「なな足すいちはぁー?」
「「「「はちー!」」」」
「(流石にこれはきついぞ……)」
決心した日から数週間。
ヴァンは早くも挫けかけていた。
今現在、ヴァンがいるのは私立聖祥大学付属小学校一年一組。そして算数の授業中だ。
精神が二十近いヴァンにとって、ただの足し算引き算を延々とやるのはきついものがあった。
しかも今は小学一年の五月。このまま自分が習っていたところまでに十年以上掛かる。流石に今まで習ってきた高校の勉強を全て忘れる訳にもいかない。この世界で唯一と言えるアドバンテージはそれくらいしかないのだ。それを失ってはたまったものではない。
そんな訳で授業の内容を右から左に流しながら、ヴァンは頭の中で高校の授業を思い出しつつノートに書き込んでいた。
両親に問題集か何かを買ってもらうか? などと考えていると、終了のチャイムがなる。
担当教師が教室を出ていき、入れ替わるように担任の先生が入ってきた。
彼女は丸眼鏡を中指で上げながら簡単な連絡事項を話すと、すぐに終わりの挨拶に入る。
ようやく自由の時間が来たようだ、とヴァンは疲れを吐き出すようにため息を吐くのだった。
※※※
「よし、かーえろっと……」
「あ、ロック君。ちょっと待って」
「はい?」
ヴァンが帰ろうと鞄を手に持って廊下を出た時、先生に声をかけられる。掃除当番ではないはずだし、いったいどうしたんだろうかと振り返ると、先生はプリントを手に持ちひらひらと左右に振っていた。そして申し訳なさそうな顔をしながら眼鏡をクイッと中指で上げ、ヴァンに視線を合わせるように腰を落とし、そのプリントを渡してくる。
なんだろうかと見てみると、それは先程配られたプリントだった。既に自分の分は貰っているしどういうことだろう。ヴァンは先生を見ると、彼女は両手を合わせ「お願い!」と頭を下げてきた。
いきなりの事に思わず固まるが彼女の視線で我に返る。
「えっと、なんの用ですか?」
「あのね、それをバニングスさんの家に届けて欲しいのよ。提出は来週中だけどはやめに出す必要があるものだから」
「はぁ……」
「それで、どう? 受けてくれる?」
「いや、まあいいですけど」
頼られて少し嬉しく思いながらそれを表に出さずにヴァンがそう言うと、先生はにっこりと笑い頭を撫でてきた。撫でられるなんて事に全然慣れていないヴァンは思わず身体を強ばらせるが、先生はそんなヴァンに気付く事なく優しい手つきで撫で続ける。
ヴァンの髪の触り心地が良かったのか、一向に撫でるのを止めない先生にされるがままになるヴァンだったが、ふとある事を思い出し彼女に目を向ける。
「そういや俺、バニングスさんの家知らないんですけど」
「あれ? ご近所さんでしょ?」
「いや、近所に馬鹿でかい屋敷があるくらい……──まさかそれですか?」
「ええ。てっきり同じバスに乗ってるものだと思ってたんだけど」
ヴァンの言葉に、先生はきょとんとした表情を浮かべていた。そんな彼女の表情に思わずヴァンも同じ顔になる。
ちなみにヴァンはバスを使っていない。“彼”もそうだったし、ヴァン自身も朝に歩いて学校に向かう時の一人の時間が楽しいと感じていたからだ。
「まぁそういう訳だから頼んだわね」
「了解しました」
じゃあね~、と手をひらひらさせながら教室を出ていく先生。
何かいいように使われているような気がしないでもないが、とりあえずこれを持って行ってしまおう。
ヴァンは鞄の中にプリントをしまいながら、ゆっくりとした歩幅で下駄箱に向かった。
※※※
「はぁ~……。それにしてもデカいな」
大豪邸という言葉がこれほど似合う家もそうそうないだろう。見上げれば、縦にいくつもある窓。辺りを見渡せば、我が家とは比べ物にならないくらいの巨大な庭。遮るものなどほとんどない庭を走り回れるのはとても気持ちよさそうだ、とヴァンは何匹もの大型犬がじゃれ合っているのを見ながらそう感じた。
そして動物好きのヴァンにとって、その光景はとても癒されるものだった。ヴァンがほんわかとした気分で犬たちを見ていると、その犬たちの一匹がこちらを向いた。
思わずビクッとなるが、その犬はジッとヴァンを見るだけで動こうとしない。なんだか敵かどうかを見定めているようにも見える。やがてその犬の視線に気づいたように他の犬たちもヴァンの方を向いて眺め始めた。
数匹の視線を感じながら、ヴァンはゆっくりと犬達に近づいていく。元々用があるのはこの家にいる少女だけだったが、動物好きとしてもっと近くで見ないと満足しなかった。普通、こんなところにいる犬は番犬以外の何者でもなく、下手に近づけば噛み付かれそうなものだが、ヴァンは本でしか見たことがなかった種類の犬達に感動して気がついていない。
そんな訳で笑みを浮かべて近づいてくるヴァンに犬達は警戒しているようだった。すると、頬肉や耳がだらんと垂れた一匹の大型犬がのそのそと歩いてきた。どうやら彼らのボスらしい。その犬はヴァンから三メートルほど離れたところで座ってこちらを見ていた。まるで近づいてこいと言っているようだ。
勝手にそう解釈し、ヴァンは刺激しないよう、すり足で近寄っていく。
「…………」
「よぉーし、よしよし。いい子だ」
残りの距離は一メートルもない。近くで見るとその犬はとても優しそうな眼をしているのが良く分かる。そんな眼を見て、ヴァンは撫でてやりたいという衝動に駆られ、思わず手を伸ばす。
やがてヴァンの手が、犬の頭に届こうとした瞬間──
「……人の家で何やってるのよ」
「うぉお!?」
「!? バウバウ!」
「いってぇ!?」
後ろから急に声をかけられヴァンは思わず叫んでしまった。その声で驚いた、柔らかそうな頬を垂らした犬に指をガブッといかれてしまう。
それによって更に声を上げてしまうが、咄嗟に手を引いた事と犬が本気で噛んでいなかった事が幸いして指に歯型も付かず、犬の唾液に濡れた程度で済んだ。
ホッと息を吐いていると、後ろから声をかけてきた少女に手をとられる。いきなりの事に面食らっていると、少女は強ばった表情でヴァンの手を見ながら声をかけてきた。
「ちょ、だいじょうぶ!?」
「な、なんとか……」
「──うん、傷はできてないみたいね」
大丈夫と聞いておきながら、少女はヴァンの言葉を流して怪我がないか様々な角度でヴァンの手を診ていた。なんとなく寂しい気分になりつつ、仕方ないので空いているもう片方の手で犬を撫でてみようと近づけてみる。
ヴァンを噛んだ犬は申し訳なさそうにしながら、差し出した手をペロペロと舐めると自分から頭を手のひらに押し付けてきた。感動して少し泣きそうになりながら、ヴァンはその感触を楽しむ。
そんなヴァンをよそに、ヴァンの指の様子を確かめていた金髪の女の子はホッと息をついていた。
「ちょっと赤くなってるけど特に問題はないみたい」
「うん、ありがとう」
「べっ、別にお礼なんてしなくていいわよ」
顔を少々赤くしながらそっぽを向く少女。どうやら同年代に褒められ慣れていないようだ。
可愛いなぁ……と、犬達とは違うベクトルの可愛さを持つ彼女を見ながらヴァンは思わず癒される。言っておくがロリコンではない、決して。誰に言う訳でもなく心の中でそう呟きながら頷くヴァンに、少女は不思議そうな顔をして首を傾げていた。
と、本来の目的を忘れるところだった。
ヴァンは撫でていた手を離し、鞄からプリントを取り出して少女──アリサ・バニングスに渡す。アリサは渡されたプリントをふんふんと頷きながら眺めた後、それを丁寧に折ってポケットに仕舞いこんだ。それを見たヴァンは、とりあえずこれで俺の任務は終了だ、とため息を吐く。そして家に帰ったら何をしようか考えつつ、最後に犬たちを撫でまわし、アリサに背を向ける。
するとヴァンを止める声が聞こえた。
「待ちなさい!」
「……なんでしょう?」
「そんなにすぐ帰らなくてもいいじゃない。お茶くらいだすわ。鮫島!」
「ここに」
「うおっ、どっから湧いた!?」
「鮫島を虫かなんかみたいに言わないでくれる!?」
アリサが呼んだ途端、どこからともなく現れた鮫島というらしい男性。口元の髭と眼鏡がダンディーな老紳士である。
気配も感じなかったことに驚いているヴァンをよそに、鮫島は何かを組み立て始める。そしてハッと我に返った時には立派なカフェテラスのようなものが出来上がっていた。
「一体何者なんだ……」
「さぁ、どうぞ」
用意された椅子に座ってふんぞり返っているアリサ。
ヴァンはと言えば魔法の勉強をしたかったので、正直すぐにでも帰りたいと思っていた。
「えーっと。誠に申し訳ないけどすぐに帰って母さんの手伝いを……」
「ダメ! ここまで用意させといて帰るっていうの!?」
「……いただきます、はい」
小学一年生の要求を拒否できない精神年齢十八歳。なんと悲しいことか。
アリサはどうやらわがままな性格のようなので、拒否し続けたら面倒な事になるだろう。ヴァンの勘がそう告げていた。
仕方ないかと心の中で呟きながら、とりあえず彼女がまた怒り出さない内に椅子に座る。
そして用意された紅茶の入ったマグカップを手にとった。
──それは濁りのない、透き通るような琥珀色をしたストレートティー。ほんのりと鼻腔をくすぐるこの特徴的な強い甘い香りはこの時期には珍しいダージリンの茶葉を使っているのだろう。期待に胸を膨らませつつ口に含んでみれば、舌を包み込む心地よいはっきりとした渋味。それら全てを総合して、ヴァンが出した感想は、
「……うまいな」
ただ一言だけだった。自分の語彙力の少なさに思わず眉間にシワを寄せるが、紅茶をもう一飲みする時には既にシワは消えていた。代わりにヴァンの顔には笑顔が張り付いている。満足そうな顔をしたヴァンを見たアリサは自慢げに胸を張り、紅茶を淹れた鮫島もどこか誇らしそうにしていた。
紅茶を飲み終えたヴァンの目はそのままテーブルの上に置かれたクッキーに向いた。紅茶でこの出来、という事は……。ヴァンはアリサに一言告げる事も忘れ、クッキーに手を伸ばしそのまま頬張る。
──口に入れた瞬間広がるのは、芳醇な濃厚バターの香り。しっとりなめらかな生地の食感がまた絶妙なバランスを保っていた。しかし、味が濃すぎる気がしないでもない。先程の紅茶を作った人がこんなミスをするだろうか──? そこまで考えた時、ハッと目を見開いた。そして鮫島の方を見ると、まるで分かっていると言うように空になったマグカップに紅茶を注ぐ。ヴァンは暖かい紅茶の入ったマグカップを手に取り、ゆっくりと口に傾けていく。紅茶はクッキーによる濃厚な甘さをさらっと流し、程よいハーモニーを奏でる苦味と甘さが残った。間違いない、これは至高の一品だ。感激したヴァンは紅茶を何度もおかわりしながら皿に盛られたクッキーをどんどん平らげていく。もちろん味わうことも忘れない。
気づけばヴァンは、皿の上に乗っていたクッキーのほとんどを食べきってしまっていた。
「やば……ごめん、バニングスさん。俺一人でほとんど食べちゃった」
「気にしなくていいわ。私はいつでも食べれるしね」
ツンと顔を背けそう言うアリサ。
わがままなだけと思ったら優しいところもあるようだ、と素直に感心しつつ、美味しい物を食べられたことに満足気な表情を浮かべるヴァンだった。
※※※
「夕飯を残したら駄目だからね?」
「すっかり忘れてた……」
「はっはっは。ヴァンも仕方のない奴だな」
家に帰り遅くなった理由を話すと納得はしてくれたが、夕飯を残すことは許してくれないようだ。しかし夕飯までまだあるので少し身体を動かして腹を空かせておこう、とヴァンはジルウェの方を向く。
「と、いう訳でご指導お願いします!」
「ん。了解だ」
アースラのとあるトレーニングルームを借りてヴァンとジルウェは向き合っていた。
ジルウェは木剣。ヴァンはサイズの小さい木刀を持って構えた。
しかし流石は部隊長というべきか、まるで隙が見当たらない。とは言ってもヴァンの場合は始めて一月も経ってないので隙があるとかも分からないが。
しばらく睨み合いの状況が続く。
そんな時、ジルウェが呆れた表情で口を開いた。
「ヴァン。おまえから来ないと訓練にならないぞ?」
「前にそう言われて突っ込んだら思いっきりカウンター食らったんだけど……」
「それはお前が油断しているからだぞ?」
初心者に何を求めているんだ。
ヴァンは思わずそう言いたくなるが、確かにこのままだと訓練にならない。
覚悟を決め足に魔力を込める。思い切り地面を蹴りつけ、弾丸のような速さでジルウェに向かっていく。
木刀を両手に持ち、肩の後ろまで振りかぶって叩きつけるように振り下ろす!
「直球勝負はいいが、残念だったな」
「へ? うわぁ!?」
が、ジルウェはヴァンの振り下ろした木刀を手で掴むと、そのまま後ろへ投げ飛ばした。
上手く受け身も取れずに背中から地面に叩きつけられ、一瞬息が止まる。痛みで動けずにいるとふと視界が暗くなる。
寝たままだと危険だと感じ、ヴァンは咄嗟に身体を転がす。と、その瞬間先程までいた場所に木剣が突き刺さった。
「おお、よく避けたな! 成長してるじゃないか」
「避けなかったら死んでただろ、今の!」
「お前なら避けると信じていたぞ?」
「なんで疑問形なんだ……」
ジルウェの訓練方法は「100の練習より1の実戦だ!」というものだった。
しかも簡単な魔力の運用法と剣の持ち方と振り方を教わっただけなので、こうして理不尽な目に合っている。
もしかしなくてもジルウェは教えるのに向いていないんじゃないかとうすうす感じ始めているヴァンだった。
ともあれこのまま負けるのは癪に障る、とヴァンはすぐに立ち上がり、ジルウェに向かって斬りかかった。
「このッ!」
「はっはっは、そんな振り方じゃ当たらないぞー?」
しかしそんなヴァンの攻撃もほとんど紙一重で避けていく。
一応剣の振り方も教わっているし魔力で強化もしているため、こんな身体でもそれなりのスピードで振っているはずなのだが、ジルウェはまるで関係ないようにことごとく躱していた。
それに体力も無限ではない。次第にヴァンの動きも遅くなり始め、木刀を振る力も無くなってきた。息切れを起こすヴァンがふとジルウェの顔を見ると、彼は余裕そうな顔でこちらを見ていた。思わずカチンと来たヴァンは、どうにか一泡吹かせようと考える。
ただの攻撃では当たらない。フェイントを入れたものなど、簡単に見破られるだろう。ならば、と決めたヴァンがとった行動は──
「……ん? なんだ、諦めたのか?」
「…………」
攻撃の手を止め、ヴァンは立ち尽くす。先程まで構えていた木刀も、両腕と一緒にだらりと垂れ下がっていた。
──ちょっと、おちょくりすぎたかな?
ジルウェは笑っていた顔を一変させ、心配そうな表情になる。そして流石に調子に乗りすぎたと思い始めた。それも仕方がない話だ。やっと武器を振るえるほどまで成長した息子。血は繋がっていないとはいえ、期待してしまうのも無理ないだろう。木剣を腰におさめ、ジルウェは内心どうやって慰めようか考えながらヴァンに近づいた。
──それがヴァンの罠だとも知らずに。
「──ッ!」
それは一瞬だった。ヴァンの肩に手を置こうとした時、魔力がヴァンの足に集まるのが見えたのだ。ジルウェは直感で危険を察知し──咄嗟に後ろに下がる。その瞬間、轟音が鳴り響く。粉煙が舞い上がりパラパラと小石が落ちてくる中で、ジルウェは思わず冷や汗を掻いた。
……まさか、オレの油断した隙を狙ってくるなんてな。
息子の勝ちに対する姿勢に苦笑が漏れる。やがて煙が晴れると、そこには仰向けに倒れたヴァンの姿があった。近づいてヴァンを見てみると、どうやら少しも動けないようで身体をピクピクと震えさせながら項垂れていた。その表情には“悔しい”という文字がデカデカと貼られている。
ジルウェは更に笑みを深めながら、ヴァンに声をかける。
「お疲れ様、ヴァン」
「うん……全然ダメだった……いい作戦だとは思ったんだけど」
「流石に始めて2週間も経たない相手に負けるつもりはないさ。でも最後の攻撃はよかったよ? この調子でいけばかなりの腕になるはずだ」
「ほんと!?」
「ああ。後は魔法の練習だなぁ。前にも言ったけど、こればっかりは才能もあるから何とも言えないけどね」
ヴァンは才能という言葉を聞いて思わず、俺にはあるだろうか、と考えてしまう。
この世界にある技術、魔法。元々そういうファンタジーな事が大好きだったヴァンにとって、魔法というのはヴァンの好奇心をいたく刺激した。それは両親の魔法を間近で見た事で更に深まった。魔法を使うには理数に強くないといけない、と聞いたがそれも問題ない。元の世界では理数系の成績は良かったほうだ。なら大丈夫だろう、と思っていたところに立ち塞がったのが才能という壁。
今はまだ魔力の運用しかしていないためなんとも言えないが、もし本格的に魔法を使った場合、必要とされるのは魔力の多さでも知識の深さでもなく、その人のセンスだという。そればっかりは個人差があるからなぁ、と苦笑混じりにジルウェが話していたのを聞いた時、不安になってしまうのも仕方がない事だろう。
もし才能が皆無ですなんて言われたら身体に引っ張られている事も相まって泣いてしまうだろうな、とヴァンは苦笑交じりにそう感じていた。
そんなことを考えながらヴァンがソワソワしていると、トレーニングルームの中に誰か入ってきた。疲れて身体が動かないので首だけ足音のする方向へ回すと、そこには浅葱色の髪を後ろに纏め、管理局のスーツを着た女性が歩いてきていた。
「あらあら、またやってるのね」
「ん? お、リンディさん。大丈夫なんですか、こんなとこ来て」
「今は休憩中なのよ」
優しげに微笑みながらそう言うのは、時空管理局提督の役職についているリンディ・ハラオウン。
彼女はジルウェの昔の同期だという。
ヴァンは時々、リンディの息子であるクロノと遊んだりしているのだが、やるのはもっぱらチェスや将棋などあまり子供らしくない。
クロノは魔法の師匠がいるらしいので、彼から魔法を習ってみるのもいいかもしれない、とヴァンは考えていた。
今日は彼の姿はない。なんでも時空管理局執務官の試験があるのだという。
前に一度落ちているらしいので気合の入りようが半端ない。少し会う機会があったのだが、その時のテンションはとても面白かったことを覚えている。
なのでここ数日の間、遊び相手がいなくてつまらないと感じていた。
「まぁそれも今日で終わりでしょうから、我慢してね?」
「……読心術でも使えるんですか」
「顔に出てたわよ」
苦笑しながらそう言うリンディに、ヴァンは大人の風格を感じる。
すると彼女はすっと真剣な表情になり、ジルウェに目を向けた。
「ところでジルウェ。最近あの遺跡で進展があったらしいけど、どうなの?」
「ああ。その事だけど……」
そこでチラッとヴァンの方を見た。
ジルウェは視線を戻すと、リンディと目を合わせた状態で黙っている。どうやら念話を使っているようだ。ヴァンはなんとなく面白くない気分になりながら、二人が話し終わるのを待つ。数分後、ようやく話し終わったのかフッと息をついていた。
「なるほどね……。じゃ、あとでね」
「ああ」
「ヴァン君も頑張ってね」
「は、はい」
そう言ってリンディは出口へ歩いて行った。
ジルウェは少し遠い目をしてどこか虚空を見つめていた。しばらくすると、ヴァンがジルウェを見ていたことに気づき、ヴァンの頭を撫でてだっこするように抱える。
「じゃ、帰って母さんのご飯を食べるか!」
「……父さん」
「んー?」
ヴァンの方を見ず、笑いながら歩を進めるジルウェ。
なんとなく聞いていいのか分からなかったが、どうしても気になる事だったのでヴァンは口を開いた。
「あの遺跡ってなに?」
「…………」
一瞬、ジルウェの歩みが止まる。
が、それは本当に一瞬で、意識していなければ気が付かないほどだった。
ジルウェは誤魔化すようにヴァンに笑いかけ、「仕事の話さ」と言って会話を終わらせた。その続きを話す気はないのだろう、ジルウェはそのままヴァンの学校生活について聞いてくる。
ヴァンはそれに返しながら、頭では別の事を考えていた。
「(……十中八九、“あいつ”がいた遺跡の事だろうな)」
さらに言えばこの身体がいた場所でもあるだろう。
記憶としては頭にあるのだが、ヴァン自身が実際に行ったことは当たり前だが、ない。行ってみたいとも思うが、行く理由がないのでどうしたものかと頭を抱える。
そんなヴァンの様子を見てジルウェはどうやら遺跡について知りたがっていると思ったらしく、ため息一つ吐いて一言呟いた。
「時が来たら、話してやるさ」
「……分かった」
ヴァンはそれを聞いて何も言えなくなってしまう。
ジルウェは知らないと思っているだろうが、ヴァンは全てを知ってしまっている。ジルウェとヴァンが血の繋がっていない親子だという事も、ヴァンが遺跡から発見された子供だという事も。
だからそう言うのはヴァンが成長した時に事実を伝えてくれるのだと、そう理解してしまう。
無言になってしまったヴァンの頭を、ジルウェは撫でる。
その感触に、思わずどうでもよくなってしまうヴァンだった。
※11月24日少し修正