きてんな」ってことなんだろう。
おかげでわかったことが2つある。
僕の体は普通では生きていくのがかなり困難であるということ。
そして、お母さんはそんな僕のことをちゃんと守ってくれていたということ。
僕はちゃんと愛されていたんだ。
お母さんは確かに僕のことを愛してくれていたんだ。
普通の人と同じ生活ができない僕に敢えて普通を教えないことで、不自由を感じさせない日常を与えられていたんだ。
だとしたら僕の死因は、DVDを見るのに必死になりすぎて徹夜続きになったせいでちゃんと酸素? まあ栄養の補給ができなかった、ということになるのかな。
うわぁ、我ながらとんでもなくダサい死因だ。
いろんな意味でお母さんに謝り倒したくなってきた。
因みに先生曰く、肺が足りないこと以外は特に異常はなしだと言う。
だから定期的に酸素吸入をするという治療で、それさえ怠ることがなければ普通に生活できるようになるらしい。
「体育の授業ですか? 言語道断です」
このセリフを言った時の先生の顔は地味に怖かった。
「お2人はご友人ですか?」
「はい」
「霞さんのことを、しっかりサポートしてあげてください」
「はい」
「わかりました」
そして簡易的な酸素吸引装置をもらってから僕たちは病院を後にした。
金額からは目を逸らしたい。
帰り道、僕は装置でシュコシュコやって(ダースベイダーごっこでもしてる気分になったので)ちょっと楽しかった。
すっごいよこれ、めっちゃ体が楽になる。
生まれてこの方一度も味わったことのない快感だよこれ。
「なんか楽しそうねあんた」
「すっごい楽しい!」
今までにないくらいいい気分で返事をしたら2人に苦笑いされた。
「霞、なんか困ったことがあったら頼りなさいよ」
「へ?」
「なんて言うかさ、ここまで知っちゃったし、医者にもああ言われたし、もう他人事じゃないのよね」
「霞さん、ううん、恭華ちゃん。私も花も、恭華ちゃんの力になりたいの」
「そゆこと。ね、どうせ人なんて頼って頼られてなんだから」
「黒川さん、笹川さん……」
「その他人行儀な呼び方も止め。私たちは友達なんだからさ。そうでしょ、恭華?」
「え、えっと、そうだね、花ちゃん、京子ちゃん!」
「オッケー」
そう言うと、花ちゃんは笑顔で僕の頭を乱暴に撫でた。
それに驚いて素っ頓狂な声を出すと、今度は京子ちゃんがクスリと笑った。
「おっし、じゃあこれからあたしの奢りでラ・ナミモリーヌでも行くか」
「えっ花の奢り? 行くっ」
「それってあの美味しいって話題のケーキ屋さんだよね? 僕も行く」
ラ・ナミモリーヌ。
原作でも京子ちゃんとハルちゃんが出会うきっかけになった場所で、ケーキ好きなら一度は全種制覇したいと考える名店だ。
もちろんケーキ好きは僕だって同じで、ラ・ナミモリーヌは並盛に住んだら必ず行きたい場所No.1だ。
食べたいものを頭に思い浮かべながら商店街に向かう。
人生初の商店街、人生初のケーキ屋はとても楽しみで仕方がない。
「わぁ、美味しそう!」
お店に入るなり真っ先に京子ちゃんが飛びついた。
一瞬ハルちゃんと見間違えたかと思うほどの速さだった。
花ちゃんを見るとちょっと呆れてる。
きっと京子ちゃんとケーキ屋さんに来るといつもこうなんだろうと簡単に予想がつく。
でも、こんなところも含めて京子ちゃんらしいと思った。
「恭華も選んできな。ちょっと京子、2個までだからね!」
あれもこれもと目移りしている京子ちゃんを止めに花ちゃんが向かったので、僕もショーケースを覗いてみる。
当たり前だけど、アニメで見るよりもずっと美味しそうだ。
花ちゃんの奢りということが頭から離れず無難にショートケーキとロールケーキをお願いした僕は、未だに決まらない京子ちゃんを待つ間はちょっとだけお店の外に出ることにした。
今のうちに場所を把握しておきたいという本音もある。
「ねえ君、学生は授業の時間だよ」
いろんなお店の存在に感動していたら、突然後ろから声をかけられた。
凄みのある声に肩がびくりと跳ねてしまう。
僕は、この声を、この口調を知っている。
少なくとも、転入2日目出会っていい人物ではない。
「並中生だよね。サボりかい?」
「ち、違います! びょっ病院の帰りです!」
声が裏返りそうになったけど不可抗力だ。
だって僕の目の前にいるのは、並盛最凶の風紀委員長である雲雀恭弥なのだから。
あ、そう言えば恭弥と恭華って似てるn嘘ですごめんなさい黙ります。
「それ、証明できる?」
「あ、あの、赤津先生か、新島先生に聞けばきっと……。あっ、領収書ならあります!」
咬み殺されたくない一心で、藁にもすがる思いでさっきの領収書を雲雀さんの前に差し出す。
雲雀さんはそれを受け取ることはせず、チラッと見ただけでまた僕の方を見た。
やばい、泣きそう。怖すぎて。
「まぁ信じてあげるよ。風紀を乱しているわけでもなさそうだしね」
思わずほっと胸をなでおろす。
「それと」
「ひゃいっ!」
「君の髪、長すぎないかい? 校則違反にはならないけど切るか縛るかした方がいい。邪魔だよ」
「か、髪?」
言われてみれば僕の髪は他の人に比べたらずっと長いのに縛らずに下ろしてある。
僕自身はなんとも思わなかったけど、確かに周りから見たら邪魔かもしれない。
でもせっかく長いんだから切るのは忍びない。
「うーん、わかりました。明日から気をつけます」
どうするべきかと悩んでいると、雲雀さんは何も言わずに立ち去り、やがてケーキを買い終わった花ちゃんたちがお店から出てきた。
「恭華ちゃんどうしたの?」
「なんかすごい顔してるけど」
「えっ」
すごい顔ってどんな顔ですか。
顔芸ですか。
「今ね雲雀さんに会ったんだけど、髪が長すぎるから切るか縛るかしろって言われちゃって」
「雲雀って雲雀恭弥!? あんた大丈夫だったの!?」
「サボりかって怒られそうになったんだけど、病院の領収書を見せたら許してくれたよ」
「あ、ああ、そう。あんた運がいいわ」
うん、自分でもそう思う。
「髪型なら近くにいい美容院知ってるよ。行く?」
「ホント京子ちゃん?」
「うん」
「行くっ」
やったぁこれで雲雀さんに咬み殺されずに済むぞぉい。
明日の学校がちょっと楽しみになってきちゃった。
それに学校に行ったらツナが心配しているだろうからちゃんと謝らないとね。