享楽刹那に蒸気幻想譚   作:大菊寿老太

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逃避、決意を支えるのは新たな力

 思考も意思も、理性という脳の働きはなかったと言っていい。

 故にウォルターが右手を伸ばしたのにも気づかなかった。飛んだ銀の一条にも気づいたかどうか。

 鮮血が散った。

「――――ぐっ!」

 鋼鉄のスローイング・ダガーがウォルターのしなやかな繊手を穿つ。

 グイッと後ろに惹かれる感覚で、ようやくフレデリカの意識は現実に舞い戻った。

「…………ヘンリエッタ?」

「ああ、ちょっとデリンジャー・ファミリーに頼み込んで、ここまで連れてきてもらった」

「なんで、ここに……」

「ああ見えてジョン・デリンジャーという男はお節介焼きでね。私の存在は、あの男の中では保険だったらしい。君かサイファーに何かあった時のために、いつでも下層に招ける準備を人知れずやっていたんだよ」

「……そうだ、サイファーさん!」

 発砲はほぼ反射的で、なおかつ狙いは正確だ。ウォルターを狙った弾丸は、まかり間違ってもサイファーに当たることはない。そう言い切れるだけの精度だ。

 ――ぴゅぅん。

 空気の跳ねる音と共に真っ二つになった弾頭が床に落ちた。

 片手を一薙ぎするだけで斬り落としたのだ。放たれた弾丸の数は十二、初速は秒速一〇〇〇メートルを超えている。それどころか、蛇のごとく幾重にも重ねられた金属糸が鎌首をもたげたように持ち上がるや、飛び上がって天井から降り注いだのだ。

「下がってくれ!」

 ヘンリエッタがスローイング・ダガーを十本も投擲した。それでも何十、何百と折り重なっている金属糸の群れ相手では蟷螂の斧だ。それでもくねる金属糸を迎撃できたのは、ダガーの周囲をまとわりつく鎌鼬の恩恵であろう。

 さらに追加のダガーを放ったとき、後方から銃声もした。連続した発砲音は機関銃が為しえる音だ。拳銃弾と思わしき軽快さだが、どこか重厚なのは四五口径だからか。

 トンプソン短機関銃を携えたケリーがいた。

 先ほどの掃射で撃ち尽くしたらしい三〇連の弾倉を捨てると、新たに五〇連の円筒弾倉(ドラム・マガジン)を装填した。薬室に一発残していたのか、装填ボルトも引かずに掃射を再開した。木製のフォアグリップを取り付けているおかげか、銃口の跳ね上がりは少なく、傍目から見ても連射は安定している。

 だが毎分七〇〇発近い発射速度も無意味であった。

 ウォルターはヘンリエッタのダガーを捌きつつ、金属糸を巧みに手繰りながら防御壁を構築していた。人間の愛では捉えられぬほどに細い金属糸は、網状に細かく組み合わされ、触れるものを斬り裂いて無力化するのだ。

「よし、このまま退却だ」

「ま……待って、サイファーさんは!?」

「あとにしろ! 今は逃げることが先決だ!」

 ヘンリエッタに手を引かれて、やむなくフレデリカは駆け出した。

 最後までサイファーからは目が離せなかった。あれだけ強かった彼が敵の手に落ちている現実を、いつまでも認識できないでいた。

 機関銃掃射を終えたケリーも後に続いた。

 フレデリカがあらかた掃討してしまったせいで、あの半人半獣たちは一匹も出てこない。それだけは幸運といえたかもしれない。

 ただ洋館のエントランス・ホールに差し掛かったあたりで、銃弾のお出迎えを受けることになる。

 ヘンリエッタが手鏡を取り出した。注意深く、反射で気づかれないように鏡で敵の数を確認していく。

 フレデリカも銃弾のお出迎えを受けてから、戦闘のスイッチが入る。二挺を抜き、残弾を確認している。

 ケリーに至ってはバックアップの下層のコピーM1911の状態を確かめ、新たに円筒弾倉を装填している。

「一人がこっちに上がってきた」

「俺がやるか?」

 トンプソンの装填ボルトを引き、初弾を装填したケリーが身を乗り出した。

「いや、私がやるよ」

 ヘンリエッタの右手が霞む。

 エントランス・ホールの一階と二階をつなぐ階段を駆け上がってきた、アルバニアン・マフィアと思わしき男は頭と胸に5本ものスローイング・ダガーを根元まで突き刺された。ほとんど即死状態だった。

 次の瞬間、掃射が行われた。

 拳銃弾もライフルも入り混じっている。二階からエントランス・ホールに出る廊下の角を熱心に掃射している。

 フレデリカが動く。遅延された世界の中、自分に当たる相手の弾丸だけを自らの弾丸で撃墜する。これをやることに慣れてしまった感覚がある。いや慣れなければダメだ。そうでもしないと、これから困ることになる。

 フレデリカにとってみれば世界が遅延され、自分はその中で普段通りに動ける。言い換えれば、相手からしてみればフレデリカが高速移動しているように見えるはずだ。いや、弾丸がゆっくりと向かってきているくらいに遅いのだから、鈍い連中だといきなり消えて離れたところにいるように映るかもしれない。

 驚きが襲撃者たちを包んだ。彼らはアルバニアン・マフィア。ロンドン、特にキングスクロスのあたりでは無敵を誇ってきた彼らの矜持は、一見してティーンとしか思えない少女によって揺らぐ。掃射の狙いも揺らぎ、弾幕に整合性が少しだけ損なわれた。

 その僅かな隙でヘンリエッタは充分だ。右手に携えたのは黒い防錆処理を施したグルカナイフ。逆手に構えて、駆け出した。

 エントランス・ホールの一階に飛び降りたことに、気づく者は皆無だった。グルカナイフは牙であった。鋭く研ぎ澄まされた、獲物を確実に仕留める豹の牙だ。

 一人が腹を引き裂かれた。ぐじゅ、という音を聞いたのか、顔が恐慌に染まった。傷口からぶった切られた腸が出ている。

 二人目は瞬く間に首と胴体が泣き別れした。その早業ゆえか表情はぽかんとしたまま固まって、それから目玉が反転した。

 突如として無残な斬殺死体が量産されていく中、アルバニアンたちはフレデリカに加えてケリーのトンプソン短機関銃の弾幕を捌かねばならなかった。ホールの柱をなけなしの遮蔽物としたり、こまめに動き回ったりしているが、確実に打ち倒されている。

 よく見ればヘンリエッタのスローイング・ダガーが突き刺さっている者もいる。状況を見つつ、適宜の投擲で打ち倒したのだろう。

 エントランス・ホールのアルバニアンが一桁になった頃、三人そろってホールを飛び出した。

 ケリーはあらかじめ隠しておいたガーニーを発進させ、ヘンリエッタとフレデリカの前につけた。フレデリカを押し込むように乗り込ませた後、ヘンリエッタは車外にしがみつく形をとった。

「ケリー、このまま出してくれ!」

「振り落とされんなよ!」

 ガーニーは石畳にタイヤのゴムをこびりつかせながら、ほぼウィリー状態で急発進した。

 その後を大型のガーニーが五台も追う。

「フレデリカ、何か銃はないか?」

「ちょ、ちょっと待ってください」

 急に押し込まれるように乗り込まされ、さらに最下層の暗さもあるのか、ほとんど手探りだ。握り慣れているM1911系統のグリップを探り当て、引っ張り出して手渡した。

 銃を見て、ヘンリエッタは言葉を失いかけた

「もう少しましな銃をくれないか!?」

「え……うわっごめんなさい変なもの渡してしまいました!」

 それは六インチもの長銃身とロングスライドのM1911の銃把部に、鉄パイプを折り曲げたような銃床を取り付け、ダストカバーをスライドいっぱいに延長した先端にフォアグリップを取り付けている。セミオートとフルオートを切り替えるためのレバーがあることから、機関拳銃らしい。

「銃なんかどうでもいいだろが! 敵さんはもう構えて、こっちをハチの巣にする用意が出来ている」

「ええい! この銃で十分だ!」

 機関拳銃はある程度は撃ちやすく作ってあった。発射速度は多く見積もっても毎分八〇〇発程度だろう。

 フルオートで発射しても反動制御は容易だった。だが装填されていたのは通常の七発入りの弾倉故に、連射はごく僅かの時間で終わった。

「フレデリカ、替えの弾倉をくれ」

「これをどうぞ! 五〇発入りですよ!」

「助かるよ!」

 五〇発入りの円筒弾倉を受けとると、迷うことなく弾倉挿入口(マガジン・ウェル)に叩き込んだ。

 ガーニー五台の運転席以外の窓という窓から荒くれ男どもが身を乗り出した。改造機関拳銃や大型のリボルバーを携えているものがほとんどだが、ガーニー一台につき一挺のブローニング水冷式機関銃を屋根に据え付け、サンルーフから身を乗り出して弾薬に糸目をつけずに撃ちまくっている。

 ケリーがガーニーの運転に集中している今、フレデリカも黙って乗っているわけにはいかない。

 『One In All』を抜いた。車上からの射撃は上下左右に揺れるために精度に欠けるのを、銃身を固定することで高精度を生み出す構造を組み込んだ『One In All』によって補おうという考えだった。

 シングル・カラム・フレームの握りやすい銃把を握り込み、ガーニーのとある箇所に向けて照準を合わせる。

 重厚な発砲音と共に四五口径が発射された。

 一台のガーニーの前方が暗闇に包まれた。

 フロントライトが撃ち抜かれたのだ。最下層はいつだって真夜中のように暗い。それもライトで適切な明るさを得た中で夜闇に等しい暗さに放り出されれば、視界は暗黒に染め上げられたことに等しい。横道に逸れた瞬間、すでに役目を果たさなくなったガス灯の残骸に激突する。一台脱落した。

「うまくいきました」

「ライトだけ狙ったのか?」

「分の悪い賭けでしたけど」

「歴戦の荒事屋でも難しい技だ。さて、ガーニーはまだ四台残ってる」

 その時、一台のガーニーの水冷重機が弾切れを起こした。車両の揺れがあるのか、それとも慣れていないのか、射手は機関銃のカバーを開けたまま弾薬帯を掴んでまごついている。

 見逃すわけがない。機関拳銃の銃床をしっかり肩付けし、フルオートで四五口径弾をばら撒く。だが普段は使わない銃という得物と車両の揺れという不利が災いして、一発も掠りはしない。それどころか射手は拳銃を抜いて、ヘンリエッタへと発砲する。

 機関拳銃をあろうことかヘンリエッタは口で咥えると、右手を振った。

 一本のスローイング・ダガーが射手の眉間に突き刺さっていた。

「ヘンリエッタも負けてないじゃないですか」

「いや、その、フレデリカ。実を言うとナイフは四本投げたんだよ」

「一本でも当たれば御の字ですよ」

 そう言いつつ放ったフレデリカの弾丸はガーニーのライトではなく、今度は運転手を撃ち抜いた。また一台脱落だ。

 すると残った三台のガーニーは一台だけを残して、三メートルほど離れた。ヘンリエッタもフレデリカも怪しんだが、取り残された一台から放たれたものによって驚愕へと変わる。

「重機関銃だ! おそらく五〇口径だ!」

「冗談だろ!? このガーニーなんか五秒もかからず蜂の巣だ」

 ケリーが洋館の近くに隠しておいた、このガーニーは八ミリまでの大口径ライフル弾までなら余裕で耐える装甲を持つ。しかし人体を両断するほどの威力がある五〇口径重機関銃弾が相手となると、一発ごとに装甲は貫徹し、動力を生み出す蒸気機関のボイラーに着弾すれば、行き場を失った蒸気が爆発も同然に炸裂するだろう。

 そのことを想像してケリーは身の毛がよだつ。

 その間に水冷機関銃から五〇口径重機関銃に交換を終えていた。その横にどデカい弾薬帯を修めているであろう鉄箱を据え付けると、カバーを開いて弾薬帯を差し込む。初弾を込める装填レバーを引き切った。

「掃射、来ます!」

 フレデリカの声はもはや悲鳴に近い。

「ええい、あんちくしょうめ!」

 ケリーはハンドルを左右に切り、ガーニーを蛇行させる。素早い左右の移動で弾幕をやり過ごそうというのだ。

「ヘンリエッタ、私の手を掴んでください」

「すまない、助かるよ」

 流石に車外にしがみついての迎撃が今となっては無茶だと感じたのか、車内に移動しようとしたのをフレデリカは手を引いて助ける。

 ちょうどヘンリエッタが車内に入ったときだ。

 左の後輪に重機関銃弾が命中した。続けて前輪にも着弾した。

 バランスを失い、ガーニーは二転三転する。もみくちゃにされながらも体を強く打たないように、三人はうまく受け身を取っている。ガーニーは石畳の上を三メートルも滑り、とどめに一回転して止まった。

 すかさず残骸から這い出て、最下層の街並みに隠れる。あのままガーニーの残骸にいれば、丸ごと五〇口径重機関銃で蜂の巣にされるのがオチだ。

 重機関銃を搭載したガーニーが止まる。遅れて水冷機関銃を積んだガーニーが二台。車両一つにつき五人のアルバニアン・マフィアが乗っていたらしい。十五人近い男たちは三人を探すべく、各々の得物を携えて周囲を警戒する。

 たまたまフレデリカが隠れた近くにヘンリエッタもいた。小声で状況を話し合う。

「フレデリカ、やつらはドライブ・バイ用の軽火器と降りたとき用の重火器の二つを持っていたようだな」

「散弾銃に自動小銃……骨が折れそうです」

「下手をすればガーニーの機関銃を使われる可能性もある。とくに五〇口径のほうは注意しないとな」

 ケリーも下手に動けないのは同じだ。

 このまま膠着状態だと誰もが思っていた。

 突如、重機関銃を車載したガーニーが爆発する。四人ほど巻き添えを食らって吹き飛んだ。

 さらに男たちが六人ほど集まっている中心が炸裂した。よく見ればわずかに紫電を帯びている。

「心強い味方が来てくれたみたいだな」

「デリンジャーさんですか」

「ケリーが攻め込んだらしい。私たちも行くぞ」

 遠距離から超電磁砲による援護射撃だ。それができるのはジョン・デリンジャー以外にいない。

 ケリーとフレデリカが掃射を行い、ヘンリエッタが狙い澄ましたスローイング・ダガーの投擲を行えば、残る男たちは五秒もしない内に倒された。

 数分後、デリンジャーがガーニーに乗ってやって来た。追手の来ない内に乗り込み、ケリーがハンドルを握った。

 車内はしばらくの間、沈黙が支配していた。誰もが口を開かなかった。

 フレデリカの内に渦巻く感情が何なのかを、誰もが図りかねていた。箝口令を布くほどに俯いた美貌から垂れ流されるだけの思念は、それだけの重みを持って車内に満ちているのだ。

「私、決めました」

「……助けに行くのか」

 鉛めいて重くなった口をデリンジャーは精一杯開いた。

「はい」

 フレデリカの返答ははっきりと、快活に口にされた。俯いていた美貌は上がっていた。

「力を、貸してください」

 意を決して言葉にした。自分の胸中に巣食った感情の浅ましさ故か、どこか声音に後ろめたさが含まれている。

「私はサイファーにいなくなられると、明日の仕事にも困る身でね。喜んで力を貸すよ。友達の頼みでもあるし」

「ありがとうございます」

 思わずヘンリエッタの両手を握る。

 ヘンリエッタのほうは微笑みを投げかけられたせいで、少しの間フレデリカの顔を凝視してしまった。

「……無自覚な分、たちの悪い子だな。こうなると、いやでも降りるわけにはいかない」

「控えめに見えてハッキリとものを言えるんだな。いいだろう、ファミリー総出で救出してやろうじゃないか。あのデカい囚われの愛しい騎士様を」

 デリンジャーはファミリー総出で協力する意を示した。きっと他の構成員も名乗りを上げてくれる確信が不思議とあった。現にケリーも死力を尽くして協力するつもりなのだ。

「サイファーさんは、私にとってそういう人じゃありません」

「今はそうだろう。これから、となると話は違ってくる。なにせ男と女だからな、一分先だってわからないものだ」

「サイファーさんと同じくらい意地悪です」

「類は友を呼ぶ、というのかな? サイファーが教えてくれたんだが、いかんせん東洋の諺だからな」

 これから凄惨なる戦いが待っていても、調子は軽く話は弾む。

 フレデリカはサイファーを取り巻く人間関係を構築する何かに、思いをはせていた。『実力行使請負業』という普通ではない稼業に従事し、人並み外れた巨躯に似合わず、良くしゃべって良く動く。女性をからかうのが好きな、子供めいた男。

 なのにデリンジャーは参戦を決めた。ヘンリエッタも雇用主の危機とはいえ、尋常ならざる戦いに身を投じる決意を固めたのだ。

 きっと強さにあるとフレデリカは思った。味方としていてくれるだけで、まるで自分が世界最強にでもなったような錯覚さえ与えてくれるほどの安心感。それがいつしか人を集め、今の関係を築いたのだろうか。

 そう想う自分も、彼の与えてくれる安心感にあやかっている。

 だから、その分何かを返してあげたい。

 返さずには、いられない。

 ――だから奪った、あの人たちは。

 

 ――殺してやる。

 

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 叩き落とされる感覚で目が覚めた。

 五体満足、装備に衣服まで無事なことを確認してからサイファー・アンダーソンは立ち上がった。

 あの時、重臣を掴んだかと思ったが、あれはウォルターが己の魔技を以て生み出した糸人形だと思った瞬間に意識を失った。直前に感じたのは自分の力が己の制御下にありつつも、他者の手に落ちたように沈黙した感覚だ。

「野郎、糸を僕の神経系に食い込ませて、脳の命令系統を掌握しやがったか。さて、どうやって対策を立てようかな? 前に血管から肉体を操ってくる奴がいたから、血に力を混ぜたんだが。さすが神経となるとなぁ」

 言ってしまえば自分の力で自分を締めるようなものだ。柔を理とする武術の中には、それに技をかけるものの力を加えてさらに威力を上げるものがあるのをサイファーは知っていた。

 武術とは自分以上の暴力から身を守るための理。だとすればウォルターがサイファーに行使した技も、田由真む技巧の洗練の果てに達した、圧倒的な暴威を制する武なのかもしれない。

「しかし、ここは…………あの爺さんの中か。千人以上もの命をストックするためとはいえ、ずいぶんと広いな」

 それは一つの村だ。

 しっかりと現実の大地が存在し、青空には太陽が昇っている。どこか牧歌的な風景なのは、重臣の趣味なのだろうか。

 サイファーは悠々と歩きだした。村というからには家があり、そして家には人がいる。異常な世界ではあるが、人が作り上げたであろうものが人界の営みを外れていることはあまりない。

 そんな希望を持って村に一歩を踏み入れた。

 足元に銃弾が撃ち込まれた。発砲音と撃ち込まれた角度から、村にいくつもある物見櫓からの大口径ライフルによる狙撃だと判断する。サイファーはコートの内に手を入れた。

「こういう時は武器の類はないと決まってるんだが……あの爺さんなかなかどうして親切じゃないか。いや、侮られてるとみるべきか」

 手に感じる愛用の『Howler In The Moon』の規格外の重みが心強く感じるのは、ずいぶんと久しぶりだ。

 家の陰に身を隠してみるものの、コートの裾を狙撃が掠る。遊ばれているな、と確信した。こうなってくると生命の危機より怒りのほうが上回る。直しようのない性分なのだ。

 とりあえず手近かつ、自分を狙える位置にある物見櫓に向けて炸裂焼夷弾を撃ち込んだ。ホーレス特製の弾丸は着弾と同時に可燃性の粒子を周囲にまき散らし、それらが一斉に引火することで並の手榴弾以上の威力と加害範囲を誇る。

 火柱と爆轟を上げて木製の物見櫓は派手に吹っ飛ぶ。業火に包まれた狙撃手が手足をばたつかせながら、冗談じみた距離を吹っ飛んでいく。

「そういえば、あの爺さんは千と少しの数が中に入ってるとか言ってたな。下手をすれば、それだけの数を相手しなくちゃならんということか」

 家の陰から飛び出し、村の中を駆け出した。

 同時にタイミングを若干ズラしつつ、物見櫓からの狙撃が殺到する。

 それをあろうことか超人的と言っていい疾走を地面から、なんと村の家々の壁にシフトし、地面と平行になって走ることで回避した。たとえ百人を射殺した歴戦の狙撃手であろうと、壁を使って地面と平行になって走り抜ける存在は撃ち抜けるだろうか。人知を超えた超三次元機動の前では、コートの裾にさえ弾丸は掠らない。

 村の中心部に到達した辺りで、サイファーは宙へと飛んだ。巨銃には炸裂焼夷弾が装填されたままだ。

 ジャンプの高度は六メートルを優に越した。棒といった道具を使っても不可能といえるような高さを、難なく飛んでしまうあたり、真っ当な人間ではないと確信できてしまう。

 空中で身を翻し、雷鳴めいた銃声が八回も轟いた。物理学上、いかに空中で身を捻ったり捩ったりしてもじたばたするだけだが、サイファーは発砲の反動をうまいこと方向転換のエネルギーとして使い、見事に物見やぐら全てに炸裂焼夷弾を送り届けた。

 火柱はほぼ同時に上がり、狙撃手はすべて倒された。

 鬨の声が上がる。家々から明らかにならず者といえる連中が躍り出てきた。手には大型の自動拳銃から、無骨なマチェットまで。武装はバリエーションに飛んでいる。さらに遠くには五〇口径重機関銃に三脚を付けたものを土嚢の上にのせている。

「こいつら全部があの爺さんに取り込まれた命ってか……ここでやられちゃったら、僕も彼らの仲間入りということかな?」

 サイファーはさらに野太刀を抜いた。『Howler In The Moon』があるのだから、野太刀もあるだろうと思っての行動だ。

 巨銃は左手に持ち替えて、そのまま灰色のロングコートの内側に。それから野太刀を正眼に構える。テンガロンハット、ロングコート、白いシャップス、ジーンズにブーツと格好はふざけているが、佇まいと放たれる気迫は間違いなく極東の島国に伝わる剣術の達人であると物語っている。

 そのままサイファーはあろうことか五〇口径重機関銃に向けて跳躍した。

 灰色のロングコートは魔物の翼めいて翻り、目の当たりにしたものに戦慄を振りまいた。

 重機関銃までの距離は五〇メートル以上あったが、家々から出てきた荒くれ共は誰もが仁っ跳びで行けると確信している。それは重機関銃の射手とて同じだ。半ば半狂乱になりつつも、狙いは外さずに連射を叩きこむ。

 弾速は音速の三倍、威力は大の男だって真っ二つになる剛弾。それはサイファー相手だろうと、その破壊力をいかんなく発揮するかに見えた。

 その巨躯の周りに散る火花を目の当たりにするまでは。

 銃弾を野太刀で斬り落としていたのだ。濡れた薄紙でも裂くように、鉛に銅の被甲を施した五〇口径重機関銃弾は両断されて地面に無残な姿となって転がる。

 射手は完全に狂乱した。逃げることも忘れて、迫りくる悪魔を撃ち落さんと引き金を引きっぱなしにしたまま。

 ――唐竹一刀。

 射手は重機関銃ごと頭頂から股間まで一刀両断された。血の一滴も垂れぬまま、真っ二つになったかラファが地面に触れた瞬間を皮切りに、地面を血肉が染め上げて汚しつくす。

「さぁて」

 振り返った。野太刀の五尺は確実にある刀身も、二メートルを超す巨躯も血に染まっていない。

「根競べかな?」

 おどけたように言って、笑った。

 荒くれたちは怖気づいていたものの、敵意の炎は赤々と燃えている。

「最悪、()()を吹っ飛ばすか」

 冗談じみた内容だが、瞳は真剣そのものであった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 決意を告げ、心強い協力者を得てから二日が経とうとしていた。

 フレデリカは一度、第十二層の自宅に戻ってから、あの射撃練習場で十にもなる弾倉を空にしている。

 腕を鈍らせないためだ。

 ヘンリエッタも協力してくれている。

 右手に握ったコインの数は全部で十。それらを乱暴に投げた。距離は一番近いコインでも三〇メートルは離れている。

 銃声は二挺を使って十回。『All In One』は四回、『One In All』は六回の銃声を上げた。

 小気味よい音を立てて、十枚のコインが地面に落ちる。すべて無残にへしゃげている。

「宙に舞ったコイン全てを撃ち落すか……これは私も超えられてしまったかな?」

「経験では負けてます」

「この世界は力がすべてなんだが」

「経験だって力ですし、戦い方の違いも力だと思いますよ?」

「どうやら口でも負けてしまったらしい」

 ははは、とヘンリエッタは笑った。この自分にはない快活さともいうべきものが、フレデリカには羨ましかった。それがあれば、少しは自分の太陽の下を胸を張って歩けただろうかと思う。

 いまだ熱を放つ空弾倉に目を向け、それから銃把を握る己の手を見た。あるべきであろう拳銃ダコは微塵もなく、滑らかでハリと潤いを湛えた繊手だ。少しずつ人間の弱さを捨て、少しずつ怪物の強さを身につけつつある我が身が恐ろしかった。

 これだけ力を研ぎ澄ましたとしても、サイファーを救い出すには足りないのかもしれない。

 だが、それは問題ではない。

 実力が足りない。だが問題ではない。

 救い出せる保証もない。だが問題ではない。

 逃げ帰れる可能性もない。だが問題ではない。

 できるか、できないか。そんなレベルさえ通り越した。思いつくことは全て些細で、問題にすることでもないのだ。

 フレデリカはやると決めた。あとはやるだけ。単純明快だ。

 それから二人はホーレスの銃砲店を訪れた。

「私は、ここの店主が少し苦手だ」

「私も苦手です」

「フレデリカは何をされたんだ」

「身長とスリー・サイズ、それに足のサイズもバラされました」

「私は体重までバラされたんだぞ」

「それをサイファーさんに聞かれました」

「心中お察しする」

 その一方で、このスローイング・ダガーとナイフしか使わない親友が、銃を扱うホーレスの店に何の用があったのだろうと思っていた。少々、思考回路が常人とはまるで方向性が違った気狂いだが、己の信念に基づいて最高のものを作り上げる職人だ。だが用のない人間は、きっとそっけなく接するのだろうとフレデリカは思っていた。

 扉を開けると店内は薄く霞が掛かったようになっていた。店主のアン・バランスな鋼鉄の腕から放たれる高圧蒸気が、店内の建材や商品の銃に一切の干渉をせずに空中にわだかまっているのだ。物理学を超えた現象は、生粋のアーカム民でなければ骨の髄まで驚愕が走り抜けるだろう。

「来ると思っていたよ」

「必要だったので」

「あの男のために私のところを訪れるとは、やつも随分と罪作りな男だ」

「サイファーさんは、そういう人じゃありません」

「ああ機嫌は損ねないでくれ、彼方なる者の姫君よ。黒き幻想を振りまく踏み越えし者のために力を振るうというのであれば、最高のものを用意するのは道理というものだ」

 店の奥に消えたかと思えば、少ししてから二つの一抱えもある黒革のケースを持ってきた。形は二つとも違う。一つは大きめの旅行鞄といえるもので、もう一つは異様に横幅が広い。フレデリカの身長くらいありそうだった。

「開けてみても?」

 小首をかしげて聞いてみた。

「いいですとも」

 ホーレスの、どこか人間らしくない顔が微笑みの形をとる。

 フレデリカは旅行鞄めいた方を開ける。

 中に入っていたのは衣服だった。最初に目についたのはナポレオン・コートの意匠を持ったダブルブレストの黒いコートだ。

「更衣室はあちらだ。なに、覗きはせんよ」

 その言葉を信じることにした。なんだか男性的な性欲といった問題からは、無縁そうに思えたという勝手な理由で。

 二〇分後、着替えを終えたフレデリカが出てきた。

 薄桃のブラウスと濃紺の膝丈スカートを基本とし、革製のコルセット、黒い編み上げブーツ、さらに揃いの白いストッキングには金糸で蔓薔薇の刺繍が施されている。適正サイズの下着まで用意されていたのか、二つ下のサイズの下着によって抑えられていたたわわな肉の果実はその大きさを一層増している。着飾っていながらも、戦う者の印象を与える。その上からフレデリカはコートを羽織ったことで、ついに完成した。

「似合っているじゃないか」

「そう……ですか? でも、思った以上に動きやすいですよ」

「デリンジャーのところにいるキャサリンという女がデザインし、私が夢幻の地で材料をかき集めて縫製したのだ。このリボンもつけておくといい。そっちはすべて私が作ったがね」

 ホーレスの歪んで巨大な鋼鉄の腕が、もう一つのケースを指さした。

 受け取ったリボンは空色。フレデリカは左右の髪を三つ編みに結って、ハーフ・アップの形をとった。もともと顔立ちがティーンに見えるだけあどけないだけあって、ヘア・スタイルをチェンジしたことでそこに清楚さが加わった。コートの黒に、流れの変わった黄金をそのまま紡いだような金髪が流れる。

 そのまま、もう一つのケースも開け放った。動作の所作一つ一つに言いようない神秘が秘められている。留め具を外すのも、蓋を開けるのも、すべての動作が理想的な美しさというものを孕んでいた。

 ケースに入っていたのは大きなライフルだ。それも異様にデカい。

「七〇口径半自動式砲(セミオート・カノン)『Song For Fog』だ。全長一五四四ミリ、重量は十七キロもある。だが今の君に使えないことはないだろう。空砲を使えば、専用の小銃榴弾(ライフル・グレネード)を使うこともできる。作動はガス圧作動方式、銃身の交換は慣れれば一分もかからない」

 一般的なライフルとは形態が少し違う。曲銃床ではなく、各所を調節できるサムホール・ストックを使い、機関部も洗練されたデザインからは数十年後の未来のものと思ってしまう。巨大なマズル・ブレーキは小銃榴弾を扱う上でのアダプターの役目も備えているのだろう。

「では行ってくるといい」

「わかりました。必ず連れて帰ってきます」

 そしてホーレスの店を出たときだった。

 二人の足元に銃弾が叩き込まれた。

 パンキッシュな風貌の男だ。ダスターコートを袖を通さずに羽織り、腕は装甲板で覆っている。手には妙な武器が握られている。傍目には短機関銃に見えるが、それは機関部の下半分で、上部にはゴツいリボルバーを据え付けたように見える武器だ。

「そうは問屋が卸さねえぜ。俺はクラントン。今日をお嬢さん方の命日にしてほしい人がいるんでな、悪く思わんでくれ」

 そう言って武器の銃口を向けた。睨んだ通り、短機関銃としての銃口が下部に、リボルバーの銃口が上に来ている。それが二挺、よって四つの銃口がフレデリカたちを捉えている。

 ゆっくりと、二人は自分の得物を抜いた。


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