午後には会長たちの相手をすると約束してしまったので、今日の泳ぎの練習はこの時間だけしか無い。出来る事なら今日一日みっちり練習して、明日少し沖に出てみる感じにしたかったのだが……まぁこればっかりは仕方無いだろう。
「やっぱり津田さんは大変そうですね」
「まぁ、もう慣れましたよ……」
「何か相談したい事があるなら聞きますよ。私も似たような境遇ですから」
「ありがとうございます。反対に何か森さんに相談したい事が出来たら、俺も聞きますので」
副会長、ツッコミ、そして周りがぶっ飛んでるという共通点からか、森さん相手には特に構える必要もなく話が出来る。こういった相手は高校に入ってからはあんまりいなかったな……
「津田君、こっちにキレイな魚が泳いでますよ」
「五十嵐さん、そっちは結構深かったと思うんですけど……」
俺ならかろうじて足が着くかもしれないけど、五十嵐さんの身長じゃまず足は届かない。万が一あそこで足を攣ったら、せっかく克服しかけてきた恐怖がよみがえるだろう。
「分かったわ。少し離れたところから見るわよ」
「そうして下さい。また浜辺まで運ぶのは勘弁してもらいたいですし」
「また? 前にもあったんですか?」
そっか。森さんは去年の海には来てなかったんだっけか……
「遠泳勝負で沖まで泳いで、そのタイミングで五十嵐さんは足を攣ったんですよ。それで溺れかけたのを俺が助けて浜まで運んだんです」
「そんな事が……でも、遠泳勝負なら他の人もいたんじゃないですか?」
「ええ、いました。でも、普段ふざけてるのにああいった場面では誰一人冷静な行動を取れなかったんですよ」
会長も、七条先輩も、魚見さんも動揺して、五十嵐さんは足を攣った事で完全にパニックに陥ってたし……
「今年は大丈夫です!」
「だと良いですけど……」
五十嵐さんを見て呆れていたら、背後で森さんが微妙に足を気にしている雰囲気を感じ取った。
「如何かしましたか?」
「いえ……少し痺れてるような感じがするんですよね……」
「痺れて? そんなに酷使しましたっけ?」
「そんな事は……あっ、攣りそう……」
今年は森さんが攣るのか……まぁここは浅瀬だし、それほどパニックに堕ちいる事も無いだろうしな。
「津田、さん! 私泳げないですよ! 助けてください!」
「落ち着いてください。ここは浅瀬ですし、足はちゃんと着くはずですよ」
「そういう問題じゃないです! 溺れちゃう!」
あぁもう! 普段冷静な分、一度動揺すると森さんは駄目だな……ここは落ち着かせるよりも、他のショックを与えた方が楽かもしれない……後で謝るので勘弁してくださいね……
目の前で森さんが足を攣って、冷静さを失っている。去年は自分が攣って津田君に助けられたので、足を攣る恐怖は良く分かる。でも、津田君も言ってるようにここは浅瀬、あそこまで慌てる必要は無いと思うんだけどな……
「サクラ、落ち着け!」
「ッ!?」
混乱している森さんの名前を呼び捨てて、津田君が思いっきり森さんを抱きしめた。そしてこの角度からでは、津田君が森さんにキスしてるように見えるんだけど……所謂ショック療法ってやつなんだろうけども、妙に気持ちがざわつくのは何故なのかしら……
「つ、津田さん……なにをいきなり……」
「後でいくらでも謝ります。ですが、あれくらいしなきゃ冷静さを取り戻せなかったでしょ? 無理に宥めるより別のショックを与えて冷静さを取り戻させる方が楽そうでしたので……ごめんなさい」
「い、いえ……まさかこの様な感じでファーストキスをするとは思って無かったので……」
「俺も初めてです……」
「そ、そうですか……光栄です」
とりあえずパニックからは脱したようだけども、津田君も森さんも微妙に気まずそうにしている。まぁ当然でしょうね。キスしたんですから……
「えっと、五十嵐さん」
「何でしょうか?」
「今のは別にやましい気持ちからではないので見逃してください」
「分かってますよ。津田君はそういった人では無いのは知ってますので。ただ……」
「ただ?」
私が言い淀んだ事が気になったのか、津田君が私の事をじっと見つめてきます。そういった感情は無いって分かっていても、見つめられるとかなり緊張しちゃう……
「五十嵐さん?」
「私にも何時か、してほしいなって……」
「はぁ……? はい?」
「だから! 何時か私にもき、キス……してほしいなって」
「……あ、いえ……聞こえなかった訳ではないんですけども……」
私が如何の様な意図でそんな事を言ったのかを考えている津田君を見て、私は逃げ出したい衝動に駆られた。なんて事を言ってしまったんだ私は……
「ごめんなさい!」
「えっ? 五十嵐さん、そっちは沖……」
「え? きゃあ!?」
慌てて走り出し、自分の足がつかない場所まで行ってから、自分がかなり動揺していた事に気がついた。気づいてからは重力に逆らえず、そのまま沈んで行ってしまった……
「(あーあ、結局今年も溺れちゃったな……しかも津田君にはしたない人だって思われちゃっただろうし……)」
沈んでいく間、そんな事を考えていたからだろうか。次に目を開けた時に津田君が目の前にいるような気になっているのは……
「ぷはぁ!」
「全く、なに考えてるんですか貴女は! 逃げるにしても普通は浜辺にでしょうが! 何で沖に逃げるんですか」
「ご、ごめんなさい……」
私が溺れていたのはほんの数秒、でもそれだけで海に対する恐怖心を思いだすには十分だった。
「……あの、そろそろ離れてほしいんですけど」
「無理です! また溺れちゃう!」
「……ハァ」
津田君に抱きついたまま、私は浜辺までの距離を進んだ。当然畑さんには写真を撮られるし、会長たちには詰め寄られるしで大変だったけども、全部津田君が如何にかしてくれたのでとりあえずは安心だった。
「五十嵐さん」
「何でしょう、森さん」
「……負けませんからね」
「私だって」
他の人よりは私たちは津田君に意識してもらえてるはずだ。だって森さんはキスしちゃったし、私は布一枚を隔てただけで、ほぼまんまの感触で津田君にくっついていたんだから……
リードするならこの二人でしょうし……