地獄と天国。これを分けるのは、ひとえに受けている境遇に対しての主観的な思いで、決して絶対的にこれが“地獄”または“天国”であるというものは存在しない。
分かりやすく言うなら、Sからの刺激を苦痛とするか快楽とするかはMかMでないかの違いだということだ。
まあ、この世は等価交換で成り立っている。何か対価を払えば、何かしらの反応は返ってくる。
それが、好意でもだ。
そして、上の理論を使えば好意も地獄になるのだ。
「Mちゃん、おっはよ-!目覚めはどう?」
「最悪だ。」
朝焼けが空を赤く染める。同時にそんな時間に、香は叩き起こし、それに少女は嫌悪感を覚えていた。
「うんうん、よく眠れたみたいだね。それなら、ご飯にしようか?」
「…………いらん」
少女は心の中で、コイツの頭の中にピンク色の翻訳機でも付いているのか?とのツッコミが出たがそれを言わずに、最低限のコミュニケーションだけを徹底している。正解だ、この男に餌を与える結果になる。
「ダメだよ!朝ごはんを食べないと元気が出ないよ?」
「…………そもそも、敵兵に英気を養わせる必要はない。」
軍人然とした受け答えだ。だが、ここは平和の象徴とも言うべき学校だ、そんな常識は女性をもてなす為ならどんな犠牲もいとわない古代のイタリア人男性のような香の頭の中にはない。
「私は、Mちゃんの味方だよ! 」
「…………。」
「大体、私がMちゃんを敵だと思っていたら今すぐ八つ裂き状態の半殺しにしているし。」
さらりと、とんでもないことを言っている。少女は、『それもそうだな。』と思いながら、信じてみる事にした。
そうして、
【朝食】
「はい、ここが学食でーす!」
「……………。」
手を繋ぎ、たまに冷やかされることも会ったが特に何もなく学食にまで脚を運んだ。
「見れば分かる。」
「なに食べる?」
「…………定食D」
「通称パスタ定食だね。分かったよ。」
券売機まで行き食券を買ってくる。その時に学食のおばちゃんから「あらあら、やっとこさ康一君にも春が来たのね」などと茶化されたが、それをさらりと返して、食事を貰った。
「はーい持ってきたよー。」
「…………いただき、ます。」
次の瞬間、香が目頭を押さえ涙を流していた。
「…………どうした」
「いや、かわいいなぁって」
その場に居た全員の額に血管が浮かび上がり、それを感じながらもスプーンとフォークを使ってMは黙々と食べていた。
【授業】
「いやー、康一君の悪癖が幸いしたねぇ。」
そう呟いた、なぜ康一の悪癖と言ったのかというと。思い出して欲しい、簪と話し合っている時のことを、この学園の女子生徒用制服を持っていたのだ。
その時には、無駄に凝り固まった変装を見せてくれたが、今回は普通に女だ、映えるってものではない可愛い過ぎて投身自殺でもしたくなるぐらいだ。
むしろ、目鼻顔立ちが担任殿こと織斑千冬に似通っている。そういう意味でも情欲を掻き立てる。
そして教室に入ったが最後、瞬間大勢の女子に囲まれ拷問が始まる、その拷問の名は。
「え!?なにこの子!織斑先生の親戚?」
「かわいー!写真撮らせて!」
「一回十円ね。ホントに払った!?」
「シャンプーなに使ってる?」
「名前は?」
「それ、私も聞きたい。」
質問責めだ。女という字を三つ書いて姦しいと読む。姦しいの意味はめっちゃうるさいだ。…………いや、機械だし私。
「…………疲れた」
「お疲れ。」
「…………授業に出るのか?」
「YES!折角来たんだから楽しまないと!」
ストレスの海にさらされたかのように、おなかを押さえながらその話を聞いていた。少女は諦めて運命を受け入れた。
「チッ!ペンを貸せ」
【授業2】
「体育だよ!」
「…………ブルマだな。」
少女が着ているのは昨今の学校教育の絶滅危惧種こと、ブルマだ。これもIS学園指定のものだが、きっちりと購入済みだ。
「んっと、ここの体育は剣道や柔道、合気道などの武道、ダンスなどの創作系、サッカーやバスケ、バレーボールなどの選択制だよ。男子は扱いに困ってかどこにでもいけるけどね。」
「…………つまり」
「見学も体験もどこに行っても自由自在に楽しめるよ。ってこと」
まあ、治外法権がおのおののルールを持ち寄っているにも関らずギリギリのラインで成り立っているような不安定な所だ。いつ崩れ落ちるか分かるものではない、だからこうやって対抗策は作ってある。
「で、どこに行きたい?今は、確か剣道、サッカー、水泳、ダンスがあったと思うけど。」
「行かないって言う選択肢は。」
「あるよ!やったねMちゃん一緒に居られるね!!」
「…………剣道をやる。少しは気がまぎれるだろう。」
「ふふっ、それじゃ私もそれで。」
本当に心の底から嬉しそうに喋る香と、ゴキブリを見た時のような嫌悪感を示しているMが対照的だった。香は喜び勇んで剣道場つれて行った。そこには…………。
「相澤?」
「香でっす☆!」
篠ノ之箒が居た。当然といえば当然のような気もするがそこらへんは香にとって瑣末な問題だ。香は言い飽きた言葉を返す。
「なんだ今日はこっちに来たのか。」
「うん。Mちゃんがこっちに来たいって言うから。」
ここに来た旨を説明した。それは、元々自由奔放な振る舞いをしていた康一の言葉でもおかしくはないものだった。その前に香は、Mを愛で尽くしたことが普通に会話する要因ともなったのだろう。
「…………そうか。」
今、篠ノ之箒の頭には二つ考えるべきことがある。
一つ、自身の姉篠ノ之束。
そしてもう一つ、Mのことだ。
篠ノ之束は、前回篠ノ之束が作ったもの、つまり無人機から襲撃されている、ということは姉が何者かに脅迫に準じるようなことをされたということだ。
例外として他の人間が作ったとい仮定もない訳ではないが、無人機の技術が確立されていない今、そんなものを鶏が卵を生み出すが如くポンポンと作れるような人間が居たのならば、世界は確実に酷い物になるので除外した。
そしてもう一つMだ、正直そっくりさん以上の織斑千冬の類似率を誇るこの娘。この状況でこれ見逃しに何の情報ももっていないという愚行がまかり通るわけが無い。
「ま、Mちゃんに言いたいことは一杯あると思うけど、ちゃんと授業はやろうね。」
「っ!?お前だけには言われたくない。」
香は、上の意図を完璧に汲み取ってはいない。むしろ逆だ、完全に勘違いしている。先の拷問…………じゃない、質問責めをしていた女子と同じ目をしていたから諭しただけだ。
「…………おい、やるぞ。」
「!?」
不意に香にMが声を掛けた。その目にはかすかな闘志が燃えている。それに香は驚愕した。
「いいよ、やりたいなら。」
「おい!防具ぐらい付け」
剣道の視点からして、篠ノ之箒が注意した。だがそれに耳を貸す二人ではない、むしろMはこういった。
「剣道じゃない、喧嘩だ。」
「ふざけるな!」
「良いんだよ、篠ノ之箒。止めるな」
香の言葉で箒は口をつぐんだ。濃厚な殺気が生物の本能としての恐怖を脳幹から体へと揺さぶり下ろす。
「それじゃ、始めようか。」
近場にあった竹刀を取り出しそれを、両者とも両手で構える。Mの持ち方は異様にさまになっている。だが、香はただ持っているだけ、竹刀を持った腕は力なく垂れ下がり剣先が床についている。
そして合図も無しにMが動いた。
獣のような荒々しい剣筋、確かに剣道ではない。喧嘩だ。
香はそれを避ける。ISを破壊するような身体スペックを生かして危なげなく一番の安全策をとって回避していた。
だが、Mも何も考えずに剣道というフィールドで戦うと選択した訳ではない。ある一定のリズムと回避予測によって、ある場所に誘導する。
何合か打ち合った時に誘導した所に突きを織り交ぜ、それを香がバックステップによって回避した時。
「フッ!!」
逆手に持ったフォークを振りぬき、露出した肌へと突き刺す。香も鋼鉄で出来ている訳ではない、刺し口か鮮血が流れ出る。
「痛いね。」
「相澤!!」
次にスプーンの打撃。かなり痛いのだがそれを無視して。香は初めて申し訳程度にだが攻撃を加えた。
香の攻撃を避けて背後に回る。そして、後頭部を立てかけておいた木刀で切り付けた。
「…………小細工はもう終わりかい?」
まあ、そうなるな。香は軽く竹刀を頭に当てて試合を終了させた。
「あわよくば、とか思っていたが。無理だったな。」
「うーん、まあ、先生と約束しちゃったからねぇ」
「それならしょうがないな。」
殺し、殺されあうような。変な関係がよさげな関係で存在している。
「はぁ、今回はジタバタしないでおこう。」
それは、何かが決定的に欠けたものの発言だった。