享楽刹那に蒸気幻想譚   作:大菊寿老太

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Crush~力を以て淑女よ巨人を討て~

 機関砲がついに火を噴いた。

 双眸に宿った玉虫色の光は虹彩の奥で煌めくだけに留まらず、さらに輝きを強めて現実を侵食していく。迫りくる破壊の砲弾に対し、フレデリカの権能が阻むべく干渉する。

 目を疑う光景であった。見えない壁が伸ばされた右手から広がって、砲弾を宙で止めているように見えた。砲弾はライフリングによって与えられた回転運動を、阻まれてもなお続けているが先に進むことは一切ない。

 手を下ろした瞬間、砲弾は一斉に力なく落ちた。双眸にはいまだに超常の権能を示す玉虫色の煌めきが宿っている。ホルスターから銃を抜いた。一挺だけではなく二挺両方を。ズシリとくる重さは感じなかった。むしろ以前よりも軽くなったように感じる。

 手のひらから湧き上がる力が銃把を通して、銃身を経由して銃口まで達するのを感じる。弾倉内の弾丸も一発残らず満たされたはずだ。

 メルカバの巨腕が持ち上がった。五指をいっぱいに広げて、いまにも掴みかかってきそうだった。

 ぐっと膝を曲げて、腰を落としたのは跳躍のため。人間の脚力など、たかが知れている。迫るメルカバの手を飛んで避けることなどできるはずがない。

 だが――フレデリカはできる。跳躍する。宙返りしながら身を翻し、高々と跳び上がる。その高度は実に五メートルにも達した。

「いきます」

 そのままくるくると回るかと思ったフレデリカの身体はメルカバを見据える形でぴたりと止まり、それに合わせて両手の二挺を構える。

 二挺が火を噴いた。銃声というにはあまりにも大きい。腹の底から突き上げるような火薬の咆哮が響き渡り、銃口から躍り出た弾頭は装甲を食い破らんと迫る。たかが拳銃弾と言えど、さきほど異能を注がれた代物だ。おそらくは超常の(ことわり)に則って、その威力を示すことになる。

 その証拠に着弾した途端、対衝撃構造を含む最新鋭の複合装甲の表面は水面のように波打った。のどかで波一つない湖に、一石を投じたようだった。波紋が戻った瞬間、装甲表面で強烈な衝撃波が炸裂した。着弾位置を中心に半径五〇センチ、深さ一〇センチもの凹みが生じる。

 その衝撃を食らって揺らがずに立っていられるわけがなかった。メルカバは大きくのけ反るような形で、近くにあったレンガとモルタル造りのビルに倒れ込んだ。

 頭部の目に当たる部分が赫く輝く超常の光を持ち始めた。

 周囲の温度が劇的に上がったかと思えば、周囲はキラキラと輝きを持ち始める。超常の力による温度操作は熱帯並みの温度の中にダイヤモンド・ダストを生じさせる異常環境を生み始めた。

 重力を無視したようにフレデリカは横転したガーニーへと降り立った。

「ヘンリエッタ、ワイアットさん……目覚めて」

 頭から流血するヘンリエッタ、時折呻くものの意識はないワイアット。二人の額に手をかざす。

 黄金の双眸、その奥で玉虫色の超常の光が煌めいたのをフレデリカは感じていた。二人ともそろって軽く呻いて目を覚ました。ヘンリエッタの傷も血に濡れてはいるが塞がっている。清潔な布でぬぐい取れば、元の傷一つない額が現れるはずだ。

「立てますか?」

 二人に手を差し出す。少し前までの自分なら逆に差し出される側だった。仮に手を握ったとしても、起こせるかどうか。

 きっと二人とも浮き上がるような感覚を覚えたはずだ。気づいたら立たされていた、というほうが近いかもしれない。目覚めたばかりで、浮遊感と共に立たされる。そろって目を丸くしていた。

「ああ、なんとかね。しかし、不思議な気分だな」

「君の身に何があったのかはわからんが、それで俺たちの身が守られているのは事実だな」

「急いでここから離れないと、またメルカバが動き出すかもしれません」

「……もう動き出しているみたいだ」

 肌が灼ける。唇が瑞々しさを失っていく。身体の外側は熱波にあてられて、急速に乾いていく。それとは裏腹に息を吸えば、冷厳と言わざるを得ない冷たさが気管を通して体内を凍てつかせていく。

 物理的な温度変化でこうはなるまい。確実に幻想の、超常の力が介在した熱波と冷気の合わせ技だ。

 ついさっき超常の力を昇華させたフレデリカなら耐えられるはずだ。乾いて、ヒビ割れつつあった唇も指で一撫ですれば元の瑞々しい色を取り戻す。

 だがヘンリエッタとワイアットにとっては、堪らぬほどの脅威だ。ただ熱いだけであれば、冷たいだけであれば、耐えようもあるだろう。だが外は熱されて、内を凍らされる。超常的温度攻撃に只人の肉体は悲鳴を上げる。今にも膝から崩れ落ちそうなほど体力を奪われていく。メルカバは倒れた体を起こしつつある現状、すぐにでもここから離れるべきだろう。だが脚はあり得ないほど重く感じる。体力の消耗が甚大すぎた。

「早すぎる……」

 足止め。

 フレデリカの両手にある二挺、その銃口から権能を込められた弾丸がまた撃ち出される。四五口径と九ミリ弾はその軽さにあるまじき安定した水平弾道を描いて飛ぶ。炸裂すれば、メルカバの装甲は凹んで損傷する。そのはずだった。

 呆気ないほど弾頭は装甲を貫くことも、凹ませることもなく、無残にへしゃげて落ちる。

「効かない!?」

 しかし原因はすぐにわかった。メルカバの胸部にある動力源となる数式機関からのエネルギーが増しているのを、黄金の双眸は見事に解析して見せた。今も薄ぼんやりとした力のラインがメルカバの全身を、まるで血管か何かのように巡っているのがよくわかる。

 まだ完全に起き上がってはいないものの、頭部だけこちらに向けて機関砲を掃射してきた。

 “力”を左手にかき集めるようにイメージを結び、手を一気に薙ぎ払うようにして振るう。爆風とも斥力とも言えぬ衝撃波が三〇ミリ機関砲弾を蹴散らして、弾道を逸らさせていく。

 びりりとした痺れを感じる。砲弾にも強まった超常の力が込められていた。その破壊力は腕に込めた“力”を食い破って、行使したフレデリカの手に反動としてぶつかった。今も打ち身に似た鈍痛が肩のあたりまで走る。

 その痺れも振り払って『Song For Fog』を展開した。刃鎖が複雑に絡み合って、巨大な刃を形成する。

 柄となっている銃身を握る手に力を込め、乾坤一擲の一閃。展開したばかりの刃は数百に及ぶ刃鎖へと戻り、メルカバの機体を斬り付けつつ縛り上げる。巨大な機体の動きを封じ込めていられるのは力の増した自分なのか、それとも『Song For Fog』と一体化させられた刃鎖の力であるかはわからない。

 しかし、はっきりとわかることは一つだけ。ここで時間を稼がねば二人が死ぬ。

 さらなる上の“力”に目覚めたとはいえ、メルカバを縛り続けるのは厳しい。『Song For Fog』だけではなく自分の身体もきしみ始めているのを嫌でも感じてしまう。

「ちょっと……おとなしくしてて、くれませんか?」

 ぎりり、と奥歯を噛み締める。少しでも気を抜けば、きっと紙屑か何かのように振り回されるビジョンが浮かんでしまう。そうはさせまいと総身の力を以て踏ん張りを利かせるも、じわりじわりと引き摺られていく。

 メルカバに漆黒の剣がいくつも突き刺さった。黒き破壊の権能で形作られた、混沌の権化ともいえる魔剣であった。それは物質の刃を持たぬ、純粋なる黒き権能で編まれた虚像の剣でもあった。

 その近くに彼がいるのにフレデリカは気づいた。

 すべてを壊しかねない絶大なる破壊の権能を抑え込むための鎧をまとい、サイファー・アンダーソンは赫く輝く三眼でメルカバを上空より睥睨していた。漆黒に染まった野太刀、その切っ先が向けられる。おそらくサイファーが一閃すれば距離などお構いなしに、メルカバの装甲は空間ごと纏めて切断される。

「悪い、遅くなったな」

「かなり危なかったですよ」

「その分、埋め合わせはしてやるとも」

 直後に袈裟掛け一閃。装甲やフレームごとメルカバは切り裂かれたかに見えた。だがメルカバは依然と捨て漆黒の剣に縫い留められながらも、健在のままである。動力源となっている数式機関の力による現実干渉の仕業としか説明のしようがなかった。

 数式機関は幻想の力を生産する。目の前で浮かぶ、先ほど自分を斬りつけた存在に対抗するために。生まれ出でた幻想は超常の力となり、現実を覆す。物理法則を凌駕した熱波と寒気の嵐が吹き荒れようとしていた。

「思った以上にやるな。コイツはヘンリエッタとワイアットには、ちょっとキツいものがある」

 左手を一振りすると剣は瞬く間にサイファーの周辺に戻る。そのまま漆黒に染まった野太刀を一振りすると、超常の温度は風に吹き散らされる雲のように無力化される。

 その瞬間を見逃さずにサイファーは身を翻す。羽ばたくには重すぎる鋼鉄の翼を広げ、背部の噴射口はどす黒い推進炎を盛大に放つ。一陣の風が吹き荒れたときには三人の姿はなかった。ヘンリエッタとワイアットを左手で掴み、フレデリカを右手の内に抱えて、サイファーはその場を離脱していたのだ。

「遅れてすまんな。デカブツの相手に手間取った」

「死ぬかと思ったよ」

「俺たちとフレデリカ嬢の扱いに差を感じるのは気のせいか?」

「気にするな。問題は懸念として挙がるから問題なのさ」

「その考えはダメだと思うんですけど……」

「そんなことより、あちらさんは完全に復活。空には巨大機動要塞の最新型。下手をすればロンドンが灰になりかねない」

「メイザースがいるとしても、防戦一方ではジリ貧だ。いるんだろう? メイザース」

 突然嵐のような風が吹いた。どこからともなく舞ってきたのは数多の紙だ。

 いや、紙ではなかった。それは本のページだった。その内容を少しでも目にしようと試みるだけで、凄まじいほどの嫌悪感とこみ上げる吐き気を覚える。およそ現実の理を侵す冒涜なる魔の知識をしたためた特級の魔導書であることに気づいたのはヘンリエッタだけであった。

 ページの塊は柱状に変わり、弾け飛んだ。オールバックに撫で付けた金髪、長身痩躯の杖を持った男。紛れもなくマクレガー・メイザースであった。

「女王陛下のお傍にいなくていいのか?」

「そちらにもいる。私にぬかりはない」

「得意の分身か。魔術とは便利なもんだな」

「私には、お前の力のほうが便利に見えるがね」

「悪いが出力がデカすぎて、使うのもおっかなびっくりなんだ。コイツがないと息をするのも厳しいくらいなんだぞ?」

 鎧の胸部装甲を指で弾く。金属と金属のぶつかり合う小気味いい音がした。その頑強さを示すような素振りとは裏腹に、関節部は今も現在進行形で軋むような音が続いている。

 おそらくは抗っているのか。サイファー・アンダーソンの振るう外なる権能、森羅万象を砕く力が開放を望んでいることの表れだろう。際限なくあふれ出し、一切を漆黒に染め上げて無に塗りつぶさんと暴れ狂っている。それを押さえつける鎧がいかなる碩学によって生み出されたのか。いずれにせよ人知を超えた超常の代物であることは明白であった。

「クソッタレ、あの機械人形固すぎるんだがァ?」

 ジョンが近くの建物に降り立った。跳躍を繰り返してか、あるいは一回で来たのかはわからないが、歩いてきたわけはなさそうだ。

「兵器王自ら設計した近年まれにみる大英帝国そのものと言っていい代物だ。簡単に壊せるわけないだろうよ」

「おまけに空には、それ以上と言っていい兵器が一隻。さて、どう戦う?」

 サイファー、メイザース、ジョン・ドゥ。おそらく世界で三本の指に入る超人たちがそろい踏みであった。いかにしてメルカバとフューリアスを相手取るか。その算段を立てているのだ。

「メルカバは私が叩こうと思います」

「大丈夫か? その力、目覚めたばかりだろう」

「練習がてらに相手できる程度、には余裕がありますよ。信じてください」

 フレデリカに連れ立ってヘンリエッタとワイアットも名乗り出る。

「なら親友の私が黙っているわけにはいかないな」

「お嬢さん二人に任せているのでは男が廃る」

 メイザースが一歩前に出た。

「あの超常の兵器に、只人二人では荷が重かろうよ。私の力を貸そう」

「お、魔術卿自ら出陣か」

「とはいえ分身だ。出せる力は限られるが、メルカバの熱波と冷気ならどうにかできるだろう。そちらは二人だけで大丈夫か?」

「心配するな。実質もう一人いるようなものだ」

 指さした先には上空でフューリアス相手に火線を張り、唸りを上げて穂先を回転させる機関突撃槍で突撃を変えるアルトリウスの姿がある。生身のすべてを捨てた鋼鉄の騎士は、思考パターンすべてをプリセットされた演算装置によって行動する。生身だった頃の彼と寸分たがわぬほどの精密さで。

 おそらく自分以外の化け物を殲滅するか、教会からの命令がない限り彼は止まらないはずだ。

「巻き込まれないように気をつけるべきだな」

「おっと、お喋りはここまで。僕とジョンで空飛ぶデカブツを叩くことにしよう」

 メルカバが近くの建物をもぎ取るのが見えた。カートゥーン向けのコミックや小説でも、あまり見ないような現実離れした光景に緊張が走る。サイファーは抱えていた三人を素早く下ろし、代わりにジョンの襟首をつかんだ。「おい、テメェ」という抗議の声は聞かなかったことにする。

「さて、全員くれぐれも死なないように。では解散」

 ぶん投げられた瓦礫は誰も潰すことはなかった。

 サイファーは一直線に上空のフューリアスへと飛んでいった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 蒸気機関が駆動する。生み出されたパワーはシャフトを通したのちにトランス・ミッションでタイヤに伝わる。三人がかりで無事だった蒸気自動車(ガーニー)を起こし、メルカバへと向かうべく乗り込んだ。最新式の五速トランス・ミッションをさらに高速ギアへとぶち込むと、ワイアットはさらにアクセルを踏み込んだ。アーカムで広く流通するガーニー用蒸気機関を改造した警察車両は五〇〇馬力を超える。

 そのパワーを舗装路も悪路も構わず進む極太のタイヤに伝えるのだから、ガーニーはぐんぐんと進んでいく。

装甲銃塔(ガン・タワー)はどうなっている?」

「動かないな。駆動部分が変形して回らない」

「機関銃もダメみたいですね……銃身が曲がっています。機関部(レシーバー)も歪んで、トリガーのレバーもなくなっています」

「まったくダメだな。どのみち、あの化け物には役に立たんだろうが」

 フレデリカは車内から装甲銃塔に出ると『Song For Fog』を展開。刃が銃床の形をとる射撃形態だ。膝立ちの姿勢を取って、銃口も視線もメルカバに向ける。

「二人とも、撃ちます」

「派手にやってくれ」

 引き金に指をかけ、スコープを覗く。

「いきます」

 引き金を引く。

 薬室の弾丸に“力”はすでに込めた。飛翔した弾丸は玉虫色の軌跡を帯びていた。命中した瞬間、大口径カノン砲でも炸裂したような衝撃が一帯を駆け抜ける。

 もんどりうって転びそうになりながらも、メルカバは背面より圧縮蒸気を噴射して姿勢制御を行う。

 間髪入れずの第二射が放たれる。今度はメルカバも倒れなかった。数式機関は出力をさらに上げて、フレデリカの攻撃に適応しつつあるのだ。

「どうもヤツは進化しているようだ。頼みの綱はフレデリカ嬢と魔術卿だが、あれの上限がわからん以上、少々こちらが不利と言える」

「保安課はこれにどう対応するか、見解をぜひお聞きしたい気分だよ」

「サイファーに投げる」

「ああ、なんて最善の選択肢なんだ。涙が出てきそうだよ」

「もっと大きいのを試してみましょう」

 『Song For Fog』の弾倉を抜き、さらに薬室の弾まで抜くと空砲を叩き込んだ。銃口に差し込んだのは直径一二〇ミリ、全長三〇〇ミリに及ぶ巨大小銃榴弾。ホーレス謹製のそれは『Flare The N'Kai』の名を持つ、内に焦熱の種を詰め込まれた破壊兵器であった。

 空砲の激発による圧力を受け、緩やかな放物線を描きながら円柱状の榴弾はメルカバの頭部に炸裂する。

 派手な爆炎と衝撃波は付近の窓をことごとく粉砕し、メルカバの熱波を塗りつぶす勢いであたりを高熱が走り抜ける。

「近づけるのはここまでだな。ここからは分かれるべきだろう」

「なら私とフレデリカで近づこう」

「であれば、これを持っていけ」

 メイザースが銀の鎖を渡す。その輝きが素材由来のものではないと、ここにいる誰もが本能的に察した。魔術卿の名を冠する男が自ら力を込めた護符(アミュレット)であることは疑いようもない。

「君も魔道の力を使う者であれば、これの力を十分に生かせるだろう。メルカバの動力機関より、よっぽど有用なはずだ」

「魔術卿自ら(まじな)いを込めた護符(アミュレット)か……恥じない活躍を強いられてる気分だね」

「そう気負うことはありませんよ。私だって頑張りますから」

「なんとも嬉しいことを言ってくれるじゃないか」

 親愛のハグがフレデリカを襲う。久しぶりのスキンシップだった。大学時代ではよくされた覚えがあったが、宗津行と同時に別れてからは当たり前だがそういうこともなかった。

「ほんとうに優しいな君は。この柔らかい身体の半分は、きっと優しさで出来ているんだろうね」

「そんな変態みたいなこと言わないでください! あとその言い方だと、まるで私が太ってるみたいに聞こえるじゃないですか!」

「いや、太っているなんて一言も。お腹はなだらかだし、お尻も足も十分に締まっている。柔らかいと言っているのはね……」

「そ、そこは触らないでッ! む、むむむ胸だけはダメですってば!」

「姦しくしている場合かね」

 メイザースが諫めれば、フレデリカは直ちに解放された。大学時代では良くやられたことだ。胸まで手が及ぶことも多々ある。誰にも身体を許していないフレデリカの、ひときわ目を引く胸乳の柔らかさと感触を手で味わって知っているのは、彼女の親友たるヘンリエッタ・ウェントワースのみだろう。

 その度にフレデリカはヘンリエッタの胸に視線が行く。一七〇センチを超える女性にしては羨まれるほど高い身長に反して、その胸は大変に慎ましやかであった。確か東洋の諺に『隣の芝は青く見える』というものがあった気がするが、ああいったスキンシップは自分の豊かな身体を羨んでのことか。事実、胸が大きい苦労をこぼすたびに『……くっ』と呻いたり『ははは……』と力なく笑ったり。

 なんとも対するような二人で、よく親友に慣れたものだとつくづく思ってしまう。学び舎で隣を歩く仲から、いまは背中を預けられる仲になった。なら存分にメルカバにぶつけてやろうではないか。

「行きましょう、ヘンリエッタ」

「ああ、何か作戦はあるかい?」

 聞かれて、フレデリカはもう一度メルカバを見据える。黄金の双眸はメルカバの情報をあらゆる観点から解析していく。兵器王フィッシャーですら予測がつかない領域まで達したメルカバのすべてを、一切の容赦を持ち合わせずに暴いていく。

 ――装甲は大口径火砲の集中砲火を前提として設計。物理破壊は困難。

 ――数式機関の出力は最大出力。物理攻撃は完全無効。

 ――気体の破壊は幻想を以てしても困難と推測。

 その結果はあまりにも絶望的。これに抗えるのは黒き破壊の権能を振りまくサイファーだけか。強大なる幻想を振り回す不条理の塊にさえ、圧倒的に終焉の運命づけるあの男だけが。

 だが、それでもフレデリカを止めるには足りない。足りなさすぎる。

 両手に『All In One』と『One In All』の二挺を携えて、メルカバへと向ける。

「数式機関への動力供給をしているパイプをすべて壊すんです」

「数式機関を破壊するわけには…………いかないよね。何が起こるかわからない」

 数式機関はいまだに原理不明の動力機関だ。アーカム由来の鉱石とダフィット・N・ヒルベルトの残した、重要な論理や原理を避けて書かれた製造書だけを頼りに作られている状態だ。かつては多くの老若男女を問わず様々な学者が解明に挑んだものの、そのほとんどが発狂ないし自殺という末路をたどっているいわくつきの動力機関だ。それでも、その有用性ゆえに今もなお使われているのだ。

 そんなわからないことだらけの代物を破壊するのはリスクが大きい。ヘンリエッタの言った通り『何が起こるかわからない』のだから。

『フレデリカ嬢、ヘンリエッタ嬢。二人とも聞こえるか?』

「メイザースさん!? いったいどこから?」

「落ち着いて。ただの念話魔術だ。魔術卿メイザースなら、この程度お手の物さ」

『先ほどの話は把握させてもらった。素早く数式機関を無力化してくれれば、後はこちらで停止処置を行える』

「それはありがたいことだ。動力供給を止めて、メルカバを止めたとしても数式機関が停止しているわけではないからね」

「今のメルカバは出力を最大まで上げている状態です。数式機関を切り離したあと素早く停止処置をしないと、壊すのと同じくらいの大惨事になる可能性もあります」

『切り離しと同時に停止処置か。素早い連携を強いられるとは』

「即席のタッグだが、うまくやるしかないね。これは」

 メルカバが頭部機関砲を照準する。三〇ミリというこの時代において最大口径と言える重機関砲弾が、照準の先にいる二人の女を粉砕せんと激発の瞬間を待ち構えている。

 重機関砲が弾幕を張る。狙われれば最後、肉片の一つも残さないほど粉砕される。着弾した石畳などは見る影もない、瓦礫の山に変わり果てていた。だがその中に肉片や鮮血は存在しない。

 まるで逃した獲物を探すように、頭部を左右に振る。きょろきょろと見まわすようでどこか人間臭い所作だ。その機体の内に自立行動を行うための演算装置など、一切実装されていないというのに。

「ヘンリエッタ! 合わせてッ!」

「はい、任されたッ!」

 フレデリカとヘンリエッタは機関砲の発射と同時に左右へ分かれ、建物を使って見事にメルカバの視界から逃れる。注意が完全に逸れた瞬間を狙って、建物を上って二挺での射撃を行うフレデリカと、脚部へ手投げナイフによる攻撃を敢行したヘンリエッタによる挟撃であった。

 ヘンリエッタのナイフに刻まれたルーンが、メルカバの脚部関節を溶解させる。おそらくメイザースの護符が、その力を底上げしているのだろう。

 間髪入れずに胸部へフレデリカの銃撃が叩き込まれる。“力”を帯びた弾丸は青白い稲妻を迸らせながら、着弾と同時にまばゆい光と共にスパークを炸裂させる。装甲板はたまらずはじけ飛んだ。

 怯んだ気体の関節が擦れ合い、まるで悲鳴のように耳障りな音を立てた。

「見えました! あれが数式機関です!」

 ぼんやりと玉虫色の輝きを脈動するかのように揺らめかせる、鋼鉄の球体が姿を現した。動力供給を行うパイプ管は思ったより少ない。あれをすべて破壊した後、素早く数式機関を停止させる。共有されている作戦を、フレデリカもヘンリエッタも素早く反芻する。

『――――――ッ』

 それはまるで咆哮だった。弱気捕食対象の反撃を食らい、尊厳を傷つけられた猛獣のようだった。紛れもなく、疑いようのない怒りの表れであった。関節を、装甲板を擦れ合わせて奏でた音は、まさしく怒りの表現であった。

 両腕を地面に打ち下ろすさまはやり場のない怒りをぶつけているように見えて――実際は凄まじい反撃の一手であった。

 地面が文字通り波打った。直立二足歩行を行うためにメルカバの出力は、既存の機動兵器とは比べ物にならない。それを加味してもこの一撃は尋常ではなかった。周辺の建物は基礎工から粉砕され、あっという間に倒壊していく。

 近くにいたヘンリエッタとフレデリカは宙を舞った。上空へと投げ出される中、メルカバへと向けて吹く猛風を頬で感じ取った。幻想から生まれた産物とは言え熱と冷気だ。応用すれば風の一つを生むことも不可能ではない。

 吸い寄せられたのはフレデリカだけ。各個撃破――演算機関すら存在しないメルカバが下した決断であった。最も自分を倒し得る可能性が高い存在として、彼女をピック・アップしたのだ。

 メルカバの大振りな巨拳は見事にフレデリカを捉えた。トン単位の鋼鉄が時速百数十キロという速さで叩き付けられたのだ。叩き潰された羽虫のようになる運命は避けられない。

 だがフレデリカは違う。物理法則に縛られた矮小な領域から、高みの次元へと踏み越えたのだから。

 紙屑のように宙を舞いながらも、その五体は損なわれない。肉片の一つも、血の一滴もないままレンガ造りの建物に激突する。

 その刹那、レンガ造りの壁面は水面のように波打った。まるでフレデリカ自身が投じられた一石となったかの如く。

 窓ガラスは外側へと弾け飛んだ。フレデリカはその真っ只中で()()したままだった。そこは壁だというのに、まるでここが地面だと言わんばかりだった。

 見上げるような姿勢になって、黄金の双眸でメルカバを見据えた。二挺はその手にない。握るのは巨大な銃だ。七〇口径という破格の巨銃『Song For Fog』を携えて。

「ヘンリエッタ!」

「はい、まかされた!」

 いかなる魔導を紡いだのか、ヘンリエッタの周辺に展開したスローイング・ダガーは投擲では為しえない機動でメルカバへ次々と殺到する。突き立った刹那に装甲板を変形させ、関節機構の動きを封じ込める。まるで溶けた鉄で固めたようだった。

 露出した数式機関に照準を定めようとするフレデリカに、幻想の冷気が押し寄せる波のように迫る。

「そこまでだ」

 ステッキで地面を一突き。それだけで澄み渡る青白い閃光が一帯を染め上げた。魔術卿の振るった魔導の力はメルカバより放たれた冷気が孕む幻想をことごとく否定する。数式機関の生んだ幻想程度ではメイザースを傷つけるには及ばない。故に彼は魔術卿なのだ。大英帝国の要たる守り手の一人であった。

「アープ、狙いはわかっているな?」

「問題ない。当ててみせるとも」

 高いビルの屋上でワイアットは土嚢を積んで狙撃態勢を整えていた。愛用の超長銃身のSAAに二脚を取り付け、土嚢に乗せての依託射撃であった。右手はがっちりと銃把を握り込んだうえで引き金を引き切ったまま、左手の手のひらは倒れたままの撃鉄にそえられていた。

 その左手が霞む。迅雷、というべき神業の仰ぎ撃ち(ファニング・ショット)によって弾丸はほとんど同時に撃たれたようなものだ。依託射撃による精度向上も合わせたそれはファニング・スナイプとでも言うべきだろう。

 放たれた弾丸は六発。その全てにメイザースの魔術がこもっていた。撃ち込まれたのはメルカバの頭部機関砲と周辺のビルと地面だ。込められた魔術が発動する。一面を凄まじい冷気が覆いつくした。メルカバが放っていたものとは比べ物にならない、大気中の水分のことごとくを凍てつかせる魔導の冷気であった。

「お膳立ては充分。一気に決めてくれ!」

 ヘンリエッタの声にフレデリカは銃声で応える。メルカバの動きはもう止まったのだから、後は引き金を引くだけだ。円筒弾倉(ドラム・マガジン)に収められた二〇発もの七〇口径巨弾を撃ち尽くす勢いだった。

 数式機関の周辺に撃ち込まれた巨弾は機関と機体を切り離しにかかる。修復させる間もない速さで執り行う。

 着弾の度に揺れ、きしむ機体の音はまるで悲鳴のよう。最後の一発が撃ち込まれ、機関が転がり出た。

 

 ――――――ッ!

 

 その声にならない機体の軋みは断末魔だったのか。

 制御を失いかけた機関へメイザースがステッキを投じる。機関の中心に突き立った瞬間、激しい稲妻に似た光を放った後に完全沈黙した。

 ヘンリエッタとメイザース、ワイアットによって固定されていた機体も雪崩れるように崩れ落ちる。

「……終わった、みたいですね」

「そのようだね。もうこんなデカブツは相手にしたくない」

 地上に降り立ったフレデリカと、その場に崩れ落ちたヘンリエッタ。残るメイザースとワイアットにも安堵の空気が満ちてきた時だった。

 メルカバの気体がゆっくりと持ち上がる。立ち上がるための動きではなかった。何か巨大な手によって吊り上げられているようで。

 辺りを巨大な影が覆いつくそうとしていた。


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