享楽刹那に蒸気幻想譚   作:大菊寿老太

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血戦、死の舞踏を鋼と共に

 上階での騒ぎを狂碩学の耳は聞きつけていた。

 そのこめかみに浮かぶのは憤怒の青筋。忌々しげに歯ぎしりをする。

「この研究は邪魔させん。邪魔させんぞ」

 幾たびの濾過と化学処理を通されて、真っ白な洗い粒の薬物を見つめる。

 狂碩学の叡智を文字通りに結晶としたものだ。彼はこれを周辺の区域に売人を通して違法薬物として捌いている。あくまでも快楽性を高めるための薬物という形ではあるが、本質は大きく違っている。摂取したものは受け入れる体質を持ったものだけを生かす。原料として入れた忌々しき生命の欠片が、受け入れるに足るかを選定するのだ。見初められた者には力を、あぶれたものには等しく死を。

 選定に選ばれたものこそ、新時代を生きるに等しいと狂碩学は確信している。

 妄信と言ってもいい根拠を欠いた確信だったが、どうあがいても敵うことのない碩学のため。その権能が見せた未来を回避するために、世を作る人類すべての改造に狂碩学は踏み切った。

 人間すべてが『自分こそ正しい』と思い込み、既得権益のために万人に受け入れられるヒューマニズムを騙り、反するマイノリティを排斥する。確固たるアイデンティティを持たぬ者が大都市にはびこり、右に倣えとロクに考えもせずに行動する。

 だからこそ狂碩学たる自分が新人類を生み出す。今ある人類が想像した新人類を駆逐するなら、それも僥倖だ。どっちにせよ今ある試練も、これから与えていく試練も、今の人類が乗り越えていけば見せられた未来は回避できる。それこそが与えられた使命であり、命を投げ打つほどにやりがいを感じる生き甲斐だ。

「お前は儂を守るためにいるそうだな。いささか頼りないように見えるがの」

「私の技に力は必要ありません」

「見た目通りではない、というのは飽きてきた」

「あの男のように、見た目以上というのをお気に入りですか?」

 狂碩学は真っ白の顎鬚を撫でる。浮かんでいる表情は歓喜だった。

「そうだな、あの男はいい。とてもいい。数多の屍の山を築き、血の大河を流す。刺客を差し向ければ差し向けるだけ殺す。アルバニアンはきっと無事ではすまんよ。もっと死ぬ」

「ええ、十二分に警戒すべき男です」

「あの男に勝とうと思うな。本来であれば死しているはずが、いかなる手を使ったのか生きておる。出し抜く方向で行け」

「言われなくとも」

「ならいい」

 この狂碩学はサイファー・アンダーソンという男の過去を知悉しているのか。

 眉間のしわは忌々しげに深く刻まれているが、口は狂気の成せる笑みでつり上がっている。目は歓喜の色で爛々と輝いて、人ではない何か別の生物を彷彿とさせる。

 その近くで培養槽がごぽりと気体を吐いた。生物を培養しているのではなく、出来上がっているのは巨大な結晶だ。光を吸い込むほどに青黒く、そして禍々しい。見つめているだけで健常な精神が犯されていき、この世に存在してはならぬ化合物だと確信できる。作り上げた人間は確実に正気の世界と決別し、狂気の世界にとうの昔に旅立っている。

 その成長を血走った眼で狂碩学は見つめた。

 完成した暁にはアーカム全体に、この結晶から精製した薬物をばらまくことができる。

 作られた新人類と旧人類の戦いの果てに新時代(ニュー・エイジ)の幕が開く。見せられた未来を回避した新時代が。

「根競べだ。儂をねじ伏せてみろ、叩きのめしてみろ、化物(サイファー)

 

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 硝煙を纏わせたまま、女は一歩一歩進んでいく。

 周りに霧がまとわりついているように錯覚する。妙に大きな足音と重心の位置から真っ当な生身ではないことはうかがえる。その周りを鋼の甲冑たちが固めている。

 甲冑の歩みは重厚だ。鋼鉄の四肢の内には人外の馬力を生み出す大出力の機関が埋め込んであるのだろう。

 機関騎士の力は強大だ。それこそ幻想生物と並び称されるほどに。

 街中で見かけたのと同じ型なのだろう。機械剣は臨戦態勢を整え、搭載されている噴射機構はわずかに振動して駆動している。

 彼らを従える女とて普通ではないのだろう。

 わずかに体にどこかに搭載した数式機関の駆動音が聞こえる。空間そのものが震えるような独特の音だ。

 彼女の視線は一身にサイファーへと注がれている。目の前の偉丈夫をどのように料理するかを夢想し、すでに脳裏では悲惨な死体に成り果てているのだろう。

 耳まで裂けている、と思うほどの狂気がなせる笑みが証拠だった。

「フレデリカ」

「わかってます」

「あんなブリキどもに後れを取るような女じゃないことは、僕だって十分わかっているとも」

「あんな女にやられないでくださいね」

「もしかしたら一回か二回は蜂の巣になるかもな」

 女はたおやかな手を振り下ろす。

 一斉に騎士たちが背中から圧搾蒸気を噴射した。足底の球体車輪によって変幻自在の軌道を行いながら、銃弾並の速さで縮地していく。

 フレデリカは二挺を抜いた。

 毎分一〇〇〇発もの速射を『All In One』は吐き出していく。人間であれば命中箇所は確実に四散し、ショックで血流は逆流して即死するだろう。

 だが鋼の鎧は揺るがない。そよ風でも吹いたように表面には傷一つ、煤一つとしてついていない。

 その頭上を灰色の影が飛び越していった。同時に幾重にも輝線が走る。

 真っ二つにずれた二体の騎士から噴き出したのは褐色の機械油と、同じ色に薄く染まった蒸気。断面からわずかに温存されていた内蔵と機械部分が雪崩れ落ちた。

 サイファーはすでに野太刀を抜き放っていた。そのまま落下の勢いも乗せて渾身の一閃を放つ。

「ガンマンかと思ったらサムライなのね。いや、今のあなたはローニンかしら」

 女はわずかに身を引いただけで避けた。その鼻先から一寸もしない所を、豪壮にして鋭き白刃が通り過ぎたというのに。この中では命のやり取りというものにサイファーと同じくらい慣れているのだろう。

 刀を翻し、八双の構えに移行。

 視線を向けずともフレデリカが残る機関騎士たちの相手をしていることはわかっていた。信じて任せることにした。

「僕をご使命とはね。男冥利に尽きるってモンだ」

「妬いちゃうんじゃない?」

「誰が妬くんだ?」

「わかっているくせに」

「あいつがそういうタマかよ」

「女はいつでも仮面をかぶって美しくなっていくのよ」

「お前さんは両手両足というわけかい?」

「あら鋭い」

 たおやかな右腕に異変が訪れた。傍目には体温の通っている健常な腕に見えるが、展開ギミックが作動した瞬間には八つもの銃身を有する殺人兵器と化したのだ。口径は貫通力を重視した二二口径が四門、衝撃力を優先した五〇口径が四つだ。

 二の腕はつつがなく弾丸を供給するための弾倉が突き出て、装填と排莢の機構を外部動力にするための淡い光を放つ数式機関が装備されている。

 銃声が空気を震わせ、弾丸が大気を切り裂く。発射速度は毎分二〇〇〇発を優に超えている。

 弾幕というよりは弾壁に等しい。点を寄せ集めた面制圧を、この女は単身でやってのけているのだ。二種類の弾丸は工場の固いモルタルの床を撃ち砕き、薄い鉄のコンテナを易々と引き裂いていく。

 長大な白刃が翻る。ぎらりと煌めきながら優美な曲線を描く刃は、瞬き一つの間に数十にも振るわれて弾丸を切り落とす。床を埋め尽くす勢いで二つになった二種類の弾丸が転がっていくが、小気味いい金属音に交じって一発だけ鳴り響く雷鳴に等しい銃声。

 『Howler In The Moon』より放たれた四〇〇グレインもの巨弾は塩水を描くように螺旋状の軌道を描いて女へと飛ぶ。特製の変則弾道弾だ。ホーレスによって作られたこの弾丸は、射手の念を受けて曲線的な軌道も幾何学的な軌道も思いのままに飛ぶ。直線的に飛ぶ通常弾では弾壁によってあえなく撃ち落されると踏んでの選択だ。

 それさえも女はわずかに動くだけで避けた。銃口の位置からおおよその着弾地点を予測したうえで、安全圏に少しずつ移動していたらしい。外れた弾丸はコンテナ一つを悠々と吹っ飛ばし、その向こうのコンテナにまで大人の頭大の大穴を開けた。

「なんだ。案外拍子抜けじゃない」

「最近になって搦め手も使うようになってね。小細工も使わないと僕のような男は生き残れない」

 そういってシリンダーをスイング・アウトした。空薬莢だけを捨て、撃ってない弾丸はコートのポケットに突っ込んだ。

 新たに装填するのは機関改造者用の弾丸だ。弾頭重量二〇〇〇グレインものとんでもない代物だ。装薬に至るまで特別製で、薬莢の肉厚も相当だ。ただ流れ弾といった問題を考えると仕様は躊躇われる威力だ。

 コートの内側から手のひらサイズの鏡を取り出した。それを見ながら狙いをつけるのはたやすいことだ。

 大型マズルブレーキが青白い発砲炎を噴き出した。発砲で空間全体が震えたと錯覚してしまうだろう。

 大型のカノン砲が直撃したに等しい。四段も積み上げられたコンテナが一気に吹っ飛んだ。

 サイファーは駆け出した。地を這う蛇のようにジグザグに低姿勢のまま縮地する。

 女の残る手足は異様な動きを示す。左腕は大口径の圧縮蒸気砲へと変わる。両足は九ミリ連装機関銃を備えた逆関節の機械的なものに変貌する。

 高速機動には向かない逆関節型の義脚は姿勢の固定には抜群の効果を発揮する。だから一斉掃射の反動など意に介さない。

 大量の銃口から視界を埋め尽くすほどの弾丸をサイファーはどう捌くか。コートの右そでが漆黒へと染まっていき、あらわれるのはクノウトを思わせる鞭状の闇。異様な密度を保ちながら動き回り、野太刀と共に迫りくる弾丸のことごとくを叩き落としていく。

「アッハッハッハッハッハッハッ! やっぱり教えられたとおりだったわ! まさかあの時の化け物が生き残っているなんて!」

「その身体、しっかり覚えているぜ。しこたま新大陸の反乱軍どもをハチの巣にしたヤクでもキめたバカ女がいるってな」

「その通り。個人単位で一個大隊の火力を得る身体なんて、私にピッタリでしょう?」

「一発撃って当たらねば十発撃ち、十発撃って当たらねば百発撃つ。素晴らしい設計思想だな」

「その力、流石は『女王陛下の魔犬(バスカヴィル)』というだけはあるのかしら?」

 返答は銃弾だった。今まで大量の九ミリ弾を撃ちまくっていた右足は跡形もなく吹っ飛んでいた。

「僕をその名で、呼ぶな」

「……今まで、どうやって生き延びてきたの?」

「死にたくなかっただけ。僕が生きてる理由はただそれだけ」

 撃鉄を起こす音が鳴り響いた。どこかでフレデリカと騎士が交戦する音が聞こえているが、それだけは嫌にはっきりと響く。

「あなたも死を恐れているのね」

「まぁ、知り合いは『生も死もペテンだ、まやかしだ』とぬかしたがね。結局のこと死と隣り合わせになって、懐かしいあの時のことに浸っていたいだけだよ」

「男ってホント、ロマンティストよね。でもそうよ、死を感じていないとあなたも私も生きていられない。一度でも命のやり取りをやってしまえば、市井に生きる一般人の道は二度と歩めない。だから私はここにいる」

「あるのはただ一つ。境界線に跨ってる公僕に処分されるか、今のように共食いだ」

「あなたに殺されるなら、少しはマシね」

 クンとサイファーは首を傾けた。そのすぐ横を物理的破壊力を持った圧搾蒸気が飛んでいった。秒速二三〇〇メートル、その温度は六〇〇度に迫る。生身の人間がもろにくらえば、大型のガーニーに跳ね飛ばされるのに等しい衝撃で吹っ飛ばされながら、高温の特殊な攻撃用圧搾蒸気によって全身やけどは避けられない。

 自慢の殺人兵器を紙一重で避けた彼に、思わず女は称賛の口笛を吹いた。

 次の瞬間、五体はすべてバラバラになった機械部品となって四散した。ステロイドの人工皮膚の下もすべて機械だった。考えれば無理もない話だ。両手両足の戦闘用機関搭載義肢の重量を支えるにはリン酸カルシウム主成分の生身の骨格では不可能だ。

 ただ頭部だけは機械油とは違うものを垂れ流している。少しだけ、肉も。

「脳が残っているから人間なのか、それとも意志があるから人間なのか。どのみち人殺しのための身体を抱えては、長生きできんだろうに」

 物悲しそうに呟いた声は、響くことはなかった――どこにも。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 フレデリカの背筋を冷汗がなぜる。

 単独で相手した中では最大戦力だ。相手はとっくに人間をやめて機関騎士に生まれ変わっているベテランで、こっちは変化してから一月と少ししかたっていないルーキーだ。

 ただ経験は工夫で埋められる、教えられた技で埋めることができるのだ。

 狙うは関節部。柔軟な駆動を必要とする以上、装甲を配することは不可能なのだ。

 狙いも定めぬ連射のように見えて、フレデリカは遅延した時間の中で跳ね上がった銃身を次の連射が来るまでに余裕をもって直し、照準を再び合わせている。傍目には毎分一〇〇〇発ものフルオートを狙った箇所に、それも寸分の狂いもなく撃ち込んでるように見えるだろう。

 騎士は速さを以て対処した。球体車輪がもたらす変則的な二次元軌道を、腰だめに機械剣を構えたままこなしている。縦横無尽に動き回られては狙いもつけ難い。

 その攪乱の中で必死に殺意を読み取ろうと試みる。

 しかし人体の大半を機械化されているとなれば放たれる殺気も薄まるのか、感じ取れるものは皆無に等しかった。あるいは戦闘補助用として情報処理に使われている階差機関によって、ほぼ自動的な戦闘行動をとっているからかもしれない。

 その時、ピンと感じる者があった。

 振り向いたときには眼前に機械剣の赤熱した刃が、峰に配された噴射口から圧搾蒸気を噴射して迫っていた。

 反射的に仰け反って避けた。あやうく胸を持っていかれそうになって、つくづく大きすぎる自分の胸に辟易してしまう。こういう時には、やっぱり邪魔だ。もう二回りくらい小さければ、格段に動きやすくなるのにと世の女性が血涙を流すようなことを内心で思っている。こういう時にこそ、余裕は持っておくものなのだ。

 だから二挺の狙いも容易くつけられた。

 『All In One』は首の後ろを。

 『One In All』は剣を握る右手の肩関節を。

 銃火が弾け、弾丸は装甲をかいくぐって狙った場所に撃ち込まれた。機関騎士の首の後ろには、先述した階差機関が埋め込まれている。ここをやられれば体を動かす度に大脳への過負荷によるオーバーロードの危険が出てくる。おまけに右肩の肩関節を破壊したことで、剣をぶんぶん振るわれる心配は永久に去った。

 さらに立ち上がれないように両膝まで撃ち抜いた。

 ここまでやればさすがに戦意喪失するだろうと見込んでいた。

 その安堵を狙ったように左手が跳ね上がった。機械にしかありえない挙動で、腰をぐいんと回して五〇ミリ旋条砲を向けた。五体もそろえて一斉射撃すれば軍艦さえ鎮める威力だ。目の前にいる神もメモ金色のこの世にいるとは思えない美貌の少女――実際は成人を迎えてはいるが――など一発あれば十分だ。

 ――それも読んでました。

 その呟きと左手に握る拳銃が跳ね上がったのを、騎士は知ることはなかった。

 『One In All』より放たれた四五口径弾は旋条砲の内部へ入り――。

 複数の爆発がほぼ同時に起こった。旋条砲の薬室に装填されていたのは対人ぶどう榴弾だ。発射されてから銃口近くで拡散し、人間であればまとめて三人を跡形もなく木端微塵にする十ミリ小型榴弾を二〇個も前方一八〇度の範囲にばら撒くのだ。それが機関騎士の左腕の内部で炸裂し、左半身を跡形もなく吹っ飛ばし、ショックでわずかに残ってした生身の部分は機能停止する。

 階差機関を潰したからこそ、土壇場の反撃で放たれた濃密な殺気をフレデリカは感じ取れた。もし反応が一歩でも遅れていたら拡散した榴弾の餌食となっていただろう。

 どう、と音を立てて倒れた騎士を見た瞬間、全身を悪寒が襲った。

 殺気を感じたときに似ているような気がするが、これのほうがもっと強い。

 何かが身を叩いたようにフレデリカはその場に屈む。背後のコンテナが斜めにずれた。そのまま断面を滑っていき、腹の底まで響くような音を立てて落ちた。

 何だ! 何を使った!

 正体のわからぬ兵装はフレデリカの周囲を飛び回っている。空気を裂く音が周辺の空間で何度も鳴って、避けようのない死の気配が忍び寄っていく。

 とにかく周りを見回して兵装の正体を探ろうとする。

 何もない虚空を見つめるだけだったが。後ろからの濃密な殺気を感じて飛び退いた。遅れてぴゅうと空気の裂ける音。さらに遅れて地面に一直線の斬線が走る。その延長線上にあるコンテナももれなく真っ二つだ。

 続けて変形して五〇センチ砲と化した左腕を発砲した。

 装填されていたのは対人ぶどう榴弾だ。砲口から少しだけ直進したのちに、弾殻が弾けると同時に20個の小型榴弾が拡散する。

 死をもたらす小さな花火を自分に当たるものだけを選んで撃ち落とす。爆轟と熱波が晴れた後、二挺を携えてフレデリカは揺らぐことなく立っていた。やや癖がありながらも流れる金髪も、同じ色の双眸も、目映いほどに騎士の脳に焼き付く。

 それでも騎士はほぼ機械的に縮地の動作を行った。装甲が非常に重いため、地面を蹴るのではなく、足の底にある球体車輪を用いたものだ。背部噴射口から圧縮蒸気を噴射しての移動は時速二〇〇キロ超だ。鈍重な身体は三〇〇キロを超えるために掠るだけでも、重傷は免れない。

 びゅう、と空気をうならせて機械剣が一閃した。身長差と潜り込んで回避することを考慮して、斜め下に振り抜く。

 フレデリカは懐へ滑り込む。それでも顔を削がれることは避けられない。だが死の刃を低姿勢を保つために腹に着けるようにしていた二挺を、機械剣の刀身の腹を打つように跳ね上げた。音速以上の加速を持っていたがために、軌道を逸らすのは逆に容易かった。

 その時、騎士の重厚な肩部装甲から妙な駆動音がしたことを、フレデリカの耳は聞き逃すことはなかった。

 またもや見えない兵装が周囲を包んだことを本能的に察した。少し前までは備わるとも思わなかった戦闘者としての長直感ともいうべき勘は、確実に危険から遠ざけている。だが周囲一帯を取り囲む不可視の兵装が相手となれば、頼れるものは五感に頼らぬ察知のみ。

 嵐のごとく不可視の何かが駆け抜けた。

 かまいたちが幾重にも重なって通り抜けた。そう錯覚するほどに何もかもがことごとく切断され、細かい破片となって辺りに散っていく。ここまでやられれば生きているものなどいるはずがない。

 だが騎士の耳は発砲音を聞いただろうか。コンテナが切断され、崩れ落ちる音。切り抜かれた屋根が落下する大音響。鉄筋の失墜する大音響に紛れて聞こえることはなかった。

 ――集弾。

 一度撃ち込まれた箇所に寸分の狂いもなく、立て続けに弾丸を撃ち込む。

 フレデリカはこの常軌を逸した絶技を騎士の肩部装甲に向けて放ったのだ。一度弾丸を受けて刹那の瞬間だけ脆弱性を露呈した装甲は、続く第二弾によって貫徹され内部装甲を破壊された。

 その瞬間、周囲にきらきらと煌めく何かが辺り一帯にわだかまる。

「金属製の斬鋼線(スラッシュ・スリング)……触れただけで指が落ちますよ」

 それは百分の一ミリ単位まで研ぎ澄まされた無数の鋼線だった。それは肩部装甲内部に隠された巻き上げと送り出しを兼ねたリールによって、宙を自在に舞いながら触れたものを有象無象問わず両断する兵装なのだ。

 今度は騎士の兜を集弾が襲った。必殺の武器をやられて呆然としていた時だった。

「終わったらしいな」

 その声がサイファーが無事だと物語っていた。彼自身の声なのだから。

 二メートル近い巨躯とガンマンのごとき風体を見たとき、フレデリカの心は一気に安堵で満たされた。

「結構、てこずりました」

「いいや機関騎士相手にあそこまで立ち回れて、さらに打ち倒すことができたんだ。充分満点合格花マルをあげてやってもいいくらいだ」

「少し買いかぶりすぎです」

「いいや、最初にあったころの貞淑で家庭的なお嬢さんだったころを知っていれば、十分に妥当な評価だと思うけどね」

「あの、サイファーさん?」

「いまやこんなに強くなっちゃって予想以上だ。本棚の官能小説もどんどん増えてくのも予想外だけどね」

「さ、サイファーさん!」

「なんか間違ったことを言ってたか?」

「いえ、違ってはいないですけど、でも、違うんです」

「一人でするときのオカズってわけか」

 支離滅裂な否定の代わりに思い切り噴き出した。

「図星か」

「……まさか無事だと思って安心したところに、こんな仕打ちを受けるなんて……」

 そしてサイファーのほうを見上げて、フレデリカはちょっと驚いてしまった。

 きょとんとした表情の彼と目が合ってしまったから。気づかぬうちに自分も同じ表情をしてしまっていた。

 沈黙が訪れる。

 ――一秒。

 ――二秒。

 ――三秒。

 プッと噴き出したのは――サイファーだった。

「ハハッ、『無事でよかった』か、そうかそうか」

 好々爺のように呵々大笑していた。これもフレデリカにとってみれば初めて見る表情の一つ。いつもの不適でシニカルな笑みとは、根本からして違う純粋な歓喜のみがなしえる笑顔だった。

「笑うなんてひどい。そういう人は、苦手で、嫌いです」

「わるいわるい……心配なんてされたのは、久しぶりだったからな」

 情に、飢えていたのだろうか。

 そう、フレデリカは思ってしまった。ヘンリエッタも、フランクも、デリンジャーも、心配するなんてことはなかった。きっとサイファーほどの強さがあれば、そんなものは無粋だと思っているのだから。

 でもフレデリカは違う。

 いなくなってほしくない。心の底からそう言える。理由は不確かであれど、要はそれだけ大切な人なのだ。

 幾度となく助けてもらって、世話になって、それらの恩に報いたいと思ったことは幾度とある。食事を作ったりするのも、こうやってサイファーの手伝いをするのも、根底に恩に報いたいという思いがあるからなのかと薄々思ってはいた。

 どんどんサイファー・アンダーソンという男の存在が大きくなっていく。

 ――きっと、驚いているのかな。

 ――私みたいな人は、きっと今まで会ったことないと思うから。

 胸中の呟きは運命のいたずらか――的を射ていることを知る由はない。

「だったら飽きるまで心配してあげます」

「それはそれで困るんだけどなぁ」

「私はあなたにからかわれて、いっつも困っているのですけど?」

「意趣返しってわけかぁ。参ったなこりゃ」

「自業自得の因果応報です」

「ぐぅの音も出ないな、そう言われちまったら…………ちょっと待て」

「え?」

「ちょっとの間、動かないでくれ」

 神経の全てを研ぎ澄まし、何かを感じ取ろうとしている。

 フレデリカも同じように試みるが徒労に終わった。榴弾の炸薬が発する臭いや高圧蒸気の独特な熱気が感覚を阻む。

「風が流れている」

「風、ですか?」

 戦闘の影響で工場内はとても風通しが良くなっていた。

 サイファーが大きなトン単位の鉄扉を蹴破ったり、銃弾が壁を穿ったり、斬鋼線が天井や床をぶった切りまくったせいで色々な場所から隙間風が吹き込んでいる。何かおかしな部分でもあったのだろうか。

「今のお前さんじゃわからんとは思うが、地下へ流れる気流が一つだけあったんだ」

「地下へ?」

「この工場はカモフラージュで、地下が本丸なのかもな」

 だが階層構造アーコロジーであるアーカムで、大規模な地下室は少し難しい。サイファーの自宅も地下に武器庫があるが、あれはそこまで深くはないし、面積もさほどではなかったはずだ。

 となると、だ。

 何かもっと恐ろしいものが待ち受けている気配を感じ取った。常識の薄氷を叩き割るような。

 歩き始めたサイファーの後に黙って続いた。何もしゃべることなく、ただただ足を進めるだけだった。だが足取りはなぜか重く感じられ、全身を正体不明の悪寒が抱擁している。冷汗が背筋に浮かんで、ブラウスに染み込むことなく背中を伝って流れていくのを感じた。

 サイファーはどうだろうか。

 こんな正体不明の恐怖など露ほどにも感じていないのか。あるいは感じてはいるが、恐れるに足らないのか。あるいは押し殺しているのか。その一切をサイファーの背中は感じさせず、揺るぎない足取りは変わらない。まるでマットシルバーのごとくタフさと鋭さを兼ね備えており、恐れなど緑錆が浮くごとく似合うわけがない。だからこそ野太刀と規格外の巨銃を扱うためのハードさがあるのだろう。

「ここか」

「……地下通路ですね」

 それは騎士が斬鋼線を振り回した中で偶然空いたのであろう。モルタルの床が切り抜かれ、そこから同じモルタルの地下通路が覗いている。凶獣が顎を広げ、その大口に獲物が飛び込むのを待っているようだった。

 思わず一歩後ずさってしまった。

 空気がまるで違っている。ここから先が、人界の常識倫理一切合財を冒涜する狂気の世界への入口だと理解した。

「本当についてくる気か?」

「……決めましたから、行きますよ」

「わかった、僕も全力を尽くす」

「でも……一回だけ手を握っていいですか?」

「僕で良ければ」

 差し出された大きな手を両手で包み込んだ。

 手のひらは日本刀や拳銃を握ったタコでごつごつとしていて、表皮も厚くて男性的な力強さを感じさせた。伝わってくる温もりが心強く感じて、いつでも戦える気になってきた。いま幻想生物が出てきたって単身かつ片手間に屠ってのける自信がある。

「いつでもいけます。大丈夫です」

「じゃあ行こうか」

 ひょいと抱えられた。

 ――え?

 ――なんでお姫様みたいに抱えるの!?

 そのまま床の穴へと飛び降りていった。地下通路の天井は割と高かった。

 照明は電灯があったものの、電力が来ていないのか点いてはいない。斬鋼線が電線を切断したのかもしれない。

「あの先を見ろ」

 視線の先には抱えられたことなど吹き飛ぶようなものがあった。

「…………抜け道!」

 暗いはずの地下通路でも嫌にわかった。下層のどこかに繋がっていることは、薄暗い屋外に繋がっていることから伺えた。

「こりゃ相手は相当なやり手かもしれんな」

「……行きましょう。できることからやっていきましょう」

「違いないや」

 意を決して二人は一歩を踏み出した。


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