「いやー楽しかったな」
「そうね、アタシも年甲斐もなくはしゃいじゃったわ。ヴァンはどうだった?」
「俺も楽しかったよ」
「……? ヴァン、自分の事“俺”って言うようになったのね?」
「え!? ああ、うん! イメチェンだよ、イメチェン!」
「どこでそんな言葉を覚えてきたのやら……」
すっかり陽も落ち、街灯が夜道を照らす中での帰り道。
ミナトは久々に感じるほどよい疲れに満足しながら、両親と歩いていた。
“ヴァン”の記憶があるので、この二人に対して気まずさを感じることなく純粋に楽しむことが出来た。一つ気に入らなかったことがあるとすれば、身長制限で乗れなかったアトラクションがある事だろうか。
「(大きいジェットコースターに乗れなかったのは残念だが……回るコーヒーカップというのが面白かったのでよしとしよう)」
「本当に楽しかったみたいね」
「ああ。いつもはアイツの遊び相手になってやれないからな、喜んでくれてよかったよ」
ニヤニヤと今日の出来事を思い返しているミナトを見ながら、両親は微笑ましそうに笑う。
なんとなく気恥ずかしくなって、ミナトはそっぽを向きながら汗でべたついたシャツをパタパタと煽る。が、両親は恥ずかしがっている事に気づいてさらに笑みを深くしていた。
※※※
そんなこんなで家に着く。
初めて行った遊園地なるものはなかなかに楽しかった、とミナトは無意識に笑顔になる。もう一度行けるかな──そこまで考えて、ミナトの顔に影が差した。
この身体は本来、自分の物ではない。それなのに、自分が楽しんでしまっていいのだろうか? ミナトは心の中でそう自問する。両親を物心つく前に亡くしているミナトにとって、今日の出来事は宝になった。遊んでいた時も、初めて“両親の愛”というものを知ることが出来た感動から、思わず涙を流してしまったほどだ。
だからこそ──この嬉しさを本来の人格ではない、紛い物の自分が感じていいのかと思ったのだ。
「ヴァン、シャワー浴びちゃって今日は寝なさい。疲れたでしょ?」
「あ……うん」
思考が更に沈んでいきそうになった時、エールの声でハッと顔を上げる。
言われた途端、眠気が襲ってくるのを感じ瞼が一気に重くなり始めた。停止寸前の頭で考えても埒があかない、とソファから立ち上がる。風呂に入ってスッキリさせてから考えた方が効率もいいだろう──ミナトはそう思い風呂場に向かった。
そして湯船に浸かり、今日の疲れを癒す。その心地よさに思わず溜息を漏らしながら、ミナトはふと自分の手のひらを見つめ、今日のある場面を思い出す。
それは遊園地で迷子にならないようにと、両親に手を繋がれた時の事。この小さな身体になる前は至って普通の性格をした高校生だった。その年頃になれば、手など繋がれたら気恥ずかしくなりその手を解きそうなものだ。しかし、何故だか今日繋がれた時にはそんな気が起こらなかった。
どうしてだろう、と少し考え、思いついたのはつい最近ネットで見た情報。それは“精神は身体に引っ張られる”というものだった。
その情報を思い出した時、ミナトは思わずなるほど、と手を叩いた。それならば仕方ない。身体に引っ張られているんだから、なんの恥ずかしい事もない。うんうんと頷きながらそう呟くミナトの顔は真っ赤に染まっている。それは湯船の熱さとは違うものが混じっていたのは言うまでもないだろう。
それにしても、とミナトは浴槽に背を預けながら虚空を見つめる。
どうやら自分は思った以上に両親がいない事を寂しく感じていたようだ。今日の行動を思い返していて、なおさらそう感じる事が出来た。案外女々しかったんだなぁ、としみじみ思いつつミナトは頭を洗うために湯船から出る。そしてシャワーの栓を捻った瞬間────目の前が全て白に染まる。
「ッ!? なんだなんだ!?」
いきなりの事に驚き、思わず目を腕で覆う。しかし何も起こらないので腕をどかしてみると、周りに浴槽やシャワーはなく、ただただ白い空間が広がっていた。
不思議に思いながら立ち上がると身体にも違和感を感じた。先程まで真っ裸でシャワーを浴びていたのにも関わらず、今は服を着ていたのだ。それも大人物の服である。手のひらも確認してみると、やはり大きくなっている。元の世界に戻った? それならここは一体どこなんだろう──?
「どういう事だ……?」
「最後の確認に来たんだよ」
「……誰だ?」
後ろから急に声をかけられ、心臓が飛び出そうになったがそれをおくびにも出さずにゆっくりと振り向く。そこには朝に鏡で見たヴァンと呼ばれた少年の姿があった。
一日とはいえ、自分の顔として過ごした顔が目の前にいるのは、なんとなく奇妙に感じる。すると彼はクスッと笑い話しかけてきた。
「初めまして、ではないかな。今日の朝ぶりだね」
「ああ、そうだな……。いきなりの事で驚いたが」
「その事については謝るよ。ボクも少し必死だったんだ」
そう言うと彼は少し悲しげな表情をして俯いた。
どうしたんだと思いながら彼が話し出すのを待っていると、彼は決心がついたような表情でミナトを見て口を開いた。
「お願いだ。ボクの代わりにこの世界で生きてくれないか?」
「……理由を聞かせてくれないか?」
「うん、それは当然させてもらうよ」
ミナトに向けられた突然の頼み。
それはミナトにとって少しの感動をもたらすものだった。思わず手が震えそうになるのを抑えながら、ミナトは彼を見る。そんなミナトの心の動きに気付くわけもなく、彼は真剣な表情になり、語りだした。自分がどういう存在かという事を。
「ボクはサイバーエルフと呼ばれる存在だったんだ」
彼がそう言うと、彼の身体は光に包まれてだんだんと小さくなっていく。
野球ボールほどの大きさの球体になると、その周りにプログラムのような幾何学的な模様の輪を纏い、ミナトの前を漂い始めた。
しかし既に身体が小さくなるという不思議体験をしたミナトにとってあまり驚くようなことではない。幽霊みたいなものか? と少し笑いながらヴァンに言うと彼も笑いながら肯定を返す。
「サイバーエルフはエネルゲン水晶と呼ばれる魔力エネルギーの結晶を補給しなければ生きていけない生き物なんだ。ボクは特に生きたいとも思わなかったからほとんど補給することはなかった。辛い事もあったからね。でもそんなある時、ある遺跡の近くで死にかけていた赤ん坊を見つけたんだ」
「……まさかそれが」
「そう。この身体の持ち主さ」
サイバーエルフの状態となっていた彼はヴァンの姿に戻る。しかしその姿はどこか掠れていた。不思議に思いながらその事について聞こうとした時、それを遮るように彼は話し出す。
「多分その赤ん坊は何らかの事故でその世界にきてしまったんだと思う。不運な事にボクのいた世界は、はるか昔に滅んでしまって一面砂漠の海だったから誰もその赤ん坊を助けられる人はいなかったんだ。ボクはその赤ん坊を放っておくこともできた。でもボクは、その赤ん坊を助けたくなったんだ。理由は分からない。もしかしたらサイバーエルフとしての本能だったのかもしれない」
その世界で起こった事を知っているらしいが、彼はそれに関しては何も言わなかった。そして彼が言うにはサイバーエルフとは人間、及びレプリロイドと呼ばれる人型の機械のサポートとして作られたプログラム生命体の事を言うのだという。
そして様々な情報は生まれたときに既に備わっている。彼の能力はその中でも稀少なものらしく、機械を操ることが出来るというものだった。そこまで言って彼は辛そうに顔を伏せた。
「でも、助けられなかった。言った通り、ボクの能力はデータを書き換えて操るだけ。いくら稀少でも、ヒトを治癒するような能力では、なかったんだ」
目の前で赤ん坊が死にゆく姿を見るのはとても辛かったはずだ。
ミナトも思わず胸が苦しくなる。
「ボクは誓った。死んでしまったこの子の代わりに、様々な世界を見ようと」
そのために今まで獲らなかったエネルゲン水晶も獲ろうと決意した時、遺跡からある光が放たれ赤ん坊に吸い込まれていったという。
「ボクは唖然としたよ。その光が消えたとき、赤ん坊の身体を診たらヒューマノイドになっていたんだ」
「ヒューマノイド?」
「身体の一部を機械に変えた人間……って考えてもらっていい。つまり赤ん坊の中に入れるようになったんだ」
それはその赤ん坊の肉体を操れるという事。
魂は既に失われているが、代わりに自分が入れるようになった。
彼はせめて赤ん坊の身体で世界を見ようと思ったらしい。
「ボクはそれを確認したら、すぐにありったけのエネルゲン水晶を補給した」
このまま乗り移ったところですぐに消えてしまうと踏んだ彼は、もしものためにとっておいたというエネルゲン水晶を片っ端から吸収していった。
数十年取らなくても済むような量だったらしく、彼は安心して赤ん坊に乗り移った。
「その後、どうすればいいか考えた。ボクはこの赤ん坊以外人間を見たことがなかったからね。とりあえず誰かに気づいてもらえるように魔力を放ってみたんだ」
すると空から船が現れ、中から人が出てきたという。
その時拾ってくれたのがジルウェだった。
「よく考えたら、あんな小さな魔力を放ったところで、気づいてもらえるはずがないんだけどね」
「え? でも見つけてくれたんだろ?」
「彼らが、あの遺跡を発見した時に、運よく魔力を、放てたんだ」
彼はそう言って笑う。
笑いながらもその姿は少しずつブレていた。
「そして、拾われてか、ら六年……ボクは、彼らから愛情を、受けながら、すくすくと育っていった。でも、限界がきてしまった」
「どういう事なんだ? 数十年は大丈夫なはずだったんだろ?」
「うん……。そのはず、だった。 でも、ボクの身体は、多すぎるエネル、ゲン水晶に、耐えきれなかったようで、少しずつ、溢れてしまって、いたんだ」
そう言った途端、一瞬彼の姿が消える。
「お、おい! 大丈夫なのか!?」
「いや……もう、限界が近、いよう、だ。そろ、そろまずいかも、ね」
消えかかっているにもかかわらず彼は笑う。
まるで消える事が怖くないかのように。
それを直視することが出来ず、ミナトは思わず顔を俯かせた。
「ボクは、この子に入って、から得た力、を振り絞って、あなた、を、呼ぶことに成功し、た。出来、るかどうかは、半々だっ、たけど」
「…………」
「ボクは死ン、でシまうから、無理になッてシ、まったケど、もし、あなたがイいの、なら代、わリ、にあなタがボクの、願いヲ叶えてほシいんだ」
ミナトは、言いようのない気持ちが溢れそうになって肩を震わせながら思わず胸を抑える。そのまま俯いていた顔を上げ、少年の眼をしっかりと見据えた。
彼の真剣な表情、瞳、そして言葉。それらからミナトが分かった事。
この少年は俺を頼っている。他の誰でもなく、俺を。
それが事実であることを改めて感じた時、ミナトは決心した。
この世界で生きていこうと。
「俺さ、元の世界で友達とかまるでいなかったんだ」
「……?」
「俺が困った時に頼れる奴も、困ってる時に俺を頼ってくる奴もいなかったんだ」
──そんなミナトの脳裏に映るのは、大きな和風屋敷の一室で多くの男を跪かせる祖父の姿。
ミナトの祖父は住んでいた地域のほとんどを掌握しているヤクザの頭だった。
そんな祖父を持っているミナトに罪はなかったが、噂というのはひどいもので“ミナトと友人関係になったら消されてしまう”などという謂れもない嘘が町中に広まってしまったのだ。
少し考えればありえないと分かる嘘。しかし噂とは尾ひれを引くもので、そのせいでミナトは学校で友達というものが一人も出来なかった。
声をかけてくるクラスメイトもおらず、話しかけてくる先生はどこかよそよそしい。唯一笑顔を向けてくれる人もこちらの機嫌を伺うような、どこか裏のある笑みしか向けてこない。
ただ一人の血縁者である祖父も、口を開けば跡を継げという言葉だけ。純粋だったミナトの心はボロボロになるのに、あまり時間はかからなかった。
そんな大きく傷ついたミナトの心を癒したのは、一冊の本。
学校の図書室で見つけたそれは、よくある冒険活劇だった。主人公が挫折や絶望を味わいながら、それでも諦めずに己の道を行き、次第に彼を慕う仲間が集まり、やがて目標を達成する。そんな物語。
ミナトは心惹かれた。どんなことがあっても決して諦めない、仲間を助けるために困難も厭わない。そんな主人公に憧れを持った。そして読み終わった後、ミナトはある目標を立てる。自分に仲間が出来たなら、全力でその人を手助けしようと。
しかしそれは前の世界では叶わなかった。どんな人も頼るのは結局自分ではなく、祖父。心が折れそうになった事もある。それでも諦めずに頑張った結果ここまでこれた。自分を頼ってくれる人が、いたのだ。
元の世界に未練が無い訳じゃない。
家によく来る野良犬に今日の分の餌をやってないし、養ってくれた祖父に礼も言ってない。そして元の世界で友達を作ってみたかった。
それでも。自分を必要としてくれる人がここにいるのなら。それに応えたい──そう思ったのだ。
だからミナトは上を向きながら答えた。
嬉し涙で濡れた自分の顔を見られないように。
「だからさ、今すごく嬉しいんだよ。こんな俺でも力になれるのかって」
「じゃア……!」
「ああ、俺でいいのなら、お前の代わりに生きさせてくれ」
そう言ってミナトは手を差し出す。
彼も嬉しそうに笑いながらその手を取った。
「アリ、がトウ。こレで、ボクは安、心シて逝、けル……」
彼が足のつま先から消えていく。
「それで、だ……あのさ、頼みがあるんだ」
「ナんだい?」
既に下半身は消え、顔と右半身しか残っていない。
ミナトは彼の手を掴む。そのぬくもりを忘れないように。
強く、ただ強く。
「俺の最初の友達になってくれ。お前になってほしいんだ」
記憶を共有したからなのかは分からない。
しかしミナトの中で、彼は居なくなってほしくないと感じるまでの存在になっていた。だがそれは叶わない。なら、今彼の為に出来る事は何かと考えた時、これが浮かんだのだ。
彼はミナトの言葉に驚いた表情になるが、すぐに優しげな笑顔に変わる。
そして涙を流し、頷きながらこう言った。
「ア、りガ、トう、ミナト。ボクの、最期を看、取ル人が、君でヨかっタ」
もう思い残すことはない。そう言うように。
「サようナら、
「……! ああ!」
彼は最期に楽しげに、そして嬉しげに笑う。
そしてミナトの手から、彼の手の感触が────消えた。
すると白い世界が段々と崩れていく。この世界を保っていた彼が消えた事で存在出来なくなったのだろう、とミナトは推測した。
雪のように落ちてくる光の粒子を肌に感じながら、ミナトはそっと目を閉じる。
浮かんでくるのはミナトのものではない、別の記憶。
両親が彼をあやしている。
初めて歩くことが出来た時、大喜びする両親を見て嬉しげな表情を浮かべる彼。
小学校の入学時、自分の教材をにっこりと笑いながら見つめていた。
テストで百点を獲った時、両親に褒められとても嬉しかった。
そして今日。ミナトが遊んでいた様子は彼も見ていたようで、かなり楽しんでいたという感情が心の奥にあった。
それらは彼が生きてきた証。
ミナトはそれらを胸に刻んで生きていこうと心に決める。
その時、彼の喜ぶような声が、聞こえた気がした。
※11月23日、少し修正