IS学園でのこと。キャノンボールファストでの事件から数日。今回の事件で一人近しい被害者が出た。
教室内はいつもより、いやに静かだ。あれから変わったことは多くある。ひとつは前に書いた教室の空気。そして、二組の人数が一人減った。
前にも襲撃は多々あったが、それでも実質的な被害はないに等しかった。被害が実感となり実感が恐怖へと変わっていく。負の感情はなかなか頭からこびりついて離れない。
そして二つ。織斑一夏が休みがちになり始めた。
それによって起こる被害は甚大だ。女子の士気が目に見えて下がっている。あの襲撃は一種のタブーのような扱いになり、不思議と誰もその話題を話さなくなった。
三つ目に相澤康一の喪失だ。彼のおかげで、一夏の写真がIS学園内で新たに流通しなくなった。実際にはしているのだが相澤康一の写真よりクオリティが下がったのだ。康一の持っている金は一般家庭から見たら桁違いだろう、こういうところの収入源をひとつ潰しただけでも、結構な損害だ。
今日も、織斑一夏は休みだ。
入り口から担任が入りSHRが始まる。
「日直号令。」
「起立、気をつけ、礼」
◆ ◆ ◆
「織斑先生…………動じてなかったよね」
「そんな訳あるかシャルロット。必死に感情を押し殺しているんだ。」
昼食の時間、少女たちは一夏のために集まった。
「どうしましょう。落ち込んでいる一夏さんを見ているのは忍びありませんわね。」
「下手に慰めても、逆効果になりかねないな。」
そこにいるのは一人欠けた専用機持ちメンバー。篠ノ之箒、セシリア・オルコット、ラウラ・ボーデヴィッヒ、シャルロット・デュノア、更織楯無だ。
「どうして、康一さんがあんなことをしたのか。」
「考えても仕方ないわ、こっちでもできることは少ないのよ。」
ラウラの言葉に楯無がたしなめる。
「「「「「………………。」」」」」
ふと、全員が黙る。どうしようもない、状況に指をくわえてみているだけというのは、とても心を蝕んでいく。
全員の心に陰りが見える。純粋な負の感情がその場に浸透していく。
がん!
突然全員の下がった視界内にてんぷらそばが置かれる。更識簪がそのままそばをすする。
ズルズルズルといったどことなくコミカルな音が変な空気の中流れる。しばらくして、その音が止まる。ご馳走さまでしたと呟くように言った後簪は口を開いた。
「お姉ちゃん。」
「な、何?」
「一夏の部屋の鍵をちょうだい。」
「簪ちゃん下手に慰めに行くのは。」
「慰め?まさか。少し見たいものがあるの。」
なぜか、無表情に殺気にも似たそれでいて何かが違う何かを纏ってそう言った。
「何を見に行くって言うの?」
「言う必要はない。頂戴?いや、寄越せ。」
ゾクリとした背骨に走る神経をなでられたような悪寒を全員に与えた。そして楯無はその悪寒を振り切りようやく口を開いた
「それは。…………できないわ。」
それを言うのに多少の逡巡があったのはやはり何をされるかわからないということが、この更識簪にはあったのだ。そんな予想を裏切るように、花のような笑顔になりながらこういった。
「ありがとう。お姉ちゃん。ごめんね、我侭言っちゃって。」
「え、いいのよ。」
「それじゃ、ご馳走様でした。」
台風のようにいや、相澤康一のように被害を加えて去っていった。
◆ ◆ ◆
グチャグチャなままのベット。締め切られたカーテン。空のペットボトル。ここにタバコの吸殻と酒のワンカップを置いておけば自堕落な人間の出来上がりだ。
だが、ここは高校の寮。しかも、ここは生徒用の部屋だそんなものはまるでないが、そう思わせるような雰囲気が漂っている。それは、この部屋の主である織斑一夏の存在がそうさせたのだろう。
「……………」
ベットに身を投げて、虚ろな目で何もない天井をただ何もせずに見ている。肉体は息をしているが、そこに生気を感じられない、魂が篭ってないようにさえ思える。放っておけば数億年でもそこに居そうだ。
静かな時間帯今は午後の授業が始まっている頃だろうか?外を見れば少し傾きかけた日がそう物語っているのだが、締め切った薄暗いこの部屋ではそんなことは露ほどもわからない。
光、時間すらも、感じることを拒否する意思が見える気がした。
ひとつ涙が零れた。静かに一夏の目から確かに。
波のように押し寄せる悲しみが周期的に一夏を攫って行く。それに耐えるように、身じろぎひとつせずにただ涙を流していた。
「…………ぁ」
口から少し音が漏れた。
ガチャ
外界につながるドア、されど今は閉じきっているドア。鍵が掛かっているであろうがそれをお構いなしにその音は連続して、否が応でも一夏の耳朶を揺さぶった。
波紋ひとつないプールにスポイトで一滴を垂らすような、そんな微弱な怒りが一夏を襲う。
「放っておいてくれ。関わらないでくれ。もう、いやなんだ。」
そんな声をあげようとしても一夏の口は回らない。ただ、惨めでしかない怒りに身を震わせるだけだった。そしてあかないドアに興味を失せたかのように、ドアノブを捻る音はしなくなった。
しかし、混じった怒りはどうしようもない。それを排除しようと無駄に思考が回る、何も考えなくていいように、余計なことで大事な思考を埋めていく。
(鍵を持っていないということは千冬姉や楯無さんじゃない、シャル、セシリア、簪はやりそうにないから後の2人箒だったら、問答無用でドアを切り裂いてくるだろうな、ラウラはどうだろう?あ、そういえば布仏さんたちは大丈夫かな。)
バゴン!!!
今度は飛び起きた危機感を無駄に出す大音量。大きいハンマーで壊したような音が部屋に響き渡る。こんな時間だ寮に誰もいるわけがない。
「はー。破壊活動させないでほしいよ。」
「簪?」
眼鏡をかけた水色髪の女が右手に機械腕を携えて、開口一番にそんなことをのたまわった。ここにして、ガチャリといった音が鳴る扉を破壊して、その風穴から鍵を開けたのだろう。
「なんだ!?ズケズケと入ってきやがって!」
「…………黙れ負け犬」
怒りのままに立ち上がり簪に詰め寄った一夏を簪が殴った。傍若無人をと通りこして暴虐不尽だ、突然訪れたどこか何かに似通った暴言暴力に唖然としているうちに、簪は何か一夏とは違うほうの机やクローゼットを物色していた。
「…………パソコンか。チッ。パスワードが掛かってやがる」
物色した品物の中に相澤康一のパソコンを見つけたようで、それのパスワードを見つけるためにハッキングをしているところだ。
カタカタと、どこからか取り出したかわからないノートパソコンのキーボードを使いハッキングをしていく。少し手間取っているようでその姿は無防備だ
だが一夏はその簪の姿を見て、特に何をするわけでもなかった。一夏はその場を立ち上がりまた、元のようにベットの上で物言わぬ人形のように寝始めた。
彼の中で力を持つものに振り回されることには慣れていた、ただそれだけのこと。
「…………104877443673・26何でこんなめんどくさい。」
どうやらハッキングが終わったようで今度はマウスをクリックする音が断続的に鳴っている。何を探しているのだろか?
「…………チッあるのは写真データだけ。」
手早くデータを掻っ攫った。目的のものがなかったのか素早く立ち上がった。そして一夏に近づきその胸倉をつかみ上げ情報を引きだそうとする。
「…………相澤康一に関する情報を全部話せ。全部だ、もらった物からよく行く場所よく話す人、全部だ。」
タブーを軽く口にし、無気力な目と爛々とした猛禽類のような目が真っ直ぐに繋がった。その繋がりを断ち切れないまま、一夏はこのたびに溜まった鬱憤を晴らすために言葉を紡いでいく。
「おい、何でそんなに冷静なんだよ。」
「…………頭を取り替えてもらって来い。」
「人が…………死んだんだぞ?」
「…………分かっていないとでも思っているのか?」
まるで誰かが取り憑いたかのように粗暴な言い回しを続ける簪に、一夏はどうしたらいいのか分からない。いちいち、あの男の記憶が一夏の頭にフラッシュバックする。
「…………だからだ。康一はやってはならないことをしたし、それをみすみす信じるはずがない。」
「何を言っているんだ!もうぜんぜん分からねえよ!唯一の男には裏切られるし、あいつは鈴を殺していくし!もう、ほっといてくれよ!!」
「…………頭の悪い貴様にもう一度言ってやろう!!アレが「はい、裏切りました」と素直に言うと思っているのか!?もしそうなら頭を取り替えてもらえ!それでもなお貴様が正常であれば、アレの裏切りで心を痛める資格がないと思え!!」
怒りが呼び水となってさらに怒りを誘う。簪が大声を張り上げ一夏に罵倒を押し付けた。その場にさすような沈黙が流れ、おもむろに持っていた胸倉を引き寄せて一夏の胸に顔を埋めた。
「…………私だって、信じたくないんだよ。」
少し、胸が湿った気がした。
結局のところ、更識簪は半生にもわたり縋って来た
「…………教えて。この日々が康一の嘘だったって思いたくないから。」
啜り泣きながら簪は自分の胸の内を明かしていく。
一夏にはどう見ても、一人の少女としか見れなかった。そして一夏の思考が完全に切り替わる、負け犬のような力を持たず過去だけを悔やみ自分の弱さを認められずにただ吠え散らすだけの愚者のそれから、百獣の王のように、気高く、美しく、力強く、未来を見据えそれに邁進するような賢者の思考へ
「簪…………俺の机の一番上に康一からもらった写真がある。」
「!?」
「ありがとう簪。俺が間違っていたよ…………そういえば、あの写真最後まで中身見てやれなかったな。」
簪は顔を上げたその目は充血していて、見ていて痛々しかった。
「…………見せて。」
「分かった。」
一夏は自分の机の引き出しを開け、簪に手渡した。
「…………あなたが先に見て。」
といってそれを一夏に渡した。手元に帰ってきた封筒を万感の思いで見た。その中身は写真とUSBメモリだけだった。
「写真…………あいつらしいや」
中は写真それも、集合写真が多めで……………笑顔しかなかった。不満げな顔なぞ一つも。それは、いわゆる一つの結晶、男が残したものだった。
「……………自分は一切入っていないんだね。」
トランプを見るように高速で内容を確認していく。本当にただ一つとして撮影者を写した写真はなかった。
「いつだって、渦中にいなくて。けど、確実に何かを残していったと思うんだ。」
一夏は悲しげに目を伏せた。二人の共通認識だった。
「…………裏に番号が振ってある。」
「ん?」
それに気がついた簪はUSBメモリを奪い取るようにもって近場のパソコン、つまりは相澤康一のそれに繋げその中身を見た。
簪の脳の回転が速くなり、貪欲に真実を汲み取ろうと躍起になりながら指をキーに叩き付ける。答えは、答えは。
「An apology to all…………」
簪がひとつひとつ、たどたどしい様子で暗号を読み解くように不器用に言葉をつむいでいく。暗号の解読式は写真と写真データの重複、それを順々に頭の中で取り揃えていく。
「I betrayed…………」
日本語訳にすると。
「……………すべてに謝罪を、私は裏切った」
だ。現実がそこにある。写真は切り取った空間と共に意思が伝わり、他者の思いを変質させる。
「そうか、もう前から裏切っていたのか。…………なんで、この笑顔を壊そうと思ったんだよ。」
「………私にもわからない」
一夏がそういった。
「簪」
「………何?」
「俺、強くなるよ誰にも負けないぐらいに。最低でも康一をぶん殴って、理由を聞き出すぐらいに。」
一夏の目に活気が戻っていた。
「…………私からもお願い。」
簪は、やわらかく笑っていた。